交わらない「想い」





 『何故あんなヒドイ事を言ってしまったんだろう・・・』

乾は部屋で頭を抱えていた。

 『あんな事言うつもりじゃなかったのに・・・』

ただ傍にいるのが辛くなっただけだった。
海堂のことを嫌いになったわけじゃないし、疎ましく思ったわけでもない。
好きだからこそ、傍にいるのが辛くなったのだ。
同性ではあるが、普通の恋人同士のような甘い時間を持ちたいと思っていた。
乾にとっては夢も恋も同じだったから・・・
乾の夢は「海堂といつまでも一緒にいること」ただそれだけだったのだ。
しかし海堂の夢は違っていた。
海堂の夢は「プロテニスプレーヤーになること」だった。
   (※海堂にとって夢と恋とは全く別物であったのだ)
乾は海堂のその夢を知っている。
だからメニューを組んだり、アドバイスをしたりと海堂の練習につきあってきたのだ。
力になりたいと思った。その夢を叶えてほしいと思っていた。
だが、次第に乾は前だけを見つめる海堂の強い眼差しの中に自分の姿を見つけられなくなっていった。
あの眼差しが好きだったはずなのに・・・
そしてついに今日

 『海堂はテニスが大切なんだよな。
  お前に必要なのは「俺」じゃなくて、俺の「知識」なんだろう?』

自分でも信じられないくらい冷たい言葉をぶつけてしまった。
あの時の海堂の顔が頭から離れない。
あんな泣きそうな顔を見たのは初めてだった・・・

乾は中2の頃、入部してきたばかりの海堂に一目惚れをした。
何事にも妥協を許さない真摯な眼差しに惹かれた。
それは人間性に惚れたのであって、恋愛対象ではなかった。
しかしいつの頃からか変わった。
異性を好きになるように海堂に焦がれたのだ。
2年間想い続けて、やっと想いが通じた。
幸せだった。
それがたった2ヶ月で苦しいものに変わってしまうとは、夢にも思わなかった。

「もう「俺」はいらないんだろう?」

〈言葉〉を口にしたら、堪らなく苦しくなった。

「でも「俺」には「お前」が必要だったんだ・・・」

乾は声を殺して泣き続けた。
こんなに泣くのは何年ぶりか解らない程泣いた。
今、両親が家にいなくて良かった・・・
チラリとそんな事が頭を掠めたが、すぐに消え失せた。


お互い相手のことを思って泣いているのに、
互いの心が通じないまま夜は更けていった・・・



   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆



海堂はいつもの時間に目が覚めた。

「―――っ  ―――っ 」

やはり声は出なかった。


身体に異常はないのだから、走りに行きたかった。
何かをして気を紛らせたかったのだ。
だが、当然家族は止めるだろう。
海堂はおとなしく布団の中にいることにした。
何もしないでいると、考えるのは乾のことばかりだった。

 『何が原因なんだろう・・・?
  自分でも気付かないうちに怒らせることをしてしまったんだろうか?
  イヤ、〈言葉〉を失ったくらいだ、何か言ってしまったんだろう・・・
  優しいセンパイをあんなに冷たくさせるほど失礼な事を言ってしまったんだろう・・・』

理由など、自分で解れば苦労はしない。
しかし解らなければ謝りようがない。

 『・・・情けねぇ・・・』

海堂は頬を濡らしていた。



 『海堂はテニスが大切なんだよな。』

好きと大切とどう違うんだろう?

 『お前に必要なのは「俺」じゃなくて、俺の「知識」なんだろう?』

センパイと一緒にテニスをして強くなりたかったって言うのは
そう言うことなのか?
なら、センパイが言った事は正しかったのか?
オレはセンパイの「知識」が必要だったのか?
チガウ!オレに必要なのは「センパイ自身」だった!!
でもオレがセンパイを傷つけたことに変わりはない。
・・・やっぱりオレが悪いんじゃないか。
・・・やっぱり・・・
これは《報い》だ・・・


海堂は自分の愚かしさを呪った・・・




海堂が目を覚ましてから1時間ほどたった頃、
コンコンというノックと共に母が様子を見に来た。

「おはよう薫。具合はどう?」

海堂は「フルフル」と首を振った。
その仕種でまだ声が出ないのだと理解した。

「熱はない?痛いところは?」

―――フルフル―――

「そう・・・ でもやっぱり今日は学校をお休みしましょうね。
 先生に連絡を入れておくから・・・」

―――コクン―――

「ごはんは?何か食べたい物ある?」

海堂はノートに書いて母に見せた。


身体がおかしい訳じゃないから、
普通のご飯が食べたい



「わかったわ。じゃ用意するわね。
 下に降りてきなさい。みんなで食べましょ」

海堂は微笑って頷いた。



海堂が着替えと洗顔を済ませてダイニングに行くと、既に父と葉末が座っていた。

「おはよう薫」

「おはようございます。兄さん」

海堂は微笑って

―――おはよう―――

と、口だけ動かした。


椅子に座る時葉末の頭を撫でると、葉末はくすぐったそうに微笑った。
海堂は葉末が可愛くて仕方ないのだ。
自分とは違い、素直な葉末。
いつも自身よりも他人を気遣う優しい葉末・・・

もし葉末の優しさのひとかけらでも自分にあったなら、
「あのひと」を傷つけることもなかったのに・・・

海堂はそう思わずにはいられなかった。


食事を終えて部屋に戻った海堂は、時間を持て余していた。
何もしない休みなど久しぶりだ。
テニスを始めてからは、初めてのことではないだろうか。
部活が休みの時でもトレーニングはしていたし、
雨が降ったときは乾の家でテニスの話などをして一緒に過ごしていた。

 『いっそ病気だったら良かったのに・・・』



〈言葉〉を失ったことが《報い》

この「孤独」も《報い》・・・



   ◆    ◇    ◆    ◇    ◆



海堂はただぼんやりと流れる雲を見ていた。
どのくらいそうしていたのかわからない。
今の海堂には、時の流れなど無意味に思えていた。
音のない部屋で孤独を感じていた。
そんな海堂の耳にメールの着信音が飛び込んできた。
海堂は急ぎもせずに携帯を手にした。


メールの送信者は桃城だった。
  
 よう、海堂
 どーした?風邪か?
 熱でもあんのか?
 お前が休みなんてめずらし
 ーから、みんなビックリして
 るぜー?
 もうすぐランキング戦だ。
 早くなおして出て来いよ。
 頼むぜ!部長!!

その文面に、自然と笑みがこぼれる。
まったく桃城らしい・・・
海堂はすぐに返事を打った。
 ワリーな、迷惑掛けて。
 とりあえず熱はねぇ。
 けど、2〜3日休むかも知
 れねぇ。
 ランキング戦までには戻る
 つもりでいる。
 それまで部を頼むぜ。
 副部長!
 あ・あとメールは良いけど
 、電話はしてくんなよ。
 出れねーから。
 今声が出ねーんだ。

詳しいことは書かなかった。
余計な心配を掛けたくなかったし、知られたくなかったから。

自分がこんなに弱い人間だと、知られたくなかったから・・・


そして海堂の精神は少しずつバランスを崩していった・・・