ショート 5作品 Back Home
●満ち潮 (2004.4.15)
月が満ち潮は引いていた。眼下に広がる海辺で僕はひとり佇んでいた。
彼女のことはもう後悔はしていない。それは遠い昔のお話。
命の捨て場所を求め辿り着いた夜の海。季節は秋。
彼女から別れ話を切り出され途方に暮れていた。彼女が全てだった。
生きていくたったひとつの希望だった。だから僕は死を選び夜の海にたどり着いた。
晩秋の海は予想以上に冷たかった。深い悲しみで固まった決意も、
冷感で心臓が痛みを訴え、たった30秒ほどで海から這い上がっていた。
僕の固い決意なんて、冷たい水にあっという間に溶けてしまった。
「あなたの勇気のないところが嫌いなの」と彼女に言われた別れの言葉が
みごとに的を射ていた。
砂浜から一歩づつ進んで命を消耗させていくことは不可能だと思った。
だから次に選んだ場所は断崖だった。
真下にはあの冷たくて暗くて深い晩秋の海がある。
岩礁も突き出ているだろう。ここから飛び込めば一気に決着をつけられる。
僕に勇気があったことを最後に彼女に分からせることが出来るだろう。
幾度となく下を覗き込んだ。荒波が絶壁にあたり凄まじい音が聞こえる。
潮が舞い、肌を鼻腔を刺激する。性根から勇気を持っていない僕は、
やはり30分ほど立ち竦み覚悟がつかずにいた。
すると背後から人の気配を感じた。
振り返ると、僕とほとんど年差がない女性。そんな彼女は僕が飛び込むのを
順番待ちをしている様子で、ずっと僕の動きを見守っていた。
それが今の彼女との最初の出会いだった。
心の信号が赤から青に変わった瞬間だった。
●子供の国行きの電車 (2003.8.13)
ボクは子供の国へ、お母さんを捜しにきました。
ボクのお母さんは、入院していた病院で突然いなくなりました。
ボクは泣きました。 ずっと、ずっと泣きました。
いつまでも、いつまでも泣いていたら、青色の電車が迎えに来てくれました。
青色の電車は、白い駅で止まりました。
白い駅で、地下の赤い電車に乗り換えました。
赤い電車は、黄色い駅に止まり、子供の国に着きました。
子供の国は、夢の国。 気が付いたら、1人で来ていました。
子供の国には、子供が沢山いました。 白い服を着た大人も居ました。
子供の国は、毎日が遊びでした。 勉強もありません。 喧嘩もありません。
ご飯もたくさん食べられます。 お靴も、お洋服も、いつでも好きなのが着られます。
だけどもみんな、寂しがっていました。
子供の国に来た子供達は、みんなお母さんを捜していました。
お友達は、たまにお母さんと会うことがある、と言っていました。
ずっと、ずっと、どこまでも、どこまでも、果てしなく捜し続けたけど、
ボクには、お母さんを見つけることは出来ませんでした。
子供の国で白い服の大人と一緒に、お誕生日のお祝いを2回してもらいました。
それでも見つからないので、この日から捜すのを止めました。
白い服を着た大人の人に、電車のお話をするのも止めました。
3回目の誕生日の日に、白い服を着た大人の人が「もう、大丈夫ですね」と言いました。
ボクは「大丈夫」とだけ答えました。
そしたら次の日、お父さんが迎えに来てくれました。
お家に帰ってからも、青色の電車のことは話しませんでした。
赤い電車のことも話しませんでした。
たまに電車がお迎えに来てくれるけど、もう乗るのは止めました。
だって、また、子供の国に連れて行かれてしまうから。
●新世紀 (2003.8.5)
富士山の麓にある、3色を讃える海の水が混ざった美しい湖のほとり。
三本足の八咫烏が空を舞ったその日。饒速日命が、欲望と言う名に穢れてしまった
葦原中国を立て直すために、天津国(高天原)から降臨してきた。
すると、水色の瞳を持つ木花咲耶姫神、赤い瞳を持つ玉依姫神、緑の瞳を持つ
豊玉姫神の3女神が一糸まとわず水浴びをしていた。
「はてさて、せっかく人間界に降りてきたのだから暇にあかして、一つ私も水浴びに
興じよう。そして、この3姫の誰かを妻として迎え入れよう」
饒速日命は3日間、人間の時間でいうところの300年をこの女神たちと共に
過ごしたが、どの女神も個性豊かでそれぞれに違った美貌を持っていたため、
妻としてめとる女神を決めかねていた。
それではと、3本の紐を用意し、そのうちの1本だけに印を付けこの紐を引いた者を
妻にめとることにした。
高天原から一部始終を見ていた天照大神は大変お怒りになり、遂には地震と共に
素戔鳴尊を降臨させ、饒速日命と素戔鳴尊の戦いが始まった。
富士山は噴火し、長雨は続き川は氾濫、海は濁り生物が減少、草花は育たず、
人々は餓えと悲しみに明け暮れ、遂には全ての陸が海水に覆われ、地球は全て
水の中に沈んだ。
全ての陸が海に沈んだのを確かめた天照大神は、素戔鳴尊に天に戻ってくるよう
命令した。
すると、雨は止み海から陸が現れ、残された饒速日命と3姫は、ゼロから新しい
世界を創る仕事を命ぜられ、たくさんの子孫で繁栄させることが最初の仕事となった。
●愛しき人 (2003.7.29)
どうして あの日 あの時 あの場所で
どうして 二人はすれ違ってしまったのだろう?
どうして・・・
あれはもう一昔前のこと
通勤ラッシュの街並みの朝
濁流のように流れる人の波
数メートル先に 僕へと流れてくる君を見た
小さくて瞳の大きな白肌の君
彼女も僕を見ていた
太陽よりも熱い眼差しの絡み合い
数秒後 僅か10cm横をすれ違った二人
ときめきを覚えた胸騒ぎ
そして そのまま時は流れた
数秒後 後ろを振り返る僕
彼女も振り返り 僕をみつめていた
限りない時間の静止 忘れえぬ永遠の想い出
ほんの少し時は刻まれ 二人は自分の行く道を選んだ
海よりも深い 空よりも紅い 記憶だけを残して
あの時の僕に ほんの少しだけ勇気があったなら・・・
●遠い音楽 (2003.7.16)
『満ち潮の夜が過ぎ 遠い海で月が弾けた…』
―築30年、木造建ての1室。何もない4畳半の部屋から、ザバダックの曲が
レコードから流れる。
ソウルミュージックでも聞こうと思い、間違えてかけてしまった音楽だ。
この刻に合わせたかの様に、遠くから祭り御輿の歓喜と鈴の音色が
リズミカルに同調する。
遠い昔の不思議な音と、祭りの賑わい、そしてむせ返す様な陽気の気だるさ。
真夏日の昭和の初期にでも紛れ込んでしまった様な幻覚をみている。
先に言葉を発したのはオレだった。「終わりにしようかな…」
「そうね。終わりは始まりでもあるのよ」ほんの数週間前に出会った美月が答える。
オレはここ数日、今まで付合って来た彼女と別れる決断がつかずにいた。
オレに彼女がいることは美月には話してある。
レコードを止め、御輿も去り沈黙が訪れた彼女の部屋で、まったく役に立たない扇風機が
狂ったように首を回し、悲鳴をあげていた。
今度は、彼女から話しかけてきた。
「ワタシ、蜃気楼を見たい。ゆらゆらと、どこまでも。たとえ未来が見えなくても…」
オレは、彼女の唇にそっと口づけをした。もう、後戻りは出来ない。
二人の熱い未来が始まろうとする刻の始まり。
潮が満ちた、終わりの始まり。
遠い海でくるくる回る胸の痛み。
月が弾けたまどろみのひと時。
窓の外では、打ち上げ花火が夜空を飾っていた。
そして、二人は静かに森の奥へと、さらに奥にある戯れの都へと消えていく。
※ 「戯れの森と」は戯れ事ではなく、「神秘の森」のことです(謎)
Back Home