チャレンジカップ参加作品



           『全ての物質は猫で構成される。』



 1 父

 私の父、嵯峨 一(さが はじめ)は時の人だった。
 父が行(おこな)ったことは
 五十人の終期末医療患者の殺人。
 二万人以上の不治の病を救った奇跡。
 父は一定の期間、神の使者として、後世は悪魔の使いとして注目された。
 父の伝説で興味深いことに4回の脱獄がある。
 脱獄不可能で有名な刑務所をまるで煙の様に。
 空気孔しかない天井高い密室でも。父は消えた。
 脱獄後突然、父は倒れた。

 とある財団に全ての資産約五十億$を託し
 日本で初めての民営、聖ハジメ・ホスピスが設立された。

 父は病院を開業してた時、暴利とも思える金額で営業を行っていた。
 金で命が買える場所。
 それが父の病院の呼称。
 それでも救われた方達からは未だに父への感謝の念は消えず犯罪も善意からの
行動だと信じて止まない。
 だからこそ、ホスピスには父の名前が付いたのだろう。
 父は終期末医療の現場に長い間配置されていた。
 末期癌の患者が多く、延命治療を望まない余命6ヶ月以内の人間達が集う最後の楽園。
 日本にはその数は数えるほどしかない生と死が一番近い場所。

 たまに父を見舞いに来ている。
 惚けの症状が出ていたとき、
「全てが猫なんだ」
 と何度も言っていたことが頭に浮かび、
 目を閉じすぐに首を振った。
 思い出したくない。
 今はもうずっと昏睡(こんすい)状態。
 ここで大量の医者にモニターされている父。沢山の奇跡を産んだから?
 私は、
 沢山の人に勝手にお礼を言われ、
 沢山の人に勝手に罵倒される。
 父のせい。
 私は父に尋ねたいことがあった。
 何故、幼少の頃健全な私をホスピスに入れていたのかを。

 2 涙

 小さな頃、人が死ぬのを目撃しすぎた。
 ホスピス。
 そこは地獄だ。
 誰もが当たり前にやれることを何か一つ思い浮かべて欲しい。
 当たり前が無くなった時、想像を絶するものらしい。
 歩く。書く。覚える。立つ。トイレ。呼吸。
 若者は諦められない悔しさで涙を流している。

 健全者の私。
 私は皆の死を見つめる傍観者。

 ある日のこと、もしくはいつものこと。
「お前にこの苦しみが解るか!」と馬鹿にされて、私は泣こうとした。
 でも泣けなかった。このホスピスは涙を流している患者が多すぎる。
 だからこの土地は涙の許容量を常に超えている。
 私が泣いて良い涙なんてない。
 他の人が涙を流す。
 流しすぎている。
 何故泣いているかも解らずに、
 涙痕(るいこん)を手でなぞる患者達。

 3 手

 医大のレポートで寝不足だったのか父の病室の個室で居眠りをしてしまった。

 小さな頃の回想。
 病室で男の子と私は話をしている。
 彼が無線の玩具を親に貰い一緒に遊ぼうと言う。
 説明書に書かれているモールス信号で看護婦さんにばれないように遊ぼうと言われて。
 熱中してすぐに覚えた私達。
 平仮名は完璧。

 懐かしく、そしてそんな楽しい想い出があったことに驚いた。
 目が覚めるのがもったいなかった。
 私は父の手を握って眠っていたことに気付いた。
 父の手の痙攣(けいれん)が一定のリズムを刻んでいるような気がした。
 夢は何かの啓示なのかと半信半疑に、人差し指だけ私の手におき、リズムを計った。
「鮎 な の か?」
 モールス信号だった……
 こんな親じゃなければ私は決して信じなかった。
「私 は ここよ」
 会話は続いた。

 4 慣

 宇宙人がTVに出てから、いることが当たり前と認識するまでどれだけ時間が
掛かるのだろう?
 きっと私は誰よりも認知し、深く考えない気がする。
 そんなこと気にしていたら父のことに目を向けてられない。
 父がやったことはどれも非現実的で。
 夢だ虚言(きょげん)だ。詐欺だで済ませたい。
 関係者じゃないのなら。

 否定するよりも全て受け入れる方が楽なのだ。
 科学、医学に没頭している人なら解るだろう。
 解っていない事の多さが圧倒的なのを。

 父の手が私にモールス信号を送り続けている。
 個室には小さな丸い椅子がある。
 教わった通りの場所に手を添えた。
 触れる指は親指と薬指同時。
 すると、突然ゴロゴロ猫のように椅子が鳴く。

 私は視た。
 沢山のチビ猫が百匹以上いて液状になり椅子の形から姿を変え、部屋の隅に四散していくのを。
 そして片隅で集まった猫は鋏(はさみ)と皿になって再構成された。
 大量のチビ猫で構成された鋏と皿は白い色をしている。
 叩いた音からプラスチック製だと思われる。

 私は何を視ている?

 原子核が原子を誘うように集まっているのか。
 否。
 電子顕微鏡で見た原子は教科書通りだった。
 国が偽った情報を学ばせていないはずだ。
 もっと──違う考えをしなくては及第点はもらえない。

 色々試してみることにした。
 父の指が教えてくれる。
 鋏をまた猫に戻した。
「みゃ」と鳴き声。
 ベットの角を丸くしてみた。
 人に見られると困るので扉を無くした。
 その間に沢山の猫がひっきりなしに私の周りを走り、集結し形を成す。
 いろいろな猫がいる。
 色は白、黒、茶色、いろいろな色が混ざったもの。大きさは目に見える限界。
 壁を触った所が猫となって飛び散り、壁に穴があく。
 慌てて、猫を集めてそこに押し込む ゴロゴロ。
「うにゃあ」という産声のような声と共に壁は元に戻った。

 触り方と指を物体に留めておく時間が大切。
 これは日常生活で気付かないかもしれない。
 気付いたとしても、飲み過ぎや疲労で片づけられるような一瞬。
 私のように父が助言して何度でも小さい猫の集結、物質化を繰り返さなくては
飲み込める話ではない。
 窓を作り、緑の香りと一緒にそよ風を部屋に招いた。

 ベットと共に父が消えていた。

 私は父まで猫として四散してしまったのか急いで周りを見渡した。
 白衣を着た二足歩行の猫がいた。大きさは普通の猫と同じ。
 日本語を話している。
 声帯が人間と同じなのか?
 私は変なことを考えていた。

 5 選

「今、二人が生死の中で揺れている。しかし君の判断で一人が助かる」
「は」
 素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出す私。
「君には父の役目を継いで貰う」
 喋る猫。

「お前は父を救うか? 鏡見 翼か? 選択は一週間以内
 二人とも助けることは出来ない
 一週間以内に言葉にして決めない場合は
 お前の心が強く想っていた方の人間を生かす
 これがルール」

「何を一方的に。翼って誰さ」

「これで巨万の富を得るのも良し
 好きに使えばいい
 だが使わない事は出来ない
 殺す人も選べないがそのうち選択肢に出るだろう
 君は人間代表
 人間は本当に生きる意味があるか
 証明する義務がある」

 何故私が。

 猫の姿をした悪魔は話を続ける。

「お前の父は苦悩していた
 全然知らぬ他人を
 なぜ自分が殺したように思わなければいけないのか?
 なんで身内を助けてはいけないのか?
 どうして死ぬ直前の人間の生死を知っていなくてはならないのか?
 なぜ私が選択しなかった人の親族達はその後、私に接しようとするのか
 その人の昔話を楽しそうに、もしくは悲しそうに語るな 頼む
 ──お前の父の日記を置いておく」

「どうして猫の姿なの」

「遺伝子操作され愛玩用ペットとしてさらに可愛い新種を作り続けられる猫
 優性遺伝子wで毛は白く、目がブルーの場合聴覚障害を伴い市場に出る
 猫に限らずペット全てだ
 娯楽のために命を弄(もてあそ)ぶ咎人(とがにん)
 実験台になっている猫に憐憫(れんびん)の情は無いのか」

 倫理の論議で散々やった。
 正答がない問答。
 人間同士でさえ。
 私だってどれだけモルモットを医大で殺したか解らない。
 私は黙した。
 人間は罪人。

 猫は四散し、父とベットの姿に戻った。

 初めてここで父の苦海を知る。
 ホスピスで育てられた本当の理由、生と死を身近に感じ心が無痛になるように。
 床の日記に目がいった。

 6 逃

「私が死ねば二人とも助かるの?」
「世界の全ての人類を道連れにしてか?」

 7 迷

 鏡見 翼は猫を見た次の日に病院に来た。
 体に異常は無かった。
 脳波も安定して寝ているだけ。
 問題なのは六日間起きないこと。
 妹さんが兄から離れない。
 私に見せつける。
 殺す方の家族の愛の深さを。
 私は十字架の重さを知る。

 父か翼か。
 どちらを救うのが最良?
 他人より父を選ぶでしょう?

 父も翼もすぐに死ぬ状況ではないよ。

 私の明日の選択で、突然の死が迫るの?

 期限の1日前で翼の体の上に球体が現れた。
 蠢(うご)いている物体これは猫が集結したもの。

 何処に行ったかと思っていた悪魔は私の側に佇(たたず)んでいた。
「一つ言い忘れた
 見返りのこと
 選ぶというリスクで苦しみを背負うのだから報酬が欲しいと思うのが人間だろう
 望蜀(ぼうしょく)たる人間よ
 その猫の集まりで心の姿を時間以内に作れれば、その人間の命を救ってやる」

 ──私は馬鹿だった。

 命がけの翼の修復。朝まで。翼が起き妹さんが抱きついた。
 その後──ベットで冷たくなった父をみて全て理解した。

 8 記

 独語と数字の父の日記。
 即座に読破すべきだった。
 父も私と同じ轍を踏み、母を失っている経験が記されていた……
 私を慈しみ、愛を与えてくれる文章が並んでいた。
 数字は0は─1は・に置き換えられる

 ──事実はいつも過酷

 9 終

 人生は思い通り行かず、皆何かしらの重責を背負い
 死を思うこともあるかもしれません。
 それでも生きていてください。
 貴方が生きていたから喜びも苦しみもあったことを忘れないでください。
 生きていることだけでとても幸せな事だと解りました。
 こんな私でも良ければ──。

 0 猫

 父の日記より

 鮎は一歳の時に猫の爪から病原菌が入る。
 最新医療と私が知る限りの名医に診せるが原因突き止められず。
 鮎は3日後死亡。

 悪魔と契約した父を憎め。

 鮎、もしこの日記をお前が読めたなら、何故これを残したか気になるだろう。
 契約は私の死と共に終了する。
 たとえお前が何で出来ていたとしても、鮎、君は本当の人間になれるんだ。
 私達夫婦の愛する子、鮎へ。

 9 祈

 贅沢な願い事を言わせてください。

 こんな私でも良ければ──
 猫の固まりで構成されている私でも宜しければ
 人間として──あなた達と共に──生きていたい……

 〈了〉


                 著作:表裏 未里