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「幸せの定義」                           2005.6.20


精神的に自立できていなかった若かりし頃、 『幸せって何だろう?』 と、

形のない幸せを闇雲に探していた時代があった。

幸せの定義が分からず、テレビで幸せそうにしている映像、例えば会員制のレストランで

食事をしている人、高級住宅に住んでいる人、お金をたくさん使い社交的に遊んでいる人、

容姿端麗な人、知名度の高い人、学歴が高い人、幸せそうな家庭環境の中で

暮らしている人、栄誉ある仕事に就いている人など、幸せなそうな映像をみて知った

基準に自分が到達している状態こそが幸せなんだ、と考えていた。


確かに、美味しいものを食べたり、海外で遊んだり、容姿などで褒められれば

その時だけは幸せを感じることができる。

だが、実際は毎日美味しいものを食べていれば、それは普通の食事になってしまうし、

いつも海外で遊んでいればそれが普通の生活となり、普通の状態はいずれ物足りなくなる。

美貌にしたって永遠に続くわけではなく、所詮、他人と比較してみた結果の

優越感で 『幸せだ』 と感じているだけでなのである。


他人と比較し優越感によって幸せを感じる、ということは意外と気付かないことなのだけど、

それは全て自分の外の世界との関わりである。

全てにおいて比較(競争)をし、勝ったときに優越感を感じ、ちょっとした幸福感を得ている。

負けた方は結果を不幸に思い、次は負けないようにと努力をする。


常日頃から、自分以外の全ての人に、大なり小なり勝ち負けを意識し(無意識的にも)、

自分が不幸を感じないように、幸福感を味わえるようにと努力をして、

その結果、競争心はどんどん強くなる。

競争が激化してくると労力を伴うこととなり、苦労や自己犠牲、他者犠牲などを

強いるようになる。すると、ストレスが溜まる。精神的な余裕が無くなる。

敗北感を味わう。不安になる。辛くなる。悲しくなる。ヒステリックになる。混乱するなど、

本人は意識しなくとも心が悲鳴をあげ、様々な拒否反応が表れてくる。


自分の地位やプライドを守ろうと、幸せになろうと、自分の外の世界、自分の価値の

ひとつである周囲の人間を一所懸命変えようと努力した結果、それが代えって不幸を

招いている、ということに気づかず、ひたすらテレビから教わった一般的価値基準という

実体のない幸せに向かって、不幸になる努力を続けている。

そして、自己満足のために強制的に変えさせられようとして迷惑を被った人は、

心に余裕が無くなってしまった当人から当然のごとく距離をおくこととなる。


そもそも「自分以外の全ての人は最初から価値観が違うんだ」、

「どんな人でも自分の経験で得た価値観が正しいと信じているんだ」ということを

理解していない人は、他人を自分の価値観に変えようと無駄な努力をしていることに

気づかず、自分に根本的な問題がある(人の心を理解していない)

ことが判っていないので、そこにも大きな葛藤がうまれてしまう。


外部との比較によった優越感や、他人との関係の中に幸せがないとすれば、

それでは一体、幸せはどこにあるのだろう?

僕の場合、これまでの様々な経験を経て、幸せをとても身近なところでみつけた。

幸せの在処は、本当の幸せは、自分の中にあった。自分の心の中にあった。


他人と比較しないことで、安らぎと余裕がうまれた。

人に優しく出来るようになるし、優しくされていると感じられるようにもなる。

競争心がいつも頭の中にあると、他人から優しくされても、それは何かの魂胆だとか、

何か思惑でもあるのかな? などとつい考えてしまい、他人から幸せを与えられているのに

無意識で自分から拒絶していたり、競争が念頭にあり常に相手を意識(敵視)していた。


では、どのようにしたら幸せを感じることができるのだろうか?

これは、とても簡単なことだけど、本心から思えないととても難しい。

自分の心を変える(内を変える)、たったそれだけのことである。

どんなことにもこだわりを持たず、小さなことにでも幸せを感じられる心に

変えてしまえば、その人はとても幸せになれる。

短い人生、いつでも笑って、楽しく幸せに暮らせるようになる。

周囲にも良い影響を与え、人生がどんどん楽しくなってくる。

たとえ他人から見下されようが、非難されようが、

『本人が幸せであればいいじゃないか』と考えられるようになれば、

その人は本当に幸せになれるのである。

この話で、他人に見下されたり非難されたら「それは不幸だろう」と反発している人は

幸せを掴むのにほど遠い位置にいる。


もちろん、他人に見下されたり、非難されるような自分に変えるのではなく、

他人の目を意識しないで生きていけるように自分の気持ちを変えなさい、

ということである。 たったこれだけのことなのである。


自分の周囲を変えようとしたり、他人と比較し、競争して優越感を感じるなどの

些細な幸せにばかりに努力をしていないで、自分の内にある心を変える努力を

少しずつしてみませんか?

常に、自分の気持ち(生き方)を変える意識を持ち続けて。


最後に。

真の教育とは、知識を詰め込むことではなく、その人が幸せな人生を

送れるように導いてあげる(心を作ってゆく)ことである。  by−琥珀


この「幸せの定義」を信じることができたあなたに、幸せあれ!




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