Fate/stay night alternative story   after“Unlimited Blade Works”

「なあ。海でも見に行かないか?」

 新学期も目前のある日、ぶっきらぼうにアイツは切り出した。

「はぁ? 今ごろ行ってもまだ寒いし、風も強いでしょ?」
「だからさ。今なら人も少なくて、のんびりするにはいいかなって。
 いや、別に海にこだわってるわけじゃない。どこでもいいんだ。けど、たまには少しだけ遠くへ、普段行かない所へ行ってみたくないか?」
「ふぅん。ま、いいんじゃない? みんなでわいわい出来るのも今のうちかもしれないし」
「いや。それもいいけど、たまには凛と二人きりになりたいんだ」

 ――珍しい事もあるものだ。
 朴念仁の士郎の方から、こんなに積極的に誘ってくるなんて。
 だけど、なぜか思ったほど嬉しくない。
 どうしてだろう。
 いつものように照れて赤面するでもなく、妙に腹の据わった士郎の態度が気に入らなかった。












相思相愛
written by ばんざい








「どういう風の吹き回しよ?」
「おかしいか?」

 おかしい。
 いきなり積極的なコイツもおかしければ、その不意打ちの誘いにときめかないわたしも、おかしい。
 だけど。だからこそ。

「アンタにしちゃ気が利いてるじゃない」

 断る理由は無かった。

「電車で少し冬木を離れてさ。普段あんまり行かない街で、知り合いに出くわす気兼ねとか無しに、二人で歩いてみたいんだ」
「それでお弁当持って行って、海を観ながら食べるわけ?」
「それもいいけど、出来るだけ手ぶらで行って、行き当たりばったりに探した店で食べるのはどうかな?」
「あらあら。どうしちゃったの衛宮くん? 急にそんな素敵なデートプランを思いつくなんて」
「……急じゃないさ。ずっと前から考えてた。お前を誘ってみたくて」

 そこで彼はようやくいつものように照れた表情で顔を逸らし、わたしはようやく少しホッとした。

「ずっと前って、どのくらい前?」
「さあな」
「答えなさいよ」

 どうやらツボにはまったようだ。頬を紅潮させるさまが、初々しくて可愛い。

「……お前の事、遠くから眺めてた頃からだ」

 少し、気分が良くなった。我ながら単純だと思う。

「じゃ、早速明日にでも行きましょうか」

 その前に、若干問題もある。
 士郎を帰してから隣室で読書していたアルトリアを呼び、事情を話した。

「そういうわけだから悪いんだけど、明日のお昼はお弁当作っておくから」
「いえ、でしたら良い機会ですから自分で自分の食事くらい作らせて欲しい。いずれリンたちが学校へ行っている間は留守番する事にになるのですから、良い練習になる」

 置いてきぼりにされる事にごねもせずあっさり承諾され、思わず茶化す。

「そう言ってくれると助かるわ。失敗した時は外食に切り替えられるようにお金置いていくからね」
「失敬な。決してその金には手をつけません」

 以前なら士郎やわたしから離れる事を極端に嫌った彼女が寛容になったのは、それだけ信用してくれているのだろう。彼女の存在意義を脅かす事なのに。



「リン。そろそろ起きて下さい」

 ――まぶたが、あかい。
 うすめをあけると、せかいはしろくて、ぼうりょくてき。
 ぎゅっと眼を閉じ、断固抵抗。
 ゆさゆさ。ゆさゆさ。
 半覚醒の意識が優しく揺すられる。

「リン。お願いですから」

 なんだろう。この可愛い声は。
 そんなに可愛い泣きそうな声を出されては、もう少し意地悪したくなってしまうではないか。
 寝返りをうって声に背を向けると、まぶた越しの光の圧力を感じなくなった。

「朝食が冷めてしまう」

 朝食? わたしは朝食は摂らない主義だって――

「――あれ?」

 わたしの部屋。わたしのベッド。
 アルトリアがわたしを覗きこんでいる。眉を八の字にして。可愛いなあ。
 もっと困らせたくなって、もう一度、眼を閉じる。

「リン。今日はシロウとデートに行くのでしょう?」

 あ。

「昨夜遅くまで衣装箪笥をひっかき回しているからです。シロウに寝惚けた顔を見せたいのですか?」

 口やかましい小姑のようだ。誰が彼女をこうしてしまったのだろう?



 トーストに、スクランブルエッグ。サラダはトマトとレタス。

「リンを起こしてから火を入れるべきでした。少し冷めてしまった」
「悪かったわよ」

 卵はやや火が通り過ぎていたものの、殻が入っていたりということもなく。
 ただ問題は――

「これ、レタス丸ごと一個全部サラダにしてない?」
「もう冷蔵庫の中でしなびそうでしたから」

 量が、尋常でなかった。
 処分の名目なのか、アルトリアの皿にはスクランブルエッグも山盛り。
 最近は士郎の家で食事する事が多く、自宅の食材は放置気味だったようだ。

「でも、それをいま使っちゃったらお昼の材料なくならない?」
「ご心配なく。卵はまだ四個ありますし、野菜室にも他にまだしなびかけの食材が」

 いけないいけない。独り暮らしの時の緊張感が無くなり過ぎだ。自分で冷蔵庫の中身を把握していないなんて。

「ごめんなさい。少し、士郎の家でご飯を食べるのは控えないと堕落するわね。明日は一緒に買い物に行きましょう」
「それよりむしろ、シロウの家で一緒に暮した方が良いように思うのですが」
「ダメよ。士郎は弟子であって執事でも料理番でもないし、けじめはつけなくっちゃ」
「弟子、ですか」
「そうよ。わたしだって衛宮家の居候や住み込み家政婦になるつもりはないんだから。
 ……なに? その意味ありげな、人を見透かしたような笑みは?」

 アルトリアは柔らかな笑みを絶やさず肩をすくめてかぶりを振って見せた。

「リンもなかなか、シロウに劣らず意地っ張りだ、という事です」
「魔術師としての矜持を持っている、と言って欲しいわね。だいたい、自分でやらせておいてなんだけど、伝説の騎士王たるあなたこそメイドまがいの事してていいの?」

 そうなのだ。
 最近のアルトリアときたら、食事の支度のみならず、掃除や洗濯までみずから進んでやりたがる。
 大概の事には物怖じしないわたしだが、衛宮邸の廊下を雑巾掛けしたりわたしの下着を手洗いしたりする元アーサー王を一歩引いて客観的に見てしまうと、さすがに何か根本的なところで大きな過ちを犯しているような違和感を覚えないわけではなかった。
 だがアルトリアは、ときおり首をかしげまた頷きながらフォークを動かしていた手を止め、胸を張ってわたしの眼を真っ直ぐに見て答えた。

「私は今も、騎士の誇りを忘れたわけではありません。この身はシロウとリン、そして大切な家族や友を護る為にある。
 その外敵を斬り伏せるばかりではない『護る』という今の使命と自分のあり方に満足しているのです」

 ――気高い騎士の心を持つメイドさんだ。雇い主としても位負けせぬよう努力せねば。

「素敵よ、アルトリア。感動したわ。
 でも、口の端に付いたケチャップはぬぐってから言って欲しかったわね」
「なッ!? リン! 黙って見ているとは人が悪い」

 慌ててティッシュで口許をおさえ赤面するアルトリアは可愛い。
 これが彼女の本来の姿なのだろう。それを引き出しているのは自分だと思うと、少し誇らしかった。



 シャワーを浴び、普段より少しだけ気合を入れてお化粧。今日は大人っぽくしてみよう。
 髪形も変えて驚かせてやろうかと思ったけれど、それはまだ先の楽しみに取っておくことにする。
 スカートは思い切って足首まで届く黒のマキシ。ブラウスは真紅に金糸の飾り刺繍。黒のベストを重ね、ジャケットはやはり赤。アクセサリはガーネットとピンクトルマリン。もちろん魔力付与済み。
 足元はハイヒールのパンプスにしたかったけれど、あの馬鹿は砂浜まで歩き回りそうだから赤いバックスキンのブーツにしておく。

「リン。とても綺麗だ」

 頬を紅潮させたアルトリアに見詰められると、ちょっと照れる。

「あなたにも今度、お化粧教えてあげるわね」
「い、いえ、私は結構です。どうせ似合わない」

 うろたえるアルトリアだが、実は化粧台に向かうわたしを興味津々で覗いていたのを知っている。愛い奴め。

「それじゃ、悪いけどお留守番お願いね」
「ごゆっくり」



 今日は天気は良いけど、少し気温は低め。上着を着て正解。
 待ち合わせは新都の駅に午前十時。余裕たっぷりだから、歩いて向かう。
 独りで街を歩くのはずいぶん久しぶりな気がする。
 歩くと、いろんなことが思い浮かぶ。柔軟で新鮮な発想を保つ為に、こういう時間をもっと確保しないといけないのかもしれない。
 わたしはいつも独りだった。
 最近はみんなと賑やかにすごすことが多く、それはもちろん楽しいし得る物も多いのだけれど、自分だけの時間も、とても大切。
 冷徹たるべき魔術師は、孤独が基本なのだ。
 そして思考が良好に巡り始めたわたしは、今日の計画の重大な見落としに気付いてしまった。
 士郎はどんな格好して来るだろう?
 迂闊。あまりにウカツ。
 なんだかちょっとばかりめかしこんで来ちゃったけど、あの朴念仁のセンスに思い至らなかった。
 いつものトレーナーにジーンズで来てくれやがったりしちゃったらどうしよう。
 わたしだけ気合入っちゃって馬鹿みたいじゃない。
 ――そして予定より早く駅前広場に到着。不安に囚われ知らず知らず早足になったらしい。
 さて、どこで待ち受けてやろうか。
 自分からは周囲を見渡せて相手からは見つけられにくい場所を探していると、肩を叩かれた。
 さっそくナンパかと思いうんざりして振り向けば、黒のスーツに赤毛がちぐはぐな男。

「――士郎?」そう。確かに士郎だった。「アンタ、スーツなんか持ってたの?」

 士郎はどぎまぎと赤面した。あ、ちょっと可愛いかも。

「へ、変かな? オヤジのスーツを直したんだけど」
「うん。ありていに言うと、ヘン」

 丈は合っているものの全体に少し大きめで持て余し気味の黒スーツに純白のワイシャツという冠婚葬祭かっていう組み合わせに、サーモンピンクのネクタイがアンバランスさに止めを刺している。

「ごめん。俺、センス無いからさ。出来るだけ無難にしたつもりなんだけど」
「ううん。努力は認めてあげるし、悪くはないわ。それに着慣れてないからギクシャクしてるのもあるだろうしね。スーツに見合う立派な身体になってちょうだい」

 本当に、悪くない。
 士郎はわたしの為にがんばってくれた。
 最悪の事態を想定した後だっただけに、とってもいい気分。

「ねぇ。わたしはどう?」

 そう訊いてあげると、士郎はますます顔を赤らめて目を逸らした。

「うん。なんていうか、その。凄く大人っぽくて、見違えた」
「あらぁ? それって普段のわたしは子供っぽいって事かしら?」
「あげあし取るなよ。褒めてるんだから」
「褒めてるの? 大人っぽいって、褒め言葉なの?」

 顔を覗きこんでやると、士郎は身体ごとわたしに背を向けた。

「ちゃんと目を見て話しなさいよ。それに、褒めるならちゃんと褒めて欲しいわ」
「いいじゃないか。どうせおまえは褒められ慣れてるだろ」
「わたしは、今日、士郎の為に、おしゃれして来たのよ?」

 腕をつかんで振り向かせると、士郎はむっつりとすねたように言った。

「あんまり美人になられると、一緒に並び辛くなる。俺なんかじゃ不釣り合いだろ」

 よしよし。士郎にしては上出来。

「そんなに謙遜する事ないわよ。さ、行きましょ」

 気分がいいから、士郎の左腕に抱きついて引っ張った。誰か知り合いに見られてもかまうものか。むしろ見なさい。



 下り線の車両はガラガラ。
 広い座席に並んで座ると、ことのほか寄り添っているみたいでわたしもちょっと照れ臭い。でも、人目を気にせず二人きりになる為に郊外へ誘ってくれたのだから、黙って素直にそのくすぐったい感覚を楽しむ事にする。
 あえてことさら口は開かず、ただ二人、車窓からときおり見える海を眺め、わずかな揺れで互いの肩が触れ合う距離を楽しむ。
 三駅分、時間にして十数分が、やけに短かった。
 数回降りた事はあるけど、あまり馴染みの無い駅。
 南口の繁華街に対し、北口は工業団地が広がっており、その向こうに海が見える。

「少し歩いてもいいか?」
「ええ。そのつもりで来たし」

 さっさと歩き出す士郎の手を握る。
 過剰にベタベタするより、この程度の距離感が心地好い。
 それにしても、相変わらず士郎は自分からわたしの手ひとつ握ろうとしない。
 ここまで来て、いまさら人目をはばかる事もあるまいに。
 殺風景な塀に囲まれた歩道を歩くと、突き当たりの堤防の上に釣り人がまばらに見える。
 潮と魚のにおいが、ちょっときつい。
 突き当たりの交差点を士郎は迷わず右に折れ、堤防を左手に見て海岸沿いの道を歩く。

「この先の丘が見晴らしいいんだ」
「へえ。この辺、詳しいの」
「いや、ちょっと前にたまたま藤村の爺さんと通った事があってさ。……いつか、一緒に歩いてみたいと思ってたんだ」

 道は堤防より高くなり、歩道からガードレール越しに直接竿を出す釣り人もちらほら。
 やがて入り江を緩く巻き込むような切り立った崖から海を見下ろすかたちとなり、あたりに人影はなくなった。
 どちらからともなく、自然に足が止まった。
 海面までは三階建てのマンション程度――十メートル位だろうか。
 気づけば鼻をついていた潮の香りも適度に弱まり、海に向かっても背中からの日差しはまぶしくもなく。
 なにもない歩道は、格好の展望台になっていた。
 一面の海原。
 寒くもなく、暑くもない潮風。砂も飛んでこない。
 通る車もまばら。
 そしてなにより、なにもない。だから、誰もいない。
 遠くに船や釣り人は見えるけど、声の届く範囲にいるのは、わたしと士郎、ただふたり。
 だから彼の肩に頭をもたせ掛け、われながら驚くほど素直に口をついた。

「ありがとう、士郎」
「……なんでさ?」
「とっておきの場所に連れてきてくれて。告白するのにうってつけの場所だけど、まさか他の女の子を口説くのに使ったわけじゃないでしょ?」

 なにもしない。
 なにも言わない。
 でも、かたわらに士郎がいて。
 ただ、だまって海を眺める。
 いままでになかった種類のゆったりとした時間は、いままでにない感覚で流れ。
 いままでになかった幸せをあたえてくれた。
 だから。

「あのな……」

 とても言い辛そうに切り出した士郎の言葉にも。

「すまん。俺、おまえに謝らなきゃならない事がある。すまん」

 あまり、驚かなかった。
 順調に事がはこび過ぎた後には必ず何か落とし穴があると刷り込まれ、無意識に身構えていたのかもしれない。

「それと、これだけは信じてくれ。俺は、男としても友達としても凛が好きだし、尊敬してる。その気持ちに嘘はない。だから、きっとおまえを怒らせるし傷つけるけど、最後まで話を聞いてくれ。勝手な言い草だけど、頼む」

 士郎はあいかわらず、馬鹿で頑固で、真っ直ぐだ。

「そこまで真正面から来られちゃ、受けて立つしかないじゃない。いいわよ。とにかく最後まで聞いてあげるから言ってみなさい」

 その視線を真っ直ぐ受け止め見詰め返す。

「俺、少し前、花見に行った日に……」

 士郎は辛そうに眉をゆがめながらも目を逸らさずに言った。

「藤ねえを、抱いた」

 ……そう来たか。

「それで?」
「驚かないのか?」
「驚いてるわよ」

 だけど自分でも嫌になるくらい、わたしは冷静だった。
 どこか無意識に、こんな事態を予想していたのかもしれない。

「問題はその先でしょ。それは、浮気をしてごめんなさいなの? それとも、やっぱり藤村先生の方が好きだからわたしに別れてくれって事?」

 士郎はきっぱりと首を振って答えた。

「どっちでもない。藤ねえへの気持ちは浮気じゃないし、凛への気持ちも変わらない」

 ……なにを言ってるんだ、コイツは?

「アンタ、自分がなに言ってるかわかってるの?」
「わかってる。凛が好きだ。藤ねえが好きだ。この気持ちに俺は順位がつけられない」

 士郎は腹が座ったのか、いやに堂々と答えた。

「要するにハーレム作りたいの? 何様よアンタ。猿山のボス猿になろうっての?」

 浮気なら、まだいい。赦したかどうかはわからないけど。
 他の女に乗り換えられるのでも、激しく納得は行かないが理解は出来る。
 だけど、これはさすがに予想外だった。
 いくらなんでも、ここまで馬鹿だったとは。

「凛以外への気持ちを切り捨てて傷付ける強さが、俺にはなかった」
「だから、均等に気持ちを振り分けて、均等に傷付けようっての?」
「どうしてこうなっちまうんだろうな。みんな好きなのに、みんな傷つけて。それでも俺にはこれしか考えられないんだ。みんなで幸せになりたい」

 コイツは、真剣だ。
 大真面目にこんなたわけた事を言いだすから始末におえない。

「あきれた馬鹿ね。まだそんなこと言ってるの? 身の程知らずもたいがいにしなさい。欲張ったあげく、みんな不幸にしたいわけ?」
「俺には、みんなまとめて幸せにするだけの器量はないかもしれない。でも、お互い幸せになる努力をすることは出来ると思う」
「ご立派な考えね。でもそれって具体的には、わたしも藤村先生も、たぶん桜も、みーんな受け入れて、幸せになりたきゃそれを認めろって事でしょう? そんな馴れ合い、わたしには出来ないわ」
「わかってる。凛はきっと、赦してくれないと思ってた。俺が凛に振られるのは当然だ」

 わたしを失うのを承知の上で言ってるなら、わたしが振られたも同然だ。
 こんな屈辱があるだろうか。

「ヌルい事言ってんじゃないわよ。わたしは自分が一番じゃなきゃ気が済まないの。わたしが欲しけりゃ、他の女を全部清算してから出直していらっしゃい。言っとくけどこれは必要条件であって充分条件じゃないわ。今さら泣いて詫びいれてやっぱり俺にはお前しかいないなんて言ったって、アンタの彼女になってあげるとは限らないからね」

「すまん」
「謝るんじゃないわよ。アンタは別に、間違ってると思ってないんでしょ?」
「正しいかどうかわからないけど、凛を傷つけた事は間違いないだろう? だから、すまん」
「もういいわよ。こんなのお互い様だわ」

 はらわたは煮えくり返っているけれど、それが士郎に対してなのか自分に対してなのかよくわからない。
 結局わたしは、コイツにとって唯一無二の存在ではなかったわけだ。

「だけどそれでも俺は凛を愛してる。こんな愛し方しかできないんだ」

 コイツがここまではっきり気持ちを言葉にしてくれたのは初めてだ。
 なんて間抜けな告白だろう。する方も、される方も。
 本当に、腹が立つ。
 腹立ちまぎれにガードレールの向こうの海に小石を蹴り込んだ。
 だけど海も空もあいかわらず穏やかで。
 このわたしがこんなに不機嫌なんだから、同調して雨の一つも降らせなさいっての。サービス精神に欠ける。
 深呼吸を一つして、もういちど士郎に向きなおる。
 ひとつだけ、はっきりさせておかなければならない。

「アンタ、これからどうするつもり? まさか、 倫敦(ロンドン) 行くのやめて藤村先生と一緒に暮すとか言いださないでしょうね?」

 士郎はぱくぱくと酸欠の金魚のマネをはじめた。ますます馬鹿みたいだ。

「……連れて行って、くれるのか?」
「師弟関係は解消してないわ。一度弟子にするって決めたんだから、半端なところで投げ出すわけにいかないもの。そう簡単に逃がしてやるもんですか」
「よかった。破門にされるかと思ってた」

 士郎は脱力してガードレールにもたれた。

「なにやってんのよ。スーツ汚れちゃうでしょ」

 慌てて胸倉をつかんで引き起こし、ハンカチで叩いてほこりを落としてやる。
 本当に、世話の焼ける奴だ。

「わたしの隣を歩くのに、みっともない格好は許さないわよ」
「ああ。すまん。……それじゃ、まだ一緒に歩かせてくれるんだな」
「アンタみたいなあぶなっかしい奴、放っておくわけにいかないじゃないの」
「ありがとう。俺、遠坂を尊敬してるんだ。俺はただがむしゃらで、独りじゃなにをしていいのかわからなかった。だけど遠坂は真っ直ぐで、自分が進む道を迷ってない。そこにあこがれて好きになったんだな、きっと」

 遠坂、か。
 それは、コイツなりのけじめなのだろう。

「そして、魔術師としての遠坂を知って思ったんだ。俺の目標の第一歩は、まず遠坂を護って手助けをする事なんじゃないか、それが俺の使命じゃないかって」
「半人前が生意気言ってんじゃないわよ。アンタがわたしに手助けできる事なんて、いまのところおさんどんくらいなんだから」
「うん。だからこれからもよろしく頼むよ、師匠」

 いまさらなにを言うか。
 コイツはやっぱり、放っておけばありえない理想を追ったあげく全てを失い、やがて アイツ(アーチャー)と同じ道を辿るだろう。
 それを知りながら放置する事はわたしのプライドが許さない。
 士郎をハッピーにしてみせる。
 それはアイツとの約束だからではなく、そうしないとわたしの気が済まないから。

「あたりまえじゃない、衛宮くん」

 意識して極上の怖い笑みをつくってやる。

「あなたの優柔不断ぶりは、きっとたくさんの人を不幸にするわ。そうならないように、わたしが性根を叩きなおしてあげる」

 選べないから全部。それは選択の責任や痛みを受け止める度胸がないがゆえの逃げだ。
 痴話喧嘩程度ですんでいるうちはまだいいけれど、魔術師としてその弱さは大きな災厄を招きかねない。
 弱さは時としてそれだけで罪なのだ。

「わたしの魔術師としてのプライドにかけて、絶対に一人前になって労働力で還元してもらうんだから」
「う、お手柔らかに、たのむ」
「あまい!」

 人差し指を鼻先に突きつけ、とりあえず命令。

「怒ったらお腹が減ったわ。美味しいお店に連れて行きなさい」
「う。だからその、昼はアテもなく新規開拓しようと――」
「ハズレを引かないことを祈ってるわ。衛宮くんの為にも。ほら、はやく行きましょう。どうせ駅の反対側で探すんでしょう?」

 鬱陶しい話はもうおしまい。
 のんびり景色を楽しみながら上った坂を今度は小走りに駆け下りる。



 延々二時間歩き回ったあげく見つけたタイ料理屋のグリーンカレーはなかなか美味しかった。
 店のおばさんに材料を尋ねたらなぜか気に入られたらしく、グリーンカレーペーストを分けて貰えた。
 お昼は士郎のおごりだというので、おかえしに紅いワイシャツを買ってあげた。
 細い路地に入り骨董屋や古本屋などをひやかしてまわると、あっという間に日が傾いた。



 帰りの電車は、ちょっと密度が高かった。
 士郎との距離は変わらないけれど、往路のような照れ臭さもなく。
 同じ十数分がやけに長かった。



 新都の駅から深山まではバスで戻り、商店街で夕飯の買出し。
 衛宮邸に電話を入れ、すでに居た桜にご飯を炊くように頼んでから二人で買い物袋を提げて帰る。
 アルトリアにも電話を入れ衛宮家に来るように伝え、支度をはじめる。今夜はすき焼き。

「わ〜。すき焼きスキヤキ〜!」

 一番うるさい人が来た。

「ねぇ、わたしもなにか手伝うこと――」
「ありません。藤村先生はおとなしく座ってテレビでも見ててください」
「むぅ。な、仲間はずれはイジメだよぅ」

 不良教師がだだをこねているあいだにアルトリアも来た。

「なにか手伝う事はあり――」
「藤村先生を道場へ連れて行って腹ごなしでも座禅でもしてきて」
「判りました。行きましょうタイガ」
「ちょっとまちなさいよこらぁ〜! なんでわたしを邪魔者あつかいするのよぅ〜!」

 アルトリアに引きずられてゆく藤村先生を横目に、桜が口を挟んできた。

「姉さん、いつにもまして藤村先生に厳しくないですか?」
「だって邪魔なんだもの。ご飯もまだ炊けてないでしょ? すき焼きでそんなに支度があるわけでもなし、少し時間潰してもらわなきゃ。お茶淹れてくれる?」
「緑茶でいいですか?」

 しらたきを湯通ししてからご飯が炊き上がるまでのんびりしていると、着替えて下りて来た士郎が鍋にくべるばかりに支度が済んだ食材を見て、大根を切りはじめた。

「ちょっと士郎。すき焼きに大根なんか入れるの?」
「ウチは入れるぞ」
「え〜? 桜、アンタそんなの知ってる?」
「はい。以前ここでご馳走になりましたが、美味しいですよ。前は白菜も入れていたそうですが、さすがにそれはとめました」
「士郎、白菜入れたらすき焼きじゃなく肉入り野菜鍋になるわ」
「いいじゃないか別に。言われてちょっと調べたけど、白菜入れるのはそんなに珍しくないらしいぞ」
「すき焼きって地方ごとどころか家庭ごとにまちまちなんですね」
「関西風だと本当に焼く感じだけど、関東風だと割り下で煮るわね」

 桜に味付けをまかせ、鍋が火にかけられた。
 葱や大根、シイタケなどにある程度火が通ったあたりで士郎に道場の二人を呼びに行かせる。
 その間に、炊き上がったご飯をよそい、鼻をひくつかせながら居間に戻って来た動物に小鉢を渡す。

「先生、仕事ができました。卵を割って下さい」
「なめとんのかこの小娘〜!」
「衛宮くぅん、藤村先生が怖ぁい」
「やめろお前ら。はじめる前から騒ぐな」

 ころあいとみて桜が肉を入れ、割り下をかける。
 さらに具材を加え、醤油と砂糖をかけると豆腐が醤油色に染まり浸透圧で水分が抜け縮みはじめた。

「お肉〜おにく〜」
「まだ箸を置け藤ねえ」

 野菜も肉もたちまち色を変え食欲を刺激する。

「はい、もういいですよ」

 桜の合図で解禁。

『いただきます』

 全員で唱和した直後、おおむね予想通りの展開。

「お肉げっと〜!」

 いきなり藤村先生が肉ばかりまとめてさらったあとに、桜が何事もなかったように新しい肉を補充する。

「藤ねえ、大人げないぞ」
「ふーんだ。弱肉強食だもん」

 士郎の非難をよそに、わしわしと肉を頬張る藤村先生。

「いくら食いしん坊でもああなっちゃ駄目よアルトリア」
「はい。これほど見事な反面教師ぶりはなかなかお目にかかれない」

 わたしとアルトリアの視線に気づいた藤村先生は、不満そうに唸った。

「なによぅ。すき焼きなんてみんなで競って食べるのがいいんじゃない」

 桜は豆腐や残った肉をかいがいしく士郎やアルトリアの小鉢にとってあげている。

「はい、先輩どうぞ」
「俺はいいから桜、自分で食べろ」
「シロウ、これはどうやって食べるのですか?」
「煮えたものからこの小鉢の卵をからめて食べるんだ。豆腐は中が熱いからやけどしないように気をつけてな」

 藤村先生が主張するすき焼きバトルと対極にあるほのぼのぶりを発揮する三人。

「……あっちの方が楽しそうじゃないですか? 圧倒的に」
「なによぅ。わたし悪者? みんなつきあいが悪いよぅ」
「馬鹿だな藤ねえ、いっぺんに取ったら冷めちゃうだろ」
「いいんだもん。わたし猫舌だから冷まして食べるんだもん」

 意地になってさらに肉ばかり取る肉食獣。

「自分で食べる分は自分で少しずつ鍋に入れろよ。肉は充分あるし。ほら、これやるから」
「ちまちまケチくさい事いうな〜!」

 士郎が渡した生肉を、藤村先生はまとめて鍋に入れた。

「あ〜! 肉はしらたきのそばに入れたら硬くなるから駄目だって。色も悪くなるし」
「ゴ、ゴメンナサイ……」

 士郎に本気で叱られ涙ぐんで小さくなった藤村先生を見て、ちょっとだけかわいそうになった。
 これだけメチャクチャやってて憎めないんだから、本当に得な性格だ。ずるい。
 頭を撫でてあげて、たっぷりのしらたきを彼女の小鉢に移す。

「ハイハイ。責任とって先にしらたき食べてください」

 ことさら急がずとも、すき焼きはペースが速くなるものだ。
 普段と比べても決して少なくない食材があっという間に消えた。
 仕上げはうどんか雑炊かで意見が分かれ、結局両方放り込んでたらふく食べた。
 お腹が落ち着くまでのんびりしてから、士郎に告げる。

「今日は疲れたから勉強はお休みね。それと、明日からしばらくは食事にお邪魔するのを控えるわ」
「遠坂、それは――」
「勘違いしないで。これはわたし自身の問題。少し自分の生活ペースを取り戻したいのよ。もうすぐ学校も始まるしね」
「なら、いいけど」
「お邪魔するときはあらかじめ声かけるからよろしくね。おやすみ」



 明日の朝食用のパスタやヨーグルト、牛乳などが入った袋をぶら下げて帰る道すがら。

「シロウと、なにかありましたか?」

 アルトリアの問いに対し、やや返事に窮した。

「あったといえばいろいろあったし、なかったといえばなにもなかったわね」

 それ以上追求してこないアルトリアが、とても好ましかった。
 彼女は気を遣っているのか普段より饒舌に、昼食を作った際の奮闘振りなどを報告してくれた。
 家に着くとまめまめしくお風呂の支度などしてくれるので、その間にわたしは紅茶を淹れる。
 戻って来たアルトリアと、無言のティータイム。それも悪くない。

「お疲れでしょう。先にお風呂に入って休んでください」

 遊んで来たのはわたしの方なのだけれど。折角だからアルトリアのお言葉に甘える。
 湯船に浸かって力を抜くと、首の後ろ辺りにコリを感じた。やはり少し疲れたのか。
 両手の親指を使ってほぐしていると、不意に大量の涙があふれた。
 特に感情が高まったわけでもなく、蛇口をひねったように流れ出した涙を堪えるのも疲れるので流れるにまかせ、一段落着いたところで蒸しタオルを目元に乗せて充血をとった。

「お先に。やっぱりちょっと疲れたみたい。悪いけど先に寝るわね」

 アルトリアに声を掛けて寝室にさがる。
 思うさますき焼きを食べたお腹の重さにかわり、今度は頭が重くなってきた。
 ベッドにもぐりこんでも眠いのになかなか眠れず何度も寝返りを打っていると、アルトリアが部屋に入ってきた。

「どうしたの?」
「いえ、なんとなく。お邪魔でしたら出て行きますが」
「いいわよ、べつに」

 アルトリアはベッドに入ってくると、優しくわたしの頭を撫ではじめた。

「……なによ?」
「なんとなくです」

 本来わたしは、他人がそばにいるのを好まない。身体に触れられるのも嫌いだ。
 だけど今は、アルトリアの存在が心地好い。
 常夜灯に浮かぶ翠の眼に見詰められ、小さな白い手が撫でるにまかせていると、不意にまた涙がこみあげた。
 アルトリアはなにも問わずただゆっくりと頭を撫で続けるので、しかたなくわたしから今日の顛末を話した。
 黙って聴いていたアルトリアは、最後にこう尋ねてきた。

「口惜しいですか?」

 認めるのはなんとなくしゃくだったけど、素直に答えた。

「……うん」
「でも今まで、タイガやサクラはもっと口惜しかったと思います」
「……うん」
「彼女達よりずっと短い期間で、リンはシロウの心の中に居場所を作った。あとは、時間が答えを出すでしょう」
「うん。わかってる。ありがとう」

 そうだ。
 士郎はまだ、わかっていないのだ。
 本当の、遠坂凛を。
 時間をかけて思い知らせてやる。アイツにとって、本当の一番が誰なのかを。

「ねえ、アルトリア。あなただって士郎のこと、好きなんでしょう? 遠慮しなくていいのよ?」

 アルトリアはわたしの頭を撫でていた手を止めた。触れ合っている彼女の肌がたちまち火照るのを感じる。

「ち、違います。それは確かに、私もシロウが好きだ。しかしそれはリンがシロウを好きだと言うのとは意味が違う。リンに借りた文献によれば、私の時代よりずっと後、騎士道というものが叫ばれた頃には、使える主君の奥方に対し純粋な思慕を寄せる事は許されたと言うではありませんか。私の気持ちはそれに近い、プラトニックなもので――」
「いいのよべつに。無理しなくて」
「本心です!」

 アルトリアのおかげで、少し気分がよくなった。
 人生は長い。
 たっぷり寝て、英気を養わなければ。
 そう。まだレースは始まったばかりだ。



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.5.25

補足

 原作本編では、士郎はあまり成長したように(私には)見えません。
 しかし生きている限り、人は変わるものです。
 もちろん変われば良いと言うものでも、変わらなければ良いと言うものでもないでしょう。
 今後、彼らがどう変わるのか、あるいは変わらないのか。
 可能性は色々あるはずです。

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