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「モノの価値」 〜物欲という名の檻〜
    2002.12.25


僕の好きなクラシック音楽の1つに、パッフェルベルの「CANON」があります。
音楽は、当然耳から聞こえてきますよね。

でも、流れてくる綺麗な音には姿や形はありません。
幻想的な音楽を聴いて、心が熱くなったり、楽しくなったりします。
そして、その音楽を聴いている自分の心にも姿や形はありません。
絵画やスポーツ・映画などを見て、感動するのも同じく、
それ自体には形はありません。

人が喜んだり、悲しんだりするのは、姿や形のない「心」です。
では、その心はどこにあるのでしょう?

現在の科学的な側面から説明すると、脳内伝達物質のドーパミンニューロンや
セロトニンなどが感情をコントロールする脳の一部を刺激し、人の感情が喜んだり、
悲しんだりする様なことが科学的には証明されています。

しかし、その感情には姿や形はありません。

もし、この世が物質だけの世界だと過程したら、本来感じるのは脳が反応した場所が
快感という刺激を覚えなくてはなりません。
でも、実際に感じているのは形のない心です。考えると不思議ですよね。


近年、日本経済が発達したことから、物欲が強くなり、お金やブランドなどに
執着している人が非常に多く見受けられるようになりました。
特に、最近は何につけ、お金、お金、とテレビでも、世間話でも、
ネット社会でも、人々が最も興味を示す話題の中心になっています。

では、モノが本当に心を満たし、幸せを与えてくれるのか?
ブランド品を例にとって、少し考えてみましょう。
ブランドのバックと、一般メーカーのバックの機能の差や素材は
ほとんど変わらないのに、その価格差は異常なほどです。

では、なぜ人は高級ブランド品や宝石などを身にまといたがるのでしょう?

答えは、高級品を持っていることによって、他人から褒められたり、
うらやましがられたりされるからですよね。
でも、それによって喜んでいるのは、あなたというモノ(肉体)ではなく、
心という形のないモノです。

その人にとって、心が満たされる条件が高級品であっただけのことです。
それと、ブランドのバックを持っていれば、他人から1度は褒めてもらえますが、
もっと褒めてもらうには新しい製品を次々と買う必要が出てきます。
ですから、心が満たされなければ、いくら高級品を買い集めても、
一時的な満足にしかなりません。

いくら、モノを集めても、心が常に満たされなければ、一生懸命働いて
永遠に集め続けることになります。
それは、極論すれば物欲というオリに入れられて生きているようなものです。

この様な精神状態になっている人は、考えを改め直して、別のことで価値観を見出し、
心が満足できる趣味などを探さないと、一生この呪縛から抜け出せないでしょうね。

僕の場合、モノは生活に必要なだけあれば良いと考えています。
社会生活がスムーズに行くよう、服装の礼儀やデザインなども多少は気にしますが、
選択する第一条件は機能重視です。
車も必要以上の車種は望まないし、時計も時間さえ分かれば良い程度しか
考えていません。

理由は、他に満足できる心の余裕や、やりたいことがあるから。
他人のために、この世のために生きるという人生の目的があるから。
モノという物質がなくても十分満足できるから。

最近では、出来れば物質のない心だけの世界、同じ様な考え方や
性格を持つ人(心)だけが集まった世界があるのだとしたら、
「そこに行きたいな」などと、本気で考えるようになりました。

心だけの世界があるのかは知りませんが、もしかしたら本当に
死後の霊の世界があるかも知れません。

例えば、写真に写った自分は肉体という形だけが写されているけれど、
写真の中の自分には目には見えない心や、その時感じていた心があるように、
霊という心だけが集まる世界が見えないだけなのかも知れませんね。
自分では納得できていないけど、実際に霊的な現象を体験しているし・・・。
どうなんでしょうね?

しかし、現実は物質に依存している世界で生きていて、肉体を持つ生命があり、
体を維持するために食事をしたり、服を着たり、子孫を増やすために備わった
肉体がある以上、物質や心の内から沸いてくる全ての欲望を捨てることが出来ず、
本気で悩んでたりします。


最後に。

これまでに起こった戦争や環境破壊など、その原因は人間の物欲が
大きく関与しているということを一度考えてみて下さい。
個人レベル、地域レベル、国家レベルでの人間の欲望が
地球を破壊しているということを。
必要以上の欲望の醜さを、少しでも解って頂けたらと思います。
欲望を出来るだけ捨てること。
それが、心豊かに暮らしていく真理であるということを。

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