ありがとうのきもち
あれから3度目の朝が来た。
海堂の〈言葉〉は今も封印されたままだった。
もう二度と出ないのかも知れない。そう思った。
なら休んでいるのは無意味なことでしかない。
海堂はノートに気持ちを綴って両親に見せた。
風邪じゃないみたいだし、体に異常もない。
このまま休んでいるわけにもいかないから
学校へ行きたい。
今まで通りに部活もやりたい。
両親は少し戸惑った様子を見せたが、柔らかく微笑って頷いてくれた。
「ずっと家にいるからなのかも知れないしな。
元の環境に戻れば知らずに戻っているかも知れない。」
「そうね。何かの弾みであっさり治るかも知れないわ。」
『ありがとう 父さん・母さん』
優しい両親に心から感謝を伝えたい。
〈言葉〉を紡げない自分がとてももどかしかった。
いつもの時間よりも遅くに家を出ることにした海堂は、玄関で桃城にメールを打っていた。
今から学校へ行く。
着く頃には練習が始まっ
てると思うが、
お前は部室で待っててくれ
頼みたいことがある。
頼み事とは他でもない、部のことだ。
〈言葉〉を失った自分は、もう部をまとめることは出来ないだろう。そう考えた結果だ。
今の海堂は指導をすることすらままならない状態なのだから。
海堂はもともと無口な少年だ。
だが無口なのと話せないのでは天と地ほどの差がある。
〈言葉〉で伝えるのは簡単なことでも、文字にすると上手く伝わらないことだってある。
今の海堂には相手を説得させる〈力〉どころか、〈言葉〉がないのだ・・・
部長である資格などオレにはない
情けなかった。
せっかく先輩達が自分を認めてくれたのに、見事に裏切ってしまった・・・
この《報い》はいつまで続くのだろう
〈乾〉 〈声〉 〈部長であること〉・・・
大切なものをあといくつ失えばいいのだろう。
この《報い》は・・・いつか「赦される」日が来るのだろうか・・・
そんな日は・・・来るのだろうか・・・
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
重い気持ちを引きずったまま部室のドアを開けた海堂を、桃城は明るく迎えた。
「オス 海堂。 具合はどうだ?
声は出るよーになったか?」
海堂は目を伏せて首を横に振った。
「そうか・・・
で?頼みって何だ?」
聞かれて海堂はノートを桃城に見せた。
そこには前もって書いてあった桃城への頼みと、自分の状態が綴ってあった。
声を失って3日たった。
熱もないし、痛みもない。原因不明だ。
このまま戻らない可能性が高くなった。
だからお前に部を頼みたい。
オレはもう部長ではいられないからお前がやってくれ。
言葉が話せないだけで他には異常ないから、
今まで通りに生活していこうと思う。
学校にも来るし、もちろん部活にも出る。
レギュラーの座は諦めねぇ 絶対にだ!
よろしく頼むぜ? 「部長」
部員にもオレが話せなくなった事を伝えてくれ
すまない。
メーワクかける
「マジかよ・・・」
桃城は驚愕の表情のまま固まってしまった。
ムリもない。
今までライバルとして何度も競い合い、衝突してきた二人だ。
それなのに、もう喧嘩をするどころかあの声を聴くことすら出来なくなるかも知れないのだ。
固まってしまった桃城を見て、海堂は辛そうに目を伏せた。
それから少しの間、桃城は難しい顔をしていた。
何かを考えているようだ。
その時間を、海堂はただ待つしかなかった。
そして桃城が出した答えは・・・・・
「ワリィ 海堂
俺は部長なんて出来ねーな。出来ねーよ。」
その言葉に反応して上げた海堂の顔は、驚きと辛さが混ざり合った、何とも言えない表情になっていた。
「そんな顔すんなよ・・・
俺は「部長」の器じゃねぇから仕方ねーよ。
そのかわりに「部長代理」をやってやるよ。
去年の大石先輩みたいにな。
大丈夫!お前の声は戻る。また話せるようになる。
絶対大丈夫だ!
だからそれまで俺が部を預かってやるよ。
治ったら返すからな。早くしろよ」
『絶対大丈夫』
この言葉が今の海堂にはとても嬉しい〈言葉〉だった。
もう二度と声は出ないだろうと諦めてかけていた自分。
この《報い》を甘んじて受け入れようとしていた自分・・・
だが別の所では、強く否定して貰いたかった。
家族ではない「誰か」に。
諦めるな。絶対大丈夫だ。そう言って貰いたかった。
それを友が言ってくれたのだ。
嬉しかった・・・
「桃城」という存在がいてくれたことを心から感謝した。
海堂はやわらかく微笑って、音のない〈言葉〉を紡いだ。
ありがとう・・・