チャレンジカップ参加作品



               『スティックシュガー7g』



 コーヒーはあまり好きじゃない。だけどそれでも飲まなければならないのは、
そう言いつけられているから。
 あたしは淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。立ちのぼる湯気と香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「アンジェラ」
 とモルテが呼ぶ。「そろそろ僕に話してくれないかな。そんなもったいぶらずに」
「何のことかしら」
「さっききみが言っていたじゃないか。『あたしには秘密があるの』って」
 モルテの前にコーヒーを置き、あたしは向かいの席に座る。彼はコーヒーがとても好きなのだ。
 この人には話してもいいかな。そう思った。
「実はね、あたし、むかし天使だったの」
 あたしはモルテを見つめながら言った。彼の表情は穏やかそのものだった。
「だけどきみの背中に翼はないよ」
「今は天使じゃないの。天使の階級を剥奪されてしまったから」
 ふうん。そう言ってモルテはコーヒーをひと口すすった。ブラック好きの彼に大人らしさを感じる。
「あたしは天使界に住んでいて、立派な天使になれるように学校へ通っていたの。
必死になって勉強していたわ。そこでミカという子と知りあった。彼女と親しくなるまでそう時間は
かからなかった」
 窓から見える空はとても高くて、気が遠くなりそうになる。
「ミカとあたしは同じ宿舎の同じ部屋で生活していたから、ほとんどずっとそばにいたし、打ち解ける
スピードが違ったのね、きっと。だけどその友情はある日をさかいにもろくも崩れてしまった」
「好きな人の取りあいかい?」
 とモルテ。
「そんなロマンチックなことならよかったんだけどね。
 ミカのあたしへの友情は見せかけだったの。仲のいいふりをしてあたしに近づいて、いろんなことを
聞きだして、みんなにおもしろおかしく言いふらしていたの。秘密にしてほしかったこともすべて。
それを別の友達から聞いたあたしは激昂して、ミカを問いつめた。そしたら彼女は『だってあなた、
正直すぎるのよ』と笑いながら言った。それがとても許せなかった。
 ほんの制裁のつもりで、あたしはミカの聖書に火をつけた。ほんの制裁のつもりで。
すぐ駆けつけて消してくれるだろうと思っていたから−−」
「だけど違った」
「ええ。ミカはすぐに部屋にこなかった。すぐ戻ってくる自信があったのに。だからその火は聖書
以外のものにも燃え移って、部屋を飲みこんでしまった。
 あたしはそのとき、遠く離れた広場にいたの。ひとりベンチに座りこんで、自分のやったことを
必死に正当化させていた。あたしにこんなことをさせたミカが悪いんだ。あたしは何も
悪くない。これは因果応報なんだ。そう思いこませていた。
 だけど気持ちが落ち着くに従って、あたしのやった制裁が間違いだったことに気づいた。
ミカは許せないけれど、聖書を焼いてはいけなかった。聖書はあたしたちのいわばバイブル。
それを焼いてしまったのは、神を冒涜していることに他ならない。天使界にいて、立派な天使に
なるために勉強してきて、そんなこともわからなかったなんてね。本当に愚かだった。
 あたしは急いで大聖堂に行った。少しでも罪を許してもらうために、広場から走って走って
走った。大聖堂に着いたときには息切れしていたけれど、それを整える余裕さえなかった。
あたしは祭壇の前にひざまずき、一生懸命懺悔した。祈った。あたしがミカにした制裁は
間違いでした。ミカだけに裁きを下すつもりが、なんの罪もない神様まで巻きこんでしまった
ことを、どうかお許しください、と必死だった。ふと目を開けると、組んだ両手は小刻みに
震えていた。力を入れて抑えても震えはとまらなかった。
 そのとき、小さな悲鳴がたくさん聞こえた。嫌な思いが頭を過ぎった。あたしは祈りをやめ、
大聖堂を飛びだした。遠いところにある建物が轟々と燃えている。すぐにそれが宿舎だと
わかったわ。あたしには火を消すことができなかった。手遅れだったの。宿舎ではたくさんの
天使たちが混乱していた。あたしはその光景を眺め続けることしかできなかった。今でもはっきりと
思いだす、あの炎……」
 テーブルの上で震えているあたしの手を、モルテの手がそっと包んでくれた。
「あたしはそのあと、大天使裁判にかけられた。何十万もの天使たちが宿舎の大火事で死んで
しまって……ミカもその一人だった。あたしは彼女たちを死なせた罪と聖書を焼いた罪に問われ
−−地上に堕とされたの」
 ソーサーに乗せてあるスティックシュガーを1本つまみ、モルテの目の前に差しだす。
「これはただのシュガーじゃない。シュガーの形はしているけれど、ここには大火事で死んで
しまった天使たちの灰が詰まっているの。きっかり7g」
 そう、きっかり7g。「その7gを毎日、3回分取れ、と大天使裁判で言い渡された。
だからあたしは−−」
「やっぱりきみは素直すぎる」
 モルテが悲痛な面持ちで言った。
「そうかもしれない。だけどあたしは、仲間たちを殺すつもりはなかったから−−悔いても悔やみ
きれなくて。だからその償いはして当然だと思っているわ」
「魂の重さは21gだと言われているけれど−−」
 と彼は言った。「きみがいつも21gのシュガーを取るのは、毎日1人ずつの魂の重さを感じて
いるわけなんだね」
「つらいわ」
 あたしは今にも壊れてしまいそうだった。「たくさんの天使たちのさまざまな思いがあたしを襲うの。
もう押し潰されそう! 7gずつでも分けて取らないと、すぐにでも気が狂って
しまいそうよ!」
「可愛い僕のアンジェラ−−」
 そんなあたしをじっと見据え、静かに言うモルテ。彼はいつでも優しかった。
「きみはいつも悲しそうな瞳をしている。それは死んでいった天使たちの思いに満ちているから
かもしれない。だけど僕にはそんなきみが魅力的にさえ見えるんだ」
 あたしたちは席を立ち、抱きしめあった。
「一緒になろう」
 そう言って、モルテはあたしに長いキスをした。時がとまってしまったのではないかと思うほどの。
「そして一緒にその罪を償っていこう」
 くちびるを離してモルテはあたしに言い聞かせる。「大丈夫。どれだけの年月が経てば罪が償い
きれるかわからないけれど、僕はきみを手放したりしないから」
 一生かけて守る。そう言ってもう一度あたしを強く抱きしめる。あたしは彼の厚い胸に埋まった。
「魂を食べられるきみは、もう充分僕らの仲間だ」
 モルテの優しさに触れて、この幸せが永遠に続けばいいのに、と思った。

 〈了〉


                 著作:松野きりん