Fate/stay night alternative story   after“Unlimited Blade Works”

 いかんと思っても、どうしても意識してしまう。

 栗色の細くしなやかな髪。
 思いのほか長く整った睫毛。
 襟元から覗く鎖骨の影。
 控えめながら形よい胸。
 背中から細く引き締まった腰、高く吊り上った小振りな尻へのライン。
 スカートから覗く引き締まったふくらはぎ。

 ――ホワイトデーの一件から、藤ねえの女の部分が目に付いて仕方がない。
 もう見境無しか、俺は。
 そんな自分が嫌で、居心地が悪い事この上ない。

 だから俺の複雑な思いをぶち壊してくれるいつものわがままは、むしろ歓迎だった。

「ねぇ、お花見しようよぅ。はやくしないと桜が散っちゃうよぅ」

 藤ねえは朝食後のお茶を淹れていた俺の袖をつかみぶんぶん振り回した。危ないっての。

「あぁ、うん。でも、新学期も近いし、みんな忙しいんじゃないのか? 特に藤ねえ」
「だから余計に行きたいんだもん。学校始まったらもっと忙しくなっちゃうよぅ。わたし、心のゆとりが欲しいぃ〜」
「ゆとりってのは無理して作るもんじゃないと思うんだが……。平日は藤ねえや桜たちが仕事や部活があるだろうし、土日は人出が凄いだろ」
「シロウ。花見、というのはこの国の伝統行事だと聞きます。出来れば私も経験してみたい」

 確かに花見は残された日本らしい文化と言えなくも無いだろう。アルトリアにも楽しんで欲しいのはやまやまだ。
 だが、色々な面で個性派揃いのウチの連中が人ごみに出張ってトラブルが起きないだろうか?
 どうしたものかと考えていると、凛が口を挟んできた。

「それなら平日に夜桜見に行きましょ。公園なら街灯もあるし、夜の方がかえって風情があるんじゃない?」
「なるほど。悪くなさそうだな。それでいいか、藤ねえ?」
「よろしい。今日の課外授業は夜桜見物に変更なのだ」

 ……いきなり今夜ですか。












おねえちゃんは花より団子、色気より食い気

――とか思った奴は前へ出ろゴルァ!

written by ばんざい
(18歳未満閲覧禁止)








「それじゃ、美綴主将にはわたしから伝えておきますね」
「あ、桜。慎二にも声を掛けてやってくれないか」

 入院していた慎二も先日ようやく退院し自宅療養になったところだ。外に出るのもいいリハビリになるだろう。

「はい、伝えます。お誘い自体はきっとすごく喜びます。……けど、絶対嫌がって来ないと思います」
「首に縄くくっても連れて来なさい」

 いや、遠坂さん。あなたががその調子だからです。しかもそれが判っていて言うからなおさらたちが悪い。いじめっ子め。

「じゃあ一成には俺が電話しておくとして。
 ……藤ねえ、なんか食いたいもんとか、リクエストあるか?」
「んー? 任せるよー。みんなを信じてるから、美味しいもの食べさせてねぇ」

 藤ねえは言いたい事だけ言ってお茶を飲み干すと、縁側の陽だまりに座布団を敷き、ごろりと横になった。
 覇気が無い事おびただしい。

「おいこら藤ねえ。言いだしっぺがいきなりサボるな。
 ひと働きしてからの昼寝ならいいだろうけど、朝飯食ってすぐ横になるなんてだらけ過ぎだぞ。
 それにこういう機会に料理の一つも覚えて少しは自立してくれよ」

 少しきつく言うと、藤ねえはのろのろと気だるげに身を起こした。

「……うん。そうだね」

 もっと駄々をこねるかと思ったが、えらく素直だ。
 それはいいのだが、その伏し目がちな藤ねえはなんというか、らしくない。疲れとは違う、だが力ない表情は、なんだか見ている方が切なく、不安になる。

「どうした、元気無いな。熱でもあるのか?」
「ん〜? 別に。ちょっとアンニュイな気分に浸ってただけ」
「桜、救急車を呼んでくれ」

 ずかずか居間に戻って来た藤ねえは、台布巾をつかんで投げつけてきた。

「何よ失礼ね! 乙女心のわからない野暮天め!」
「誰が乙女だ誰が」
「うっさい! 士郎みたいに常に何かやってなきゃ落ち着かない人こそ強迫神経症っていう病気なんだからね」
「わかりましたから先生、落ち着いて座ってください」

 そういう桜もコードレス電話の受話器を握ったままだ。

「かわいそうな人をなだめるような眼で見るなー!」
「はいはい先生。乙女同士、献立でも考えましょう」
「タイガ、とりあえずお茶をもう一杯飲んで下さい」

 寄ってたかってすかされ、藤ねえはむくれながら腰を下ろした。

「わたし今日十時から職員会議で午後は部活だから、お弁当欲しいなぁ」
「自分の事は自分でやるように。花見用に何作るか決めたら俺が買い物行って来るから、その間に桜、藤ねえと一緒に弁当作ってやってくれるか?」
「はい」

 そして冷めても美味しい宴会料理の献立をめぐり 喧々囂々 (けんけんごうごう)たる議論を交わすうち九時を回り、藤ねえと桜は弁当作る為台所に立った。

「すまんな桜。難題を押し付けて」
「それ、どういう意味よ士郎。喧嘩売ってんの?」
「大口叩くのは普通に食えるもん作ってからにしてくれ。自分の弁当だからな。桜、怪我しないようにな」
「はい、がんばります」
「なんでわたしじゃなく桜ちゃんだけ心配するのよぅ」
「自分の怪我は自分持ちに決まってるだろ。藤ねえは桜に怪我させないように気をつけてくれ。監督を頼んだ手前、桜に傷でも残ったら俺が責任取らなきゃならん」
「むきー! わたしを危険人物みたいに言うなー!」
「弟分に恥をかかせないようがんばってくれ。ほどほどに」
「先輩、あの、これ以上先生を刺激しないでください。先生、先輩を見返す為にちゃんとしたお弁当を作りませんと――」

 俺が藤ねえを焚き付けている間に、凛は買い物リストをまとめていた。

「じゃ、買い出し行くか」
「まだ早くない? それに桜も一緒に行きたいんじゃないの? お弁当作り終わるまで待っててあげてもいいじゃない」
「うん、桜には悪いと思うんだけど、俺がいない方が藤ねえも素直に桜の言う事を聞きやすい気がするんだ。のんびり歩いてる間に店も開く時間になるだろ。アルトリアはどうする?」
「私もタイガと一緒に料理を習っておきます。それに桜も心配だ」
「悪いな、気を使わせて。それじゃ、早めに買い物済ませて来る」
「急がなくて結構。楽しんできて下さい」

 ――別に遊びに行くわけではないんだが。
 ともあれ、その前に。

「藤ねえ。金を出せ」
「あんですと〜!? いつからおねえちゃんにたかるやくざ弟になったか士郎」
「一成や美綴でさえ夕飯代って言って食費置いていってるんだ。人三倍喰らう藤ねえは宴会費用くらい気前良く出しても罰は当たらんと思うぞ」
「誰が人三倍よぅ! うぅ〜。給料日はまだまだずっと先なのにぃ。士郎のオニ!」
「つべこべ言わずさっさと出すもん出せ。今夜の料理に直接響くぞ」

 ぐずる藤ねえから諭吉さんを巻き上げ、軍資金を調達した。
 大荷物に備えカートを引き摺りながら、凛と共に買出しに出かける。

「あんたにしては結構厳しかったわね、藤村先生に対して」
「そうか? なんでかしらんが妙に景気の悪い顔してたからな。喚いてる方が藤ねえらしいし、そうしてりゃ自然と元気も出るだろ」
「……ま、いいけどね。あんたの愛情はがさつなのよ」
「そんな大層なもんでもないしな」
「沈んでる理由は訊いてあげないの?」
「聞いて欲しけりゃ言うだろ。俺に遠慮する藤ねえじゃないし」
「まったく。あんた達ってば、判りやすいんだか判り辛いんだか」

 凛はやれやれとかぶりを振り手を繋いできた。
 思わず顔を見た俺に対し、凛は拗ねたように睨み返す。

「なによ。嫌?」
「そんな事はない。そんな事はないんだが――」
「わたしには判りやすく優しくしなさい。
 ――心配しなくても人目につくところじゃ離してあげるわよ」


‡    ‡    ‡    ‡    ‡    ‡



「先生、人参やかぼちゃは均一の厚みに切らないと火の通り方がまちまちに――」
「うん」
「あああ刃の下に指を置かないでください!」
「うん」
「先生! さっき先輩に喚いてた威勢はどこへいったんですか?」
「うん」

 生返事を繰り返す藤村先生から包丁を取り上げるのは、わたしよりアルトリアさんの方が早かった。
 藤村先生を押し退け、慎重にかぼちゃを刻んでゆく。

「そうです。無理にはやく刻もうとしなくていいです。慣れれば自然とスピードは上がりますから」
「すごいねーアルトリアちゃん。もういつでもお嫁さんにいけるねー」
「タイガ。真面目にやらないなら、食材にも教えてくれる桜にも失礼だ」

 睨み付けるアルトリアさんに対し、藤村先生は微笑んでみせた。

「一生懸命やってるよぅ。わたしが料理くらい出来るようにならないと、士郎は安心して家を空けられないもんね」
「そう思っていながら料理に身が入らないって事は、要するに先輩がここから居なくなる事を認めたくないからですよね」
「やっぱりそうなのかなぁ。……だとしたらわたし、もう士郎のおねえちゃん失格だね」

 その寂しげな笑みに、無性に腹が立った。

「それじゃ、先生は先輩の何なんですか」
「何でもないね。ただの担任教師。だから、もうこの家に居る資格もないね」
「やめてください。先生と先輩の絆を否定するような事を言うのはやめてください。
 わたし、昔から先輩のそばに居た先生がすごく羨ましくて妬ましくて、悔しかった。
 でも、藤村先生はもう先輩の心の一部なんです。それを否定するのは、先輩の人格を否定するのと同じです」

 思わず力が入ったわたしの右腕を見て、先生は目を伏せる。

「殴っていいんだよ。桜ちゃんにはその資格があると思う」

 なんだか、いつかの自分の焼き直しを見せられているよう。

「嫌です。叱られたがってるマゾヒストをぶってもお仕置きにならないじゃないですか。
 ……どうして? どうして自分を否定するんですか?
 先輩のこと愛してるって言ったじゃないですか」
「士郎を自分のものにするより、士郎の幸せを願う、なんてえらそうな事言ったのにね。その自信、なくなちゃった。ごめんね。だから、わたしはもうおねえちゃん失格なんだよ」
「そんな勝手な事言わないでください。自分からおねえちゃんになっておいて、今さらやめるなんて出来ないんですよ。先輩を傷付けるような事、わたし絶対許しません!」
「ねぇ、それじゃ教えてよ桜ちゃん。わたし、どうすればいいのかな?」

 いつも迷いなく、頼もしくも強引に我が道を歩んでいた藤村先生にすがるように見詰められ、わたしは裏切られたような不安と不快を覚えた。

「やりたいようにやれって、先生も姉さんも言ったじゃありませんか。
 先輩を手放すのが惜しくなったんでしょう? だったらまた前みたいに駄々こねたらどうですか。みっともなくなりふり構わず縋りつけばいいでしょう?」
「それは駄目だよ。わたしがこれ以上、士郎の足を引っ張っちゃ駄目だよ」
「あー、大変盛り上がっているところ恐縮ですが、タイガ」

 冷ややかな声に目を向けると、アルトリアさんが呆れ顔で時計を指差していた。

「もう行かないと時間が無いのでは?」

 確かに、先生はそろそろ出かけないと厳しい時間になっていた。

「お弁当はわたしが作っていきますから、お昼に道場に来てください」
「……うん。ごめんね、桜ちゃん」
「待ちなさい、タイガ」

 うなだれて台所を後にしようとする藤村先生を、アルトリアさんが険しい顔で呼び止める。

「誰かをいつまでも一方的に護ろうとするのは傲慢だ。
 私はそれを、シロウやリンに教えてもらったと思う。
 シロウはもう、あなたが思うよりずっと強い。
 それにきょうだいというものは、互いに支えあう家族ではないのですか?
 もっとあなたのシロウを信頼して欲しい。
 心が折れそうなときはシロウに頼ればいい。
 それが重荷になってシロウが倒れそうになっても私が――私たちがシロウを支える」

 先生はその言葉に、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう。士郎は幸せ者だね。
 もう、おねえちゃん役はアルちゃんの方がふさわしいかな」
「タイガ!」

 そしてもう振り向かず駆け出て行った。
 見送ったアルトリアさんがやれやれと溜め息をつく。

「まったく。タイガも子供だ。
 ……しかしシロウの朴念仁にも困ったものだ。殴ってやりたい」
「そう言わないでください。ときどき腹も立ちますけど、あれで如才無い人だったらわたしたちきっと、見向きもしてませんよ。
 あ、冷蔵庫から挽き肉を出してもらえますか?」
「挽き肉? 弁当のおかずは塩鮭ではなかったのですか?」
「先生に焼かせるならそのつもりでしたけど、ハンバーグ作ってあげましょう。肉類を食べて血液を酸性にして少し攻撃的になってもらった方が、普段の調子に戻ってくれそうですし」
「タイガは肉食動物ですか」
「アルトリアさんもハンバーグ好きでしょう?
 世界中の人が日本人並みに肉食したら、養える人口は半減しちゃうらしいですけどね」
「サクラ。本気で菜食主義者になれというのでなければ、そういう話は控えていただきたい……。
 罪悪感は食事を味気なくしてしまう」

 アルトリアさんが深刻な表情で眉間にしわを寄せうつむいたのを見て、わたしは自分の軽口を後悔した。

「ごめんなさい。せっかくのお肉ですもの、ありがたく美味しく頂かなくちゃいけませんよね」


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 開店直後のスーパーマーケットはまだ買い物客も少なく、二人きりでの買い物はちょっとしたデート気分だった。凛も機嫌が良い。
 買い物内容は凄まじかったが。主に量が。

「本当は食料品は、夕方の割引が始まってから買いたいところだったけどなぁ」
「こんな時くらいケチくさいコト言いなさんな。あ、そこの 青梗菜(チンゲンサイ)取って」

 食べる人数は普段と変わらないのに、何故これほど食材の量が増えるのか。
 もちろん、食欲魔人どもが宴会の勢いで通常比二倍くらい食べそうな事も計算し、不足するよりは余裕を持って翌日に持ち越すつもりで買っているわけだが。
 もともとエンゲル係数が高い我が家計をかんがみると、実に恐ろしい。

「ねぇ、ミートローフ用の挽き肉はビーフとポーク、どっちがいい? それとも合い挽き?」
「待て。肉類はスーパーより肉屋がいい。まとめ買いなら値引き交渉が出来る」
「頼もしい主夫っぷりね。いいお婿さんになれるわよ」
「じゃあ、一生面倒見てくれるか?」
「……ふん。生意気言うようになったわね。複数年契約にも限度があるわ。役立たずになったら即座に戦力外通告よ」

 久々に紅い悪魔を赤面させる事に成功し、俺も気分がいい。
 段ボール箱に詰めた食材をカートにくくり付け、さらに手にもかさばる物をぶら下げ家路に着く。
 普段と同じ商店街での買い物だが、隣に凛が居る事と、普段よりちょっと張り込んだ宴会の支度というだけで、わくわくするのは否めない。
 藤ねえに催促される前に、俺の方から誘ってやればよかったと、少しだけ後悔した。

 帰路の上り坂で重力との闘争に打ち勝ち我が家へ辿り着くと、ちょうど桜が出かけるところだった。

「あれ、もう行くのか?」
「はい。兄さんのお昼の支度をして来ませんでしたし、藤村先生のお弁当も届けなくちゃいけませんから」
「なに? あれだけ言って結局自分で作らなかったのかあの駄目生物は」
「先生を怒らないでください。わたしがもたもたしていたのが悪いんです」
「そんなわけあるか。すまんな本当に、馬鹿姉が手間ばっかり掛けさせて」
「そんなふうに言わないでください。先生もお悩みのようですし、先輩だけは優しくしてあげてください」

 むう。今日に限ってみんな、なぜか藤ねえの肩をもつな。

「タイガがああなったのはシロウの責任だ。サクラが気に病む必要はありません」

 アルトリアの視線が冷ややかだ。
 ま、確かに。
 甘やかすのは本人の為にならん、とはいうものの、俺が一番、今まで藤ねえを甘やかしてしまった責任は感じている。

「うん。藤ねえの不始末は俺の不始末だ。今度よく言って聞かせるから勘弁してくれ。
 ああ、桜。藤ねえに伝言頼めるか。帰りに藤村の家から重箱借りてきてくれって」
「はい」

 桜を見送ってから、アルトリアが作ってくれた昼飯をいただいた。
 豆腐とわかめの味噌汁、塩鮭、野菜炒め。シンプルだが、どれも桜の繊細さとアルトリアの実直さが感じられる。


 食後は一服してから魔術講義――のはずが、凛も俺もなんとなくうわついたままで、結局あきらめて料理談義になってしまった。

「中華料理って言えば、『女子十二楽坊』の人たちって最初来日した頃、料理に馴染めなくって何にでも豆板醤かけてたんだってな」
「なんか、それはそれで中華に対する冒涜って感じもするわね。豆板醤かければ中華風味? 食べなれないものを調味料だけで誤魔化そうったって、かえって不味くなりそうだけど」
「ま、そう言うな。俺たち日本人も海外行ったら醤油に頼る事になるのかもしれないぞ。
 そうそう、調味料って言えば、ナンプラーとか使ったことあるか?」
「タイ料理のあれ? 自分で使ったことはないわね。っていうか、エスニック系の料理ってあんまり食べた事ないわ。どこかいい店知ってる?」
「いや、俺もあんまり。今度探して食いに行ってみるか」



 腹がこなれた頃、道場で稽古。
 アルトリアは俺たちとは逆に気迫が充実しており、俺は道場の床を背中で磨く以外何もさせてもらえなかった。

「視野を広くもちなさい、シロウ。一点を見据えず、全体を観るのです」

 魔力は必要最小限に抑え、普通の人間並みの筋力とスピードで相手してくれているというのに、どうしてこれほど小柄な師匠の体当たりであっさり吹っ飛んでしまうのか。

「技を変化させるのと惑うのは違う。もっと強い意志を持ちなさい」

 渾身の打ち込みがあっさり捌かれ、床に蹴り転がされる。

「シロウ、あなたにはまだ相手に合わせる技量など無い。おのれに出来る事を一心に成すのです」

 まるで人生の訓示だ。



 夕方、桜たちが帰って来るであろう少し前から料理を始める。
 その前に、汗まみれで料理もなんだろうと思い、風呂を沸かした。
 ――失敗だったかもしれない。
 どうしてこう、石鹸の匂いと上気した肌という組み合わせはこれほど色っぽいのか。
 湯上り三割り増し。
 その凛とアルトリアと一緒に料理をするというのは、ある種苦行に近い。
 一度に大量の料理をこなすとなると、台所は一般家庭並である我が家では非常に手狭になる。

「士郎、まな板はそっちで使ってよ」
「そっちって言ってもなぁ」
「リン、これはどこへ置けば?」

 なにかと彼女らの肩や手や背中が触れるたび過剰に反応してしまう俺は、人並み以上に煩悩が詰まっているのだろうか?
 色即是空。空即是色。
 料理に集中しよう。
 肉類はアルトリアを手元に使って凛が担当。俺は野菜の煮物やおひたし、卵関係に取り掛かる。



「た〜だ〜い〜ま〜。おーい、士郎、荷物取りに来てぇ」

 藤ねえの声に玄関まで迎えに出ると、顔が見えないほど沢山の重箱を抱えた藤ねえが引き戸も開けられず立ち往生していた。

「うわ、一人でこんなに持ってきたのか?」
「そうよぅ。あんまりウチの人間使うと、士郎怒るんだもん。あ〜疲れた」
「ああ、必要以上に人に頼るのは良くないからな。自分でがんばったんだな。えらいえらい」

 重箱を受け取って玄関先に降ろし、へたり込んだ藤ねえの頭を撫でてやる。

「えへへぇ〜、って、おねえちゃんを子ども扱いすんなぁ――!」
「いや子供だし。よく考えてくれ。これ、一人当たり二段づつくらいあるぞ。いくらなんでも多過ぎだろ」
「だっていくつ要るとか聞いてなかったもん。足りないよりは多い方がいいかなって」
「考えろ、自分の頭で。それでも判らなかったら電話で訊け」
「ちゃんと説明しなかった士郎が悪いでしょ。不慣れな事させといてあんまり叱っちゃかわいそうよ」

 俺が凛に怒られた。

「先生、出来上がった料理から重箱に詰めるの、手伝ってもらえますか?」
「は〜い」

 料理の匂いを嗅いだ藤ねえは、えらく従順だ。

「タイガ! 自分のおなかではなく重箱に詰めてください」
「ちょっとぐらいいいじゃない。おなか減っちゃったよぅ」

 ――そうでもないか。

「御免。衛宮、なにか手伝える事はあるか?」
「おう一成か、早かったな。とりあえず藤ねえたちが盛り付けしてるから監督してやってくれ」
「うむ。役に立たんで済まんな。実は花見と聞いて家の親父殿から般若湯を持たされたのだが……藤村先生は呑まれるのか?」

 一成が下げてきた風呂敷包みを開けると、日本酒の一升瓶。
 目ざとく見とがめた藤ねえが歓声を上げる。

「お酒? うわぁ、柳洞くん、でかしたのだ!」
「呑むのかよ藤ねえ」
「士郎にお酒頼むの忘れてたから、行きがけ買いに寄らなくちゃと思ってたよ」
「酒なんか呑んでるの見た覚えが無いぞ」
「普段はお爺様が呑ませてくれないんだもん」
「――って事は酒癖悪いんじゃないのか?」
「失礼ね。全然変わらないわよ。『お前の呑み方は陰気臭くていかん』って言われるくらい大人しいんだから」
「藤ねえが大人しくなるんだったらえらい変わりようだろ」
「……どういう意味よ、士郎」
「なにも花見だからって無理に飲まなくてもいいじゃないか」
「シロウ、固い事は言わなくても良いでしょう。宴に酒は付き物だ。それに、私も少し呑んでみたい」
「いやしかし、セイバーさん。残念ながら日本では未成年の飲酒は禁じられておるのですが」

 酒を持ち込んだ一成は、責任を感じたらしく釘を刺す。

「はい、問題ありません」
「……いや、未成年とは二十歳未満の事を言いまして」
「ですから問題ありません」

 混乱し首を傾げる一成。無理もない。

「こう見えて彼女は俺たちよりお姉さんなんだ。具体的に何歳かは聞くな」
「まぎらわしいほど子供っぽくて申し訳ありません」
「あ、いや、決してそのような。失礼申し上げました」

 少し拗ねてみせるアルトリアをなだめているうちに、桜が息を切らせてやって来た。

「すみません、遅くなりました」
「なにも走って来なくても」
「あの、まだわたしのお仕事なにか残しててもらえましたか?」
「ん。それじゃ、いわしのマリネ作ってくれるか。今、場所開けるから」

 茹で上げたニラを持って盛り付けに回ろうとすると、凛に取り上げられた。

「わたしももう終わったから、あんたが桜に付き合ってあげなさい」
「つまり洗い物をしておけと」
「判ってるじゃない」
「すみません先輩。ろくにお手伝いしませんで」
「なに言ってるんだ。ところで、慎二はやっぱり駄目か?」
「はい。でも皆さんによろしくと」

 俺は脂が固まった鍋やフライパンを洗い、桜がいわしをさばいていると、最後に美綴が来た。

「悪い悪い、遅くなった。それにしても、昨日のうちに言ってくれれば、あたしも何か作ってきたのに」
「それはお前んとこの顧問に言ってくれ――って美綴?」

 美綴はいつものジーンズではなく、藍染めの作務衣に身を包んでいた。
 奇しくも今日の一成と色までお揃いだ。

「どうだ、似合うだろ?」

 二人の事情をある程度知る俺と桜は顔を見合わせた。

「なんだかえらい積極的というか、攻撃的だな」
「はい。ちょっとびっくりです」

 一成は黙り込み、凛は眉間にしわを寄せ二人を交互に見詰めている。
 ともあれ、一成も美綴もいい奴だから、仲良くなってくれるのは嬉しい限りだ。ついでに美綴が緩衝材になって一成と凛の衝突も穏やかになってくれれば言う事は無いが、勝手にそんな事を望んでもお門違いというものだろう。

「先輩、マリネの味付けはこのくらいでどうですか?」
「どれ――うん、いいんじゃないか。よし、じゃあこれも盛り付けて終わりにしよう」
「桜の花、まだ残ってるといいですね」
「そうだな。ま、どうせみんな花よりなんとやらだし。桜が散ってたら、俺はこっちの桜を眺めてるからいいよ」

 ちょっとからかってみると、思い切り手の甲をつねられた。

「先輩。嬉しいですけど、あんまりお世辞が巧くなられてもなんだか嫌です」



 重箱を風呂敷に包み、手分けして持って行軍開始。
 つまみ食いして燃料補給した藤ねえが酒瓶を抱え意気揚々と露払い。アルトリアが時折その襟首を握っていさめる。
 その後ろで一成と美綴の作務衣姿が並び、雪駄とサンダルの履き方に関し議論を交わしている。
 それを眺めながら、凛が納得いかなげに眉をひそめている。

「なんだか意外な取り合わせって感じがするわ」
「一成と美綴か? 俺は結構巧くかみ合うんじゃないかと思うんだが」
「わたしもお似合いだと思います。主将が突然あんなに積極的になるのは意外でしたけど」
「武道家同士、話してみると結構気があったんじゃないのか?」
「はぁ? 柳洞くん、なんかやってるの?」
「葛木に師事してたらしいぞ」

 殺人芸術といえる寡黙で凄まじい男を思い出し、凛の眉間にしわが寄る。

「一成を睨むなよ。あいつはただの生徒会長で寺の息子だ」

 凛は追憶を振り払うようにかぶりを振った。

「藤村先生とアルトリアの仲がいいのもその線かしら。もっと喧嘩するかと思ったけど」
「っていうより、結構世話焼き気質なんじゃないのか、アルトリアは」
「そうですね。結構お説教好きみたいです」
「あー。藤村先生ってマゾッ気あるしね」
「……酷い言い様だな」
「だっていつも叱られて喜んでるとしか思えないわよ」

 あながち否定しきれないところが、弟分として情けない。



 公園に着くと、ちょうど街灯が灯り始めた。
 桜の真下は毛虫が落ちてくるから嫌だという意見が大勢を占めた為、桜並木を外から望む位置に陣取った。
 ま、桜は結構点在して植えられているので、車座になってもどこかしら視界の中に桜は入るからよしとする。
 幸い、まだまだ花見と称して嘘は無い程度に花は残ってくれていた。
 公園内では火気厳禁の為、残念ながらお茶は野点とはゆかずペットボトルから。
 いきなり紙コップになみなみと清酒を注いでいる藤ねえとアルトリアにも、緑茶を渡す。

「おい。いきなり空きっ腹に酒は止めとけって。少しは食ってからにしろよ」
「士郎ってばうるさいなあ。お茶で乾杯って締まらないじゃない」

 ぶつくさ言いながらもコップを持ち替え、藤ねえが乾杯の音頭を取った。

「それじゃ、今年も綺麗なソメイヨシノを愛でる事が出来る幸せに感謝して、また来年みんなでお花見に来られる事を祈って、かんぱーい!」
『かんぱーい』

 わざわざソメイヨシノと言ったり来年の事に言及したりする辺り、微妙な牽制具合である。
 だが、そうだ。今から一年後の事を考えても仕方ないが、来年倫敦へ立つ前にもう一度花見に来よう。
 俺も凛も桜も、複雑な思いをお茶と一緒に飲み込んだ。

 さすがに野外の開放感とソメイヨシノの癒し効果か、普段の食卓よりまったりしたペースで料理がつつかれて行く。

「そっちの麻婆春雨取ってくれ」
「うむ。かわりにそちらのいわしを頼む」
「あ、あたしにも頂戴」

 あらん限りのレパートリーを尽くした重箱が広がっている為お互いに料理を廻し合っているのも、普段の奪い合いじみたがっつき方を抑止している。第一、おいそれと食べ尽くせないだけ量もある。
 なにより食欲魔人本命二人が、今日は酒を呑みながらのんびりペースだ。

「とてもよい香りだ。この酒は何から作られたのですか?」
「お米で作った、わが国自慢のお酒なのだ」

 ここ最近の夕食と同じ顔触れなのだが、やはり雰囲気がまったく違う。
 静かに眺める桜もいいが、賑やかに飲み食いしながらふと見上げる桜も悪くない。

「藤ねえ。誘ってくれてありがとな」

 素直な気持ちで礼を言った俺に、藤ねえは笑みを引っ込め、コップの中を見詰めた。

「士郎こそありがと。一生懸命用意してくれて。いつもわたしが何かお願いすると、なんだかんだ言いながら絶対叶えてくれるもんね。ごめんね、わがままばっかり言って」

 ……困った。
 当然『士郎ってば気が利かないんだから。言われる前に企画しなさい』なんて答えが返ってくると思っていた。

「なんか変だぞ藤ねえ。熱でもあるのか?」
「うるさい。お酒呑んでるんだから熱くなってるに決まってるでしょ」

 俺が額に当てた手を払い除け、代わりに一升瓶を突きつけてきた。

「士郎も呑め」
「教師が飲酒を勧めるな」
「あにおぅ? 士郎はおねえちゃんの言うことなんでも聞いてくれるんじゃなかったのかよぅ」
「……もう酔ってるのか? やっぱり酒癖悪いんじゃないか」
「やかましい! 自分だけしらふでいい子ぶってんじゃないわよ」
「酔ってんのは藤ねえだけだ」
「だったら士郎も酔っ払え」
「断る」
「おねえちゃんの酒が呑めねぇのかゴルァ!」
「呑めねぇよ。藤ねえこそ俺のお茶を飲みやがれ」

 酒瓶を取り上げ緑茶を注いだ紙コップを口許に突きつけてやると、藤ねえは俺の手ごと両手でつかんで一気に飲み干した。

「……ごめんね」
「は?」
「ごめんね、士郎。わがままばっかり言ってごめんね。わたし、士郎に怒られてばっかりでだめだめのおねえちゃんでごめんね」

 うつむいていきなり謝り始める。
 ――俺はどうすればいいんだ?

「あ〜もぅ。確かに陰気臭い酒だわね」

 凛は藤ねえを羽交い締めにして俺から引き剥がしてくれた。

「お酒ならわたしとアルトリアが付き合ってあげますから」

 酒瓶を持って、アルトリアと酌み交わす。

「いや、お前も呑んじゃ駄目だろ」
「固いこと言いなさんな」
「お前たちまで虎にならんでくれよ」
「誰が虎か――!」

 我に返ったように喚く藤ねえに、手近な重箱から料理を皿にとって渡す。

「酒もいいが、せっかく作った料理をちゃんと食ってくれよ」
「うん。うん。士郎のお料理は美味しいよぅ」
「それ、わたしが作ったやつなんだけど」

 凛の突っ込みに一瞬止まった藤ねえは、猛然とがっつき始めた。

「みんな美味しいよぅ。全部食べてやるぅ」
「ちゃんと噛んで食えよ」
「おいひぃおぅ。おいひぃよぅ」

 今度は泣きながら食ってやがる。

「タイガ。食べ物を頬張ったままものを申すな。そこに直れ」

 横槍を入れる元王様。もしかしてこっちも酔ってる?

「前々から一言申し上げたかったが、あなたの食べ方は品性に欠ける」
「ふーんだ。美味しいものはおいしそうに食べるのが一番だもんね」

 刺すような視線を意に介さず、藤ねえは手近な重箱を直接抱えて食べる。

「なッ!? 私の鶏肉を勝手に独り占めするでない!」
「アルちゃんは士郎のお料理よりお酒の方がいいんでしょ?」
「馬鹿な。肉料理は大半がリンの手によるものだ。では私はこちらを。――シロウ、これは何ですか?」
「ん? おからとひじきのあえ物だけど」
「不思議な食感だ。とても美味しい」

 例のコクコクはむはむが始まった。崩れやすいおからも器用にすくっている。箸使いがますます上手くなったな。

「あー、ずるい〜」
「シロウの料理はタイガにはもったいない」
「子供かお前らは。量は充分あるんだから、まんべんなく食べてくれ」

 結局、普段よりやかましくなってしまった。

「いやぁ、あいかわらず凄まじいな。おい遠坂、あたしらにも注いでくれよ」
「駄目だ。酔って帰したんでは親御さんに申し訳が立たん」
「あら柳洞くん。もうご両親の点数稼ぎ? 意外と手が早いのね」
「馬鹿な事言っとらんで貴様も酒瓶を離せ。優等生が聞いて呆れるわ」
「わたしは士郎に送ってもらうからいいもーん。いざとなったら士郎の家に泊めてもらっちゃうしぃ」
「その辺にしとけ」

 一成にからみ始めた凛の肩に手を掛けると、これ見よがしにすがり付いてきた。

「ねー。わたしがつぶれても士郎がお姫様抱っこで連れて帰ってくれるもんね?」
「馬鹿。そうなったらタクシー呼んで放り込んでやる」
「なによいじわる。もっと優しくしなさいよ」

 逆効果だった。しっかり首に抱き着いてきやがる。気持ちいいぞこら。

「お前、本当は酔ってないだろ?」
「酔ってるわよ。じゃなきゃアンタにベタベタ甘えたりするわけ無いじゃない。自惚れるな馬鹿」

 一成は苦悩の、美綴は面白くてたまらないという表情で見ていやがる。

「済まぬ、衛宮。俺が至らぬばかりに」
「そう言うな。身体壊すほど呑まなきゃ、酒にかこつけて羽目外すのもたまにはいいだろ」
「士郎。膝枕して」
「遠坂! たいがいにせんか!」
「まあまあ。柳洞、あたしの膝貸してあげようか?」
「していらん! 節度をわきまえろ」

 酒瓶を抱えたまま俺の膝を占拠した凛の髪がもつれぬように梳いてやっていると視線を感じ、顔を上げると黙々と箸を動かす桜と目が合った。

「すまん桜、俺にも少し取ってくれるか?」
「お断りします」
「は?」
「取って差し上げるのはいいんですが、姉さんの頭の上に料理をひっくり返さない自信がありません」
「桜。もしかして怒ってる?」
「いいえ。ただ、酔っ払いはみっともないと思っただけです」
「やきもちはもっとみっともないぞー」
「やめてくれ二人とも」

 天を仰ぐと、夜風に舞う花弁が街灯に浮かび、幻想的な帯を作っていた。



 俺が脚の痺れに耐えかね凛を退かした頃には、予想以上に料理が片付いていた。みんな普段の五割増しくらいは食べたようで、満足げに腹をさすっている。

「胃腸薬がいるならここにあるぞ」
「さすが衛宮、気が利くな」

 俺も最後に日持ちに問題がありそうなものをやっつける。
 桜の花弁のトッピングごと、食べた。

「この温野菜サラダ、桜だよな。いつの間に作ったんだ?」
「いわしをさばいてる間に茹でました」
「美味いぞ。手が早くなったな」
「先輩にはとてもかないません」

 ――どことなく棘を感じるのは何故だろう?

「それじゃ、そろそろ片付けるぞ」

 半端に残っている重箱を適当に詰めなおす。
 持って来る時あれほど重かった重箱が驚くほど軽い。あれだけの目方がみんなの腹におさまったのか。恐るべし。



 これだけ大勢で一緒に帰路に着くと、宴の後の寂しさも適当に紛れ心地好い。
 一升瓶は半分以上減っていたが、幸い呑んだ連中――結局アルトリアと藤ねえ、凛の三人だけだから、結構な量をきこしめしている――の足取りもしっかりしている。

「衛宮。これだけの段取りはさぞ大変だったであろう。礼を言う」
「いや、準備も楽しんでたし、気にしないでくれ」
「まったく、お前のような人物ほど仏門に入って欲しいのだが。遠坂なんぞに預けるのは惜しい。実に惜しい」

 そんな大層なもんじゃないんだが、本当に。

「俺はただ、自分の了見の狭さに気付いて、もっと色々見たり知ったりしてみなくちゃいけないと思っただけだよ」

 もちろん、惚れた弱みも大きい。

「その心掛けは立派だが、いかな智慧を得ようとも衆生に帰さねば意味を成さぬ事を忘れるな。外へ出て行くのも良いが、必ず帰れ」



 美綴を送って行く一成と別れ、我が家へ無事帰還。
 玄関先に荷物を降ろすと足の踏み場も無い。

「荷持ちさせてすまんな。お疲れさん」
「ついでに洗い物手伝ってくわよ」
「いや、重箱だけなら大した事無いから大丈夫。凛とアルトリアは桜を送って一緒に帰ってやってくれ」
「そう? ま、今日は良く働いたし、朝のおかずは今日の残り物で充分足りるでしょうから、士郎もゆっくり寝ときなさい。明日は今日の分までしごくからね」
「お手柔らかに頼むよ」

 凛たちを見送ってから、藤ねえの姿が見当たらないのに気付いた。
 見回すと玄関に靴がある。

「藤ねえ?」

 だが姿が見当たらない。
 トイレにでも行ったかと深く考えず残り物を冷蔵庫にしまったりしていると、いつの間にか居間でお茶を淹れていやがった。

「ほら士郎。座って一服しなよ」

 つくづくマイペースだな。
 だが熱いお茶はありがたかった。美味い。

「ずいぶん食ってたけど腹は大丈夫か? 胃腸薬飲んだか?」
「そんなヤワなお腹はしてないよぅ。士郎のご飯だったらいくらでも食べられるのだ」
「威張るような事じゃないだろ。 聖なる胃袋(セント・ストマック) と呼んで欲しいのか?」
「かっこいいんだか悪いんだか微妙だよぅ」

 いや、確実に格好悪いって。

「じゃあ、一人で帰れるな?」
「もう帰るの面倒だから泊めてよぅ。今、お風呂沸かしてるし」
「泊まるって、着替えとかは?」
「お泊りセットは常備してあるもん」

 我が家は着実に侵食されつつあるようだ。
 藤ねえがちらりと時計に目をやり立ち上がる。

「先にお風呂もらっていいかな?」
「大丈夫か? もう酔いはさめたのか?」
「帰り道歩いたから肝臓がイイ感じで仕事してるもん」
「風呂場で倒れないでくれよな」
「心配だったら一緒に入ってくれる?」
「馬鹿。さっさと行け」

 ゴミを捨てたり重箱を洗ったりはあっさり終わってしまい、和室に藤ねえの布団を敷いてやってから所在無くテレビのニュースを眺める。
 あいかわらず世界のどこかでは紛争やテロが絶えず、しかし日本は平和らしい。アザラシがどこの川に現れようが好きにさせてやれよ。――中華料理の食材にもなるエチゼンクラゲって一体最大二百キロにもなるのか。相撲取りより重いクラゲって怖いな。こんなのがたくさん網に掛かっちゃ漁師も大変だ。やっぱり生きて食っていくって、たゆまぬ闘争なんだな。
 ――藤ねえ、遅いな。
 時計を確認すると四十分以上経っている。本当に様子見に行かなくちゃならんかと腰を浮かせかけた時、ようやく出てきやがった。
 いつもと同じ虎縞のロングTシャツに、下は黒のスウェットだ。

「溺れてるかと思ったぞ。普段はそんな長湯じゃないくせに」
「だったらなんで見に来てくれないのよぅ」
「行けるか馬鹿。布団敷いといたからさっさと寝ろ」

 自分でも良く判らない苛立ちを覚え、浴室へ向かった。
 風呂は藤ねえの好みでえらく熱い。慎重に腰まで浸かり、半身浴で一汗流す。
 冷水を脚に掛けて上がると、さらに火照って目が冴えた。寝る前に入る風呂じゃないな。
 土蔵にこもろうかと思ったが、まだ居間で藤ねえがテレビを見ながらお茶を飲んでいた。

「まだ寝ないのか」
「寝るには早いよ」

 隣に座った俺の分のお茶を淹れてくれる藤ねえの手つきが少しおかしい。

「震えてるじゃないか。大丈夫か?」

 俺の前に湯呑みを置いた手を握ると、藤ねえは溜息をついてテレビを消した。

「士郎。ちょっといい?」
「お、おう」

 舌を火傷しそうに熱いお茶をテーブルに戻し、藤ねえに向き直る。
 藤ねえも姿勢を正して正座。
 鳶色の眼で真っ直ぐ見詰めてから、頭を下げられた。

「士郎。ごめん。ごめんなさい」
「ちょっと待ってくれ。いきなりそれじゃわけが判らん。理由も無しに謝っても謝罪にならんぞ」
「うん。わたし、これからきっと、士郎を困らせる。すごく困らせる事を言う。だから先に謝っておく。ごめんなさい」
「なんだよいまさら。藤ねえが俺を困らせるなんていつもの事だろ」

 平静を装うが、ただならぬ雰囲気に不安が果てしなく広がる。
 藤ねえの心拍が上がり、呼吸が乱れるのが離れていても判った。

「口にしちゃいけないと思ってた。少なくとも、士郎がロンドンに行って、また帰って来るまでは、わたしの胸のうちにしまっておくつもりだった。でも、もう駄目みたい。ごめんなさい」

 駄目だ。
 そんな辛そうな顔をさせちゃ駄目だ。
 誰だ、俺の藤ねえに辛い思いをさせる奴は。

「よせよ。なんで謝るんだよ。俺を庇って藤ねえが辛い思いするなんて、そっちの方が嫌だ。なんで俺に遠慮なんかするんだよ」
「うん。ありがとう。あのね――」

 藤ねえは目を伏せて深呼吸し、改めて俺の目を真っ直ぐに捉えて言った。

「わたし、士郎が好き」

 一瞬、心臓が止まった。
 好き。
 たったそれだけの、何の変哲も無い言葉。
 だが決意を込められた『好き』は、今まで何度となく言われたそれとは違う。

「女として好き。男の士郎が好き」

 硬直した俺の頭を、藤ねえは優しく撫でた。

「ほら、やっぱり困ったでしょう。ごめんね。
 でもね、士郎が悩む事ないんだよ。
 わたしね、士郎を愛してる。愛してるから、士郎を自分のものにするより、士郎自身に幸せになって欲しい。
 だから、士郎を幸せにしてくれる人なら邪魔しない。凛ちゃんや他の誰と付き合っても、結婚しちゃってもかまわない。
 別にわたしが士郎の一番じゃなくてもいいの。二番目でも三番目でもいい。それでもわたし、士郎が好き。士郎のことを好きになってくれた凛ちゃんや桜ちゃんもまとめて、みんな好き。
 ただね、凛ちゃんや桜ちゃんを見てたらうらやましくて、自分の気持ちをしまっておくのがつらくなちゃったんだ」

 藤ねえはもう一度俺の頭を乱暴に撫でて立ち上がった。

「言うだけ言ったらすっきりしたわ。あんまり気にしないで。わたしの一方的な気持ちだから。押し付けちゃってごめんね。おやすみ」
「待てよ」

 立ち去ろうとする藤ねえの手を思わずつかんだ。

「全然すっきりしてないだろ。なんでそんなに辛そうなんだよ」
「……ばか。ばか士郎。なんで余計な事するのよ、この朴念仁」

 すとんと力を抜いて腰を落とした藤ねえは、俺の鎖骨にぐりぐりと額を押し付けてきた。

「せっかく一生懸命我慢してたのに。もう許さないわよ馬鹿。責任取れ」
「だから、なにを、なんで我慢するんだよ。俺に遠慮なんかしないでくれよ」
「じゃあ、じゃあね、士郎」

 藤ねえは潤んだ眼で俺を見上げ、はっきりと言った。

「わたしを抱いて」

 確かにそう言った。
 だが。

「待て。
 ……すまんが、それは出来ない。俺にはそんな資格は無い」
「凛ちゃんがいるから?」
「そうだ。俺は凛が好きだ。あいつを裏切る事は出来ない」

 藤ねえは俺の肩に手を置き、耳元に口を寄せてきた。

「ねえ。士郎が凛ちゃんを大事にするのと、わたしを抱いてくれるのって、矛盾するのかな?」
「駄目だろ。それは」
「どうして? そんなの、ただの社会的な慣例じゃないかな。わたしを抱いたら、凛ちゃんへの思いは薄れちゃうの? 本当に士郎の思いが強ければ、そんなの関係ないんじゃないかな」
「それじゃ、藤ねえはどうなるんだよ」
「だから、まとめて愛して。士郎が本当に愛してくれるなら、誰か一人だけに絞って、他を切り捨てる必要は無いと思う。
 ……ま、それで納得させるだけの器量が士郎になければ、みんなに愛想尽かされちゃうけどね」

 俺の首に藤ねえの腕が巻きつき、大きくはないが弾力のある乳房が胸板でつぶれる。

「やきもち焼いちゃいけないって思ってたけど、わたしそれほど悟れてなかったよ。独り占めしようとは思わないけど、やっぱりわたしの事もかまって欲しい。ねえ、苦しいよ。もう頭が変になりそう。助けてよぅ」

 首筋に滴る涙が熱い。

「身体に士郎を刻んでくれれば、きっと士郎が居ない間も耐えられる。抱いてもらったからって威張ったりしないよ。二人だけの秘密にするから。お願いだよぅ……」

 どうする。俺はどうすればいい?
 凛への操をつらぬく為、藤ねえを引き剥がすべきか。
 あるいは凛を愛するのと同じように、藤ねえも愛せるか。
 ――悩む事では無い筈だ。
 覚悟を決めろ、衛宮士郎。

「ごめんな、藤ねえ」

 びくりと震えた藤ねえの背中をしっかり抱き締める。

「独りで悩ませてごめんな。でも、俺は馬鹿で鈍感なんだから、言ってくれなくちゃ判らないよ。悩みがあったら独りで煮詰まる前に、ちゃんと遠慮しないで相談してくれよ」
「……士郎?」

 顔を上げた藤ねえの頬を伝う涙を、唇で吸い取ってやる。

「俺も藤ねえが好きだ。男として。女の藤ねえが」

 泣き腫らしてしまった眼を見詰めて言う。

「愛してるよ、タイ――」

 叩きつけるように乱暴な口付けで唇をふさがれた。

「痛いなおい。歯が当たったぞこの乱暴者」
「名前で呼んじゃ駄目って言ったでしょ。それともわたしのお婿さんになってくれる覚悟を決めたの?」
「まだこだわってるのかよ」

 今度は優しく、やわらかく唇が触れた。
 互いに探るように唇をついばむ。

「ね。続きはお布団でして」

 甘えた声に、脳髄がとろける。
 背中に回した左腕はそのまま、右腕を両脚の下に差し入れ、腰を据えて抱き上げた。

「ひゃっ!」

 和室の襖を足で開け、布団の上に降ろした藤ねえをそのまま押し倒す。

「やだ、怖いよ士郎」

 怯える藤ねえを離し、居間の灯りを落とす。

「やだ、暗いの怖いよぅ」

 和室に戻り灯りを点けると、藤ねえは縮こまって両手で顔を覆っていた。
 髪を撫でるとびくりと震える。

「やめるなら今のうちだぞ」
「士郎こそ」
「うるさい。もう決めた。藤ねえが好きだ。この気持ちに嘘はつけない」

 顔を覆う手を握って退かせ、ゆっくり、深く、唇を重ねる。

「んふぅ」

 舌先で唇の内側を撫でると、藤ねえの鼻息が口許をくすぐる。
 深く差し入れると、ざらりとした舌が絡まってきた。
 俺の舌を伝って流れ込んだ唾液を苦しげに飲み込んだところで一度開放してやる。

「どきどきするよぅ」

 俺の手を取り、胸に導く。
 その鼓動を感じるより、弾力に富んだ感触が俺の心臓に響いた。

「あのね。あのね、士郎。笑わないでね?」

 藤ねえの顔がみるみる朱に染まる。

「わたし、はじめてだから……うんと優しくしてね?」

 不安げに眉を八の字にする藤ねえ。
 少女のように愛らしい恥らいは、逆に嗜虐心を呼び覚ました。

「可愛いな藤ねえ」

 鼻の頭に軽くキスして肩をつかみ、藤ねえを腹這いにひっくり返し、背中に馬乗りになった。

「やッ? なにするのよぅ!? やだやだ、優しくしてくれなきゃいやだよぅ」
「大人しくしろ藤ねえ。力を抜け」

 半泣きで怯える藤ねえの耳朶を甘噛みし舐め上げると、ますます力が入るのが判る。
 力んだ背中から下へ向かって撫で下ろし、指先で探る。

「く、くすぐったいよぅ」
「力抜かないと痛いぞ」
「えっ?」

 探り当てたしこりに思い切り指を突き入れる。

「痛いいたたたたたたた! 痛い! いたいよぅ!」
「我慢しろ。すぐに楽になるから」
「痛ぁい! なんでそんなところ!」

 俺は藤ねえの苦痛の叫びを無視し、さらに力を込めて揉んだ。

「やめてよぅ。そんなのどこで覚えたのよぅ」
「本で読んだ」

 痛いいたいの連呼が止み大人しくなるまで、容赦なく指を動かす。

「足の裏揉まれて痛いって事はそれだけ疲労が溜まってるんだよ」

 ストレスや暴飲暴食からあちこち内臓にガタが来ているらしい。柔らかくてしかるべき足の裏のしこりを念入りに揉み解してやる。

「うぅ〜。なんでいきなり足裏マッサージなんだよぅ」
「緊張し過ぎて力入ってると気持ちよくならないだろ」

 そのまま掌で足首、ふくらはぎ、膝裏とマッサージしてから、スウェットパンツに手を掛け膝まで下ろす。

「ひぃやぅ!?」

 黄色いショーツに包まれた藤ねえの引き締まった尻は高く盛り上がり、しかしまろやかな曲線を描く。

「なんで脱がすの?」
「邪魔だからな」
「マッサージするのに?」
「いや、藤ねえの尻を見るのに」
「ば、ばかばか! 士郎のえっち!」

 必死にシャツの裾を引っ張って隠そうとするのがかえって扇情的だ。

「見ちゃいかんのか?」
「う、うぅ〜、はずかしいよぅ」

 かまわず太腿をマッサージしてから、内腿の感触を指先で楽しむ。

「なんだか手つきがいやらしいぃ」
「だって藤ねえの肌がすべすべで気持ちいいから」

 今度は唇で撫で上げ、ショーツに鼻面を埋めて脚の付け根に舌を這わせた。

「うにゃぁあああ」
「嫌か?」
「う、うぅぅ。は、はんたいの脚にもして……」

 藤ねえは全身の肌を羞恥に染めながらねだった。もちろんリクエストに応えてやり、ついでにショーツの上から尻の割れ目を指先でなぞる。

「ふ、ふにゃぁあああ」

 両の掌でそっと触れるように尻を撫で回す。引き締まった筋肉の上に女の脂がのった独特の感触を楽しんでから大臀筋をしっかり揉み解し、今度は肩に手を掛ける。
 脊椎の脇に沿って掌で押すと、がちがちに張っていた背筋が徐々にほぐれてゆく。

「うにゅ〜。きもちいい……」

 仕上げに肩と首筋を揉んでやると、藤ねえは陽だまりの猫のように脱力した。

「じゃあもう満足したか?」
「……士郎はそれでいいの?」
「いいや許さん」

 左肩を下に横向きにして背後から抱く。
 それだけで再び緊張する藤ねえが愛しい。

「なあ、遠慮するなよ? 藤ねえが嫌がることは絶対にしない。だから嫌な事されたらはっきり嫌って言え。逆に、して欲しい事も恥ずかしがらずに言ってくれ」
「そんな事いってもどうしていいのかわかんないよぅ。……士郎の好きなように、して」

 左肩越しに右の乳房を、右脇から差し入れた右手で左の乳房をそっと包み、たちまち火照り始めたうなじに唇を這わせる。

「はぅ。おっぱい大きくなくてごめんね」
「なに言ってるんだ。手応えあってすごく気持ちいいぞ。パッドとか入れてないんだな」
「だってそれじゃ士郎に押し付けても気持ちよくないもん」

 掌全体でふんわりと撫で回してから指先で乳首を探ると、腕の中で藤ねえが身悶えした。
 シャツの裾から手を入れ肋骨の上をなぞってさらに悶えさせてから、裾をまくり上げブラを剥き出しにする。こちらも黄色だ。
 左手でブラの上から丹念に乳首を刺激しながら、右手を内股へ差し入れ掌で太腿を、手首で股間を愛撫する。

「はきゅぅうう。
 ……ねぇ、士郎の顔が見たいよ」

 向きを変えるついでに膝まで下ろしていたスウェットパンツを脱がせてやった。

「わたしばっかり脱がせてずるいよ。士郎も脱げ」

 自分でズボンを脱ぎ捨てる間に藤ねえがシャツをまくってくる。
 胸板にキスされ撫でられて、思わず反応してしまう。

「あ。男の子でも気持ちいいんだ?」

 藤ねえがにやりと唇を歪め、乳首を舐めてくる。ざらりとした舌が心地好い。
 その背中に手を回し、ブラのホックを外した。
 再び藤ねえを仰向けに押し倒し、シャツから首を抜き両手をあげさせた状態で押さえつけ、ブラをずり上げる。淡い乳首があらわになった。

「は、はずかしいよぅ。電気消して」
「嫌だ。それじゃよく見えないだろ」

 シャツで絡めた腕を押さえつけたまま、薄く引き延ばされた乳房の縁や乳輪を唇で愛撫してやると、藤ねえは激しく身をよじる。

「うにゅぅううう! 士郎のいじわる!」
「でも気持ちいいんだな?」
「ばか! えっち!」

 舌も使ってたっぷり胸を責め立ててからシャツとブラを全部脱がせて解放してやり、今度は俺が仰向けになって藤ねえの脇に手を掛け、身体の上に引っ張り上げる。太腿同士擦れ合って気持ちいい。

「続けていいか?」
「うん。……士郎、ちゃんと避妊してね」
「あ、ああ、大丈夫。中には出さないから」

 いきなりグーで殴られた。

「馬鹿。膣外射精は避妊じゃないよ」

 藤ねえは枕の下からコンドームのアルミシートを取り出した。

「ほかの娘とするときも、ちゃんと使わないとだめだからね」
「藤ねえ。それ、自分で買ってきたのか?」
「えへへ。恥ずかしいから学校の性教育用のやつ、がめて来ちゃった」
「……バレたらそっちの方が恥ずかしいぞ」

 ちょっと――いや、かなり間抜けなやり取りだったが、おかげで藤ねえの緊張もほぐれたようだ。
 脱力して身を預けてくる藤ねえの背中から、まだショーツに包まれている尻を撫で、さらに下へ辿り、すっかり湿った布越しに陰唇をなぞる。
 藤ねえは力なく悶えるが、ショーツを脱がし、直接触れると再び身を硬くする。
 火照った秘所に掌をやさしく押し当て、空いた手で髪を撫でてやった。

「大丈夫。怖くないよ」
「うん」

 指先で秘裂をなぞるとさらに潤み、俺の脚に滴る。

「もう溶けちゃうよぅ。とろとろだよぅ……」

 閉ざされていた陰唇が柔らかく緩み、指が埋まってゆく。
 割れ目の内側を浅く前後に撫でると、藤ねえは小刻みに全身を震わせた。
 中指を少し入り口に差し入れ、ゆっくりこねるように刺激する。

「し、しろぉうぅ……」

 親指で探り当てた肉の突起と共に優しく愛撫すると、差し入れた指先を藤ねえが締め付けてきた。
 首筋に頬を擦り付けもがく藤ねえの背中をさすり、最初の波をやり過ごし、指先の締め付けが緩んだところで再び入り口の内側をほぐすようにこね回す。

「しろう。もうだめ。もうがまんできないよぅ。おねがい」

 藤ねえを布団の上に戻し、藤ねえの潤みに濡れた手を拭ってからトランクスを脱ぎ捨て、ゴムを装着する。はじめて填めるそれは、意外ときつかった。
 仰向けにした藤ねえの胸をもう一度触って感触を楽しんでから、身体を重ねる。

「いくよ」
「……うん」

 再び指を差し入れ広げた入り口に先端を押し当て、ゆっくり、ゆっくり沈めてゆく。

「痛かったら無理に我慢するなよ?」
「うん。だいじょうぶ。きもちいいよ、しろう」

 押し返してくる藤ねえに逆らわず、先端だけわずかに差し入れては抜く。

「んっ。ぅん。あぅ」

 声を漏らす藤ねえの唇を舌で愛撫する。
 波打ち際で遊ぶようにあせらずわずかな抜き差しを繰り返すうち、藤ねえの抵抗が弱まってきた。

「いいよ。だいじょうぶ、だよ、しろう。きて」

 奥に進む。
 肩に掛かった指に力がこもり、藤ねえははじめて苦痛に顔を歪めた。

「んくぅ」

 俺を締め付ける藤ねえの動きが落ち着くまでそこから動かず、気を紛らわすように乳首を優しく愛撫しながら待つ。

「痛いか?」
「いたい。けど、だいじょうぶ。もっと、もっときて、しろう」

 小刻みに進退を繰り返しながら、さらに奥へ。
 ときおり締め付けがきつくなるたび小休止しながら、少しずつ奥へ。

「んふ。くふぅん」

 藤ねえの熱い吐息が首筋に心地好い。

「しろう。しろう」

 そしてついに、根元まで差し入れた。藤ねえをしっかり抱き締める。

「全部入ったよ、藤ねえ」
「うん。わたしのなか、しろうでいっぱいになってる。うれしい。うれしいよぅ」

 唇を重ね、ゆっくり濃厚に舌を貪りあう。

「痛いか?」
「いたいけど、きもちいい」

 だが慎重に動いてもやはり苦痛は免れないらしく、首や肩に掛かった藤ねえの指が食い込んでくる。
 中からの刺激で快感を得るのはまだ無理そうだ。
 深く挿入したまま、動くのは止め、藤ねえの縁を指でなぞると激しく反応があった。

「し、しろうがはいってるのがわかっちゃう。はずかしい。はずかしいよぅ」

 藤ねえの中が激しく蠕動し、何枚もの舌で嬲られるかのようだった。

「でも気持ちいいんだろ?」
「はぁぅううう! あっあっ、んぁぅう!」

 右手の指先で陰核と陰唇を、左手の指で乳首を挟みながら乳房を揉みしだき、唇で唇をついばむとさらに藤ねえは激しく悶えた。
 全身を痙攣させて果てた藤ねえをしばし抱き締め、中の締め付けが緩んだところでゆっくり慎重に引き抜く。その刺激に再び藤ねえの身体が細かく跳ねる。
 呼吸が整うのを待ち、改めて抱き寄せ腕枕してやると嬉しそうにすり寄って来るのがまた愛しい。

「大丈夫か?」
「うん。けどしびれてる。まだ士郎が中にいるみたいだよぅ」

 忘れ物をしてきたかとぎょっとするが、藤ねえの鮮血に濡れた避妊具はティッシュに包んでゴミ箱へ放ったばかりだ。

「痛かったか?」
「うん。でも士郎が優しくしてくれたから、気持ちよかった。まだ体中が気持ちいいよぅ」

 幸せそうに目を閉じて微笑む藤ねえを眺めていると俺も幸せな気分で満たされ、抱いたのは間違いでないと確信する。

「でも、士郎は中途半端だったでしょ? ごめんね、わたしだけ気持ちよくなっちゃって」
「いや、俺もすごく気持ちよかったぞ。藤ねえは可愛かったしな」
「ばか。可愛いとか言うな。生意気だ。
 ねぇ士郎。ホントに大丈夫? ……あの、あのね。なんなら、お口とかでしてあげようか?」

 羞恥で顔を真っ赤に染めながら必死の表情で言う藤ねえ。

「馬鹿、無理すんな。余計な気を遣わなくていいんだよ」
「だって、士郎も気持ちよくなってくれなくちゃいやだもん」
「だから俺も充分満足したって」
「だってあの……だ、出してないでしょ?」
「それより藤ねえが喜んでくれた方が嬉しかったよ。
 それはそうと、コンドームって結構キツイのな。なんだか最初から圧迫されてるみたいで、あれつけてたらどのみち最後までいくのは無理って気がする」

 藤ねえは俺の言葉に眉根を寄せて睨んできた。

「あ、だから使わないとは言ってないぞ」
「……もしかして士郎、普通の人より大きい?」
「は? い、いや、そんな事言われても知らん」

 藤ねえはしばらく考え込んだ後、俺の首に抱き着いて言った。

「士郎。今度一緒に大きい薬局へ行こう」
「……なんでさ?」
「コンドームにもサイズがあるらしいんだよ。そのせいで士郎が駄目になっちゃったら大変だもん。一緒に選びに行こう」
「馬鹿言え。そんなもん一緒に選んでたら、あっという間に街中に俺たちの事が知れ渡っちまうだろ」
「……それもそうかにゃ」

 考えるまでもねぇだろうがよ。
 そしてしばらく、無言で互いの温もりだけを味わった。


「ねぇ。士郎」
「なんだ?」
「自分で誘っておいてなんだけど、凛ちゃんに知られたら振られちゃうかもしれないよ?」
「遊びや浮気じゃないし、ましてや凛をないがしろにするわけじゃないのは判ってもらえる――と思う。それで納得してもらえないなら、俺の不徳の致すところだから仕方ないさ」
「みんなで幸せになりたいね。でも、一歩間違えるとみんなを不幸にしちゃうよ」
「覚悟を決めるさ。ただの八方美人で愛想を尽かされないようにがんばるよ」
「ごめんね。辛い道を選ばせちゃって」

 藤ねえの指が、優しく俺の胸を撫でる。

「謝るなよ。選んだのは俺だ。俺に藤ねえを突き放す強さがなかったせいなんだから、違う道を模索するしかないだろ」
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」
「……聞いたような台詞だな」
「If I wasn't hard,I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to be alive.
 フィリップ・マーロウ。チャンドラーよ。士郎は資格があっても生きられないタイプだね」
「強さって、なんだろうな。俺、弱いよな。みんなを護れるくらい強くなりたいのに。どうすれば強くなれるんだろう」
「だから、生き抜くことよ」

 藤ねえは身を起こして上から俺の顔を覗き込み、額を合わせて言った。

「別に独りでみんなを護る必要なんてないじゃない。辛い事も怖い事も楽しい事も嬉しい事も、みんなで分ければいいんだよ。それが社会性を持った人間の強さってもんじゃない?」

 優しく微笑み、見詰め合う。
 そして俺は藤ねえの鼻をつまんでやった。

「はにをふるか〜!」
「偉そうに語るな馬鹿。独りで辛い思いを抱え込んでたくせに」

 藤ねえは嬉しげに微笑み、俺の頬に口付けた。
 俺は急に照れ臭くなり、部屋の灯りを落とす。
 暗くなると急に一日の疲れが押し寄せた。
 今日は一日、いろいろがんばり過ぎた。
 藤ねえの温もりを抱いたまま眠りに落ちる。


‡    ‡    ‡    ‡    ‡    ‡



 額を撫でる、冷たい指先が心地好かった。
 薄目を開けると、薄暗い部屋の中、白い顔が俺を覗きこんでいた。

「お目覚めですか、先輩?」
「……桜?」
「はい。おはようございます」
「寝過ごしちまったみたいだな」
「そのようですね」
「すまんな。起こしてくれて助かった」

 起き上がろうとして、ようやく気付いた。
 左腕の上に、栗毛の頭が乗っている。
 言うまでもなく藤ねえだ。

「あ、あの、桜。これは――」
「言い訳はのちほどで結構です。もうすぐ姉さんたちが来てしまいますから、その前にシャワーでも浴びて藤村先生の匂いを落としてください」

 硬い声で言い放ち、桜が部屋を出て行った。
 部屋を見回すと、俺たちが脱ぎ散らかした服までそのままだ。
 ――これを見せちまったのか。
 いくらなんでもあんまりだ。いきなり桜を傷付けてしまった。

「おい。藤ねえ、起きろ」
「うにゅ〜。だるいからもうちょっと」
「馬鹿。もう桜が来てる。もたもたしてると凛たちも来るぞ」

 散乱している服を身につけ、自室に着替えを取りに走ってから浴室に逃げ込む。
 最低だ。
 隠し事は良くないが、何でも開けっぴろげにすれば良いというものではない。
 おのれの浅はかさに舌を噛みたかった。
 懸命に洗っても、罪は流せない。
 桜になんと詫びたらいいか。
 出るはずのない答えを求めながら、朝食のしたくをしてくれている桜がいる台所へ。

「桜。すまん」

 ひたすら頭を下げるより他ない。
 桜はしばらく黙ってうつむいてから言った。

「一つだけ答えてください。一時の気の迷いですか?」
「それは違う。藤ねえの酒は抜けていたし、俺も本気だった」
「そうですか。
 ……よかったです。もし遊びだって言われたら、わたし理性を保てたかどうか自信がありませんでした」

 桜は握り締めたままだった包丁をまな板へ置き、溜息をついた。

「先輩。わたしの気持ち、ご存知ですよね?
 わたし、先輩と藤村先生の仲を否定するつもりはありません。でも、こんなのってあんまりです。せめて、わたしや姉さんの目につかないようにしてください」
「……すまん」
「目をつぶって歯を喰いしばってください」

 桜の言葉に黙って従うと、左、右と平手打ちが来た。
 あれだけ思い切り殴ると、桜の手の方も痛いだろう。

「先輩。わたし、すごく傷付きました。謝罪を要求します」

 目を開けると、涙を堪えた桜の顔が目の前にあった。

「もう一度、目をつぶってください」

 従うや否や、唇にねっとりとした感触が貼り付き、さらに柔らかく熱いものが侵入してきた。

「あらあら。朝からごちそうさま。お邪魔だったかしら?」

 心臓に突き刺さるような言葉に目を開けると、桜の頭越しに半眼でこちらを睨む凛がいた。

「ごめんなさい、姉さん。今お返しします」
「――なにを言ってるの?」

 怒りと当惑が混ざった表情の凛に桜はずかずかと近付き、いきなりその唇を奪った。

「なッ!? なにするのよ!」
「はい。姉さんに無断で先輩の唇を奪ってしまいましたので、お返ししました」
「ふざけんじゃないわよ!」
「姉さん。先輩を責めないでください」
「な、何でわたしが悪者みたいに言われなくちゃならないのよ」
「待ってくれ。悪いのは全部俺だ。責めるなら俺を責めてくれ」
「そうよ。全部士郎が悪いのよ。何でもかんでも欲張って手を出すくせに、わたしの事は放りっぱなしで! 釣った魚には餌をやらないって事? 何様よアンタ!」

 怒鳴る凛の眼に、似合わない涙が光った。

「……すまん」
「士郎の馬鹿! もう知らない!」

 走り去る凛を追おうとした俺はテーブルにつまづいて頭から柱に突っ込んだ。
 遠のく意識の中、桜が問いかける。

「追ってどうするんですか、先輩?」

 決まってるじゃないか。
 話を。話を聞いてもらわなくちゃ。
 それで愛想をつかされて嫌われるならしかたがないけど、誤解や行き違いは放っておいちゃ駄目だ。
 追いかけなきゃ。
 思うように動かない身体を動かそうと、俺の意識だけが空回りし続けた。


‡    ‡    ‡    ‡    ‡    ‡



 額を撫でる、冷たい指先が心地好かった。
 薄目を開けると、薄暗い部屋の中、白い顔が俺を覗きこんでいた。

「お目覚めですか、先輩?」

「ぅわぁあああっ!」

 心臓が止まりそうな衝撃と共に跳ね起きた。
 部屋を見回すと、尻餅をついた桜が眼に入る。
 俺の部屋だ。
 もちろん藤ねえなんか居ないし、脱ぎ散らかした服もない。
 俺もちゃんと、寝巻き代わりのスウェットを着ている。
 ――そう。俺は昨夜、藤ねえと共に眠りに落ちた。
 だが幸い、藤ねえの頭を乗せていた腕がしびれて一時間ほどで眼が覚め、風呂に入りなおして自室で寝なおしたのだ。
 ……思い返すと、実に危なかった。

「せんぱい、ひどいです」

 桜の涙声に我に返る。

「なんでそんなにびっくりするんですか? わたしの顔、そんなに怖いですか?」

 うん、と答えそうになって慌てて飲み込む。

「違うちがう! ちょうど凄く怖い夢を見てたところだったんだ。こっちこそ驚かせてすまん。大丈夫か桜?」
「先輩、わたしの顔を見るなり急に叫ぶんですもの。すごくショックでした……」
「全面的にすまん。桜は何も悪くない。わざわざ起こしに来てくれたのに、本当にすまん」

 後ろ暗いところがある為、思わず平身低頭してしまう。

「いえ、そこまであやまらなくて結構ですけど。それより先輩、朝ご飯どうしましょうか? 昨日の残りがあると思いますけど、お味噌汁くらい作っていいですか?」
「そうだな。ご飯も残ってたはずだ」

 桜と共に台所へ向かうと、驚いた事に藤ねえが居間で新聞を広げお茶を飲んでいた。

「早いな、藤ねえ」
「あんたが遅いのよばかちん。もう十時近いわよ」

 そんな馬鹿なと時計を見ると、確かに。

「さっさとご飯にしてくれないと、おねえちゃん暴れちゃうかもしれないわよ」
「だったら自分で用意しろよ」
「桜ちゃん。士郎起こすの大変だったみたいね。ご苦労さま」

 ――なんでさ?

「そ、そうですね。よくおやすみでしたから」
「わたし、三十分くらい前からこうしているのよね。早くご飯食べたいなぁ」
「は、はい! 急ぎます!」
「桜ちゃん。わたしが言うのもなんだけどさ。つまみ食いもいいけど、証拠を残さないように気をつけるのよ?」
「はッ、はいぃ!」

 桜は異様にからむ藤ねえに怯えるように台所へ逃げ込んだ。

「藤ねえ。なんでそんなに偉そうなんだよ?」

 むしろ俺同様、桜には気兼ねせねばならん立場だと思うんだが。

「士郎。あんたも気をつけなさい」
「……なにをさ?」
「いいからまず顔洗って来なさい。ちゃんと鏡見るのよ」

 わけが判らん。
 ま、顔ぐらい言われなくても洗いに行くさ。
 冷水で顔を洗いかけ、藤ねえの言葉を思い返して鏡を見詰める。寝なおす前に風呂に入りなおしたというのに、何かおかしなところがあるのか?
 ……あった。
 唇に、何故か淡いピンクの口紅が付いていた。



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.4.25

補足

 ……衝き動かされるように書かねばと思った事を書き連ねてしまいましたが、これ、作品として体裁をなしているんでしょうか?
 がんばって書いたものの、激しく独りよがりな予感……il||li _| ̄|● il||li
 シリーズを通しキャラクターに独自の厚みが出てしまいましたので、もはや一話読み切りの筈が単品で読んで頂いてもなにがなにやらでしょう。
 サーチエンジンなどで直接いらした方は一度「創作保管庫」に戻り、上から順に読んで頂きたく。



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