またひとつ・・・
海堂が部活に復帰してから一週間経ち、恒例の校内ランキング戦が行われることになった。
いつも通りブロックはA〜Dに分かれており、海堂・桃城・越前はそれぞれ別のブロックになった。
バランスを取るためだ。
手塚達が引退したために初めてレギュラーになった者達は、この3人には到底及ばなかった。
今の青学は、かつて「最強」と謳われた青学ではない。
手塚や不二のような非凡な才能を持つ者も、
大石のような広い視野を持つ者も、
菊丸のような身軽さと、優れた動体視力を持つ者も、
河村のようなパワーを持つ者も、
・・・そして、乾のような分析力を持つ者も、新レギュラーの中にはいないのだから・・・
それでも彼らは全員同じ事を思っていた。
《先輩達のようになりたい》
と・・・
だから必死で練習をしているのだ。
少しでも多くコートに立つために。
少しでも長く勝ち残り続けるために。
これは初めてダブルスを組んだときに、乾が海堂に言った言葉だ。
自分が部長になり、新レギュラーが決まったときに、海堂は皆にその〈言葉〉を言って聞かせたことがある。
そして、「真剣」では足りない。「必死」にやろうと付け加えた。
それを聞いた竜崎先生が、皆に〈言葉〉を贈った。
「その強い「気持ち」は、いつか大きな〈力〉になる」
部員達はその〈言葉〉を胸に刻み、練習に励んでいた。
ランキング戦は一つの区切りであり、今までの成果を見せる場でもある。
青学のテニス部員はこのランキング戦でレギュラーの座を勝ち取ることを最大の目標にしている。
レギュラーになれなければ「全国制覇」など、夢のまた夢だからだ。
去年のレギュラー陣はもごとに「全国制覇」を成し遂げた。
あとに続くのは「自分」だと、それぞれが躍起になっていた。
Aブロックでは、新レギュラーである荒井の試合が行われていた。
「ゲームセット・ウォンバイ 荒井 6−2!」
そのコールにコートが静まり返った。
そして暫くすると、ザワザワと小さな声が聞こえだした。
「うそだろ?」「そんな、まさか・・・」
荒井の顔は怒りに歪んでいた。
「まさか部長(海堂先輩)が負けるなんて!」
それも実力で荒井に負けたわけではない。
落としたポイントの殆どが海堂のミスだったのだ。
普通ならしないようなミスばかり連発し、負けたのだ。
荒井はネットを飛び越え、海堂の胸ぐらを掴んで捲し立てた。
「何やってんだよ!真面目にやれよ!
手ェ抜いたお前に勝っても嬉しくねぇんだよ!
「真剣」じゃ足りねぇ、「必死」にやれって言ったのはドコのどいつだよ!
俺はあの〈言葉〉を聞いてお前について行こうって決めたんだぞ!
それなのに、何だよそのザマは!
・・・・・おまえ・・・・・
〈言葉〉と一緒に〈誇り〉まで失くしたのかよ!!!」
その言葉は海堂の心を切り裂いた。
海堂は立っている事が出来なくなり、その場に崩れ落ちた。
・・・何という醜態だろう・・・
騒ぎに気付いた桃城が急いで駆け寄ってきた。
膝をついたままの海堂を立たせると、
「やめろ荒井。今のは言い過ぎだ」
それだけ言って桃城は海堂を連れて部室へと向かった。
その後ろ姿を見送った荒井は
「くっそぉぉぉ〜〜〜!!!」
やり場のない怒りを空に向かって放出した。
部室の中にはいると、桃城は海堂をベンチに座らせ、自分もそのとなりに座った。
海堂はまだ震えていた。
「なぁ 海堂。
さっきの荒井の言葉。言い過ぎだったと思うけど、全部がそうじゃねーぜ?
俺達はあの〈言葉〉を聞いて、お前が部長になってくれて良かったと思ったんだ。
俺と違って暴走もしねぇしな。
俺はお前を知ってるつもりだ。強いヤツだってな。
だけど、この10日の間でお前は変わっちまった。
・・・・・何があったんだよ・・・・・
今のお前には「覇気」がねぇ。
いつもぼーっとしてるし、溜息ばっかで、目も・・・何も見えてねぇみたいだ。
あのギラギラした「眼」は何処に行っちまったんだよ」
自分に話しかける桃城の声を、海堂は遠くに聞いていた。
『わかってる・・・こんなのオレじゃない・・・』
それでも、ただ情けなくて、悔しくて、辛くて、切なくて・・・
海堂は涙を流していた。
「海堂・・・」
海堂の辛さを理解したのか、桃城はもうそれ以上何も言わず、部室を後にした。
グラウンドに戻り、暫くの間誰も部室にはいるなと指示を出した。
桃城は辛そうにドアを見ていた・・・
海堂は部室の中で一人泣き続けた。
知らぬ間に失っていた〈誇り〉・・・
またひとつ失ってしまった。
これ以上何を失えばいい?
それならばいっそ・・・・・
コロシテクレナイカ?
イノチゴトウバッテクレ・・・・・
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
少し落ち着きを取り戻した海堂は、皆よりも早く帰路についた。
もちろん桃城に連絡を入れる。
さっきは悪かった。
オレらしくねぇのはわかってる。
荒井にも謝っておいてくれ。
すまないが、先に帰る。
桃城は海堂が〈言葉〉を失ってから、常に携帯を持ち歩いている。
すぐに連絡が取れるようにだ。
海堂のメールを見て、すぐに返信した。
わかった。
ゆっくり休めよ。
荒井ももう落ち着いている。
後は任せろ。
桃城からのメールを、海堂はあの土手で読んでいた。
あの日と同じように燃える夕日が、酷く心に痛かった・・・・・
家に戻った海堂がリビングに行くと、葉末がTVアニメを見ていた。
もともと海堂はあまりTVを見ないので、何のアニメなのかわからない。
葉末にタイトルを聞くと、「鋼の錬金術師ですよ」と教えてくれた。
その作品の中の〈言葉〉が海堂の心に焼き付いた。
「人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要になる」
「人は何かを失って初めて何かを得るのではないか?
失ったものがあるなら、もう何かを得ているはずだ。」
とても大きな衝撃だった。
涙が流れた。
兄の涙に気付いた葉末までうるうるし始めた。
「どうしたんですか?兄さん。泣かないで下さい。
兄さんが泣いてると、ボクも悲しいです。」
とうとう葉末は海堂に抱きついて泣き出してしまった。
だが、海堂の涙は止まらなかった。
オレは・・・
オレは、何かを得たんだろうか・・・?
〈乾センパイ〉〈言葉〉〈部長であること〉〈誇り〉・・・・・
これだけ失ったオレは・・・
同等の何かを
得たんだろうか・・・・・