トロチャラを制した日
TEXT / su−san 

92年、その頃の私は人間関係の煩わしさに嫌気がさし、大企業のサラリーマン生活にピリオドを打って、
傷心のまま独立自営の道を歩みだしたばかりであった。
 
ある日釣り雑誌の記事で「北の新鮎塾」と言うアユ釣り合宿が開設されることを知った。
 心の許せる仲間との付き合いにも飢えていた私は、躊躇なく参加を決意、8月盆休明けの週末、10数人の同好の仲間が
みちのくの清流雫石川に集った。
当時の私はアユ歴20年、人並み以上の自信はあったが、旧来の瀬の引き釣りから脱して、近代泳がせ理論を取り込むべく
戸惑いを繰り返す時期でもあった。 
 その日から3日間は、
コデチャラ伝説の小寺太氏、
武者修行の末に日本の頂点を極めた鈴子陽一氏、
久慈川の若きトーナメンター渡辺博氏の釣技を目の当たりにすることとなり、
自分の中の常識を覆す多くの驚きと感動と発見の日々を過ごしたのである。    

 これを遡ること数年前、
岩手沿岸北部の清流小本川は日照り続きで減水傾向、ほぼ全面がトロチャラと化していた時、
水深20センチほどのトロの中ほどに立って、自分の周囲360度を釣るアユ師の姿を目撃した。
 川床一面が石畳となった超トロ場に立つ1本の古杭となって微動だにせず、間断なく野アユを掛け続けているのである。
   
 初めて見る驚異のテクニックは、後年になって泳がせ釣りであったことを知るのであるが、
当時の私としてはまるで魔法を見た思いがして、その光景がずっと頭の隅に焼きついて離れなかった。
 
 その頃北東北では、こんな釣りをする人物は皆無で、あれはさぞかし名のあるアユ師であったに違いない。
その後あの日の様子を思い浮かべながら、真似をしてみるのであるが、当時持ち合わせていた自分の釣技では、
ついぞ超トロにおける満足の行く攻略は果たせなかったのである。

 先入観を捨て去りまっさらの頭に改めて泳がせ釣りの基本がインプットされ、真の鮎釣りに目覚めた私は、
目から鱗の「北の新鮎塾」後の翌週、身体中に沸々と湧き上がる自信を抑えきれずに、鷹巣町蟹沢パイプラインに立っていた。
 8月末の米代川は、あちこちに馬の背状に川床が露出し、荒瀬など見当たらない極端な渇水状態にあった。
選んだポイントは頭上を走る送電線の下にあり、数年前に見た小本川のあの超トロの石畳に酷似していた。
ナイロン0.2号、狐7.5号3本イカリ、身を低くした体勢から放たれた上あげのオトリはゆるゆると川床を這う。
 
 馬の背の駆け上がりに差し掛かったとき、一瞬閃光が走り飛沫とともに野アユが水面を割った。
 
 オトリが替わると一直線にポイントに走り、間髪を入れずに次の野アユを連れてきた。
私は、トロ場中央の水中に正座し、自分の周囲360度を泳がせて見た。
かすかな流れとナイロン水中イトが作り出す適度のオバセで、オトリの制御がかくも容易であったことを知った。
どの方向へ泳がせてもジュンと水中に目印が消し込み、1時間あたり20尾のペースは変わらなかった。
開始から数時間、釣果は確実に1束を上回っていた。
 
 ついに私は念願のトロチャラを制し、あの日の小本川の幻影を、自分の力でここに再現できた瞬間でもあった。


米代体験
TEXT / ka2 
 背中から太陽の光を浴びる狐平。
送りだしの道中で、まだ囮の頭をいれたばかりの瀬のくぼみで
イキナリ突っ掛かってくる純情鮎。 送りだしの構えから鮎を泳がせる竿の構えを抜きに、
抜きの態勢にさせてしまう”鮎”の連発。ハナカンをつけてまだ数秒と過ぎていない。
逆バリを刺し終えてまだ数秒と経っていない。
泳がせれば足元で”ビュン”。 引けば”ビュビュン”。
あの感触は忘れることができない。忘れられない。
 また体験したい。
その体験を体が動く限り追い求める。

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