チャレンジカップ参加作品



      
午後五時に、家に来てください』 〜犬の手〜



 僕に少しだけ時間を残しておいてください。

 簡単な,なんの感慨もない,短い話をしようと思うから。



 この世界に何もない少女がいたとしよう。

 なんの才能もなく,趣味と言えば毎日付けている日記だけ,友達もいない。

これと言った長所も,短所もない。そして,一緒に何かを語り合い,笑顔を

見せ合う友達もいない少女。



 つまらない,と彼女は自覚していた。

 その少女が,自分の付けている日記に関して少し変わった力――――

ある種の能力に気がついてしまったら?

 僕やあなたには存在しない不思議な力だ。



 クラスの中で一人浮いていると,そう感じている(そして概ね間違いでもない)

少女を学校に来させているのはたった一つの責任感だけだった。三年二組の

掛け替えのないクラスメイトの一人。代打のないたった一つだけの雲丹 美砂

と言う役どころ。それを演じるという使命感だけで彼女は登校している。




 あなたはそんな孤独感を持ったことがあるだろうか?

 体中不安に満ち,その不安をぶつける相手は自分しかいない。世界は

あまりにも不安定で,そして自分しかいない。もしも自分のことを美砂ちゃんと

呼んでくれる友達が一人でもいたら……。だけど友達という名札を持った

人間はこの世には存在しない。




 そんな彼女の心の拠り所は,毎日付ける日記だけ。それをのぞき込む

権利を持つのは雲丹だけしか持っていない。


 でもそれに書いてあるのは他愛もないことだけ。

 あなたが運動をするのが苦手なら,運動会の一日だけ雨が降ってくれない

かと書くかもしれない。マラソン大会も例外ではないと思う。


 今から話す雲丹も同じだ。

 テストがあれば,病気になりたい。

 なくした物があれば,見つかればいいのにと願い。

 日記に不満や不安から生まれる願いをぶつけた。

 そのせいで,日記に書かれるのは自己中心的な文章だけになったが,

雲丹はそれを他の人にみせるでもなかったし,特別に付ける内容もなかったし,

元からなかった。




 他人と違うのは、ただ,書いた内容がそのまま事実になることだけだ。



 雲丹が疑いはじめたのは,日記を付け始めて二回目の体育大会だった。

体育の時にいつも感じる陰鬱な思いが,最大にまで高められ重くのしかかって

くる行事。それが二年連続で,雨で中止になる可能性なんか零に等しいと

そう気付いたからだ。


 なくしたと思っていたお気に入りのシャープペンシルが見つかったとき

(ご丁寧にも,自分の机の上,一番目のつくところにおいてあった。さすがに

そんなところにおいてあったら,なくしたかもしれないと思って大騒ぎする

わけがない)に,確信にかわった。




 もしかして,私が日記に書いたことは事実になるの?



 そう,事実になった。



 ちまたで人気の(ただし,一過性人気だ)犬のキャラクターを表紙に載せた

日記を雲丹は,毎日肌身離さず持ち歩いていた。


 雲丹が望めば天気なんか自由自在。

 彼女はきっと誇らしい気持ちになっていたと思う。自分の欲しいモノはなんでも

手にはいるし,望むことはなんでも叶ってしまう。


 初めのうちの願いはテストで高い点数をとりたいとかたわいのないモノだった。

でも,空っぽの少女がそれだけで満たされるわけではない。




 もしもキャンバスに一本の線が見えれば,私は芸術家になれるだろうか?

 人を感動させる絵が描ければ,私は変わるの?



 どれだけ人の人生を変えるだけの力を持つ絵を彼女が描いたとしても,

彼女は無感動だった。そんな薄っぺらい才能が彼女を満たすわけがない。




 日記は埋め尽くされていく……。



 新しい自転車が欲しい。



 ニキビが消えればいいのに。

 インフルエンザか何かで学級閉鎖になればいい。

 隣の席のヤツが怪我をすればいい(そう,骨折とか)。

 アイツラ,ケガヲシロ。

 モットオオケガ。ビョウキニナレバイイコッセツニナクシタペンヲダセソレヲ

カクシタヤツオオケガヲシロ満たされないタノシイコトガオコレ満たされない

ミタセヨワタシヲミタセヨ……。




 日記なんかに彼女の底のない不安感は埋めることができない。

 そんな彼女が友達を望んだのは,偶然ではないだろう。



 毎日五時になったら玄関のチャイムを鳴らす律儀な友人は,隣のクラスの

神足という名の男子だった。恐らく,他人との交流がないに等しい雲丹は,

神足のことを知らかった。神足も雲丹のことを知らなかっただろう。縁も

関係もない。


 しかし日記の力に,そんなモノ関係ない。



 他愛もない話題。

 僕やあなたには,雲丹と神足の会話を盗み聞きする権利はないが,二人の

間で交わされるのは予定調和のなんでもない会話だった。


 当たり前だ。日記の力でできた即席の友達。共通の話題なんか全くない。




 ただし,雲丹には確信とも言える予感が一つあった。

 神足と自分のことを,クラスメイトに知られてはならない。




 二人のことがクラス中の話題をかっさらうのに一週間もかからなかった。

 事実を隠すのは難しいし,雲丹も日記の力を借りるのを忘れていた。日記に

一言書き残しておけば,二人の先は変わっていただろう。




 即席とはいえ,初めての血の通った人間。少なくとも,雲丹は多少心を

開いたし,何より少しだけ,自分の孤独を満たされていく感覚があった。


 そんなひどくプライベートな部分を他人に傷つけられた彼女の気持ちを,

あなたは知ることができるだろうか?


 自暴自棄?

 そんな生やさしい四文字の言葉で,彼女の気持ちは語れない。



 どんどん蓄積される不快感があった。しかし溜め込んだものを輩出する

方法を彼女は知らなかった。なぜなら友達はただ一人しかいないのだから。


 そして、不快感は、その一人の人間のせいで生まれたのだから。





 ひとつの禁忌を犯す。

 リストカッターが手首を切るように、

 万引きの常習犯がポケットに商品を押し込むように、



 雲丹は人を殺すことにした。





 彼女にとって、人を殺すのは簡単だった。



 一言、その対象の結末を書き記せばいい。



「明日、車に轢かれて人が一人死ぬ。」





 不快感が、爽快感に変わることはなかった。

 鬱屈した感情は喪失感に変わる。

 そして不安に。



 大丈夫だ。

 誰にもばれることはない。

 雲丹は自分に言い聞かせた。



 しかし体の震えが止まることはなかった。



 指先ひとつ、自分の感情をコントロールし切れなかったせいで、灯火をひとつ

吹き消してしまった。まだ終わっていないかもしれないが、それに大した違いは

ない。ノートに書いたなら、それは確実に実現する。


 終わりは壮絶だったかもしれない。あっけなかったのかもしれない。

 終わりは壮絶かもしれない。あっけないかもしれない。



 次の日の夕方、交通事故が起きた。

 せめて自分の知らないところで。

 そんな淡い期待も、消えうせた。



 事故は、家の前で起きた。もちろん雲丹も目撃した。

 五時のサイレンと、車のクラクションは、ほぼ同時だった。



 チャイムは鳴らない。



 喪失感?

 間違いなく喪失だ。

 不安感?

 間違いなく不安だ。





「神足は、事故で死なない」



 とっさにかきたした。



 神足が死ねば、雲丹の不快感は消える。

 人間の微細な感情を持ち得ないノートは、手っ取り早く不快の種を消したの

だろう。




 もちろん雲丹に知る由もないし、僕もあなたも理解することができない。

 ただひとついえるのは、ノートには矛盾が生まれたということだ。





 そうすればどうなるか?

 もちろん雲丹に知る由もないし、僕もあなたも理解することができない。





 チャイムは鳴る。



 誰が押したかは、僕もあなたもしることができない。

 ドアを開けて、チャイムの主を確かめたのは、雲丹だけなのだから。



 End Are you happy?







                   著作:黒白