月姫 alternative story

 あまりに寒くて、目が覚めた。
 まだ、大きな月が蒼く存在を主張している。今日もいい天気。
 ちょうど起きようと思っていた時間に近かった。
 今日も頑張ってお弁当作らなくちゃ。
 もちろん、遠野君の分も。
 今日こそ。今日こそ食べてもらわなきゃ。
 そう思っただけで、頬が火照る。
 昨日大失敗して、折角のチャンスを台無しにしちゃったし、今日は頑張らなきゃ。
 遠野君の顔を思い浮かべて、ベッドから抜け出す。えい。
 早くしないと、通学路で待ち伏せできなくなっちゃう。
 スカートに履き替えると、一層寒さが身にしみる。
 どうしよう。ストッキングを履こうか。
 遠野君は、ストッキングとナマ脚、どっちが好きかな。
 女子高生の特権としてナマ脚を活かしたくもあるけど、無理して血行悪くなったマスクメロンみたいな太股は、客観的にみてあまりいいものではない気がする。
 余り冷気にさらすと、皮下脂肪が付きやすいっていうし。
 かといってストッキングで大人の色気が演出できるほど成熟していないのは、自分でもわかってる。
 少し悩んだ末、オーバーニーを履いて姿見の前に立ってみる。
 スカートにギリギリ隠れて素肌は見えなくなるけど、まぁ、悪くはない――と思う。


 悩んでいた分、台所にはお母さんの方が先に来ていた。
「おはよう」
「おはよう……って、さつき。朝からずいぶん血色が良いわね」
「えっ、そ、そぉ? 顔洗ったばっかりだからじゃない?」
 朝から遠野君の事ばっかり考えてたからかな。
 そう思うとどきどきして、また顔が火照ってきた。
 炊飯器を開けて、まずはおにぎり。
 遠野君は和食党。だけど学食のご飯ものはイマイチだってぼやいてるのを耳にしてから、私のお弁当はいつもおにぎり。
 だって遠野君用のお弁当箱を用意して「食べて」って渡す勇気なんて、まだ無いし。  梅干しが一つ。おかかが二つ。
 どう考えてもあからさまに多すぎるおにぎりを握っても、いつも何も言わないお母さん、ありがとう。
「さつき、たまにはお弁当箱に詰めてあげたら?」
「えっ!?」
 ――言われた。
「いつもいつもおにぎりばかりじゃ飽きられちゃうわよ? たまには気合いを入れて、他のレパートリーもアピールしないと」
「……ちゃんとおかずも持って行ってるもん」
「タッパーにほうれん草のおひたしとかおでんとか詰め込んで、女子高生のお弁当にしちゃ渋すぎない?」
「いいの! 食べてもらえるとは限らないし、押しつけがましいのはイヤなの」
 ……本当はまだ、一度も食べてもらってない。
「彼氏の趣味なの、それ? ずいぶんじじむさいわねぇ」
「遠野君は舌が肥えてるの! じじむさいんじゃなくて通なの!」
「ふ〜ん、遠野君っていうのか」
 ――しまった。
 お母さんにひやかされて、頭に血が上ってきた。
 煮物が、うまくお箸でつかめない。
「ねぇ、さつき」
「なによっ」
「あなた、熱あるんじゃない?」
「そんなんじゃないったら」
 お母さんが額に伸ばしてきた手を払おうとしたら、食器棚が体当たりしてきた。
 何するのよ。早く支度して遠野君と一緒に学校行くんだから、邪魔しないで。
 食器棚を押しのけたら、今度は冷蔵庫に背中をどやされた。
「――足に来てるわよ、さつき」
 家財道具と喧嘩してたら、お母さんにあきれられた。
 ――どうやら、吸血鬼になっても風邪はひくらしい。






ベッドでさつきは考えた
written by ばんざい






 ただ横になっていると、一日はとても長い。
 今日は特に気合いを入れて遠野君の事を考えていただけに、会えないとなるとますます頭から離れない。
 普段はもっと他の事も考えてるはずなのに、今日は遠野君の事ばかり。
 弓塚さつきは、恋に焦がれてお馬鹿になってしまいました。
 でも。
 そろそろお昼。
 今日もお弁当、食べてもらえなかった。
 今日もシエル先輩と一緒に食べてるのかな。
 ずるいよ……。
 私の方が先に、遠野君の事、好きになったのに。
 乾君、ちゃんと邪魔してね。
 でも。
 放課後は綺麗な金髪のひとと会うのかな。
 ずるいよ……。
 吸血鬼のお姫様だって。なんで日本になんか来るのよ。
 駄目だよ遠野君、寄り道しないでまっすぐ帰って。
 でも。
 帰ったらメイドさんが二人もいるって。
 すごく可愛くて、お料理も上手だって。
 ずるいよ……。
 ずっと遠野のお屋敷にいるなんて。私も雇ってよ。
 それに。
 妹さんの話もよく出てくる。
 すごい美人の、長い黒髪のお嬢様だって。
 ずるいよ……。
 もうお兄ちゃん離れしてよ。
 和風贔屓の遠野君、真っ直ぐな黒髪が好みなのかな。
 私はもともと栗毛だけど、いまさら黒く染めたら変だよね。
 駄目だよ遠野君。シスコンは卒業して。
 ――考えれば考えるほど泥沼にはまって行く。
 私がこうして寝ているあいだ、誰かが遠野君と仲良くしてる。
 いつでもどこでも、ライバルがいっぱい。
 もしかしたら、もうライバルですらないのかもしれない。
 中学生の時は、女っ気なんてまるでなかったのに。
 私だけの遠野君だったのに。
 だから、私の方を見てくれなくても、こっそり眺めてるだけでも良かった。
 こんな事なら、もっと早く告白しておけばよかった。
 でも、結局自分では何も出来ずに、嫉妬に狂ってるだけ。
 醜い。
 こんな嫌な女の子、嫌われるに決まってる。
 駄目。こんなのじゃ駄目。
 わかってる。けど、どうにもならない。
 どんどん悲しくなって、涙があふれてきた。
 自分でびっくりするくらいあふれてきた。
 泣いた。
 号泣した。
 布団にくるまって、声が漏れないように。
 ――泣いて。泣いて。頭が痛くなるくらい泣いて。
 泣き疲れて鼻をかんでたら、ドアがノックされた。
「さつき、起きてる?」
「う、うん」
 慌てて涙も拭く。
「お友達がお見舞いに来てくれたわよ」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って」
 もうそんな時間になったんだ。誰だろう。
 慌てて鏡を見る。ひどい顔。
 取り敢えずざっと髪を梳かし、パジャマの上にカーディガンを羽織る。
「開けるわよ」
 慌てて振り返ったドアの向こう。
 困った顔で軽く手を挙げる『友達』。
「とっ? とと、と、遠野君!?」
 夢じゃない。確かに遠野君。遠野君が私の家に。
 なんで。どうして。どうしよう。
 パニックに陥った私は、その辺のクッションを抱いてベッドに逃げ込んでしまった。
「あの、俺やっぱり失礼しま――」
 きびすを返す遠野君の袖をお母さんがつかんで引き留めてくれた。
「まぁまぁ、少しだけお話相手になってやって下さいな」
 ありがとう、お母さん。
 取り敢えずベッドの上で背中にクッションを当てて座り、パジャマは掛け布団で隠す。
 大丈夫、よし、一応、それほどみっともなくはない、と、思う。
「あー、その、ごめんね。いきなり押し掛けて。昨日借りた傘を返そうと思って」
 遠野君はお母さんに無理矢理椅子に座らせられ、ちょっと困ったように言い訳した。
 そう。
 昨日、午後になって雨が降った。
 遠野君は傘を持っていなかった。
 私は傘を持っていた。
 堂々と相合い傘で帰るチャンスだった。
 だけど。
 不幸な事に、その場に乾君もいた。
 悪い事に、鞄に入れっぱなしの折り畳み傘もあった。
 思わず、「私、予備があるから」と遠野君に傘を貸してしまった。
 馬鹿。私の馬鹿。
 だけど。
 傘を貸して、翌日たまたま休んだら、わざわざ返しに来てくれた。
 なんてラッキー。神様、ありがとう。
「かえって気を遣わせちゃってごめんね。わざわざありがとう」
「いやまぁ、お見舞いがてらと思って。でも、眼は赤いし、まだ辛そうだね。かえって悪い事しちゃったね」
「うぅん。眼は寝過ぎて腫れてるだけ。ずっと横になってて、退屈してたの」
 またドアがノックされ、お母さんがお茶を持って来てくれた。
「遠野君が、お見舞い持って来てくれたのよ。遠野君、お持たせですけど、付き合ってやって」
「わぁ。羊羹? わざわざ買って来てくれたの?」
「あぁ、お見舞いって何を持って行っていいのかよく判らなくて。甘い物が食べやすいかなと思ったんだけど、よく考えてみれば、あんまり病人に食べさせるものじゃないよね」
「大丈夫、お腹はこわしてないし、熱ももう下がってるから。遠慮なく頂きます」
 甘くて、美味しくて。嬉しくて。
 なんだか胸がいっぱいになって、また涙があふれてきた。
「ゆ、弓塚さん?」
 遠野君が驚いている。それはそうだろう。羊羹食べていきなり泣かれては。
「ご、ごめん。風邪のせいで涙腺弱くなってて。これ、すごく美味しくて感激しちゃった。さすがは遠野君が選んだ逸品だね」
 それから、今日はクラスで他に四人も休んでいたとか、そのうち一人は乾君で、あいつは絶対仮病だとか。
 そんな他愛もない話をしただけで、なんだかとっても満たされた気持ちになって。
 だから素直に言えた。
「来てくれてありがとう。すごく嬉しい」
「いや、こんな事でよければいつでも――って、あんまり風邪で休んでも困るよね」
 遠野君、ちょっと照れてる。
「じゃあ、明日は学校で」
「うん。行ったら今度は遠野君がお休みなんて駄目だよ?」
「あんまり洒落にならないなぁ。でも、そしたら今度は弓塚さんがお見舞いに来てよ」
「う〜ん。遠野のお屋敷はちょっと恐れ多いなぁ」
 社交辞令でも『家に来い』って言ってくれるのは嬉しいけど。
「屋敷っていっても、別にしかつめらしい執事が出てくるわけじゃないんだから」
 だからイヤなんだってば。遠野君の馬鹿。

 でも。
 遠野君が帰ってから、また少し考えた。
 遠野君が自分から来てくれた。
 それだけで、こんなに幸せ。
 だから、ライバルがどうとか、別に悩む事ないんじゃないかな。
 独り占めしようとするから、他の人に獲られちゃうとか心配になるんで、遠野君が他の人と仲良くしたり優しくしたりしても、別に構わない。
 誰にでも優しい遠野君が好きなんだから。
 他の人と同じように、私の事も少しだけ好きになってくれれば、それでいい。
 みんな、遠野君が好き。
 遠野君は、みんなが好き。
 そうすれば、みんなが幸せになれるから、遠野君も幸せ。
 うん。
 そう考えたら、大泣きして悩んでたのが馬鹿みたい。
 もし、遠野君が風邪で休んだときは、シエル先輩でも誘って一緒にお見舞いに行こう。
 そしたら、先輩、きっとすごく驚く。
 で、言ってあげるの。
 焼き餅、格好悪い。
 何だか余裕。ちょっと大人になった気分。
 あぁ、でも遠野君。風邪ひいちゃ駄目だよ。

 じゃあ、また明日。学校でね。






                                   続く……よね?



The original work 『月姫』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい

補足
 さっちん何故か生きてます。
 しかも学校行ってます。
 どうにかして自我を保ち、日中も行動出来ていると。
 恐らく輸血用血液とかでなんとかしているのでしょう。
 扱いとしては、シオンに近いかなと。
 設定的な考証より、さっちんに普通の女の子としての幸せを与えてあげたいという事で、 TYPE-MOON第4回キャラクター人気投票時に書きました。



御意見・御感想は 掲示板 もしくはメールにて お寄せいただければ幸いです。

 御面倒な方はweb拍手でどうぞ。一行コメントも送れます。


創作保管庫へ

表紙へ