Fate/stay night alternative story   after“Unlimited Blade Works”

 数日前から、異様なプレッシャーを感じていた。空気が重い。
 迂闊な行いは命に関わる緊張感。心してかからねば。それは肝に銘じていた。
 準備はそれなりに楽しかった。
 だが、皆に悟られぬよう深夜に作業したので、今朝は少々辛い。
 だから。

「衛宮くん? どうして朝からそんなに景気悪そうな顔してるかしら?  何か悩み事でもあるなら相談してちょうだい?」

 そうじゃないって。
 ――っていうか、アナタのいかにも無理矢理作ったにこやかな表情の方がよほど怖いと 思います、凛お嬢様。












おねえちゃんに愛を喰わせろ
written by ばんざい








 冷蔵庫を死守する為、朝も絶対に桜より早く朝食準備を始めねばならなかったのだ。
 少しくらい寝ぼけた顔をしていても大目に見て欲しい。
 朝食の手は抜いていないはずだ。

「なんでもない。ただちょっと寝不足なだけだから」

「あら。寝不足になるほど何をがんばっちゃったのかな、衛宮くんは」

 判ってるくせに言わせたいらしい。

「お前への愛を高める行為に没頭してたんだよ」

 それ以上は言ってやらない。夜までおあずけだ。
 その為に今日は、藤ねえの英語勉強会も休みにしてもらった。
 桜もアルトリアも、期待と不安に満ちた表情でいるが、あえて無視だ。
 バレンタインでやきもきする男の気持ちを少しは判りやがれ。
 そう、今日はホワイトデー。
 魔術師の取引は等価交換が原則だそうだが、俺の全力はみんながくれた気持ちに対して、 はたして等価以上になりえるだろうか。
 俺もちょっとドキドキしている。夜が待ち遠しい。


 朝食の後片付けが済んでから、居間に座布団を並べ仮眠。
 自室で寝ないのはもちろん、冷蔵庫を死守する為。
 台所に入るには俺をまたがねばならない位置で寝てやった。


 昼食はあっさりとうどん。
 最近野菜を多めに、カロリー控えめでというリクエストなのでちょうどいいだろう。
 今日は特に空腹で夕飯を迎えてもらう。


 夕飯のメインは薄切り肉のシシカバブ。
 久々の肉と香辛料で食欲を刺激され、みんな堪能しつつもまだ物足りなそうだ。

 頃や良し。

 凛に仕込まれた腕を遺憾なく発揮し紅茶を淹れ、満を持して自信作を披露する。

「全部きっちり計量して作ったからな。どれが大きいとか言わないでくれよ」

 全員に同じ、ブッシュ・ド・ノエル。
 これが今年のバレンタインのお返し、ホワイトデーのプレゼント。
 藤ねえは、混乱で忘れていたバレンタインデーのプレゼントを、期日を過ぎてからくれた。
 桜は渡しそびれていたという手作りトリュフチョコをくれた。
 アルトリアは市販のチョコを自分でラッピングしてくれた。
 そして凛は金とコネにものを言わせノイハウス(ゴディバは有名になり過ぎたから 違うものを用意した、そうだ)を取り寄せてくれた。
 もらった物は違うけど、その気持ちに対するお返しに差はつけたくなかった。
 優柔不断と言わば言え。

 フォークを入れた各自の反応を、固唾を呑んで見守る。

「――美味しい」

「幸せなほど甘く、まったりとしてコクがあり、それでいてしつこくない。まさに極上」

「チョコレートの苦味が、大人の味ね〜」

 ――おおむね満足してもらえたようだ。
 みんな――藤ねえですら――少しずつ大切に味わい、堪能してくれている。
 凛は何か言いたげな表情でちらちらこちらをうかがっているが、これもまぁ予想通りだ。
 おおかた自分が特別扱いではなく、皆と同列なのが不満なのだろう。
 比較的言葉少なく、もくもくと切り崩されみんなの口に運ばれるブッシュ・ド・ノエル。
 かなりたっぷり用意したので、味わう事に集中してくれた結果――と思いたい。
 はたして全て食べつくし、紅茶のおかわりを楽しむみんなの表情は、非常に満ち足りた ものだった。ほっと一安心。
 普段はだらだらとダベり、藤ねえたちが帰ってから遠坂凛先生の魔術講義となるのだが、 今日は凛が先に席を立ち、アルトリアも続いた。

「今日はもう、帰るわ。美味しかったわよ」

 玄関で凛に声を掛ける。

「なあ。決して凛をないがしろにしてるわけじゃなくて――」

 凛は釈明する俺の口許を、人差し指で押さえた。

「言わないで。士郎の判断は間違ってないわ。
 わたしをやきもち焼きのみっともない女にしないで」

 にっこり微笑んで続ける。

「ホワイトデーじゃなくても、士郎はいつだってわたしに一番、優しいものね?」

 そして俺に答える間も与えず、さっさときびすを返し出て行った。
 続いてアルトリアが俺の手を取り、片膝をついた。

「シロウ。あなたとの絆が、より一層深くなった思いです。ありがとう」

 そう言って指に口付けてくれた。
 畏れ多くも騎士の礼というやつか。
 むしろ俺の方がやりたかった。
 二人を見送ると、皿を洗い終えた桜も玄関に来た。

「先輩。わたしを姉さんと一緒に扱ってよかったんですか?」

 不安げに見上げてくる。

「桜が俺にくれた気持ちは、凛より軽かったのか?」

 そういって頭を撫でてやると、桜はうつむいて言った。

「ありがとう、先輩。とっても、美味しかったです」

「送って行こうか?」

「いえ、結構です。まだ遅くないし、独りでケーキの余韻に浸りたいから」

 桜を見送り居間へ戻ると、藤ねえはだらしなく寝転がっていた。

「ほら、こんなとこで寝ると風邪引くぞ」

「うーん、お腹いっぱい胸いっぱいでしあわせだよぅ」

 さらに行儀悪くごろごろ転がる。

「そうか。お腹一杯か。じゃあこれはいらないか」

 反射的に飛び起き俺の腕をつかむ藤ねえ。痛い。

「なに? なになに士郎?」

「別に痛むものじゃないから持って帰ってくれ」

 腕を喰い千切られる前に、手のひらに載る程度の紙包みを渡してやる。

「開けてもいい?」

 だから持って帰れというのに、さっさと開けやがった。

「うわぁ、マシュマロだぁ〜♥」

 たちまちとろけそうな笑顔になる藤ねえ。
 見ている方も幸せになる。

「……士郎。これみんなにもあげた?」

「いや、それは藤ねえだけ、特別。だから内緒な」

「なんで? やっぱり、わたしの事が一番好きなのに気付いちゃった?」

「うん」

「士郎? 真面目に答えなさい」

 眉を寄せた藤ねえは、マシュマロを置いたテーブルをばん、と叩いた。
 俺は覚悟を決める為、正座した。

「藤ねえとは、一番付き合い長いからな。
 普段は俺の方が面倒見てるみたいだけど、なんだかんだ言って藤ねえが居てくれたから、 今の俺があると思うし。
 だから、今までの分も含めて、お礼が言いたくなったんだ」

 改めて背筋を伸ばし、 臍下丹田(せいかたんでん に気を込め、彼女の眼を見て言った。

「――ありがとう、大河」

 あえて、呼ばれるのを嫌がる本名で呼んだ。
 これが、もう一つのプレゼント。
 藤ねえは――藤村大河は首をかしげ、しばしば処理速度に問題のある言語中枢で俺の言葉を ゆっくり反芻した。
 やがて顔から血の気が引き、俺の顔を見て唇を震わせる。

「な……なに、を」

「昔からずっと、気になってたんだよ。
 なあ。そろそろ、自分の名前、受け入れてもいいんじゃないか?
 もう、名前からかわれて怒る歳じゃないだろ。
 大河って、いい名前じゃないか。
 それをそんなに嫌がっちゃ、名付けてくれた人たちが、気の毒だよ」

「……わかってるわよ、そんなこと」

 声を震わせ、視線を落としたままつぶやく。
 俺は、殴られようが蹴られようが甘んじて受けようと歯を喰いしばった。
 人の心に強引に踏み入るのだから、反発は覚悟の上だ。
 それでも、嫌がられても、あえて言わなくちゃいけないと思った。
 そしてそれは肉親ではなく、だけど一番近くにいる俺の、俺にしか出来ない仕事だと、 思った。
 もう、子供じゃない。
 まだ、老いてない。
 だから、受け入れられるはずだ。

「俺は、大河って名前、好きだぞ」

「だけどね、女の子が『タイガー』『タイガー』って呼ばれて、可愛くないって自分に 自信が持てないって……可愛くないって女の子にとってどういう事か、士郎にわかる?」

 今までずっと気に病んでいた事だ。
 触れられるのは痛いだろう。
 けど、名前は人の一部だと思う。
 だからこそそれをからかわれ、たくさん傷付いたのだろうけど。
 俺は、大事な姉貴に、もっと自分自身を好きになって欲しかった。

「判らないよ。だから、昔の事は仕方ないと思う」

 上目遣いに睨む大きな女の子。
 俺は膝立ちになって、その頭をそっと胸に抱かかえた。

「だけど、もう大丈夫だろ?
 みんなも、自分でも、判ってるだろ?
 ……判らなけりゃ、俺が言ってやる」

 そっと、髪を撫でた。
 できるだけ、優しく。
 ろくに手入れもしていないくせに、滑らかに指が通った。

「大河は、可愛いよ」

 ぴくりと震えた背中も撫でてやる。

「……なまいきだ」

「だって、俺が一番、そばに居たんだ。俺が一番、よく知ってるに決まってる。 だから俺が言ってやらなくちゃって、ずっと思ってた。
 俺の自慢の姉貴は、すごく可愛いって」

「生意気だ。生意気だなまいきだなまいきだ!」

 俺の腕を振り払い、藤ねえはいつもの調子でわめいた。

「おねえちゃんを名前で呼ぶなんて生意気だっ!
 年下のクセにっ、弟のクセにっ! おねえちゃんを可愛いなんて生意気だっ!」

 肩をつかみ、額をごりごり押し付けてきた。
 化粧の類は一切しないくせに、やけにきめ細かな肌。
 小ぶりだけど形のいい鼻。
 潤んだ黒目がちの眼。

「だって、本当に……大河は可愛いよ」

「うるさいっ! だまれ! だまれだまれだまれ! 士郎のクセに生意気だ!」

 藤ねえは何を思ったかマシュマロを口に放り込み。
 その唇を重ねてきた。
 マシュマロが唇を割ってねじ込まれる。
 藤ねえの唾液で表面が溶けたマシュマロを受け入れると、上唇の内側をつい、 と舐められた。
 思わず身を引くと、もう一度、ちゅっ、と音を立てて唇を吸われた。

「おねえちゃんを名前で呼ぶなんて、ぜったい許さない」

 藤ねえは立ち上がり、俺の頭をぐしゃぐしゃと乱暴にかき回す。

「今度わたしを名前で呼んだら、責任とってお婿さんになってもらうからね」

 言い捨て、マシュマロの包みは忘れずしっかりつかんで出て行った。


 ま、こんなもんだろう。
 やるだけはやった。
 実際に『大河』と呼ぶかどうかは問題じゃない。
 俺が、その名前が好きだと伝える事に意義があったと思う。
 長年弟分をやってきた俺が言ったんだ。少しくらいは影響あるだろう。
 昔からずっと抱えていた課題を一つこなし、独り脱力する。

 噛まずに飲んでしまったマシュマロが、ゆっくりと食道から胃に落ちる感触が妙に生々しく、名残惜しかった。



end

The original work 『Fate/stay night』  ©TYPE-MOON
Secondary author ばんざい 2004.3.18

補足
『おねえちゃんの愛を喰らえ』と対を成すお話。
 ホワイトデーには間に合いませんでしたが、書かずにはいられませんでした。



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