ショート 5作品 Back Home
●六月の花嫁 (2005.06.02)
どこまでも蒼い青空の下。白い水無月とどこまでも広がる碧雲。
二人は濡れ羽色の高級車に乗ってどこまでもどこまでも。
着いた先は深紅の色が流れている紅い森。岩に囲まれた巨大な穴には
黒い丸が浮かんでいた。車は制御を無視して爆裂モードにセットイン。
彼女が不安を隠している。隠したいのは僕なのに。どこまで吸い込まれたら
気が済むのだろう。私は龍になって。あの娘も龍になって。
六月の花嫁はどこまでも果てなく寂しく遠く色鮮やかに。
燃えさかる情熱は南極の大地から生まれたコロナのよう。
落ちた先は紫色の聖水が保たれたアクリルガラスの砂時計の中。
俯瞰でみていたら銀色の糸に絡んだ凧の偏西風が靡いて泳いでいた。
白い光が眩しかったのは何時の日か。桃の桜と黄色い卯月がどこまでも広がる
満天の銀河の空の下。そして僕が生まれた新世紀龍人誕生の物語。
これから何処を彷徨うのだろう。
その答えは――涙の先の夢の先
●智慧の泉 (2005.06.08)
灯りを頼りに森の奥へと進んだ。蜃気楼のように揺れ戯れる、ろうそくの火を目印に。
薄い影と深い影が僕を包む。混迷へと誘う迷いの森をどれだけ進んだのだろう。
この森に入ったのは訳がある。勇気と才能が石清水の天然水のごとく湧き出ると
伝えられる、智慧の泉を探すためだ。
遠くに聞こえる低重音の轟き、森を写し出すフラッシュのような紫。
まもなく嵐になるのだろう、雷雲の証が近づいている。針葉樹に落ちた雨雫が
糸を引きながら沈み、もうこれが極限だと悟ったその時。妖精が現れ、僕を惑わす。
「妖精の森へ。ようこそ」
一言だけ発して消えた妖精。
ずぶ濡で冷たく重い体と鋼鉄の箱に閉ざされた闇の心。幻想と現実と真実の
境界が破壊しかけていた頃、まるでおとぎ話のように都合良くタヌキが現れる。
「そうか。この森の幻覚はこやつの仕業か」
追いかけて、追いかけて、いつしか自分のポジションを忘れ、森の奥深くに着いて、
足首が濡れていて、動くと体が沈み、身動きが出来なくなり、沼が僕をのみ込もうとして、
抵抗して、叫んで、怯えて、震えて、隠れて、失って、消えて、そして時間は止まっていた。
幻の灯火が膨らんで再び妖精が現れて、泥沼にはまっていた僕を引き上げた。
「もういいよね」
妖精の声なのだろうか? 心の内に聞こえた救いの言葉。
電光の流れ星のような妖精の羽音を頼りに、そして僕は僕が孵った。
経験が勇気と才能を産んだ。
智慧の泉は、神秘の森のその奥に。太古の記憶から湧き出ることを知った、
あの日あの時。
●二人称習作 (2005.06.14)
右手を伸ばしてボタンを押すとモニターが一瞬白く光り、黒い画面は深い空の
ブルーに変化した。パソコンの前に座るあなたは右の手のひらで包むようにマウスを
握り、お気に入りから鍛錬場にアクセスした。センスがまったく感じられない駄目の
見本のような題名が付いた投稿作品を、早くも後悔しながら読んでいたのは、
あなただった。
あなたは数年前まで小説というものが嫌いで、軍隊蟻が列をなして行進しているような
黒い粒の規則正しい文字の羅列をみただけで思考が拒絶反応する体質であった。
だがインターネットに興味を示し文章を読むという行為に慣れ親しんだ頃、誰彼が
創作した短い小説を読み続けていくうちに少しずつ文字に対する免疫が付いてきた。
しかしそれはウェブ上のことだけであって、書店に陳列されているハードカバーを開いた
途端、発作的にその場を離れてしまう行動は今でも起こっている。
あなたが小説を嫌いになる原因は学生時代にあった。授業でこれこそが文学であると
認知された教科書に印刷されている興味の持てない文章を強制的に押しつけられていた
時代、義務教育のシステムでは「自分の好む文章を選ぶ」という選択肢は許されず、好きな
ジャンルであれば文学の魅力に惹かれ苦痛な勉強も少しは面白くなったであろうものが、
文部官僚という人種が勧めてくれた教育題材にはまったく関心を示せず、その結果が文字
集合体への拒絶反応という後遺症を残していた。
小説という形式の文章が面白いものだと知ったのはネットという実態のない自己表現の
場で偶然みつけた、とある素人作家の作品を読んだことが切っ掛けで、その作品は
心理や風景描写が巧みでいわゆる一人称という形式の心情を語ってゆく感情むき出しの
小説であった。
そんな魅力的な力を持つ文章にあなたは憧れ『こんなにも人を虜にさてしまう作品を
書いてみたい』との強い欲求が沸き上がり、数日後には初めて書いた小説らしき物語性の
ある文章が完成した。
あなたは書き終えた作品を何度も読み返えすたびに、作家としての資質の高さをを
感じざるを得なかった。「近い将来に芥川賞、いやノーベル文学賞さえ受賞出来るのでは」と、
ひとりほくそ笑みながら妄想は果てしなく地球の裏側リオデジャネイロのイパネマビーチ
まで飛んでいた。
そんな自信満々の、坊ちゃん文学大賞にも値するであろう小説の完成度の高さを
認めてもらおうと、検索エンジンに引っかかった『ごはん』というサイトを利用して、あなたは
読者の反応を試みた。初めての投稿は、心臓が和太鼓のリズムを刻み、吹き上がある血流は
頭上で滞る。鈍い意識が陽炎のごとく揺らぎながら、震える人差し指で『本登録』をクリックした。
当然のごとく感想欄には「これまでにない斬新で素晴らしい作品に感動した」「未来の日本
文学を牽引する新星誕生」などという絶大的な賞賛の言葉が並ぶものと予想した。
はたして、自称坊ちゃん文学大賞級の作品に付いた感想は「この作品は中学生レベルの
作文」「これは小説ではなくただの言葉の陳列」という精神的に大きなダメージを与える
悲痛な意見が大半を占め、数日間はお粥でさえ喉を通らなかった。
そんなあなたは自分の未熟さを差しおいて、ごはんに集う人たちの文学に対する意識と
価値観の違い、学術的な知識や教養・読解力の欠落を散々嘆いたものである。
しかし今になって当時の作品を読み返すと、小説作法度外視に思いの丈を殴り書きした
私小説は、描写という小説としての体を成す最低限の技法すらなかった。まるで自主努力を
せずに見栄とプライドだけが価値観だと思いこんでいる、お役人様の生き方のような
在り来たりのストーリーでしかなかった。
それから一年の年月が流れ、小説の書き方をネットで調べ知識を得たあなたは掌編を
書き続けた。いつかは純文学系新人賞を勝ち取ることを夢見て執筆を続けていたが、
技術の基礎が身に付き書き方に慣れてくると大きな壁にぶち当たった。
知識だけでは得られない、執筆を続けることで初めて疑問が路程してくる『一人称と
三人称の視点の置き方』という、一見簡単そうでいてなかなか厄介な技法に困惑していた。
視点を重要視するようになったあなたは、再びネットを駆使して小説の書き方を学んだが、
私の主観でストーリーを展開させる一人称、客観的な視点で彼らの行動を追ってゆく
三人称のほかに、小説として体裁を整えるのが難しくプロの作家でも敬遠する『あなた』の
ことを傍聴した感覚で書き綴ってゆく二人称という形式があることを、この時初めて意識した。
あなたは某雑誌の新人賞に応募しようと、これまで書き溜めておいた作品数本を纏めた
短編集を投稿するつもりでいたが、しかし短編の一つがどのように読んでも小説ではなく
エッセイであった。だが受賞するためにはどうしてもこの作品を外せないと考えていたあなたは、
二人称こそがエッセイを小説に変換してもその価値を落とさずに成功する最も適した形式で
あることに気付き、文体を変えて書き直すことを決意したのである。
そんなあなたは二人称形式で書かれた作品を読んでいるのだが、この文脈が小説で
あるのかどうかという根本的な疑問を抱きながらも、しかしかの有名な芥川龍之介でさえも
小説とは到底思えない自己観察型精神崩壊履歴を綴った優れた文学作品が文庫本
コーナーに並んでいる事実を思い起こし、これはこれで良いのでは無かろうか、と考えて
いるのである。
そんな二人称という形式で書かれている文脈のおかしな小説は、スレッド落ちとともに
この世から消滅するのであるから、今のうちに印刷して残しておく必要がある。数年後、
歴史に残る芥川賞作家の『幻の作品』として公表される時が来るからである。
さらに今現在、パソコンの前に陣取りモニターを眺めながらこの文章を読んでいるあなたが
感想なんぞ付けようものなら「ノーベル賞作家に鍛錬指導してやったことがあるんだぞ」と
自慢出来る最大のチャンスなのである。ただし今あなたが使っているペンネームをあなたと
同一人物として認めてくれる保証はどこにもないのだが、少なくてもあなただけの栄光の
伝説が作られるであろう。
視点が狂い出してきたあなたの妄想は、すでに銀河系の遙か彼方、大マゼラン星雲の
イスカンダル星まで飛んでしまっている。この作品に高い価値を見出し印刷した人が、
いつしか「ただの紙屑だった」と言って捨てる日が来ることを本当は知っているのだが。
●テュフォン (2006.07)
ギリシャ神話の一節、テュフォンという竜伝説の中に『台風の中心に
現世とまったく異なった流麗な蒼がある』と伝えられている。
探求心旺盛なオレは台風の目の中に入ろうと、夜明け頃に東京を直撃する
超巨大台風に立ち向かう準備を始めた。
携帯ラジオで台風の位置を確認すると、三時間後の新宿あたりが台風の
進路予想になっていた。
好奇心旺盛なオレは台風のエネルギーがどれほどの威力を持っているのか、
その真価を計るべくビルに囲まれた深夜の街中、強風に煽られながらも仁王立ちで
台風の中心部が来るのを待っている。
超巨大台風の力は猛烈で、雷を伴う猛烈な横雨、風速は五十メートルを越え、
物がふっ飛ぶその様は、資本主義が巻き起こす凶暴なエネルギーと重なって見えた。
中心部が近づくにつれ風雨は激しさを増し、体力が衰弱し、冷えきった身体が地面に
落ちそうになったその瞬間、突き上げてきた突風に空高く押し上げられた。
依存心は持ち合わせていないオレだったが、強大なエネルギーの流れに身を任せるしか
術がなく、螺旋に舞い上がっていくその感覚は、まるで竜の背に乗っているような錯覚に陥る。
弾かれたこの身体がこのままアスファルトに叩きつけられるのを覚悟したが、突然荒らしは
弱まり、緩やかに吹き上げる風と相まって滑らかに身体は堕ち、濡れたアスファルトが
酷く固く感じた。
全てを投げ出し、流れに身を任せる術を覚え、明日の命さえも諦めたその時、
夜明けと共に黄金色の光が目に飛び込み、オレは悟りという境地を見たような気がした。
地面に横たわり天を見上げると、空はこれまでに見たことのない深い碧が広がっていた。
台風の中心の刻を過ぎればまた荒らしがやってくる。
オレは二度と台風のエネルギーに呑まれぬよう、未来の命を与えてくれた竜神の逆鱗に
触れぬよう、資本主義に巻き込まれた荒れた心に戻らぬよう、台風の進路に向かって歩き出す。
過ぎゆく時間が平安をもたらしてくれることを自然の摂理で知っていたから。
●永遠 (2006.08.07)
永遠の命がどれだけ不幸か、あなた方には解るまい。
それは高度成長期に差し掛かった昭和の時代、私は不老不死の薬を発明し販売した。
もちろん、開発者である私も不老不死の薬を飲んだ。
薬はちょっとしたブームになったが、たくさん飲んだ人にも死は訪れた。結果、世間では
「不老不死の薬は詐欺だ」という批判を受けることとなり、私の地位や名声は瞬時に崩れた。
そんな私も転落事故で死んだ。いや、そうではない、生きている。心臓が停止し、
肉体は焼かれた。だけど私は生きている。いわゆる幽霊となって生きている。
だからあの薬は紛れもなく不老不死の薬で、詐欺などではなかった。
肉体を持たずに生き続け、地獄にさえも行けぬまま、誰にも知られず、誰とも話せず、
何も出来ずに、地球が消滅しても永遠に続くであろう無意味な時間を過ごす残酷さといったら、
あなた方には想像もつかぬことだろう。
肉体を持たぬから食事さえ出来ず、生き続けても楽しみなどまったくない。視覚も奪われ
手足もないから、風にまかせて浮遊しているだけだ。まあ、肉体がないことで痛みや悪臭を
感じないことはせめてもの救いだが。
そして今では、時間の経過とともに自分さえも解らなくなり、自分が描かれている肖像画の
記憶だけが、私が私であったという証になっている。
だから私はあなた達に警告しておく。
「もし不老不死の薬が再販されても決して飲んではいけない」
死が訪れることがどんなに幸せか、それは不老不死になってみないと分からぬことだからだ。
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