「ずっと一緒にいような。
          ・・・・・好きだよ。  海堂・・・・・」




   そういって微笑った『乾』はいない。




   海堂の隣には哀しく広がる空間だけが残っていた・・・・・








1000の言葉    −1−




乾貞治が中等部を卒業し、高等部に入って暫くたった頃、
青学と交流のあるドイツの高校との交換留学の話が持ち上がった。
留学する者の条件は、成績はもちろんのこと、人となりも見られる。
つまり社交性があり、信望も厚く、成績も上位という者が理想とされていた。
 
当然該当者は少ない。
 

その数少ない該当者の中から選ばれたのが乾だった。






学校の代表として選ばれたことを誇りに思わない者はいないだろう。
留学にも興味を持っていた乾は、すぐに受ける返事をした。

だが、書類を手に校長室を出た乾を、大きな不安が襲った。


  『海堂はこのことをどう思うだろう・・・』


高等部に入ってから、乾と海堂は逢う時間が少なくなっていた。

新部長になった海堂は部をまとめ、己を高めることに。
乾はレギュラー獲得のために、それぞれが必死だった。

同じ敷地内とはいえ、中等部と高等部の壁は二人にとってあまりに高かった。

ただでさえ逢えないというのに、留学してしまえば1年も逢えなくなる。
今は7月、留学は9月から。
わずかな時間しか残されていない。


  『どう・・・伝えようか・・・・・』


乾は深刻な顔のまま部活に出た。





部活が終わり、乾は公園に向かった。
そこで海堂が自主練をしているはずだから。

この大切なことは、すぐに伝えなければならなかった。
誰かの口から彼の耳に入ることだけは避けたかった。


公園の中、乾は海堂を見つけて駆け寄った。
海堂は乾に気付き、柔らかく微笑う。

大切な大切な乾の恋人・・・・・

乾はこれからこの笑顔を曇らせてしまうことに 胸が軋んだ・・・・・





 「・・・やぁ・・・」

 「ッス・・・」


挨拶だけをして二人とも黙ってしまう。
いつも会話は乾の方からしていた。
もともと海堂は無口な少年だ。
会話をするのが嫌いなわけではない。
ただ単に苦手なのだ。
だから海堂は乾の話を聞くのが好きだった。
理解できかねる内容も多いのだが・・・・・

しかし今日の乾はいつまで経っても何も話そうとしなかった。


 「?  どうかしたんスか?」


海堂は不思議に思い、下からのぞき込むようにして乾の顔を見た。


 「うん・・・実はね・・・・・」


乾は留学の話をありのままに伝えた。
話を黙って聞いていた海堂の表情が次々に変わってゆく。
初めは理解できない不思議そうな顔。
次に目を見開き驚愕の顔を見せ、最後は哀しみに沈んだ・・・・・



どのくらい沈黙が続いただろう。
口を開いたのは海堂だった。


 「・・・そ・・・っスか・・・・・」


ただ一言だけだった。
だがその一言は乾の心を締め付けた。

「言葉」にする事が苦手な海堂。
「想い」をうまく外に出せない海堂。 

そんな海堂を誰よりも理解していたから、よけいに苦しかった。


  『リュウガクナンカシテホシクナイ。
   デモセンパイニトッテイイコトナラ・・・・・』


海堂はこの二つの「想い」に悩み、どうすることも出来ずに
その一言だけを口にしたのだった。

内に残った「想い」が瞳からあふれた・・・・・


 「海堂っ!?」


まさか泣いてしまうと思っていなかった乾は狼狽えてしまっていたが、
恐らく海堂には泣いているという「意識」はないのだろう。

何故なら、涙する海堂には表情がなかったのだから・・・・・

海堂の泣き顔は「心」を失くしてしまったかのようだった。


 「海堂・・・ごめんな。一年間だけだから・・・・・」

      ・ ・
一年間だけ。乾はそういった。
海堂にとって一年間は気の遠くなるような時間に感じられた。
今でさえなかなか逢えないのに・・・・・

・・・・・しかし、乾はそうではないのだろうか。

乾が思っているよりもずっと深く、海堂は乾のことが好きだった。

・・・・・でも、乾は?
海堂が思っているよりも好きではないのか?

そんなハズがない事を海堂はわかっていた。
つもりだった。


    ハナレタクナイ
    ソバニイタイ
    ジャマハシタクナイ
    ノゾミハカナエテホシイ


なにも言うことが出来なくなった。


    クルシイ・・・・・イマハココニイタクナイ


海堂は無言のまま乾の元から走り去った・・・・・



一人残された乾もまた、泣きたい気持ちでいっぱいだった。


 「何で何も言ってくれないんだ・・・」


怒ってくれたら良かった。
責めてくれたら良かったのに・・・・・
無言で泣かれることの方がツライじゃないか・・・
海堂は許してくれないかもしれない。
『約束』を破るのは自分なのだから。


 「それでも俺は海堂が好きだよ・・・・・
  ごめんな・・・我が儘で・・・・・」


そう呟いて、乾は公園を後にした。





   ◆     ◇     ◆     ◇     ◆





時は流れる。
二人の間に哀しみを残したまま・・・・・
公園で別れて以来、二人は逢っていない。
お互い怖かったのだ。
『別離』を言い出されるかもしれないと・・・
二人が一歩を踏み出せないまま大切な時は流れる。
もう8月になってしまった。


乾は留学の準備を進めていた。

 
 「海堂・・・どうしてるかな・・・」


溜息混じりの声で小さく呟いたとき、呼び鈴が鳴った。
ドアを開けたそこには、海堂が立っていた。


 「かいどう・・・」

  『来てくれた・・・。
   海堂が逢いに来てくれた・・・・・』


乾はとても嬉しくなった。
今までの不安が一気に消えた気がした。


 「いらっしゃい。
  来てくれてすっごく嬉しいよ!」

 「・・・っス・・・」


満面の笑顔で話す乾に対し、海堂はどこか懐かしむような笑顔を見せた。
乾はその違和感にすぐ気付いたが、
知らないふりをして、海堂をリビングに促した。

紅茶を入れながら、乾は消えたはずの不安を感じていた。
気付かれないように送った視線の先には、思い詰めた表情の海堂がいた・・・
『ある事』を予感しながら紅茶をテーブルに置き、隣に座った。
海堂は黙ったままだった。


   『先に動いてくれたのは海堂だ・・・
    次は・・・俺だな・・・』


そう思った乾は出来るだけ冷静に口を開いた。


 「海堂。何か話したいことがあるの?」


海堂は一瞬「ビクッ」と体を震わせた。
そして、決心したかのように乾を見て、思い口を開いた。


 「オレ達・・・・別れましょう・・・・・」