当サイト、管理人であります「たけぞ〜。」の愛車遍歴です。
最初に買ったクルマはTE37レビンでした! えぇ、もちろん中古ですよ。
キッカケは2輪の頃、オンロード専門だったんですが、当時、一緒に遊んでいた連中がダート遊びにハマッていたんですね。
そのせいで、まず同世代で最初にクルマを買ったヤツが乗ってきたのがTE27レビンの
フル・チューン・ラリー車! これにビックリ!

当時の若造にはバリバリのマシーンでしたね〜、これが。
今の時代は何てこと無いですけど(笑)

内装は剥がされドンガラ、6点ロールバーが入り、エンジンもタコ足、50パイマフラー!
走れば、コレが速い!速い!
シグナル・GPでは仲間内のRX7(SA22C)より速かった!
ところが!!!

もっと驚いたのが、初めて林道へ走りに行った時ですワ。
狭い道での全開走行! カウンターの嵐! 石はねの音! エンジン音!
気がついた時にはTE37のラリー車を探してましたぁ(笑)
当時は私達にとって、ちょうど良い時代でしたね〜。
JAFの公式ラリーの車両規定が大幅に変わり、時代はノーマルエンジン、触媒付きに。
ラリーは公道を走りますから、今思えば当たり前の事なんですけど。
おかげで、フル・チューンのラリー車が20万〜30万で買えたんですよぉ(嬉
競技をしてたヒトは新車を買ってたわけですから大変だったでしょうねぇ、他人事でしたけど。
そんな訳で若葉マーク付きなのにバリバリのラリー車とゆう、何とも奇妙な取合せにて、
4輪デビューでしたぁ!

しか〜し! このTE37には1年弱しか、乗れませんでした(泣
えぇ、そりゃ、初心者がダートを全開で走れば当然の結果ですよ。
畑にも落下して屋根を潰しました・・・
最後は下りのダートでキンコン♪(解るかなぁ)と音を鳴らしながら崖下へダイブ・・・

全損です・・・ 
生産台数の少ないTE37を1台、廃車にしたのはワタクシでございます。

TE37ファンの方々、もーしわけございません。。。
横に乗ってたM君、怖かったろうなぁ、ごめんねM君。



次に乗り継いだのはPF60ジェミニZZ/Rです。やっぱり、ツインカム路線ですね〜。
当時の選択はTE71とA175Aランサーターボとジェミニだったんですが、TE71はパワー不足、A175Aは
もう周りに3台いて、回転も6,000ぐらいしか回らないからTE37から乗り換えるには
かなり不満。。。
そうなると、消去法でこのクルマしか、ありませんでしたね。

   

あっ、もう一つ、理由がありましたわ!
当時、富士スピードウェイで偶然、見かけたジムカーナ、この改造車クラスで走っていた
ADVANカラーのジェミニ(後にも私に影響を与えました!)がメチャ、カッコ良かったんですよぉ。

ブリスターのオーバーフェンダーで、そりゃ凄かったんですわ。
そんな訳でジェミニが納車されましたが、もうダートは懲り懲り。
オンロード仕様とゆうことで、すかさず車高短です(笑)ダンパーをビルシュタイン入れてサスはカット(爆)
某ラリーショップで内緒でやってもらったんですが、そのショップで偶然、前記のADVANジェミニの
ドライバー、Yさんに出会います。
住んでるのが隣町だったんですね、いや〜世間は狭いや。

そこで、そのヒトに言われたひと言、「おまえ、ジムカーナに出てみない?」がキッカケで
初めて競技にエントリーすることとなります。
その最初の草ジムカーナでクラス5位に入り、それから毎週のようにジムカーナ漬けとなりました。
そのクルマで2年近く、いろいろなシリーズを追っかけ、ISCC(イスズ・スポーツカー・クラブ)
など、いくつかのローカル・タイトルを獲得し、いよいよ、改造車クラスへ!
まぁ、始めた時からYさんから「オマエもこんなクルマ乗りたいだろ?」な〜んて言われていました
から、成り行き上、当然の事だったんですが・・・

そしてこのジェミニに乗っていた最後の年にAE86が発売となりました。
後には長い付き合いとなるこのクルマは最初はジムカーナ場でライバルとして登場したんです。
当時としては理想のクルマで結果的にも速く、憎っくきクルマでしたね(笑)



改造車クラスに出るためHB310サニー(CUクラスのため、1400ベース)の製作をお願い
したのはY市にあるTS1300にエントリーしていたア○ダ・レーシングさん。

予算120万でカタチだけ何とかTS風になりましたけど、エンジンはウェーバーが付いただけでほとんどノーマルでしたけどね。
でも、車重が700kgぐらいだから結構、速く感じましたよ。
初めて履いたスリックタイヤも感覚が掴めず、練習でスピンの連続。。。 凹みましたね〜。

   


でも!そんなことより大変だったのが、ナンバーが無いってことです。とゆうことは公道を走れない。
移動はトラックに載せなきゃいけないんです。
最初は2トン・トラックをレンタルしてたんですけど、段取りや載せる技術・道具で、もー大変。
初参加のときは家へ帰ってきて、あまりの空腹と疲れでカップ麺を持ちながら寝ちゃいました(笑)

それでも地区シリーズ(当時は東日本戦と呼ばれてました)最終戦でCUクラスに勝つことができ、
なんとか初シーズンで地区シリーズ、クラス5位に滑り込み、晴れて全日本戦へ
そこで、今度はエンジンをYさんと同じ名古屋の尾○・レーシングさんで再作成してもらいました。

このエンジンは凄くパワーがありましたよ。さすがフォーミュラ・ニッポンのエンジンチューナーさんです。
ホントはワタクシみたいな小僧を相手にしてくれるようなトコじゃないんですけどねぇ。
支払いとか、待っていただいたりして、ホントにご迷惑をおかけいたしました。
さて、いよいよ全日本戦ですが、この年の開催地はスポーツランド菅生にあるカートコースでのコース・ジムカーナでした。
ここでエンジン・パワーのおかげと最低重量規定で上位2台の失格があり、望外のクラス3位!
おかげでJAFの表彰式にも出席できましたが、今、思えば、ここが頂点でしたね。
翌年は地区下位で全日本はお手伝い参加。。。
気合を入れ直して臨んだ次のシーズンも、やっとのことで全日本の参加資格を獲得、この年は
鈴鹿で開催されたのですが、ダブルエントリーのT君が私のクルマでクラスチャンピオン!

私は入賞に届かず7位がやっとでございました。。。
もう、この時は借金もあり、何のために、誰のために、走っているのか自分でもわからない状態で
自分が走りたくて始めたはずなのに、そんな迷走状態にありました。
やはり底辺競技とはいえ、モータースポーツは甘くなく、やる気、努力、資質、資金、すべてに
おいて、特に努力ですかね、足りなかった自分でした。
政治的にモータースポーツの裏のイヤ〜な部分も直面しましたし。そして、その鈴鹿戦で、あるキッカケをいただきます。
この鈴鹿戦から、前途のYさんはチューナーが関東の○屋エンジニアリング(今もJGTCにエントリーされてます)さんに
なっていたのですが、サポートに来ていた、代表の○屋さんから「あいつ、
良い走り、してんな」と言われたそうです。
ホントのトコは私は走行中ですから、定かではないのですが、後から人伝に聞き、それを聞いた瞬間、
全身の重圧から開放されたようでした。


タイムもたいしたことなかったです。 順位も平凡でした。
でも、自分からすれば雲の上に居るようなヒトから、ほんのちょっとでも認められたとゆう実感で
心も身体もイッパイになり、同時に自分のこの世界での限界も悟り、足を洗いました。
この改造車に乗っていた3年間は今でも忘れられない時代ですね。
良いことも、イヤなことも。



さて、モータースポーツの世界から退いた私ですがクルマが嫌いになったわけではありません。
310サニーに乗っていた最後の年に、いよいよAE86トレノを購入します。
出たばっかりの時は「内装の色がいや」とか言って目を逸らせていたんですが、
結局、その魅力に勝てず、1台目のオーナーとなりました。


この初代ハチロクはジムカーナ練習用兼、次期ジムカーナ車両として購入したんですけど、
実質的には営業車として活躍(笑)3年で約8万キロ乗っちゃいました。

当時は乗りすぎかな〜、とも思いましたが、今、もっと走っているハチロクが現役でイッパイ居ますね。
もったいなかったかな?

いや〜、楽しかったですねぇ〜、このクルマ。
街中でもバンバン、サイド、引きまくって(笑)
最大の思い出は雨の○名高速でハイドロプレーニングを起こしスピンした事ですかね(笑)
進行方向の反対を向いて止まり、大型トラックが目の前まで迫ってきたのを覚えてますよ(爆)
隣に乗っていたT君、恐怖のあまり、ひきつり笑いしてました。T君、もーしわけございません。



当時の仲間たち

当時、一緒にジムカーナにエントリーしていた仲間たちです。
左から順番にジェミニ時代のライバルだったハチロク・レビンのYさん、私が改造車へ移ったと同時に
彼もジェミニからハチロクに乗り換えました。

2台目、私が改造車クラスに移ってからジムカーナに参入してきたサバンナRX-7ターボ(SA22C)のOさんです。
元々、レース志向のOさん、後には富士フレッシュマンの大激戦区、ハチロク・クラスにエントリーされていました。


次、ワタクシです。

最後に、ノーマル・クラスを走った時の最大のライバル、Aさんです。
私とほぼ、同時期にジェミニを購入し、約2年の間、毎週のように一緒にエントリーし、勝ち負けを繰り返していました。
ある意味、総合順位よりも、Aさんとの争いが重要なことも・・・
二人とも、負けず嫌いでしたから(笑)
考えてみたら、皆さん、年上なんですよね。
皆さん今はベンツだ、BMWだと、羽振りの良い暮らしをしております。
私だけ、今も・・・(笑) 皆さん、元気ですかぁ〜?


さて、次に手に入れたのがAW11、トヨタMR2のスーパーチャージャーです。
これは完全に「デート・カー」でしたね(笑)


グレードはGリミテッド、Tバールーフとフル装備。
なぜかLSDだけは入れて後はタイヤとホイルとステアリングだけのフルノーマル車両。
310でやり過ぎたツケですかね、これは。「もうノーマルでいいや〜」なんて感じで。
以前、NAのMR2は友人のヤツに乗ったことがあったんですが、このスーパーチャージャー付きは
テールヘビーで操縦性はまったく別物でした。
ちょっとペースを上げて走るとアンダーで、フロントが全然、入らないし。
まぁ、私の荷重移動ができていないの、丸出しなんですけどね。
そーいえば、横浜ベイ○リッジが出来たばっかりで真ん中辺でクルマ止めて写真とか撮ったなぁ(爆)
NAは楽しかったんですけどね、ハチロクに近くて。
結局、1年程度しか乗らず、再びハチロクを探し始めます。



もう、当時、ハチロクは生産中止で中古車しかありません。
偶然、知人の中古車屋にあり、程度も良さそう、走行距離少な目、グレード「GT」と条件は
OKと
お店の勧めもあり、即決購入しました!

ホントは今度こそレビンに乗りたかったんですけどね、またトレノになっちゃいました(笑)

しかし!
「程度、良いよ〜」なんて言ってた店長のSさん、今でも忘れませんよ。事故車だったこと。
知り合いを騙し討ちみたいなことして。
この頃からクルマ屋なるものを信用しなくなりましたね。

大事なクルマを任せるなら、よ〜〜くお店を吟味しましょう!
特にこれからハチロクを買う皆さんは!
しかし、最初はこのトレノに乗らなかったですね〜。
この頃は通勤兼営業車がありましたから、平日はまったく乗りません。
仕様もショックとスプリング、LSDとステアリング、タイヤとホイルのみと、
ハチロクとしては
平凡なモノでした。


ここから数年が経過します。だんだん、ハチロクからも心が離れていきます。
4駆のRVが欲しい時代もありました。似合わねー、って周りから言われましたけど(笑)

しかし!
趣味であるスロットカーが一段落すると、再びハチロクに興味が出てきます。
そこで久しぶりに意気込んでハチロクに乗った訳ですが、ここでショックなことが・・・
当然のことですが、手に入れてから約10年、ロクにメンテナンスしなかったクルマがマトモなわけがありません。
ショックは抜けてる、デフは効かない、ブッシュはガタガタ、シートスプリングは折れてる。
ここで1度、悩みます。
全部を直すのなら、かなりの金額がかかります。
古いクルマにそんなに金かけるのか? 家族の了承は? 面倒みてくれるショップは?
前記のようにクルマ屋不信はまだ続いていました。

ここで一大決心!
まず、安心してクルマを任せられるショップ探しから始めみました。
女房も助手席に乗りますし、仕様も押し付けでなく、話を聞いてくれるお店。
いいオトナで、営業職とゆうこともあり、ショップ、もしくはそこの代表者と会えば、
信用できそうなトコ、できないトコ、何となく判るのは幸いでしたね〜。
中には酷いトコ、ありましたよ〜。
口には決して出さないですけどね、「今更、ハチロクかよ」って。
後、「見積、メールで送りますね!」なんて言って、それっきり。。。
電話すると「あれー?着いてません?」な〜んて。
ホントは送ってねーだろ!おまえら!

長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
最後にこれからハチロクを買おうとしている皆さんへ。
自身で何でもやる!とゆうプライベーター
が理想だと思います。
でも、そうでないヒトにとっては・・・
車体を買うのも、その後の面倒を見てもらうのも、お店選びは大事ですよぉ〜。

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