Fate/stay night alternative story   after“Unlimited Blade Works”

「Shirou, -- It cannot bear any longer. (もう がまんできません)

 アルトリアが俺の肩にすがり、潤んだ翠の虹彩で上目遣いにねだる。

It's a wish. Please give early. (おねがい。はやくください。)

 耳に心地好い、やや低音で囁くような彼女の声も、さすがにかすれてきた。
 美味しく頂く為に焦らせて来たが、そろそろ限界か。
 こちらも眼が虚ろになりつつある藤ねえに許可を求める。

Maam, May I take out soon? (先生、そろそろ出していいですか?)

Well, I'm also already a limit. (そうね、わたしももうダメ。)
 Altria, Only a few is already to the last. It does its best. (さいごにもう少し。がんばって。)
 Ryudo,  Since the rest is left. (あとはまかせたわよ。)

 アルトリアは健気に頷いて続けた。
 俺達はその艶めかしい唇の動きに集中する。












おねえちゃんの課外加害授業
〜Lesson 2 " A thrust of my elder sister can be received. (おねえちゃんの突きを喰らえ) "〜
written by ばんざい








「"Gentlemen, start your engines," Bush told the 43 drivers at Daytona. More than 200,000 people saw the race in person and an estimated 40 million watched on television.」

 アルトリアが唄うように英字新聞を朗読し、意味が判ろうがわかるまいが俺達は それをなぞって発音する。

「はい、柳洞くん、訳して」

「『エンジン始動』ブッシュはデイトナで43名のドライバに言った――いや、命じた。 ――20万以上の人が? 人の中でレースを見て?」

「『20万人以上が直接レースを観戦し』かな」

「――概算4000万人がテレビを通じて見た」

「はい、よろしい」

 藤ねえの課外授業は当初の危惧をよそに、至極真っ当なものだった。
 おかげで一成や美綴も、春休みという事もあるがほぼ毎日付き合ってくれており、 夕飯も共にしてゆくので美綴いわく「合宿みたいだねぇ」という状況だ。
 特に人と接する機会の少ないアルトリアには良い経験だと思う。
 ――遠坂と美綴の相乗効果で妙な影響を受けなければいいのだが。
 ともあれ、そういうわけで今日も賑やかに夕飯の時間だ。


「どうした桜。口に合わなかったか?」

 今夜のメインはチキンカレー。
 朝から仕込んだ入魂の自信作である。
 そもそも食欲をそそらないカレーを作るのは至難の業であろう。
 だというのに桜は、普通に盛った一皿すら持て余しているようだ。
 相変わらずの健啖振りを発揮するアルトリアや藤ねえと対照的だ。

「いえ、とっても美味しいです。あんまり良い出来なのでしっかり味わって食べてたら、 もうおなか一杯になっちゃいました」

「もしかして体調悪いのか?」

「いえ、本当に何でもありませんから」

 そう言いつつ、桜は自分のお腹をさすった。

「あ、胃腸の具合が悪いのか?」

 俺が桜のお腹に手を伸ばしたのは、純粋に心配しての事で、無意識だった。
 だが確かに不用意だったと思う。
 桜の反応は劇的だった。

「だっ、ダメですっ! ――あ」
 物凄い勢いで俺の手を打ち払った桜はしかし、逆に気まずそうに顔を伏せた。
「御免なさい」

「何で桜が謝るんだ。すまん、無神経だった。俺はただ桜が心配で」

「はい。先輩は悪くありません。
 ――やっぱり少し調子悪いみたいです。すみませんけど、お先に失礼させていただきます」

「それなら送ってい――ごっ」

 逃げるように席を立つ桜を追おうとしたところ凛に髪をつかんで止められ、 美綴の掌底で顎を打ち抜かれた。 見事な連携だ。視界が揺れ、次いで畳に打ち据えられた。
 俺には畳に倒れたまま、代わって立ち上がった藤ねえを見送るよりほか、選択肢は無かった。
 起き上がって皆と顔を合わせづらい。
 だが沈黙に耐えかね、仕方なく身を起こす。
 いっそ激しく非難してくれた方が気が楽だ。

「衛宮、セクハラは犯罪だぞ」「うむ。貴様は今、最低の男だ。喝!」

 ――やっぱり滅多打ちも辛いです。正座して自分の膝を見詰めてしまう俺。
 だが最も語彙豊富に機知に飛んだ罵詈雑言を浴びせてくると思われた 紅い悪魔のお言葉が無い。
 恐る恐る御尊顔をうかがうと俺など眼中に無いご様子で、唇を引き結び眉根を寄せ中空に 視線を据えて物思いに耽っていらっしゃる。
 もはや叱ってすらもらえませんかそうですか……。
 俺は皆の食器を回収し、寂しく流しで洗い物に専念する事にした。

「あたしもそろそろ帰らせてもらうけど、痴漢が出たらどうしよう」

 美綴、俺の方をちらちら見てだしにせずとも、一成はちゃんと送ってくれるぞ。


 なにせカレーとサラダだったので、あっという間に洗い物など終わってしまった。
 アルトリアと凛は口をきいてくれない。
 さりとてこちらから話しかける事も無い。
 間が持てないのでお茶を煎れなおしていると、物凄い勢いで引き戸が開け放たれる音がした。
 桜を送ってそのまま帰ってくれることを祈っていたが、儚い望みだったようだ。
 ……折檻タイム開始 death か?
 だが猛虎まっしぐらな相手は、俺ではなかった。


「な、何の真似ですか!?」
 細い肢体を抱きすくめ乱暴に(まさぐ)る手に、 アルトリアはあらがう事もおぼつかない。

「ふっ、ふぅぁ! や、やめ――」

 華奢なウェストから肋骨を乳房の下まで撫で上げられ、裏返った声での叫びはむしろ、 嗜虐心を煽る。

「ふん。あんなにたらふく食べておいて、腰も手足も細くて綺麗だこと」

「い、痛い!」

 混乱・恐慌・屈辱・羞恥。
 乳房を容赦無く揉みしだかれ、苦痛に潤んだ翠の眼が救いを求め彷徨う。

「いやっ! シロウ! シロウ助けて!」

「でもそのぶんおっぱいも薄いわね、ふふふ」

 歪んだ優越感を含んだ陵辱者の言葉に、アルトリアは渾身の力で拘束を振り解いて逃れた。
 己が胸元をかき抱き、恥辱に頬を紅潮させる彼女を可憐だと思ってしまった 俺は不謹慎だろうか。

「ええ、そう言うタイガはふっくらしてますね。脇腹とかだけ」

 反撃に転じようと身構えるアルトリアに牙を剥いて威嚇した捕食者は、新たな獲物を求める ように視線を巡らせた。

「な、何よ。一体なんだっていうのよ?」

 さすがの紅い悪魔も虎の暴走振りに困惑を隠せないようだ。

「――フッ」

 だがあっさり興味を失ったかのように視線を外す獣。

「なっ !? だからなんだってのよ!」「馬鹿やめろ!」

 反射的に藤ねえを指差した凛の手を、俺は必死に抑え込んだ。

「離しなさい士郎! なんだか判らないけどわたしを鼻で笑いやがったわよこの年増!  あんたも怒りなさいよ !!」

「な、なんで俺が?」

 めしり。
 鼻骨が軋んだ。
 俺はガンドではなく拳で凛に打ち倒された。
 だから何でデスカ?
 皆さん。学校のアイドルの実態はこんなんです。
 自分だけが知る凛の素顔に、優越感を感じていいんでしょうか?
 ぼたぼた滴る鼻血を慌ててティシュで抑え畳を拭く俺を見下し、藤ねえがぼそりと呟いた。

「士郎が……士郎が悪いのよ」

「――確かに桜には悪い事をしたかもしれないが、それとこの騒ぎとどういう関係があるんだ?」

「士郎のご飯が美味しすぎるからなのよ! 責任取りなさい、士郎!」

「……馬鹿で鈍感な俺にもわかるようにきちんと論理的に説明していただけないでしょうか、 おねえさま?」

「うるさい! 口答えするな士郎のクセに!
 あんたは黙って明日から稽古に付き合いなさい」

「なんのでございましょう?」

「剣道に決まってるでしょう馬鹿!」

 そんな理不尽な。
 だが凛はハッとして頬に手を当てたりしている。
 アルトリアもおもむろに頷いたりしている。
 何かに気付かないのは俺だけですかそうですか。
 ……なんだか自分が本当に馬鹿になった気がして参りました。

「朝ご飯はお粥かなにか、消化が良くて軽い物にする事! 少しでいいからね」

「ええええええぇっ!」

『量を増やせ』ならともかく、減らせと言われた事は金輪際無い。っていうか有り得ない。

「ガタガタぬかしてると竹刀じゃなく真剣で相手するわよ」

「Maam, Yes, maam !」

 天国のダディ。俺を護って下さい……。



 翌朝。

「おはよう、桜。……その、昨日はごめんな」

「いえ。先輩は悪くないんです。私の方こそ本当に御免なさい。 もうその話はこれきりにして下さい」

 昨日の今日で来てくれないかと思ったが、むしろ普段より早く顔を見せてくれた。
 それは嬉しいのだが。
 何故ジャージ姿なんだ、桜。
 だがそれを訊ねるとまた何か問題が持ち上がりそうな予感がする。 もはやすっかり怯えた子羊のような俺。

「朝食なんだが桜、藤ねえがどういう風の吹き回しなんだかお粥にしろっていうんだが、 桜はどうする?」

「はい、わたしもそうします。あとはお味噌汁とほうれん草のおひたしでも作りましょう」

「魚でも焼くか?」

「いえ、わたしは結構です」

 桜と並んで朝食の支度。いつもの行為。
 だが桜は俺との距離を必要以上に意識している気がする。
 俺は桜にトラウマを負わせてしまったのだろうか。

「おはよう」

 対照的に藤ねえは昨夜の狂乱が嘘のように爽やかな顔でやって来た。
 純白の剣道衣が眩しい。
 ほどなく凛とアルトリアもやって来た。
 ――凛もゆったりしたスポーツウェアだ。やっぱりそれも真紅なのな。
 何故皆がみな、唐突にスポーツに目覚めたのだろう?

「凛とアルトリアは朝食どうする?」

 凛は眠たげに首を振り、冷蔵庫からローファットミルクを出して電子レンジで暖め始めた。

「私は普段どおりきちんといただきます」

「みんなお粥なんだけど、それに秋刀魚でも焼けばいいかな?」

「お任せします」

 朝食の食卓は幸い、昨日の妙な雰囲気は引きずらなかった。
 代わりにアルトリア以外全員、これから運動部の朝練のごときストイックな緊張感だが。

「藤ねえ、卵落とすか?」

「――白身だけ頂戴」

 ボディビルダーかよ。

「シロウ、黄身は私が美味しくいただきます」

 藤ねえ、自分でいらないって言ったんだから、アルトリアを睨むなよ。

「士郎。何食べても良いけど、後で粗相するんじゃないわよ」

 Maam, Yes, maam.
 俺もお粥一杯と味噌汁だけにしておきます。


 アルトリア以外は非常に慎ましい朝食が済むと、やはり今日は何故か皆、 トレーニングの日らしい。
 凛は庭でなにやら中腰で固まっている。中国拳法でいう 馬歩站椿(まほたんとう) という奴だろうか?
 桜はジョギングしてくると言って出て行った。
 ――が、もう帰って来た。

「姉さん、わたしも一緒に稽古させて下さい」

「いいけど、ジョギングはどうしたのよ?」

 凛の問いに桜は恥しげにうつむいた。

「わたし、走るの向いてないみたいです」

「ウチの学校の弓道部の稽古じゃ走り込みはしないから、いきなりやれば それは駄目だろう。けどそれで止めちゃ意味が無いんじゃないか?」

「ふん。おおかたおっぱいが揺れて痛いとか言うんでしょうこの牛娘が。 いい気になるんじゃないわよ」

 背後からかけられた藤ねえの教師とは思えない発言に、つい視線が桜の胸に吸い寄せられて しまったのは不可抗力だと思います。
 凛さん。問答無用で水月に 冲捶(ちゅうすい) を叩き込むのはいかがなものか。人として。

「タイガ。あなたの発言はつつしみに欠ける。だいたいそれでは逆効果です。
 ――シロウ。いくら不意打ちでも無防備に攻撃をもらい過ぎです」

 女神降臨。
 身を二つに折って苦悶する俺に手を伸べたのは、紺の袴とのコントラストも鮮やかな、 純白の剣道衣をまとったアルトリアだった。
 俺が呆然と見上げていると、うつむいて頬を染めた。

「タイガのお古だそうですが、似合いませんか?」

「いや。綺麗だ。凄く」

 無意識にそう答えていた。なんのてらいも無く。

「ねぇ、アルちゃん可愛いでしょ〜。あぁもぅ、おねえちゃん食べちゃいたいよぅ」

「タイガ! 放して下さい!」

 後ろから抱きすくめて頬擦りする藤ねえ。台無しだよ。

「で? 稽古はどうするんだ藤ねえ。俺、剣道の防具なんて持ってないけど、 素振りだけするか、それとも藤ねえだけ防具着けてやるか?」

 俺の問いに藤ねえは得意げに胸を反らし、持っていた道具袋から抜き出した 得物を天へ掲げた。
 ――棒状の、革?
 凛たちも興味を引かれたようだ。

「袋竹刀〜!
 これはね、漆を塗った革の袋に先を割った竹を仕込んだ、剣術用の竹刀なの。
 士郎たち、防具無しで稽古してたでしょう。あれじゃ怪我しちゃうと思って、こっそり 注文してたの。
 古流剣術ではこれを使って、防具無しで稽古するところが多いのよ」

 藤ねえから受け取って振ってみる。
 ――これだ。
 普通の竹刀より短く重く、手応えがある。
 より実戦を意識された凄みを感じる。

「ちょうど最近、ウチのヤンキー上がりの馬鹿もんが『木刀なら剣道屋になんか負けない』 とかほざきやがったから、これ使って『どこでもいいから当てられたら結婚してあげる』 って言って立ち会って、力一杯叩きのめしてあげたけど、骨折はしなかったわよ」

 ――ちょっと待て。

「おい、藤ねえ。そんな約束して、もし、万が一当てられてたらそいつと結婚したのかよ?」

「万が一にもあるわけ無いじゃない。士郎、馬鹿にしてるの?」

 ばちーん。

 無意識に右手が一閃していた。
 剣道五段の藤ねえが全く反応出来なかったのだから、それは会心の一撃といえる。
 そもそも殴った俺自身が一番驚いている。
 だが骨まで響く右手の痺れと、見る間に腫れてゆく藤ねえの頬が、確かに俺が平手打ちしたと 証明している。
 そしてなお一層腹の底から湧き上がる憤怒に突き動かされ、俺は呆然と立ち尽くす藤ねえの 胸倉を両手で掴んで怒鳴りつけた。

「結果の事を言ってるんじゃない!
 そいつがどんなつもりで藤ねえと立ち会ったか知らないし、そんな事はどうでもいい。
 だけど藤ねえ自身、そんなつまらない事に人の気持ちや自分の人生掛けて もてあそぶような事をするのかよ?
 藤ねえがあんなに一生懸命打ち込んできた剣道ってのは、そんなつまんないもんなのか!?」

 言うだけ言ってから、見事に腫れ上がった藤ねえの頬を冷やす氷を取って来ようと背を向ける。
 だが袖を掴んで止められた。

「何だよ。俺は謝らないからな」

 むきになって睨む俺に、藤ねえは落ち着いてかぶりを振った。

「士郎。ごめんね。士郎の言う通りだよ。
 ――叱ってくれて、ありがとう。士郎はやっぱり、いい男に育ったね」

「馬鹿。弟分に説教させるな」

「うん、ごめんね。
 ――でも士郎。これやっぱり物凄く痛いよ? おねえちゃん、女の子なんだよ? お父さん にもお祖父ちゃんにも殴られた事、無いんだよ? 口の中切れて血の味がするよ? なんだか 首まで痛いよ?」

「……悪かったよ。今、氷取って来るから」

 さすがに少しだけ罪悪感を覚えてその場を逃げ出そうとするが、藤ねえは物凄い握力で 俺の腕を掴んで放さなかった。

「ねぇ士郎。殴ったほっぺにちゅーしてくれたら許してあげるよ?」

「馬鹿言ってないで早く冷やさないと――」

「あぁ、士郎はやっぱりわたしの事、嫌いになっちゃったのかなぁ。
 わたし、反省してるのになぁ。ほっぺも痛いけど、心はもっと痛いよぅ」

 あぁもう、どうしろと?
 救いを求めて周囲を見回すと、桜はあさってを向き、凛はうんざりした顔で『勝手にしろ』 というように手を振り、アルトリアは溜息をついて眼を伏せた。
 しかたなく皆から見えない側に藤ねえの頬を向け、軽く唇を当てた。

「心がこもってないよぅ。士郎はそんなにおねえちゃんにちゅーするのが嫌なのかなぁ。 悲しいよぅ」

 もうどうにでもしてくれ。
 もう一度頬にキスしてやると、藤ねえは満足げに微笑んでその頬をすり寄せてきた。

「馬鹿、痛いんだろそこ」

「うん。痛い。滅茶苦茶痛い。でもこれは士郎がわたしの事を思って叱ってくれたしるしだもん。 嬉しいよぅ」

 辟易する俺を救ってくれたのはアルトリアだった。

「タイガ。もういいでしょう。さっさと治療しに行って下さい」

 凛と桜もげっそりしたさまで自分達の稽古に戻って行った。
 藤ねえは頬に直接、冷湿布薬を貼りやがった。つくづく大雑把な女だ。


 道場に移って気を取り直し、改めて袋竹刀を振ってみる。

「これ、小太刀もあるのかな?」

「小太刀?
 注文すれば作ってくれるみたいだけど、士郎の腕じゃかえって難しいと思うよ?」

「いや、二刀で稽古してみたいんだ」

「二刀ねえ。とりあえずわたしが子供のころ使ってた短い竹刀でやってみる?」

 藤ねえは嫌そうに眉をひそめたが、道具袋をガラガラかき回して古い竹刀を引っ張り出した。 そんなものまで持って来たのか。

「いや、それじゃ軽過ぎるし、せっかく良い道具持って来てくれた意味が無いだろ」

「はぁ? 軽い竹刀で出来ない事が重いもんで出来るわけ無いでしょうが。
 竹刀曲芸だろうが何だろうが、まず当てられるようになってからものを言いなさい。
 そもそも士郎、わたしやアルトリア先生に竹刀かすめられるとでも思っちゃってるわけ?
 大丈夫よ。それこそ万一キズモノにされたら士郎にお婿さんになってもらえばいいんだし」

 ――随分な言われようである。
 軽く素振りをして身体を温めた後、藤ねえは更にのたまった。

「それじゃ士郎は好きなように打って来なさい。剣道にこだわらず、足でも肩でも 横面でも背中でも、好きなところに打ち込んで来ていいわよ。
 わたしは突きしか使わないから、捌いてごらんなさい」

 お言葉に甘え、俺は一番短い竹刀を二刀で持ち、藤ねえの前に立った。
 藤ねえは無論、袋竹刀一刀である。

「はじめ」

 アルトリアの声と同時に思い切り低く深く踏み込み、正眼に構えた藤ねえの剣を左手で払うと 同時に右手で脛へ切りつける。
 そのつもりだった。否、そうしたつもりだった。
 確かに竹刀を打ち合わせる音も手応えもあった。
 だが俺の胸を藤ねえの切っ先が捉えていた。
 優しく、決して怪我せぬよう。しかし確実に『お前は今死んだ』と言い聞かせるように。

「いつまで殺されてるの士郎?」

 飛び退って間合いを取り構え直す。
 そのつもりだった。そうしたつもりだった。
 確かに一メートル以上下がった筈だ。
 だが胸に押し当てられた切っ先が離れない。
 突いて来る腕を打とうとするとそのまま切っ先で押し飛ばされた。
 転がって逃げながら起きた胸元にまた切っ先があった。

 藤ねえは構えを崩さぬまま、静かに道場中央まで下がった。
 同じ事の繰り返しだった。
 全く間合いが詰められない。
 通常の剣道の打突部位では無い胸を狙っていながら、藤ねえの突きは精緻極まりなかった。
 払い、押し退けた筈の藤ねえの剣が俺の胸を優しく突く。
 立ち幅跳びのごとく思い切り飛び込んでも捌かれ、側面から脇腹を突かれる。
 力で押し退けようにも、するりと流され手応えが無い。

 なす術無く動きが止まった俺に対し、藤ねえは上段に構えた。

「今度は面しか打たないわ」

 防御を捨て、面を打たれるより先に藤ねえの脚を捉えるべく、捨て身で文字通り床に 飛び込みながら右手を振る。
 床に顎が着くまでに、四度面を打たれた。
 それならばと開き直って面の防御に徹するが、来ると判っている面打ちが防げない。
 両の竹刀を交差させて受けてすら、そのまま竹刀ごと崩された。
 明らかに意図的にゆっくり打ち込んでくる袋竹刀を渾身の力で払っても、撃たれる部位が 肩口に変わるだけで、直後改めて額を打たれる。

 あっという間に息が上がった。

「士郎。あなたに今一番足りないものが何かわかった?」

「スピード?」

「いいえ。力よ。単純な筋力。
 踏み込むスピードも、つまるところ筋力だしね。
 そして二刀を使いこなすにはなおさら、一刀以上の筋力がいるの。 剣が重かろうが軽かろうがね。
 特に手首を支える前腕と、剣を振る肩から背中ね。 普段から二刀で素振りして身体を作り直さないと話にならないわ」

 だが結局、藤ねえと同じ袋竹刀に持ち替え一刀で立ち会っても全く同じ事だった。
 剣道のセオリーに無い脚や腕、肩などを狙おうにも、全て藤ねえの突きに阻まれた。

「じゃあ、士郎は少し休んでなさい」

 そう告げられて時間を確認して驚いた。
 既に疲労困憊だったが、藤ねえと向き合ってものの十分ほどしか経っていない。

「アルトリア。お相手願えるかしら」

 頷いて俺から袋竹刀を受け取ったアルトリアは、既にサーバントとして闘いに挑む剣士、 セイバーの眼になっていた。

「アルトリア。念の為言っとくけど、いくら袋竹刀でも骨を打てば骨折するし、耳を打てば 鼓膜ぐらい破れるからな。加減はしてくれよ」

「判ってます」

 アルトリアは素振りして感触を確かめると、満足げに頷いた。

「なるほど。これは素晴しい。
 ――ではタイガ。参ります」


 正眼に構える藤ねえ。
 対するアルトリアは脇構え。
 向き合った二人の姿の神々しさは、初めてサーヴァント同士の闘いを目にした時に匹敵した。
 先に動いたのはアルトリアだ。
 神速の踏み込みは、明らかに人間にはありえないものだった。
 だが藤ねえはそれに対し後の先を取った。
 離れて見ている俺の目にも捕捉困難なアルトリアの打ち込みを受けるより早く、 その小手を内側から確かに捉えた。
 飛び退り間合いを取ったアルトリアは、会心の笑みを浮かべた。

「なるほど。タイガ、これが本当のあなたの実力という事か」

 続くアルトリアの攻撃は疾風怒濤と言うにふさわしい。
 互いに激しく打ち合うことは無く、的確に力を逸らし合い受け流し合う。
 だが今度はアルトリアが藤ねえの脚を薙いだ。

「あ痛〜。やっぱり結構痛いわね」

 藤ねえが攻め込んだ。
 続けざまに放たれる藤ねえの突きを捌き、逆に踏み込んで間合いを詰めたアルトリアの身体が 逆しまに宙を舞う。
 倒れざま振ったアルトリアの剣より早く、藤ねえの突きがアルトリアの胸を捉えた。

「タイガ。今のは足払いですか?」

「そう。昔、警察剣道の師範に稽古つけてもらったときに、嫌って言うほど転がされてね。 悔しいから後でお父さんにみっちり足払いを教えてもらったの」

「鮮やかでした。わたしにもまだまだ、学ばねばならない技がありますね」

 驚くべき事に、魔力供給不足とはいえサーヴァントであるアルトリアに対し、 藤ねえは明らかに互角に渡り合っていた。
 これほどまでに強かったのか。
 俺は、大学時代のもっと強い藤ねえの試合を見た事がある。
 当時は、その藤ねえの強さが見えていなかった。
 そして、この藤ねえより強い人はまだまだたくさん居る筈だ。
 ――人は、これほどまでに強くなれるものなのか。

 だがさすがに回を重ねると、疲労が見えてきた藤ねえが次第に劣勢となり、ついに 降参した。
 一礼して戻って来た藤ねえは、いつもの藤ねえだった。

「う〜ん、アルちゃん強いなぁ。悔しいよぅ」

「私のほうこそ、おみそれしました」

「俺も、藤ねえの本当の強さが初めて判ったよ」

「士郎が弱いんだよ。
 アルちゃん、士郎を甘やかしちゃ駄目だよ。士郎馬鹿だから『お前は弱いんだ』って 常に思い知らせてやらなくちゃ調子に乗るからね」

「はい。タイガにならって、もっと厳しくやろうと思います」

 うわ。



 昼食時。
 人類は皆ふらふらだった。
 アルトリアはともかく、藤ねえはなんであんなに元気なんだろう……。

「ほらほら、士郎に殴られてこんなに腫れちゃった。歯も浮いてるよぅ」

 わざわざ腫れた頬を大威張りで自慢する藤ねえに、凛はテーブルに肘を突き「けっ」と そっぽを向く。

「桜ちゃんだって士郎にこんなに叱ってもらった事ないでしょう?  あぁ、口の中も切れちゃって痛いよぅ。ご飯食べられなくて痩せちゃうよぅ」

 だから、なんでそんなに嬉しそうなのか?

「先生。その顔で学校に行くんですか?」

 いつになく厳しい表情の桜にも、藤ねえはお構いなしだった。

「だって午後は弓道部の部活があるじゃない。顧問だからちゃんとついてないと。
 みんなにもこのほっぺ見せてあげなくちゃ」

 ヤメレ。

「先輩を困らせないで下さい。教え子に叱られたって威張る教師がどこにいるんですか」

 そうだそうだ。

「あぁ士郎。氷が無くなっちゃった。あーん」

 口をあけて氷をねだる藤ねえに、俺は仕方なくアイスボックスに手を伸ばす。
 アルトリアはそれを制し、氷を鷲掴みにして藤ねえの口に叩き込んだ。

「い、いひゃい。アルひゃんいひゃい」

「タイガ。これ以上わがままを言ってシロウに迷惑をかけるようなら、 私が反対の頬を殴って差し上げます」

「先生は玄関で転んで自分で柱にぶつかったんです。いいですね?」

「ええぇ〜。そんなの格好悪いよぅ」

「だから事実、格好悪いんですってば」

 本当、藤ねえといると飽きないよ。
 もうちょっと落ち着いて欲しいが。

  She's comin' at me like hell (彼女は地獄のように俺を攻める) !
  She's gonna shock me like hell (彼女は地獄のように俺に衝撃を与える) !



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.2.29

補足
 藤ねえSS第二弾、後編。お待たせいたしました。
 今回、私の持てる全てを叩き込んだつもりです。
 そういう力の入った作品こそ、えてしてまとまりの無い駄作になりがちなものですが、 いかがだったでしょうか?
 皆様の厳しい御批評をお待ちいたしております。

 さて、今回はまた一段と藤ねえ大暴れ。
 強過ぎるという御意見も当然あるかと思いますが、別に藤ねえ贔屓だからではなく、 大真面目でこの程度の力関係だと思っています。
 だって剣道五段ですよ?
 しかも英語教師という事は、体育学科や武道学科ではなく、英文科かそれに類する学科を 卒業しているわけですよね?
 そういう人、現実にいらっしゃるのでしょうか?
 一芸に秀でた方と素人の差は、想像以上に大きいものです。
 士郎が藤ねえに追いつくには、必死に修行してあと五年くらい掛かるのではと思います。

 剣道と剣術は全く別のものだと言われる方もいらっしゃると思いますし、私も同意見です。
 しかし例えば、野球選手やテニスプレイヤーがゴルフをやっても極めて上手く、すぐにプロ並み になってしまう事実があります。別物だから応用は効かない筈だと声高に主張するのは ナンセンスだと思います。

 それを踏まえた上で、私は剣道も剣術も未経験ですので、 突っ込みのある方はぜひ御教示願います。

 なお、サーヴァントと渡り合うのはやり過ぎという御意見もあるでしょう。
 ですが、サーヴァントの真価は宝具や魔術であり、それを使わない以上は人間離れした 身体能力しか差は無いと思います(それが大きいのですが)。

 設定考証が目的ではないので、異論がある方もその辺は大目に見て下さい。

 ついでに私の脳内設定では、藤ねえのお父さんは柔道家です。



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 御面倒な方はweb拍手でどうぞ。一行コメントも送れます。


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