チャレンジカップ参加作品
『しっぺ返し』
村西洋が、文壇に衝撃を与えた作品で表舞台に登場してから約十五年。これまで数々の
文学賞を受賞し、作品の幾つかはテレビドラマ化や映画化されるなど、今や日本を代表する
流行作家となっていた。
プライベートでは、村西の文学賞を受賞したある作品をもとにしたテレビドラマで、主演を
演じた久美子と縁あって結婚。そして、息子の一郎が生まれた。それを機に、久美子は女優業を
引退し、脚本家へと転進した。一郎は、現在小学校三年生。
流行作家の父と元女優で脚本家の母のもとに生まれた一郎は、誰もが羨むような環境の
下で育っているように思える。傍から見る限りは……。
しかし一郎は、それほど幸せを享受しているわけではなさそうである。
――夏休みの季節がやってきた。
普通の小学生ならば、誰もが楽しみにしている夏休み。だが、一郎の夏休みは、極めて
憂鬱で退屈な一ヵ月半でしかない。
それは、こんな理由である。
父親の洋は、月に数百枚もの原稿を執筆せねばならない。取材などで、自宅を留守にする
こともしょっちゅう。おまけに、少しでもスランプに陥れば、すぐに出版社の担当者につかまり
ホテルに缶詰だ。これは、流行作家としての宿命というものだろう。
母の久美子は、舞台演出や講演活動などで毎日あちこちを飛び回り、昼間はほとんど
家にはいない。脚本を書くのは、仕事の合間や深夜である。
一番の親友は、父親の田舎に行ったきり。他の友達も、それぞれ両親の田舎へ行ったり、
旅行などに連れて行ってもらっているようだ。
一郎にとっては、友達には会えないし、両親にも構ってもらえない寂しい夏休みなのである。
「ねえねえ、ことしの夏休みは、どこかにつれていってくれるやくそくだったよね?」
久しぶりに親子三人がそろった夕食の席で、一郎は両親に問いかける。けれども、期待
通りの答えは返ってこない。
「パパはねえ、とにかく忙しいんだよ。お願いだから冬休みまで待ってくれないか」
「ママもね、まとまった休みが取れるものなら家族で旅行にでも行きたいのよ。でもね、
パパもママも本当に忙しいの。一郎もわかるでしょう?」
「ううん、ちっともわからない。でもね、パパもママも、ひどいウソつきだってことはわかるよ。
これまでも“つぎの夏休み”とか“お正月までまって”とか、そんなんばっかりだったからね。
ボクはもう、ごまかされないよ」
一郎の言葉に、洋も久美子もギクッとした。思わず洋は、一郎を怒鳴りつけた。
「こら、一郎! お前は親に向かって何て暴言を吐くんだ!」
一郎はワンワンと泣き出し、「パパもママも、ほんもののウソつきだ! いつも、いつも、
ウソばっかりじゃないか!」と叫ぶと、自分の部屋にこもってしまった。
「あなた、ちょっと言いすぎじゃない! 悪いのは、約束を破り続けた私たちの方なのよ!」
久美子は洋をにらみつけた。
「悪いのは俺たちなんだよなあ……」
洋は心の底から反省していた。久美子も同様である。そして二人は、仕事にかまけて
一郎との約束を口約束のままに何一つ果たせていないことを悔いていた。
「俺もお前も、実家との関係がもう少しマシだったら、少しは事情も違うのだろうけど」
「今さらそれを言い出しても仕方ないじゃない」
洋も久美子も、それぞれの両親とは亀裂の入った状態なのである。洋の両親は、息子が
作家を志すことに大反対。洋は、勘当の憂き目に遭っていた。作家として成功した今でも、
親子関係は未だに修復などされていない。おまけに、久美子も似たような境遇である。
「なあ、俺たちの仕事が少し落ち着いたら、一郎を旅行にでも連れて行ってやらないか」
「そうね、是非ともそうしてあげましょう」
だが、不思議なことに、それからの一郎は“遊んで”とか“どこかに連れて行って”などとは
一切言わなくなってしまった。 洋も久美子も「これは、ちょっと変だな?」と感じた。しかし
ながら、二人とも多忙の余り……いつの間にか頭の片隅から消え失せていた。
――夏休みが終わって、二ヶ月ほど経ったある日のこと。
不意に久美子の携帯電話が鳴った。
(一体誰かしら?)この電話番号は、家族と仕事関係者だけしか知らないはずなのに。
「……もしもし、どなた?」久美子は、いぶかしげに電話に出た。
「あの、私は一郎君の担任をしております――」何と、一郎の担任の先生からだった。
「もしかして、一郎に何かあったのでしょうか」久美子は、不安気におそるおそる尋ねた。
「いえいえ、実はですね、大変に喜ばしいお話なのですよ。それをお知らせしようとご自宅の方に
何度か電話をしましたところ、つながらなかったものですから。そこで一郎君に、お母さんの携帯
電話の番号を教えてもらいまして、差し出がましいと思いましたが電話をさせていただきました」
久美子は“喜ばしい話”と聞いて、ホッと胸をなでおろした。
「わざわざすいません。私は今、仕事で外出しておりまして……」
「お仕事中でしたか、これは失礼しました。ところで、用件の方を続けさせていただいても構わ
ないでしょうか」
「ええ、よろしいですよ」
「一郎君の書いた夏休みの宿題の作文なのですが、これが大変によく書けていたもので【全国
小学生作文コンクール】に出してみました。そしたらですね、何と優秀賞をいただいたのです。
私も教師を二十年ほどやっておりますが、こんな栄誉なことは初めてです。お帰りになりましたら、
どうぞ一郎君を褒めてやって下さい」
「ええっ! 一郎が?」
先生の話によると、【全国小学生作文コンクール】の入賞作品は文集に載るだけでなく、
優秀賞作品はラジオで『私たちの作文』という特番が組まれ、アナウンサーにより朗読される
らしい。
――久美子は、取材旅行中の洋の携帯電話へ慌てて連絡を入れた。
「もしもし、あなた!」
「どうした?」久美子の焦った口調に、洋の頭の中を悪い予感がよぎった。
「あのね、さっき一郎の担任の先生から電話があったの。聞いて驚かないでね」
「だから、早く要件を言ってくれないか!」まさか、一郎の身に何かあったのだろうか。
「一郎の作文が【全国小学生作文コンクール】で優秀賞をもらったらしいの」
「何だって!」思いもかけない、いい報せだった。「一郎が作文で表彰されるなんて、あいつは
俺たちの遺伝子を受け継いでくれているようだな」
「一郎は、あなたのあとを継いで小説家になるのかしら。それとも、私のあとを継いで脚本家に
なるのかしら。とにかく思い切り褒めてあげなきゃ」
「折角だから、一郎を褒めてあげるのはラジオを聞いてからにしないか。その晩は、一郎を
食事にでも連れて行ってあげよう」
「そうね、そうしてあげましょう」
――半月後、『私たちの作文』の放送日がやってきた。
洋も久美子も、多忙な予定をやりくりし、リビングルームで二人してラジオを前に耳を澄ませて
いた。
ついに一郎の順番が巡ってきた。二人の期待感は最高潮に達していた。
「いよいよね」
「ああ、いよいよだな」
――次は村西一郎君の優秀賞受賞作品、題名は『大人はいつもウソをつく』です――
それを聞いた瞬間、洋は心臓が停止しそうな位のショックを受け呆然となった。久美子は、
顔から火が出そうな位の恥ずかしさを覚え、思わず両手で顔を覆った。
そして二人は、バツが悪そうに顔を見合わせると、しばし無言のまま、ただうつむいている
だけだった。
《おわり》
著作:よういちろう