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「人はなぜ生きていけるのか」 2006.1.19
人はなぜ生きていけるのか? という単純な問題だけど、実に奥深く難しい
テーマについて、自分なりに考えていたら何となくひとつの答えがみつかった。
つい最近、1988年に連続幼女誘拐殺人事件を起こし、刑が確定したことで
話題となっていた宮崎被告の記事を新聞で読んでいたときのこと。
新聞やテレビニュースの解説で示されているのは、彼の生い立ちや身体的障害、
犯行の経緯、精神を病んでいたのか、そして責任能力はあったのか、といった
表面的なことばかりで、肝心の犯行動機の解明や、この事件を今後社会に
どう活かすのか、という問題が解明されずに、心理学者や検察・弁護士の意見でも
結局のところ真相は判らない事件として結論付けられてしまっている。
検察を始め、マスコミなどは読者の興味を惹くために、彼はオタクで、映像
収集マニアで、ロリコンで、といったイメージにより変質者的な人物像を
具体化し、犯行の動機は異常な性的欲求であったと結論付けている。
果たして本当にそうなのであろうか? と、とても疑問が残る。
彼は6000本近くのビデオを保管し、部屋の中を埋めていた。
そのうち、幼女を写したビデオはたったの18本だけで、残虐性がみられない
ごく一般的な内容のものだったと実際に観た人が伝えている。
しかも、彼はアダルトビデオには嫌悪感を覚え、さらに性的な興奮さえ
味わったことがないことも確認されている。
そんな精神状態の彼が、性的な興味でもって犯罪を犯したとは到底
考えられない。特異的な精神異常が認められるものの、罪を犯したことは
事実であって、それが許されるべき行為ではないのだが。
当時、彼はビデオ収集マニア達と交友があって、仲間関係を維持する
その手段がアニメや幼女が映った映像を収集する目的だったのだろうと
推測される。彼は幼女に興奮するのではなく、幼女が映った特殊な
画像を求める友達に見せ、うらやましがられるのが犯罪行為に走らせた
最大の理由だったのだろう。
また、この報道があった日には、経済界を震撼させたIT関連企業ライブ
ドアに、証券取引法違反容疑で東京地検特捜部が家宅捜索に入った。
経営母体は生産性や、まともな事業目的を持たない不安定な会社が、
ただひたすら株式売買により得た利益で他社を買収し、バブルのように
膨らんだ自社株価でもって会社運営を進めていた。
ライブドア社経営陣を始め、関連企業の株価の乱高下に一喜一憂する
投資家など、実体価値のない会社の証券に群がり、お金に対する
欲望をむき出しにしながら、詐欺まがいの取り引きを皆で容認していた。
この、まったく関連性のない2つの事件であるが、犯罪へと向かわせる
動機となる接点が、人がなぜ生きていけるのか? というテーマを
解く鍵となった。
そのキーワードは『快楽』。
金銭欲、性欲さえない宮崎被告を犯罪に走らせた動機。
金の魅力に取り憑かれ、多くの人を巻き込み、欲望ムキ出しに
少し考えればいとも簡単に経営破綻する手法から脱却できないまま
企業拡大路線を進み続けてしまった、ライブドアのその動機。
どちらも背後に潜んでいる心理的な原動力は快楽なのではなかろうか。
拒食症という、精神的障害で食事を受け付けなくなる病気がある。
一般的に、食事を摂るという行為自体は快楽だ。
美味しい食事はもちろん快楽だし、生命を維持していく上で
不可欠な行為であり、死んでしまっては別の快楽を得る手段を失う。
そんな拒食症になってしまった人の心理を分析してみると、
食事という行為が快楽ではなく、破滅的な行為として捉えてしまっている。
食事を摂らないということは身体的な破滅を招くのに、その食事を
摂ることが快楽を奪い、自己の存在する意義を放棄するという考え方に
支配されてしまっているので、やむなく拒食という行動に出ることになる。
特に女性の場合、発病要因の多くに、やせることが最大の快楽となり、その
快楽を奪う食事という行為は、不快以外の何ものでもない心理状態となる。
快楽という感情に、人の心は簡単に支配され操られ、生命の危機にさえ陥る。
また、家族に恨みを持ち、食事をとらないことで家族が困惑する姿を見て
快楽感を得ているような場合は心を立て直すことが難しくなるだろう。
うつ病という、全ての事に対して無気力になってしまう病気がある。
この病気の心理状態は、全てのことに目的を失ってしまうことにある
と僕は考えている。
人生の目標を失うことではなく、毎日を生きる目的のことであって、
その生きる目的とは何か? ということを問いつめていくと、
快楽という感情を失っていたり、または求めることを止めてしまった
心理状態に追い込まれると、うつ症状が現れてくるのではなかろうか。
裏を返せば、快楽こそが人が生きていくための最大の希望なのではないか、
ということに今更ながら気付いた。
拒食症の場合、体重が落ちることで得られる快楽感よりももっと強い快楽を
得られる趣味などをみつけることが一番の解決策だと思う。
また、うつ病の場合、快楽感を伝えるために脳内で働いているセロトニンや
ノルアドレナリンが不足していることが原因であった場合、それらの活動を補う
抗うつ精神薬がとても有効であることも現在では知られている。
脳神経伝達物質が正常に働いていた場合は、心理的なことが大きな要因と
なるので、快楽を得られる行為を自ら探し出すことが、改善策となるのだろう。
この場合、たんに趣味的な行動を繰り返すことではなく、自分が快楽を得られる
趣味を見つけることがとても重要な選択となってくるだろう。
ところで僕は、ある意味悲しいかな、お金や地位、名声、名誉、誉め言葉などの
一般的に快楽を得られる方法から、快楽が得られなくなっている。
天才とよばれている人達が、同様の傾向にあり一般的に快楽を得ている行為
からは快楽を得ていないことも知っている。
そんな天才達はまったく別の次元でもって快楽を得て、そこから生きる目的を
見出している。
その活動行為が良い方向に向かっていれば、芸術や創作活動、深い追求心に
よる情熱に満ちた研究活動、社会を変えようとする原動力などとして働き、
多大な成果をあげれば天才と呼ばれる。
天才には、価値とは思っていない名誉や名声が後からついてくるが、そんな
ものは最初から求めていないから、無意味なものと考えている人が多く、
真の価値(目的)は研究結果を普及させてより良い社会を形成させることにあり、
成果が普及しないことには、それは成果と認めないのだろう。
その完成した思想がノーベル賞を受賞しても受け取らない本当の理由なのだろう。
一方、ある意味特殊な能力が反社会的な方へと向かった場合、それは
犯罪として社会に大きな影響を与えることとなる。
宮崎被告の最初の動機は、幼女自体が目的ではなく、幼女を写した映像を
友達がほしがるので、幼女が映った特殊な映像を自分だけが持っている
ことで優越感を覚え、そこから快楽を得ていたのだろう。
幼女は体力が弱くて支配しやすく簡単に手に入りやすいため、
悲しいかな悲惨な犯行を犯してしまったのであろう。
ところが、事件がニュースで大きく取り上げられ世間が騒ぐようになると、
事件を起こしている自分がヒーローになり、犯行を起こすこと自体が巨大な
快楽を産み、生きていくための大きな原動力となってしまう。
ひとたび巨大な快楽感を得てしまうと、自分では感情を抑えることが
できなくなり、警察などに逮捕され拘留されるまで、連続的に犯罪を
繰り返すこととなる。
性欲のない彼には快楽を得る手段が限られていた。もし彼に性欲が
あってそこから快楽を得る方法を知っていたら、こんな事件を起こす
可能性は低かったかも知れない。
一方で、性欲が強すぎて抑えきれない快楽を求めるばかりに
凶悪な犯罪を連続的に行った罪人も数多くいる。
彼は逮捕から17年の歳月が流れたが、刑務所内には彼が望むような快楽は
一切ないまま、枯渇した欲求が満たされずに快楽を追い求めていた時間は、
ある意味、極刑よりも重い刑罰に処されていたのではないかと推測している。
そんな彼が持っていた異常な収集欲という才能を別のことに活かせれば、
彼はもしかしたら、ファーブル昆虫記を残し社会に貢献した有名な研究者に
なれた可能性が一般人より高かったのだろうが、その特殊な才能を
生物標本収集や生態系の解明ではなく、犯罪性のある興味への収集へと
向かわせてしまった。彼にもう少し常識と理性・知性、適した生活環境が
備わっていれば、まったく違った人生があったのだろう。
「天才と何とかは紙一重」という諺の意味は、この様な現実を背景に
作られた言葉なのではないか。
現代人は、いや古代から人間は自分の快楽を得るために、環境を破壊し、
自然を操作し、快楽という魔力に取り憑かれながら好き勝手な行動を繰り返し、
夢のある未来を望めない社会構造を、あっという間に築き上げてしまった。
現代人の快楽を得ている価値観が、資本経済を動かしているお金のためなら
どんなことでもという思想に取り憑かれている以上、地球の将来はないと
考えざるを得ない。
現代の、破壊に向かって突き進めている原動力の快楽の定義が、
まったく別の健全たる思想でもって快楽を生み出すことに成功すれば、
きっと世の中は良くなるし、地球の寿命も延びることだろう。
その方法を僕は知っているし、それがどの様な思想なのかも分かっているけど、
今は確信が持てないから、それはまた別の機会に。
おわり
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