チャレンジカップ参加作品



                 『扇風機を捜せ』



 蒸し暑い。本当の所、僕はクーラーをガンガン利かせて部屋の温度を可能な
限り下げて、今すぐ夢の中に逃げ込みたい。しかし、生憎僕の部屋にはクーラー
なんて言う文明の利器はない。

 仕方がないから僕は、窓を全開にして(ただし蚊が入ってくるから網戸は閉めて)、
掛け布団を足下に押しやり、その上氷嚢を用意して涼しさを得ようとしている。

 文字通り、完全装備だ。
「…………」
 それでも、やっぱり、眠れない。
 氷嚢もすぐに溶けてしまいベタベタと額にくっついてきている。
 鬱陶しい。鬱陶しい。鬱陶しい。
「冗談じゃねぇよ」
 恐ろしく不愉快だ。僕はこの一週間、例年よりも長引いている梅雨の蒸し
暑さのせいでまともに寝ていない。目の下にはくっきりとクマができてしまった。

 こんな時には寝ない方がまだまだマシかもしれない。何かの行為に没頭して
眠気を忘れてしまうべきかもしれない。


 ――――何で僕はこんな事をしているんだろう。
 僕は眠気を振り切るためにパソコンのスイッチを入れたのだが、それは逆効果
だった。

 僕の安物かつ骨董モノのパソコンは、すっかり熱を持ってしまい、部屋の温度
上昇に一役買ってしまっている。

 その上ぽつりぽつりと雨が降ってきてしまった。
 部屋の中に雨が侵入するのを防ぐため、窓を閉めなくてはいけなくなったのだ。
 暑い。
 これで怒りを覚えない方がどうかしている。
 安物パソコン!ベチャベチャ氷嚢!ジメジメ梅雨!雨!
 地球温暖化で異常気象で、ジメジメカビカビですか!?
 どうやら湿気が、僕の頭をふにゃふにゃに湿らせているらしい。
 うちわどこに置いたかな?
 ウチワドコニオイタカナ?
 机の上だ。
 この前、学校に持って行ったときに友達が紙をはがしてしまったけど。
 何やってんだよ!
 うちわじゃないじゃん、それ!ただのプラスチックだよ!骨組みだけ残して
どうしろっていうんだよ!

 いやいや、大丈夫。確かに今の状態のうちわは役に立たないけど、また新しく
紙を貼ってやれば役に立つのではないか?

 ナイスアイデア!天才だ!
 僕のふやけた腐れ脳も中々どうして役に立つではないか。

 悪い考えではなかったと思う。十人に聞いたら十人がまともな判断だと言って
くれるだろう。それなのに……、

 それなのに……、どうして、どうして……。
 部屋の異常な湿度のせいで、ノリが乾かなかった。うちわをぱたぱたと振ったら、
中途半端に接着された紙が骨組みの下でぴらぴら踊った。

 どうやら今日はやることなすこと裏目に出るらしい。
 僕は何をするでもなく、ベッドの上に寝転がった。もちろん、寝る気にもなれない。
 外は少しだけ雨足が強くなってきたようだ。
 と、
 僕の頭に閃光が走った。クーラーなんか無くても良いじゃないか!うちわなんか
何でもない。この世の中には「扇風機」という物があるではないか!

 僕にはその小型の電動機の軸に数枚の羽を付けただけの装置が神のように感じられた。
その回転によって出てくる風はまさに神の息吹。まさしく奇跡だ。

 よし、さっそく、扇風機を用意しよう。
 だいぶ夜も更けたが、父さんはまだ仕事をしているだろう。僕は母さんと妹を起こさ
ないように足音を忍ばせて自分の部屋を出た。


 扇風機はどこだ?
 確かクローゼットだ。
 クローゼットを開けて、喜び勇んで扇風機が入っている段ボールをだした僕は、その
異常な軽さに気がついた。

 ――――あぁ、父さんが仕事部屋で使っているんだろう。あそこも熱が籠もるから。
 この家には二台の扇風機がある。だから僕はもう一つの段ボールに手を伸ばした。
うん、ちゃんと入っている。小躍りしながらそれを部屋に持ち帰った僕は、すぐに
スイッチを入れた。扇風機は赤く光って温風を僕に送り出してきた。

 ハロゲンヒーター。
 いらねぇよ!紛らわしいところに置くなよ!
 ひとしきり誰かに怒りをぶつけた僕は、気を取り直してもう一台の扇風機を探すこと
にした。

 雨戸が風で、カタリと音を立てた。

 扇風機はどこだ?
 妹の部屋かもしれない。恐らくもう眠ってしまっているだろうから、別に借りても
いいだろう。

 そっと扉を開けた。薄明かりの中ですやすやと寝息を立てているのが分かった。
 妹は怖がりで、完全な闇の中で寝ようとはしない。だからいつも少しだけ明かりを
付けて寝ている。僕も小さい頃はそうだったが、母さんにビクビクするなとか言われて
明かりを付けないでも寝られるようになった。いるかも分からないお化けよりも母さん
の怒りの方が怖かったのかもしれない。妹の場合は可愛いとか言われてお咎めなし
だったけど。

 風も出てきたようで、雨戸がガタガタとうるさく、扇風機の音が聞こえない。もしか
したらタイマーで切れているかもしれない。

 いや、それ以前に扇風機はなかった。
 僕は妹を起こさないように気をつけて、部屋を出た。何か小さな物を踏んでしまった。
足の裏に痛みが走った。少し顔をしかめた。


 扇風機はどこだ?
 分からない。
 僕はもう、家の中をあらかた探してしまった。それでも扇風機はおろか、プロペラ
さえも見つからない。プロペラだけ見つかっても、困るが。

 邪魔をしてはいけないと思っていたが背に腹は代えられない。父さんに聞いてみる
ことにした。

「なんだ、まだ起きてたのか……」
 父さんはしれっとそう言った。扇風機の風で目を細めながら、動いていないもう
一台をポンポンと叩いた。押さえきれないこの感情は一体何なんだろう。そんな僕を
よそに、父さんは言葉を続けた。

「先に聞きに来てくれればよかったのに」
「……ねぇ、その使ってない一台、持って行って良い?」
 僕はさっさと用事を済ませようとする。
「ん?これ、壊れてるぞ」
 父さんはそう言って、ポチポチとスイッチを入れた。よく見ればスイッチ下の
つまみがない。部品が一つ足りないらしい。

「確か……、この前母さんが市場の景品でもう一台、扇風機当ててなかったっけ?」
「わかった、ありがとう」
 ――――そうだったっけ?
 僕は取り敢えず礼を言って、部屋を出た。

 扇風機はどこだ?
 扇風機はどこだ?

 僕はもう一度、全部の部屋を回って扇風機を探した。
 外はもう土砂降りになっていて、とてもじゃないが窓は開けられない。

 扇風機はどこだ?

「いやいや、母さんは確かにくじ引きで当ててたよ」
「本当?」
 父さんも協力してくれるらしい。

「ほらあった」
「…………」
 確かにあった、扇風機。超コンパクトで持ち運び簡単。お祭りとかで売っている
ペンサイズの扇風機だ。

 父さんは商店街の五等の景品を自慢げに振りかざした。
「……それ、妹にあげて」
 僕は静かに言った。
 父さんは頷いて、妹の部屋に歩いていった。

「あ痛っ」
 父さんが足を上げた。何かを踏んだらしい。
「おぉ!あったぞ!」
 ――――何が?
 お父さんは足下から小さなつまみを拾った。
「無くなってた部品だよ、壊れてたヤツの」
「あ……」
「よかったな。あの扇風機、直るぞ」
 僕も、父さんと同じ物を、踏んでいた。

 時計は午前五時を指そうとしている。
 今日はすっかり徹夜だ。
 扇風機なんか、
 今更直っても、
 意味がない。

 夜が白々と、明けてきた。
 雨もいつの間にか、止んでいた。


 〈了〉


                   著作:黒白