Fate/stay night impossible story   after“Heavens Feel”

「先輩。先輩、起きてください」

 肩を揺すられて眼を覚ました士郎は、自分にすがる桜の表情が、白磁のごとく硬く血の気が引いている事に気付き、跳ね起きた。

「どうした?」

 桜は紫色になった唇をわななかせ、士郎の手を握りしめながら訴えた。

「ライダーが……ライダーが居ないんです」












騎乗
written by ばんざい








 それがどうしたと士郎は怪訝に思ったが、桜にとっては一大事らしい。

「普段ならもう、朝ご飯の時間はとっくに過ぎているのに」

 狼狽する桜を落ち着かせるように、士郎はことさらのんびり答えた。

「夜明け前の散歩のつもりが、野良猫かなんかにつられてちょっと遠くまで行っちゃったとかじゃないのか?」

 実際、睡眠を必要としないライダーは、夜も縁側に座って星を眺めていたり、屋敷の外をうろついていたりする事が多い。

「でもいままで、朝起きてライダーが居なかったことなんてないんです。
 わたし……わたし、ライダーに愛想を尽かされるような、なにかひどいことをしてしまったんじゃ……」
「そんな大げさな」

 確かに、ライダーは衛宮家においてこれといった仕事はなく、退屈を持て余していてもおかしくなかったが。
 しかし。
 ライダーの姿が見えない。
 ただそれだけでこれほど動揺するとは、桜にとって彼女の存在がいかに大きかったのか。士郎は認識を新たにした。
 ここにも居ない、あそこにも居ないと家中おろおろと歩き回る桜は、はぐれた親を求める幼児のようだ。

「わたしが……わたしがやきもちを焼いて、先輩たちが藤村さんのお屋敷から帰って来たとき『ライダーばっかり先輩と一緒に居てずるい』なんてばかな事を言ったりしたから……」
「そんなのライダーがいちいち気にするわけないって。むしろライダーの方がわざと桜を怒らせてからかってるんだから」

 桜と一緒に屋敷内を引き回されていた士郎はふと思い当たり、縁側から庭先に視線を巡らした。

 ――やはり、無い。

 士郎は苦笑して桜に告げた。

「思ったとおりだ。大丈夫だよ、桜。やっぱりライダーは、ちょっと散歩の帰りが遅くなってるだけだ」


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 ライダーは、暇を持て余していた。
 桜と士郎を学校に送り出し、洗い物を片付けた後は衛宮家においてこれといった仕事はなく、TVを眺めるくらいしかする事が無い。
 本はライダーの興味を惹いたが、さして読書家が居るわけでもない衛宮邸の蔵書は疾うに読破してしまい、さりとて収入のない彼女に新しい本を買いに行く持ち合わせもなく、それ以上になによりライダーは街に出て人の視線に晒されるのを極端に嫌った。
 見兼ねた士郎がインターネット回線とパソコンを与えてから、外界からの情報摂取はそれなりにしているものの、ライダーの世界は狭く、閉じていた。
 桜と士郎が帰宅すると控えめながら二人にまとわりつき、どことなくかまって欲しそうで、しかし表面上無関心を装っている様は「聡い大型犬のようだ」とは、以前帰国した凛の評だ。
 そして桜のそばについていてもあまり変わった事が無いのに対し、士郎の方がなにかしら機械を弄ったり大工仕事をしたりと変化があるので必然的にそちらに引き寄せられる事が多く、桜の嫉妬を買う一因になっていた。
 ――それがライダーの日常の全てであり、つまるところ、彼女は退屈していた。

 だから、士郎と一緒に藤村邸に出入りするうち、どうしてかライダーをひどく気に入ったらしい雷画にたまに呼び出されたりすると嬉々として――無論、表面上は無表情だが、反応速度が微笑ましいほど歴然と違った――出かけ、魚釣りなどに付き合ったりする。
 桜と士郎以外に唯一ライダーの日常に変化をもたらしてくれるのが雷画だった。
 雷画としては持ち前の親分肌で、異国で身寄りの無いライダーに気を遣っている面もあろう。

 この日も『近いうちにツーリングに行くから、どれでも動かせるように適当に見とけ』といういい加減な注文で、士郎は藤村邸のガレージに何台も並ぶ雷画の愛車をゆだねられた。
 雷画は士郎になにか作業をさせてそれを眺める事自体が好きで、しばしばつまらない事で彼を呼び出す。恐らく小遣いを与える口実も兼ねているのだろう。
 士郎に付き添って藤村邸を訪れたライダーは、バイクのメンテをする彼を眺める雷画のお茶に相伴していた。
 士郎はとりあえず一台ずつ順にエンジンを暖気、軽く スロットルをあおり (ブリッピングして)油圧を上げオイルを充分各部に行き渡らせた。
 床や壁を叩く野太い排気音が、湯呑みのお茶に小波を立てる。
 日頃比較的乗られている車両より、動かさぬまま眠らされている車両の方が問題だ。
 バッテリーは弱り、キャブの中でガソリンの不純物が固着し、重力にしたがってオイルが落ち油膜切れを起こす。

「コイツ、全然乗ってないじゃないか。走らせないなら売っちゃった方がいいんじゃないか? バイクが可哀想だ」

  積算距離計 (オドメータ)を見た士郎がぼやきつつ最後にガレージの一番奥から引っ張り出したマシンは、長くやや弱々しいクランキングの後、渋々といった風情で目覚めた。
 力強いながらやや高く澄んだ排気音。チョークを戻した士郎のブリッピングに対するレスポンスも明らかに鋭く、湯呑みの中に伝わる小波はより細かく高周波。
 黒系統が多いほかの車両に対し、趣味の悪い明るいライムグリーンの外装にパープルアルマイトのリヤサス。
 明らかに毛色が違うマシンに、ライダーの眉がぴくりと動いた。

「あぁ、そいつなぁ。速いのはいいんだが、キビキビし過ぎて落ちつかねぇんだよな。車高も高くて足は届かねぇし」
「そりゃ、そういう運動性が売りのバイクだろ。ハーレーだのV−MAXだのって直線番長と比べるのが間違ってる」
「たまには性格の違う奴に乗ってやろうと思ったんだよ。でもなぁ、なんかもう気が済んじまったってぇか。けど、けっこう金かけていじらせたあげく、いくらも乗らずに売っ払っちまうのももったいねぇ気がするんだよな」
「ガレージに寝かせてる方がもったいないって」

 士郎と雷画のやりとりに、普段は藤村邸を訪れても話しかけられたことに答えるだけのライダーが珍しく自分から加わった。

「ライガはこの子が、気に入らないのですか?」
「そういうわけじゃねぇんだけどよ。俺にはもっと、ドカンと加速するだけで曲がる事なんか考えちゃいねぇ、頭の悪い単車の方が性に合ってるってだけのこった」
「この子は行儀が良過ぎる、という事ですか?」
「いや、むしろ逆だな。直線だけじゃなくコーナーも速く走れってあおってくる。そのくせ、本当にペースを上げるとやたら暴れやがる」
「荒馬である、と?」

 ライダーの問いに、雷画は唇の端を吊り上げた。

「――姐ちゃん、コイツが気になるかい? なんなら乗ってみてもいいぜ?」
「待てまて。ライダーは二輪免許なんか持ってないどころか自転車だって乗ってないんだ。変な事そそのかさないでくれ」

 士郎があわてて釘を刺すが、そんな事にかまう雷画ではない。

「ウチの庭先でチョロっと動かす分には誰の迷惑にもならねぇさ。珍しく姐ちゃんが自分から興味を持ったんだ。面白ェじゃねぇか」
「いえ、いけません。ライガの大切なものを、軽々しくお借りは出来ません」

 ライダーもあわててかぶりを振る。が、興味を持った事は否定しなかった。
 雷画は契約を勧める悪魔のごとく愛想良く言った。

「そうカタいこと言わねぇで、年寄りの遊びに付き合えや。お前ェさんみてえなベッピンが単車にまたがってるだけで絵になるってモンだ。士郎、そこのメットよこせ。姐ちゃん、こっち来な。いいか、右手がフロントブレーキ、右足がリヤブレーキ、左手がクラッチ。クラッチってのはエンジンの力を伝えたり切ったりするモンで――」

 雷画は簡単に説明をしてから、ガレージ前のわずかなスペースでクルクルと8の字を描いてみせた。

「ほれ、やってみな」

 ライダーは投げ渡されたヘルメットを険しい面持ちで被り、ステアリングに手を伸ばした。

「あー待てまてライダー! 髪の毛。髪をまとめないと危ない。チェーンに巻き込むって」

 地面を擦りそうになった髪をすんでのところで士郎にすくい上げられ、ライダーは頬を染めた。

「じ、自分でやります」
「あ、ごめん。つい」

 士郎もライダーの髪を離して赤面した。
 ライダーは大雑把に髪をバンダナでまとめ、改めてバイクに向き合う。

「コラ、またがる前に後方確認してからだッつったろ」
「なんでそんなトコだけきっちりしてるんだよ?」
「最初からちゃんとクセ付けとかないと、免許取るのに苦労すんだよ」
「免許って、あのな――」
「オラ、姐ちゃん、またがる時はフロントブレーキ握りながら。右足着く時も後方確認、発進前にも後方確認だ」

 勝手に盛り上がる雷画に肩をすくめ、士郎はライダーに声を掛けた。

「ライダー。いきなりさっきの爺さまと同じ8の字は絶対無理だからな。無理しないで、でかく回れ」
「――御忠告、ありがとうございます」

 返事と裏腹な凄まじい三白眼で睨み返され、士郎は半歩後退った。

「いやあの。小さく回る8の字って、見た目の地味さに反してムチャクチャ難しいんデスヨ?」

 小声でつぶやく士郎にかまわず、ライダーは固く唇を引き結び、クラッチを当てた。

「発進したら左足はすぐステップに乗せろ!」
「あー、見るからに力入っちゃってるなぁ」

 士郎の不安をよそに、ライダーはいきなり雷画をまねて深くバンクさせた。

「うわ、失速する!」

 あわてて士郎が支えようと駆け寄るが間に合わない。
 転倒するかに見えたその瞬間。ステップが接地すると同時にライダーは足を着き、力任せに車体を引き起こした。

「おー。いきなり小道路転回たァやるじゃねェか」
「イヤ、それ絶対違うから」

 ライダーはその後もたびたび転倒しかかっては人外の身体能力で立て直し、その走りは急速にさまになっていった。
 黙々とぐるぐる回り続けるライダーを、しまいにはあきれた雷画が止めた。

「どうでェ。単車ってのもなかなか悪くないだろ?」
「はい。とても貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございます」

 深々とお辞儀するライダーに、雷画はにやりと笑みを浮かべて提案した。

「なあ、おい。ひとつ、賭けをしねェか?」
「賭け、ですか?」
「おうよ。一回の試験で大型二輪の免許が取れたら、コイツを姐ちゃんにくれてやる。期限は一週間。どうだ?」
「――しかし、私には賭ける物など何もありません」

 困惑するライダーの肩を雷画は乱暴に叩いて言った。

「お前ェさんが負けたら身体で払ってもらうまでさ」
「爺さん!」

 息巻く士郎に、雷画は飄々と答えた。

「ナニ想像してやがるこの色餓鬼が。金品で払えなきゃ労働力で還元するのが筋ってモンだろうが。運転手やらパシリやら、仕事はいくらでもあるぜ」
「しかし――」

 それでも提案の真意をつかみかね困惑するライダーを、雷画の一言が後押しした。

「どうせ手放すなら、売っ払ってどこの誰とも知れねェ奴に乗られるより、姐ちゃんに乗って貰った方が俺としても嬉しいんだがなァ」
「――判りました。その賭け、お受けします」

 士郎はやれやれとかぶりを振り、車両のメンテに戻った。
 メンテナンスと言っても、しょせん素人である士郎の出来る事はたかが知れている。キャスタ付の巨大なツールボックスにぎっしり収まる、そこらのバイク屋より余程充実したスナップオンの工具――総額いくらになるのか、士郎は考えたくもなかった――に気後れしながら、エンジンオイルとブレーキフルイド交換、あとは掃除。
 掃除と言っても、力を入れるのは外装ではない。
 ライダーが乗ったマシンのブレーキキャリパを外し、台所用洗剤と歯ブラシで洗い始めた士郎を、ライダーは怪訝な表情で覗き込んだ。

「そんなところを掃除しても、すぐにまた汚れてしまうのではありませんか?」
「うん。だけど汚れたまま放っておくと固着して動きが悪くなるんだ。だからしょっちゅう掃除しなきゃいけない」

 歯ブラシで落ちない汚れは直接自分の爪でこそぎ落とし、水で洗剤ごと流してドライヤで乾燥。
 ライダーが隣にしゃがみこみ、いつになく熱心にその手元を見詰めるので、士郎は作業内容の解説を続けた。

「こうしてピストンを揉んでグリスを馴染ませてやると動きがよくなるんだ」

 きれいになったピストンとダストシールの境にシリコングリスを噴き、手でピストンを押し戻してはブレーキレバーを引いて押し出す。
 レバーを引いた際に全てのピストンが均一に出てくるようになるまで、ひたすらその単調な作業を繰り返す。
 片側を終え、反対側のキャリパを外しかけた士郎の手を、ライダーが握って止めた。

「士郎。私にもやらせてくれませんか?」
「ええっ? だ、駄目だ。この作業、指先が荒れるし汚れるし、女の子がやる事じゃない」
「士郎。気遣ってくれるのは嬉しいですが、それは差別です。それに、私もわずかとはいえまたがらせてもらったこの子に、何かしてあげたい」

 ひたむきな眼で見詰められ、士郎はライダーに場所を明け渡した。

「ひとつ、訊き忘れていました。この子の名前は?」
「ZRX1200R。カワサキってェ、日本で一番アホなメーカーが作った優等生だ」

 雷画の答えに、ライダーはタンクに着けられたKawasakiのロゴを指でなぞり、口許を緩めた。

「なにやら屈折した表現ですが、雷画なりの褒め言葉なんでしょうね」

 教えられたとおりキャリパ掃除を始めたライダーは、地味で面倒なその作業を真剣な面持ちで黙々と繰り返した。それを見て士郎がつぶやく。

「自分の世界に入りやすいタイプらしいな」
「お前ェほどじゃねえがな」

 士郎は雷画に背中をどやされ、顔をしかめた。


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「――で、ライダーは昨日、試験に合格して大型二輪免許の交付を受けちまってな。約束通りバイクを譲り受けた。
 が、今それはここに無い」
「つまり、夜のうちに走りに行ってしまった、と?」
「そういう事だろうな」
「……雷画さんって、本当にライダーを可愛がってくださってるんですね」

 士郎が事情を説明すると、桜は寂しそうに微笑んだ。

「ライダー、わたしには何もねだってくれない。何かしたいとか、何が欲しいとか、そういう自己主張を全然してくれないんです」
「それは別に、桜のせいじゃない。ライダーにしてみれば、自分の存在理由は桜が全てで、桜さえ居ればそれで満足なんだろ」
「でも、雷画さんの前では違うんですね」
「まぁそれは年の功ってやつだろう。俺達に対しては、どうしてもライダーの方が保護者って意識が強いだろうし」
「雷画さんにはお世話になりっぱなしで、本当に頭が上がりません」
「その辺は素直に甘えた方が、爺さんも喜ぶと思う。恩に着るならむしろ、もっと気軽にお茶でも飲みに行ってやってくれ」
「そうですね。今度また、お菓子でも焼いて持って行きます。
 ――それにしてもライダー、帰って来ませんね。こっそり出て行ったなら、わたしたちが起きる前にこっそり帰って来そうなものですけど。まさか、なにかあったんじゃ……」

 桜は再び眉を曇らせた。

「ライダーは桜と魔術的に繋がってるんだろ? 無事かどうかは判るんじゃないのか」
「存在してる、生きているのは判りますが、それだけです。ああ、ライダー、どこかで困ってるんじゃないかしら。先輩、迎えに行った方がいいんじゃないでしょうか?」

 またしても不安にとらわれたらしい桜は、士郎の腕にすがって揺さぶった。

「迎えにって言っても、どこへ行ったのかも判らないしな。大丈夫だよ、桜。ライダーがそう簡単にどうにかなるわけないだろう。ライダーはお前のサーヴァントだ。信用してやれ」


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『重い』
 まさに、巨大な鉄の塊だ。
『弱い』
 ――にもかかわらず骨格は貧弱。
『鈍い』
 加速、減速、ロール。
 全ての動きに巨大な質量の慣性を伴い、ヤワな骨格のたわみが反応の時間差を助長し、ひどく鈍い。
『遅い』
 勇ましい音の割には、たいした移動速度ではない。
 ペガサスの機動力を知る彼女にとっては、緩慢でさえある。

 ――だのに、なぜ?
 なにゆえ、これほど魂が震えるのか。
 雷画から譲り受けたマシンを夜の路上に駆り出したライダーは自問してみるが、明確な答えは得られなかった。
 ただ、魔術を解さず、自分の手足、否、全身で御する感覚が新鮮だった。
 視覚、聴覚、触覚、体内の血液や内臓に加わるG。全ての身体感覚が、生々しく車体の挙動を伝えてくる。
 そして雷画の言うとおり、落ち着かないのは確かだった。
 もっと加速しろ。
 もっと減速しろ。
 もっと旋回しろ。
 マシンの方が、あらゆるGを要求してくるかのようだ。
 ライダーはマシンの挑発に逆らわず、誘われるまま曲がりくねった峠道に入った。
 スロットルを開け、加速する。
 荷重を失ったフロントタイヤが路面の凹凸を拾い、嫌々をするように首を振るのを、内腿でなだめる。
 ブレーキレバーを引き、減速する。
 慣性を受け止めたフレームのステアリングヘッド周りがお辞儀をするようにたわみ、暴れだす機会をうかがっているのをレバーを緩めてやりすごし。
 クラッチを握り、シフトダウン。
 あえて意図的にブリッピングを控えめに、エンジンの回転を完全に同調させずにクラッチミート。 エンジンブレーキ (バックトルク)でリヤタイヤをハーフロック。
 ステアリングとステップに荷重して倒しこむ。
 グリップを失いかけていたリヤタイヤが滑り出すが、アングルがついた事で荷重がリヤに移動しスライドスピードが落ちる。
 再びスロットルを開ける。
 マシンが起き、横向きに応力が加わったスイングアームピボット付近を中心に車体がよじれるが、かまわずさらにパワーを掛け、リヤタイヤをスライドさせる事でGを逃がす。

 こんな事が、なぜ楽しい?
 天翔けるペガサスに比べれば、なんと不自由な事か。
 道の上を、のたうつように走り回る。
 それだけの、ただそれだけの事が、ライダーにかつて無い魂の開放感をもたらした。
 もっと。
 もっともっと。
 さらなる刺激を求めるライダーの視界に、獲物が現れた。


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 土曜の夜明け前だというのに、他のマシンがほとんど居ない。
 山奥で道幅も狭く、もともとあまり台数が集まる峠ではないが、それにしてもこんな貸し切りに近い条件で走れるのは年に何度も無い。
 昨夜、車軸を流すような雨が振ったせいだろう。
 だが路面は既に乾いている。表面の砂やタイヤかすが洗い流され、夏の雨の為、路面温度もさほど下がっておらず、しかも深夜のうちに4輪が走って砂が掃けており、素人が思うよりはグリップする。条件はむしろ良い位だ。
 俺は久々に思うさまコーナーを攻めた。
 乗り換えてそろそろ身体に馴染んできたZX−10Rも絶好調。昨日換えたばかりのタイヤ――ミシュラン・パイロットレースM2――もこなれてちょうどいい具合だ。
 上りだろうが下りだろうが、誰にも負ける気がしない。今日は特に乗れている。
 空いていて走り放題なのは結構だが、そろそろ歯応えのある相手が欲しいところだ。
 独りで走るのに飽きた頃、俺の10R以外にもう一台、 並列4気筒 (インラインフォア)の甲高い 排気音 (エキゾーストノート)がこだました。
 路肩に寄ってスピードを落とした俺のミラーに、木立ちの向こうからハイビームが射し込む。
 ZRXの1100か1200。
 背後から現れ追い越して行ったライムグリーンのマシンに、俺はやや失望した。
 鉄フレームに二本サスのネイキッド。乗りやすくはあるが、速いマシンではない。
 しかもこの先は下りだ。
 俺の10Rより50kg以上車重が重いZRXでは、いささか相手にとって不足と言わざるを得ない。
 だが。
 奴は俺を振り返り、スロットルを戻しやがった。
 身の程知らずめ。
 しかもヘッドライトに浮かび上がった奴が、革ツナギどころかジーパンに薄手のジャケットという軽装である事に気付き、俺の理性は揮発した。
 ふざけやがって。
 怒りに任せ1速までシフトダウン。スロットルを開けるとふわりとフロントが宙をさまよう。
 一気にZRXを抜き返し、2速に入ってからも歯を喰いしばり全開。次の右ヘヤピンに向けギリギリまで加速し続ける。
 既にタイヤは充分熱が入り、路面状態も把握している。ブレーキングで一気にぶっちぎって戦意喪失させてやる。
 ブレーキングポイントの目安にしているガードレールの切れ目に達し、ハングオフしながらフルブレーキング。リヤタイヤがわずかにリフト。ここまで突っ込むとラインを外さず進入するのさえ至難の技だ。

「ぅおおお!」

 叫ぶ事で腹筋に力を込め肩の力を抜く。
 わずかにブレーキを緩めリヤが接地した瞬間に一気にフルバンク。
 膝がセンターラインを舐めたところでパワーオン。
 どうだ。
 バイクが起きたところで奴との間合いを確認すべくイン側から振り返る。
 ――居ない?
 転倒した気配もなかったがと不審に思いつつ、次の左コーナーへ向けラインを右に振り切り返した瞬間、左側から奴が前に出た。
 馬鹿な。
 差がつかないどころか、ラインをクロスさせ立ち上がり加速で俺を抜いたというのか?
 ありえない。
 俺の10Rはラム過給が効かない低速でも最高出力175馬力、乾燥重量170kgだ。  奴のマシンがどんなチューンをしているか知らないが、50kg以上重く、パワーで50馬力は劣っているハズだ。
 しかもこっちは新品のプロダクションレース用タイヤで 駆動力 (トラクション) も充分掛かっている。
 それがどうして加速で抜ける?
 並んでコーナーに入る愚を避け、無理にアウトから被せず奴の後からコーナーに入る。
 今度は俺が立ち上がりで有利なラインだ。
 だが、インから進入したZRXはステップとサイドスタンドを接地させ盛大に火花を撒き散らし、恐ろしく短時間でタイトに向きを変えてインベタで回る。
 不可解だ。
 あれだけタイトに回る為には、もっと大幅に減速せねばならないはずだ。
 そしてライトに浮かび上がった奴の姿。
 あの腰のラインは、女か?
 じっくり観察する間もなく、立ち上がり加速で遠ざかって行く。
 次は右。
 ZRXはブレーキングしながら大きくリヤをアウトに振り出し、モタードばりにカウンターを当てて進入して行く。
 ――いくらなんでもスライドが大き過ぎる。
 転倒すると思った瞬間、ZRXはスライドを収めて瞬間的にフルバンク。即座にマシンを起こし、断続的にパワースライドさせながら立ち上がる。
 路面のギャップを拾いフレームもリヤサスも暴れまくっているのが後ろから見ても判るが、おかまいなしに加速して行く。
 着いて行けない。
 奴だけ違う物理法則の上で走っているかのような違和感。
 悪い夢でも見ているようだ。
 あっという間に俺の視界から消える。
 そして不意に、奴の排気音も途絶えた。
 ――俺は、亡霊でも見ていたのか?
 その方がむしろ納得が行くので、俺はさして恐怖も感じなかった。


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 門の前でおろおろする桜を士郎がなだめていると、ライダーは坂を上って帰って来た。
 歩いて。
 200kgを優に上回るリッターバイクを押しながら。

「ライダー! なにしてるのよあなた!」

 桜が駆け寄ると、ライダーは長身を屈め、申し訳なさげに上目遣いで桜を見た。

「すみません。出先で燃料切れを起こしまして」
「それでオートバイを押して来たの? どこから?」

 桜の問いに、ライダーははるか彼方の山の中腹を指差した。

「あの辺り、でしょうか」
「おいおい、10キロ以上あるだろ。馬鹿だなぁ、電話よこせば迎えに行ってやったのに」

 あきれる士郎に、ライダーはかぶりを振った。

「公衆電話もありませんでしたし、それに、私が勝手にやったことですから、自分で責任を取らなければ」
「ライダー! あなたね、わたしがどれだけ心配したと思ってるの!?」
「心配……ですか?」

 激昂して詰め寄る桜に困惑した顔で、ライダーは士郎に助けを求めた。

「桜はな、ライダーが愛想尽かして家出しちゃったんじゃないかって大騒ぎしてたんだぞ」

 士郎の言葉に、ライダーはむっとして桜を見返した。

「心外です。私はそこまで無責任だと思われていたのですか?」
「家族がいきなり姿を消せば、心配するのは当然でしょう」
「……家族?」

 何を言われているのか今ひとつ理解出来ていない表情のライダー。
 桜はその手を握りかけて止め、一歩下がり、深呼吸して穏やかな表情を取り戻してから言った。

「自分の事は自分でやろうとするのは立派な心掛けだわ。でも、本当に困った時は助け合うのが家族ってものよ。ライダー。あなたはわたしや先輩にとって、大事な家族なの。たまにはわたしたちを頼って。わたしたちに遠慮しないで」

 ライダーは返答に窮し、眉を八の字にして困惑を表した。

「……私は、家族というものの定義が、よく判りません」
「むずかしいことはないわ。一緒に暮らし、支え合う。それが家族だとわたしは思ってる」
「サクラは、怒っているのではないのですか?」

 ライダーの探るような視線に、桜は腰に手を当てて答えた。

「怒ってます。それに、あてにされなくてちょっと寂しいわ」

 ライダーはたちまち哀れなほどしおれた。

「すみません。今回私は自分の事しか考えていませんでした」

 うつむいたライダーの手を、今度はしっかり握って桜は言った。

「違うの。あなたはもっと自分の事を考えていいの。たまにはわたしたちに世話を焼かせて。
 あなたはわたしのためにここにいてくれる。だから、わたしもあなたのためになにかしてあげたい」

 見詰めあい立ち尽くす二人を、士郎がうながした。

「さ、とにかく早く帰ろう」
「ライダー。朝ご飯の前にまずお風呂よ。こんなにほこりまみれで帰って来て。きっちり全身洗ってあげるから覚悟しなさい」

 士郎がバイクを押すのを手伝い、桜は一足先に衛宮邸に駆け戻る。

「……はぁ」
「流石に疲れたか?」

 深い溜息をついたライダーに士郎が尋ねると、彼女はかぶりを振った。

「いえ。サクラと一緒のお風呂は長い」

 ライダーの答えに、士郎は大笑いした。



 長い入浴と遅い朝食の後。
 土蔵の前にたたずむライダーのマシンのあちこちを士郎とライダーは覗き込み、その二人を桜が見守っていた。

「あーもぅ。どうやったら一晩で純正タイヤをこんなにやっつけられるんだよ」

 あらためてライダーに酷使されたタイヤを見た士郎は、あきれたと肩をすくめた。
 減るというより表面がむしられたように千切れ、崩れてボロボロになっている。

「やはりもう駄目ですか?」
「完全に終わってるな。減りが遅いのだけがとりえのタイヤなのに。ブレーキパッドももう無いし、オイルだってヤバイだろうな。消耗品だけで5〜6万円、かな?」
「そんなに早く駄目になるものなのですか?」

 わざとらしいほど目を丸くして驚くライダーに、士郎が諭した。

「乗り方によるよ。オイルなんて普通三千キロ位が交換サイクルだけど、極端に油温が上がれば距離に関わらず駄目になる。タイヤやブレーキだってそうだ。普通一万キロ以上もつものだけど、激しい走りをすればこんなふうに一晩で使い切っちまう」
「単車を養うというのは、なかなか大変なのですね。やはり雷画にお願いして、仕事を頂かなくては」
「ライダー。お金ならわたしが」
「ありがとう、サクラ。しかしやはり、これは私が勝手に始めた遊びです。自分でどうにかするのが筋というものでしょう」

 士郎は不満げな桜の肩を抱き、ライダーに背を向けてささやいた。

「雷画爺さんは、案外コレを狙ってたんじゃないかな」

 どういう事かと目で問う桜に、士郎は続けた。

「ライダー、一人で外に出たがらなかっただろう? 外に出て、働いて、そうして他人と触れ合うきっかけをくれたんじゃないかな。働く理由を作って」

 士郎の言葉に、桜は改めてライダーに目を向ける。
 ライダーはバイクの側にしゃがみこみ、情けない顔をしてタイヤをつついていた。
 桜は士郎と顔を見合わせ、微笑んだ。



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.8.31
9.5 改稿


補足

 HF後のライダーって、本当に暇を持て余してそうだと思いませんか?

 改稿後追記
 ライダーにバイク乗らせたのは目的ではなく話作りの手段ですので、バイクネタに関して興味が無い方はその部分、雰囲気作りのフレーバーとして読み流して下さい。
 そういう楽しみ方が出来ないようでしたら、それはもう私の技量不足で申し訳なく……。


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