三国志大戦
蜀降伏
蜀では、諸葛亮の遺言に従い国力の回復に努めた。
遺言には内政を蒋苑・外交を費偉・軍事を姜維を柱として国を治めるよう記されていた。
しばらくはこの態勢で平穏無事に時は流れていたが、突如として事態は大きく変わってしまった。
蒋苑が病死して、費偉が暗殺されてしまったのである。
国の柱2本を失ってしまった蜀は、姜維一人で支えるには重すぎました。
軍事面では異彩を放った姜維でしたが、内政・外交面での才覚は蒋苑・費偉には遠く及びませんでした。
朝廷内には宦官が蔓延るようになり、国内状況は悪化の一途を辿りました。

そんな状況を見て取った魏は、これはチャンスと軍を率いて蜀へ雪崩れ込みます。
しかし、姜維は蜀の地形を生かして防衛をおこなったため、魏はこれを打ち破れずに膠着状態になりました。
姜維は事態の進展を図るために何度も劉禅に援軍要請をおこないましたが、宦官に全て握りつぶされてしまいました。
そんな中、魏の一隊が道無き道を突き進み突如成都へと現れました。
魏が攻めて来ている事を知らされていなかった劉禅は、突然のことに驚きました。
劉禅はここまで敵兵が来ているということは、前線は全て敵の手に落ちたものと思い込み調べもせずに降伏してしまいました。

蜀の滅亡です。。。。。


以下は、蜀の滅亡後の話です。
魏の皇帝・曹叡の開いた宴の席で曹叡は、魏へ降った蜀人達のために蜀の音楽を演奏させました。
蜀人達は皆涙してこれに聴き入っていましたが、劉禅は楽しそうに音楽を聴いていました。
曹叡が「蜀のことを思い出しませんか?」と訊ねると、劉禅は「今が楽しいので、蜀のことは思い出しません」と答えたそうです。
そんな劉禅は、地方へ追いやられますが当時にしてはかなり長生きをしたそうですよ。
一方、蜀の柱とまで言われた姜維ですが、後に魏に対して謀反を起こします。
しかし、謀反が成功するはずも無く、ここにその生涯を閉じることになりました。
劉禅と姜維、全く対照的な人生ですね。。
↑ 敵陣 ↑ ↑ 敵陣 ↑
馬岱 廖化
姜維 呉懿 王平
劉禅
城門
No 武将名 字名 勢力 性別 コスト 武力 知力 兵科 イラスト
計略名 士気 効果時間 計略の効果
47 王平 子均 男性 1.5 5 5 槍兵         清宮敦嗣
強化戦法 4 知力時間 自身の武力が上がる。
54 姜維 伯約 男性 2 7 7 槍兵           陸原一樹
挑発 3 知力時間 範囲内のすべての敵が自身に向かってくる。
56 呉懿 子遠 男性 1 3 3 槍兵           原友和
援軍 6 一瞬 範囲内の味方の兵力を回復する。
76 馬岱   男性 1.5 5 6 騎兵         風間雷太
強化戦法 4 知力時間 自身の武力が上がる。
87 劉禅 公嗣 男性 1 1 1 歩兵         okome
勅命 4 知力時間 戦場でもっとも武力の大きい味方の武力が大幅に上がる。
91 廖化 元倹 男性 1 3 4 騎兵           YOOTH
強化戦法 4 知力時間 自身の武力が上がる。
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