チャレンジカップ参加作品



                      『媒体』



 何か文句でもあるみたいに、怯えと虚勢をないまぜにしたように睨みつけてくる目。
強張って真一文字に結ばれた口。どこが悪いと尋ねられればはっきりとは答えられない
けれど、未だかつて可愛いなんて思ったことのない、憎むべき女の子の顔。

 私はため息をついて、女の子の左上、左右反転したまま時を刻んでいる時計を見た。
もう出かけなければいけない。ずっと見てたってこの子の容姿はきっと変わらないから
仕方がない。時計から視線を戻せば、女の子は少し悲しそうにしていた。口元がひくっ
としてぎこちない笑みを形作って、すぐにもっと落ち込んでしまう。駄目だ。やっぱり
駄目だ。

 鏡台に背を向けて、私はショルダーバッグを手に取って家を出た。昼の街は日傘を
差しても暑い。日傘が防いでくれるのは熱風じゃなく日差しだけだからそりゃそうだ。
ふとショーウィンドウに映り込んだ自分を見れば、黒い日傘の下の女の子はやっぱり
暗そうに見える。黒いからいけないのかな。でもきっと白くたって変わらないだろう。
まばらな人の間をすり抜けるような気持ちで歩いて電停にたどり着き、ちょうどやって
きた電車に乗る。目の前のガラス窓にはむすっとした女の子。見たくもないのにずっと
目が合う。早く止まればいいのに、電車。睨めっこをしていたら、電停の十秒前で、
通り過ぎた公園のベンチに人待ち顔の青年を見つけた。びっくりして電車の中の時計を
見ると、約束の時間にはまだ五分あった。

 電車から降りて早歩きで公園に行く。青年は私に気づくと嬉しそうに微笑んだ。私は
黒い日傘をたたんで、その木陰のベンチ、青年の隣に腰掛けた。

「早かったね」
「いつから待ってたの?」
「いや、やることなかったから早く来ただけ」
 暑いねえ、そいつは能天気にへらへらと笑う。全く何が嬉しいのやら。私はため息を
ついて前を向いた。ストレートにした髪が横顔を隠す。ただでさえ可愛くない顔を少し
でも隠すために。

「ねえー」
「何?」
「こっち向かない?」
 嫌だ嫌だ。どうせ可愛くない顔は強張ってるし汗もかいてるし。大好きな人になんか
恥ずかしくて見せたくもない。

「あ」
 茂みの陰から猫が見ている。指差すと隣の奴も気がついて顔を綻ばせる。猫は一度鳴
いて静かに身を翻した。

「可愛いね」
 そうだねと顔を向けると、そいつは嬉しそうに私を見ていた。
「笑ってる顔が一番可愛い」
 心臓が止まるかと思った。何秒かしてから、嘘だ嘘吐き、との思考が、機関車の
おもちゃみたいに頭の中をめぐっていって、結局口からは出なかった。

「コーヒー飲みに行くんでしょ?」
 私は立ち上がった。はいはい、よっこらしょとか言いながら立ち上がるそいつを、
半ば置き去りにして公園を出る。勝手に追いつけ。私はもう行く!
 ふとショーウィンドウを見れば、笑顔の青年の横に映り込んでいる女の子が、いつもより
少しだけ、少しだけ可愛く見えた。


 〈了〉


                  著作:あんず