チャレンジカップ参加作品



            
『恋をしよう!



 駅のホームから、発車を知らせる音楽が流れる。私はダッシュし、一番

前の車両に滑り込んだ。隣りの車両と違い、一番前は女性専用車両なので

空いている。女性専用車両というのは、痴漢対策のために設けられたらしいが、

私が今車内を見回す限り、痴漢被害対象としてイメージされる清潔な女子高生、

甘いリキュールの香りのするような美人OLはこの車両にはいない。座って

目的地まで行きたい、「年頃」を三十年以上過ぎた女性が俯いてカロリーメイトを

食べ、携帯のゲームをし、重苦しい沈黙が立ち込めている。

 私もその一人なのだろうか。いや、年齢は一応この中では最年少だろう、

十九歳。短大生だ。私はシートに座ると読みかけの小説を開いた。夏目漱石でも

村上春樹でもない。ライトノベルの同性愛小説が私の心のツボなのだ。腐女子と

いわれようと結構、私は美しい架空の恋愛の世界が好きだ。

 小説の二人(家庭教師の大学生と男子高校生)がともに思いを打ち明けあい、

林の中で! という大事な場面でメールを受信した。うるせえなあ、と心の中で

舌打ちし、開けてみると、中学校の同窓会案内だった。私の携帯に入る、

父親と悪戯メール以外の初めての男性(元同級生)からの受信。ある意味

記念すべきメールだ。ウェルカム!卒業式であちこちから回ってきたサイン帳に

アドレスを書いておいて良かった。同窓会の予定は一ヵ月後の日曜日だった。

私は了解の返事を送信した。このメールが男性の手の中にある携帯へ。

そう思うと、落ち着かない。小説の二人の濡れ場は今読むと勿体ないので、

時間を改めて読むことにした。

 駅を下りると、同じクラスの女に会った。ジーンズのミニスカートに赤のスパッツ、

上は原色緑のニット、頭は無理矢理右上で結んでいる。小さなウ○チのようだ。

この服装、個性なのか服がないのか。この髪型、髪をどうしても結びたいのか、

美容院へ行く予算がないのか。疑問は次々浮かぶが、私は彼女を心底バカに

出来ない。その理由は、彼女には恋人がいるからだ。私は生まれて十九年、

未だに恋人がいない。それどころか、片想いの相手すらいないのだ。

 男連れの女を見た時は、ひどく動揺する。連れがいい男で、女がそうでもない

時は尚更だ。二人は大学のゼミが同じだけだろうか、いや、付き合っているのかも。

自分の顔を毎日鏡で見慣れたイケメンは、彼女には美しさ以外のものを求める

のか。私の思考はぐるぐる回り、最後には「そんなの関係ない!」と小島よしおの

ネタが展開されてしまう。考えてみれば、男性の海パン姿、中学の水泳授業以来

生で私は拝んでいない。

 メールの返事が来た。内容は、出席ありがとう、という義務的なものだった。

嗚呼、なんだか私は社員全員に配られる義理チョコに頬を紅潮させて照れ笑い

する、社内にも家庭にも居場所のない冴えない中高年男性のような心境になる。

すぐに『忙しいのに連絡ありがとう。楽しみにしています』と返信メールを送って

しまう。送ってから、「うぜえ」と苦笑いされる場面が浮かび、自己嫌悪に陥る。

神様、三分でいいから時間を巻き戻して、今のメール取り消しにして下さい。



 彼(とっ言っても、彼氏でなく、男性の呼称)、菅原くんからの更なる返信の

内容で私はうろたえた。クラス会のメールを送る前日の夕刻、駅ビルの本屋で

私を見かけたけれど、急いでいる様子だったので声はかけなかったと書いてある。

本好きだったよね、と笑顔の絵文字で終っている。どこから見られていたのだろうか。

あの日は今も鞄に入っている同性愛小説の発売日だった。青年向け、通称十八禁

漫画の横の棚にある、少女小説とは違うオーラを放つ場所へ私は突進したはずだ。

「ねえ、小栗くんと生田くん、どっちがいい?」

 雑誌を持った、別のグループ(ここは主にアイドル追っかけ集団)がやって来た。

普段イラストの美少年しか見ていない私たちのグループは、入れ込んだ

ホステスへのブランドバッグを物色する冴えない中年男性のように、目を真剣に

泳がせている。

「私は小栗くん」

「えー、でもさ、生田くんの方が楽しそう」

 ――大丈夫だよ、どっちをここで選んでも、絶対向こうから選ばれないから。

 そう心の中で毒づきながら、私は菅原くんとデートすることを考え始めている。

恐るべし、処女妄想・・・・・・。

 私は速攻で菅原くんへのメールをさり気なく、本の話題を避けた文面で

送信した。

 返事はすぐにきた。

『僕はK大なので、矢代さんと同じ線です。他の中学同級生とは時々電車で

会うけど、矢代さんとはないですね。今度見かけたら、声掛けてください(笑顔の

絵文字)』 同性愛小説をゆっくり読みたいから女性専用車両に乗ってるの、

だから菅原くんとは会うこともなかったのね、心の中で返信したメールはとても

送れそうにない。

『そうなんだ(笑顔の絵文字)、今度見かけたら、声かけさせてもらいます!』

 すっごく楽しそうで簡潔なメールを送信後、私は大きく溜息をついた。



 抱き締められ、木に押し付けられた背が痛む。それ以上に今、湧き上がる想いに

心が壊れそうに痛い。好きだ、そう告げる瞳は一点の曇りもなく、世界で一番美しい。

「あ、だめ、僕は」

「もう、待てないんだ」

 四度目の通し読みクライマックス部分でごくり、と唾を飲み込んだ時、「えええ、」と

いう絶叫とも絶望ともとれる叫び声が上がった。

「どうかした?」

 私は本屋でつけてもらったブックカバーを直して本を閉じ、忌々しく友達に聞いた。

「この子、バイト先で彼氏出来たって」

「うそ!!」

 これはかなりの衝撃だった。

「まだ、友達って感じだけど」

「っていうか、私、女友達以外、いない」

「同じ」

「私も」

「え、じゃあ紹介してもらおうか?」

 震度四の地震が来た時のような表情を、皆した。

「え、いいの? でも大丈夫かな」

「平気だよ」

「本当?」

 臆病な表情、不似合いな、アニメチックな身体のくねらせ方。でも、段々

変わっていくんだろうな、と思った。

 心が変化して、姿がそれについて行こうとする。でも、心には形がないから、

どんなふうに変わって

いけばいいか、分からない。

 頭にウ○チをつけたような髪型も、打ち身のような頬紅のつけ方も、そこが

到達地点じゃないんだ。自分以外の人の心に向かって、向かっていく。

「矢代ちゃんは?」

「私は、いいや。今、好きな人いるし」

 答えて、自分で驚いた。

「ええ、ここのところよくメールくる人じゃない?」

「そういえば、矢代ちゃん、何か可愛くなったよね」

「そっかー」

「い、いや、でも向こうは好きとか全然思ってないし、私も分かんないけど」

 鼓動が速くなる。駅ビルで、朝のホームで、私はあれから菅原くんの姿を捜す

ようになった。私が気付いていないところで、もし見られていたら、恥ずかしい

自分でないようにと思った。小島よしおの海パンを思い出すと、菅原くんの

中学時代の海パン一丁のやせた上半身が浮かび、罪深い気持ちになる。

あれから菅原くんとの中学での記憶を思い起こすようになった。読めない漢字が

あると、菅原くんは「矢代さんは本を読んでいて漢字に強そう」と、私に尋ねた。

あの時の私は、どんな気持ちだったんだろう。過去を思い出して、ドキドキする

のって、随分利己的な感傷だと自分でも思う。

「でもさ、知らない間に好きになるってあると思うよ」

「そうだよ、矢代ちゃんなら可愛いから、大丈夫だよ」

 友達に肩を抱かれ、その温もりが伝わってくる。今まで自分の好きな世界を

堪能してきた私が、急に誰かと付き合うのは無理かも知れない。だけど、努力を

始めるのもいい。

 二週間後は、クラス会だ。






                  著作:桜依 美野