Schwarzer Engel
1.はじまり
陽の光が柔らかく、さわやかな風が吹き、風に撫でられた草がさらさらと鳴る、
静かで穏やかな場所があった。
一人の少年が草の音を聞きながら眠っている。
くせのない黒髪を風に遊ばれてくすぐったかったのか、
「ん・・・・・」
彼は小さく息をついた。
まったく無防備である。
それもそのはず。
この場所は彼の庭なのだから。
心を開いた者にしか入らせない彼の庭・・・
ここに入れる者は本当に少なかった。
その場所で彼に向かって走る小さな影があった。
猫だ。
彼の傍まで来ると、その柔らかい肉球で彼の頬をぷにぷにと叩いた。
「カオルー 起きてよー フジがよんでるよーー」
彼はゆっくりと瞳を開いた。
「よく寝たー」というように伸びをする彼の姿は、人間とは異なっていた。
耳は尖り、その背には鴉のような大きな漆黒の翼があった。
彼は悪魔なのだ。
そして、「カオル」。これが彼の名だった。
カオルを起こしに来た猫は、薫の使い魔の「エージ」だ。
普段は猫の姿だが、人の姿にもなれる。
だが、猫の姿の方がラクらしく、滅多に人の姿になることはなかった。
エージに起こされたカオルは、礼服に着替えて「フジ」の待つ場所へと向かった。
「フジ」とはカオルの父親であり、この『世界』を統べる者である。
・・・・・そう・・・・・
此処は魔界なのだ。
カオルは魔王の城に向かいながら、肩に乗っているエージに訊ねた。
「なぁ エージ。オヤジは何でオレを呼んだんだ?」
エージはフジのお気に入りだった。
エージもフジが大好きなのでしょっちゅう遊びに行っている。
主であるカオルよりも一緒にいる時間が多いくらいだ。
魔王を「フジ」と名で呼ぶ者はエージくらいだろう。
「ん〜。はっきりとは言わなかったんだけど、
「そろそろ『儀式』を受けてもらう」 とかなんとか」
なるほど。と、カオルは思った。
『儀式』というのは恐らく『フェアトラーク』の事だろう。
『フェアトラーク』
それは、16歳になった悪魔が、地上で自分と波長の合う人間を見つけだし、
「ひとつだけ願いを叶える」と言う条件で、その人間の死後、
願いを叶えた悪魔に魂を渡すと契約させることである。
『フェアトラーク』を終えれば、一人前として認められる。
カオルは早く受けたいと思っていた。
認めてもらいたかったのだ。「カオル」という悪魔のことを。
父親である魔王の存在が大きいために、「魔王の息子」としてしか見て貰えなかったのだ。
ある男を除いては・・・
誰よりも向上心溢れる(負けず嫌いな)彼は、父を越す事を目標にしていた。
魔力はカオルの方が強いのだが、本人はそれを知らなかった。
カオルはフジの所で、案の定『フェアトラーク』の事を伝えられた。
『フェアトラーク』は満月の夜から、次の満月の深夜迄の期間で行われる。
開始の満月は明日。
それから約一月。カオル達は地上で過ごすことになった。
初めて降りる地上で、たくさんの人間がいる中で、ちゃんと相手を見つけられるのか?
相手を間違えてしまうことはないのか?
カオルは少し不安になった。
その不安に気付いたのか、フジは優しく微笑った。
「大丈夫だよ カオル。逢えば一目でわかるから」
その言葉にカオルは安心して、城を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
短い髪を逆立てている少年がいた。
左肩には厚い皮で作ったプロテクターを着けている。
体格的には、カオルよりも少し筋肉質だが、そう差異はない。
この少年の名は「モモ」。
カオルのライバルであり、カオルを認める唯一の悪魔だった。
モモが口笛を吹くと、一羽の鷹が飛来し、モモの肩にとまった。
この鷹は「リョーマ」。モモの使い魔である。
左肩のプロテクターはリョーマの止まり木のようなものだった。
「何?」
「魔王様からお呼びがかかった。一緒に来い」
言いながらモモはズンズン歩いていく。
「また何かやらかしたの?」
「さぁな」
喧嘩でもしているのかと思えるこの会話。
だが二人にとってはこれが当たり前で、仲は良いのだ(それなりに)
城でモモ達も『フェアトラーク』のことを伝えられた。
カオル同様、早く受けたいと思っていたモモは喜んだが、リョーマは不満そうだった。
「明日なんて急スギー。
一月も逢えなくなるなんてヤだなー。行きたくないなー。」
「お前なー。俺の『フェアトラーク』よりも「アイツ」の方が大事なのか?
俺はお前の主だぜ?」
「そりゃそーでしょ。
それともナニ?モモはオレがいないとダメなの?まだまだだね。
・・・あ!!」
リョーマは大好きな姿を見つけて嬉嬉とした声をあげた。
視線の先にいるのはカオルだ。
リョーマはカオルが大好きなのだ。
モモの肩にとまっていたリョーマは、カオルに向かって勢いよく飛び立った。
「カオルちゃ〜〜ん!」
カオルの元まで飛んでくると、リョーマは人の姿になってカオルに抱きついた。
「カオルちゃ〜ん。逢いたかった〜」
「リョ、リョーマ・・・
いいのか?モモが倒れてるぞ・・・」
いきなり飛ばれたためにモモは転んでしまっていた。
主を主とも思わない使い魔である。
「大丈夫だよ。躰だけは頑丈だから!
あれ?エージは?」
リョーマはカオルの傍にエージがいないことに気付いた。
「エージはオヤジの所だ。
まったく。アイツはオレが主だって事、忘れてるかもな」
リョーマが「つまんないね」と言うと、「いつものことだ」とカオルは微笑った。
「そうだ!カオルちゃん。
今日、お泊まりに行ってもいーい?」
「あぁ。別にかまわないぞ。
オレは明日から―――」
「よぉ カオル」
カオルの言葉を遮ってモモが話しかけてきた。
「オレは明日『フェアトラーク』を受ける為に地上に降りる。
一足早く上に上がらせてもらうぜー」
カオルは得意げに話すモモを見て、ニヤリと笑った。
「残念だったな。
オレも明日は地上だ。お前にゃ負けねーぜ!
・・・・・なにガッカリしてやがる。
あぁ そうだ。
今夜リョーマが泊まりに来るけど、お前もどうだ?」
少し落ち込んだいたモモだったが、カオルのその言葉で復活した。
「おぉ!行く行く。
タカさんの料理はサイコーだからなー」
「じゃあ用意をしてから来いよ。
明日そのまま行こうぜ」
「おぅ」
「カオルちゃん。あとでねー」
カオルは二人と別れ、家へと向かった。
お気に入りの場所で寝転がるカオルは、不安を拭いきれないでいた。
一目でわかるならそれはいい。
問題はその人間だ。
男でも女でもどちらでもいい。フツーであれば・・・
カオルはそう思っていた。
しかし残念なことに、カオルのこの不安は見事に的中してしまうのであった。