Fate/stay night possibly story   after“Heavens Feel”

 日々是修行也。
 真夏の炎天下における草むしり、真冬の雑巾掛けや洗濯。
 そうした作務を苦にしない柳洞一成も、こればかりはいささか閉口した。

「お前たち。追い出そうとは言わぬゆえ、せめてもう少し居候らしく慎ましく生活してくれんか?」

 我が物顔で廊下に寝そべる柳洞寺の居候どもは、外からかけられた一成の声に迷惑げに薄目を開けただけで動こうともしない。

「全く、可愛げの無い」
「申し訳ありません」

 無意識にもらした独り言へ返された言葉にぎょっとして一成が振り向くと、モデルばりに長身な女性が、眼鏡越しにやや三白眼気味の視線を投げかけていた。










愛撫
written by ばんざい








「あ、いや失敬。気付きませんで。おや、貴女は確か、衛宮のところの――ライダーさん、でしたね」

 一成は相手が以前、衛宮家の遠縁に当たると紹介された外人女性と気付き、『申し訳ありません』は謝罪ではなく用法を間違った呼びかけと判断した。

「はい。しかし今日はフジムラの使いとして参りました。ご住職はおいでになられますか?」
「申し訳無い、住職は外出しております。差し支えなければ御用件は私が承りますが」
「では、これをライガからだと、お渡し願えますか?」ライダーは一升瓶を一成に手渡した。『八海山』とある。
「最近ニイガタに参りまして、その土産だそうです」
「これは恐れ入ります。確かにお預かり致しました。のちほど住職からも御挨拶に伺わせますが、雷画氏によろしくお伝え下さい」
「かしこまりました。では」

 一礼して立ち去ろうとするライダーを見送りかけ、一成は慌てて呼び止めた。

「あいや、お待ち下さい。お急ぎでなければ、お茶など一服いかがですか?」
「いえ、私はただの使いですので、おかまいなく」
「そうおっしゃらずに。わざわざお越し頂きながらただお帰ししては私が怒られます。どうぞこちらへ」

 それ以上断る隙を与えず離れに向かい歩き出した一成に、ライダーは仕方なく続いた。


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 力むでもなくすっきりと背筋を伸ばして正座し緑茶をすするライダーに、一成は何度も頷いた。

「貴女は立ち居振る舞いがことごとく節度があり、かつ落ち着いていらっしゃる。座り方一つとっても見事なものです。昨今の日本人女性に見習わせたいものだ。いや、型どおりの陳腐な表現で申し訳無いですが」
「恐れ入ります。サクラがあれでなかなか口うるさいもので」
「なるほど。彼女は弓道家ですし、大和撫子の手本として申し分ありませんな」
「サクラの小言はむしろ、小姑のようでいささか問題があるかと」

 ライダーの言葉に、開け放たれた離れの縁側から桜が顔を覗かせた。

「陰口は感心しませんよ、ライダー。こんにちは、柳洞さん。お墓掃除に寄らせていただきます」

 あまりのタイミングのよさに一成は驚いたが、ライダーは平然と切り返す。

「気配がしたから聞こえるように言ったのです。サクラこそ立ち聞きとははしたない」
「だからあなたは今、わたしに聞こえるように言ったのでしょう? だいたい、小姑とはなんですか。立場が逆でしょう」
「ま、まあ、桜くん。君も上がってお茶でも一服して行きたまえ」

 舌戦が始まりそうな気配に、一成はぎこちなくとりなした。

「すみません、お忙しいところを。折角ですから、遠慮なくお邪魔させていただきます」

 葉を換えお茶を淹れなおそうとした一成がふと手を止め、縁側に目をやった。

「こら。ここには入って来るな。客人もいらっしゃる」

 一成の声に縁側から入って来た小さな黒い影がびくりと反応し、桜たちははじめてその存在に気付いた。

「あら、猫をお飼いになっていらしたんですか?」

 桜の問いに、一成は溜息交じりにかぶりを振って答えた。

「野良だよ。最近厚かましくなり、どこにでも平気で入って来て困ったものだ」

 野良らしからぬ艶やかな黒い毛皮の子猫は金の眼を光らせ、部屋の隅にうずくまって様子をうかがっている。

「可愛いじゃありませんか」
「そう言って皆が甘やかすものだから増長する。馴れ合いは彼らの為にもならんし、けじめが必要だ。くれぐれも、えさなどやらんでくれたまえよ」

 桜が子猫の退路を絶たぬよう気を使い壁に沿ってゆっくり近付くと、警戒しますます縮こまりながらも逃げはしない。
 桜は眼を合わせぬよう横を向いて座り、手を伸ばして指先で畳を軽く叩く。
 子猫の好奇心が警戒心を抑え、忍び足で近付いて来ると桜は指の動きを止めた。

「ライダー。あんまりじろじろ見ちゃ駄目よ」

 身を乗り出して子猫の様子に見入っていたライダーは、桜にたしなめられ慌てて姿勢を正す。が、視線はあからさまに子猫に釘付けだ。
 子猫がいぶかしげに、動きを止めた指を前足でつつくと、桜は応えるように少しだけ動かす。
 やがて焦れた子猫が手首にむしゃぶりつくと、桜はそっと抱き上げた。

「さ、お部屋の中は駄目よ。お外で遊んでいらっしゃい」
「あ……」

 子猫を抱え縁側に向かいかけた桜が情けない声に振り返ると、腰を浮かせたライダーが恥じるように口許をおさえていた。

「触りたいの?」
「あ、いえ……」

 桜の問いに、それが悪い事であるかのようにライダーは目を逸らし腰を下ろした。

「ここじゃ駄目よ。いらっしゃい」

 縁側にあったサンダルを借りて桜は外へ降り、ライダーをうながした。
 砂利の上に降ろされた子猫は、顎の下を撫でられ転げまわって桜の手にじゃれついた。

「ほら、やさしく撫でてあげて。耳にはあんまり触らないで」

 恐る恐るライダーが手を伸ばすと、子猫は緊張して身構えた。

「……やはり私では駄目です」
「あなたが緊張してるから、猫もそれを感じるのよ」

 肩を落としてうつむくライダーを、桜は後ろから抱きかかえた。

「逃げられたくない、じゃなくて、触りたい、触られたいと思って」

 再び伸ばされた指先を、子猫はライダーの顔に視線を据えたまま舌先で舐めた。

「な、舐めた。舐めましたよ」
「ほら、ライダー。力を抜いて」

 肉球で叩いて下がる。叩いて下がる。ヒット&アウェイ。
 何度かそれを繰り返し、危険が無いと悟った子猫はライダーの指を前足で抱え込んだ。

「はぅ……」

 こわばっていたライダーの背中がゆるみ、桜の腕にもたれかかった。

「ライダー?」
「すみません。一瞬気が遠く――あ、ああああ」

 指の腹を甘噛みされ、ざらついた舌を絡められた感触に、ライダーは桜の腕の中で身悶えした。

「ほら、あいてる手で撫でてあげなさい。毛並みに逆らわないようにね」

 右手をしゃぶらせたまま左手で子猫の背中を撫でたライダーは、逃げられない事に意を強くし、思い切って首周りを撫でた。その手首に、子猫は目を細めて頬擦りする。
 夢中で子猫とじゃれあうライダーに、桜は優しく微笑んだ。

「ライダー。猫、飼いたい?」

 陶然としていたライダーの大脳新皮質に桜の言葉が浸透するまで、しばらく間があった。

「――サクラ?」

 呆然として潤んだ眼を向けるライダーに対し、桜はやわらかく微笑んで言った。

「ダメよ」
「サクラ!」

 ライダーは反射的に子猫を抱え込み、豊かな胸に埋もれた子猫は必死に後足で空を蹴った。

「そんなに怖い顔でにらまないで。まわりを見てごらんなさい」

 唇を硬く引き結んだライダーが視線を巡らせると、いつのまにかたくさんの猫たちがぐるりを取り巻いていた。

「広い遊び場やお友達や、たぶんお母さんもいる。この子からそれを取り上げたらかわいそう」

 ライダーの腕がゆるんだ隙に抜け出した子猫は、素早く逃げようとして砂利に足をとられて転んで方向を見失い、一度桜の膝にぶつかってから駆け去った。
 入れ替わりに他の猫が寄って来ようとするのを一成が箒で追い散らし、砂利の上に残されたモノを塵取りに収め、参道脇の木の陰に設えられた砂場に捨てた。

「失礼。はばかりだけでも躾けようとしているのですが、これがなかなか」
「ライダー、あなた時々、お掃除を手伝わせてもらったら? そうすれば他の子も撫でられるわよ、きっと」
「そうですね。よろしいですか、イッセイ?」

 ライダーに見詰められ、一成は慌てて手を振った。

「あいや、猫と遊びに来ていただくのはいっこうに構いませんが、掃除は寺の仕事ゆえ、お客人にさせるわけには参りません」
「イッセイ。あなたは士郎や桜の友人ですね。私もそのつもりです。ですから私も客人扱いではなく、あなたと対等の付き合いがしたい。いけませんか?」

 一成は腕組みし、しばし唸ってから答えた。

「出来れば、無用な掃除をせずにすむよう躾けていただけるとありがたい」
「はい。可能な限り手を尽くします」

 ライダーが差し出した手を、一成はやや目を背けぶっきらぼうに握り返した。


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「ちょっと、ライダー」
「なにか?」

 夕食後の衛宮家の居間。
 士郎が風呂に行っている間、ライダーは『猫のしつけ』という本を片手に、桜を抱きかかえていた。

「わたしを猫がわりに撫で回すのはおやめなさい。先輩に見られたら変に思われるでしょう」
「ではかわりに、士郎を撫でる事にします」
「ダメに決まってるでしょう! そこで寝てる藤村先生を撫でればいいじゃない。よっぽど猫っぽいでしょ」

 ライダーは床で丸まって眠る大河を一瞥してかぶりを振った。

「タイガは危険です。うかつに触ると噛み付かれます」
「大丈夫よ、猛獣じゃないんだから」
「では、サクラがお手本を見せてください」

 桜は一瞬眉をひそめてから、恐る恐る指先を大河の髪に触れた。
 触れるか触れないかという微妙な撫で方をする桜の手に、大河は頬を擦り付けた。

「うにゃぁ。だめだよしろう。おねえちゃんにいたずらしちゃ〜」

 桜が頬を強張らせて立ち上がると、ちょうど士郎が風呂から戻った。

「せんぱいのバカッ!」

 風呂上りの血行がよくなった頬に平手打ちを喰らい、みるみる肌を赤く腫れ上がらせた士郎は、眼に涙を浮かべ走り去る桜を為すすべなく見送り、立ち尽くした。

「……俺、なんか悪い事したか?」
「恐らく何もしないのが問題なのではないかと。ちゃんと撫でておあげなさい。撫でるのも撫でられるのも、とても気持ちが良いものです」

 背後からライダーに頬を撫でられ、我に返った士郎は桜を追って駆け出した。
 居間に残されたライダーは、ビールのつまみにしていたスルメを箸でとり、大河の頬を愛撫した。
 大河は半ば眠ったまま大口を開けてそれにかぶりつき、勢い余って箸の先も噛み折った。

「うぅ〜。ライダーちゃん。食べ物をおもちゃにしたらめーなのよぅ」
「手を使わずいきなり噛み付く貴女も、人としていかがなものかと思いますが」

 のっそり身を起こし器用に箸の破片だけ吐きだした大河は、ライダーにみりん干しの残りを与えられると寝惚け眼のまま両手で持って齧りだした。

「猫もこのくらい素直だと扱いやすいのですが」
「なにか言った?」
「いえ。タイガは可愛いですね」
「えへへぇ〜」

 既に冷めて固くなったみりん干しを上機嫌で齧り終えた大河は、ライダーの首に抱きついた。

「ライダーちゃんも可愛くていい子だよぅ。なでなでしてあげる〜」
「タイガ! 汚れた手で髪に触らないで下さい!」

 取っ組み合ったあげくテーブルの上のビールの残りをひっくり返して頭からかぶりながら、ライダーの頬はなぜか緩んでいた。



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.9.29

補足

 なでなで。すりすり。ふわふわ。
 魅惑の触感をイメージいただければ幸いです。



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