沖縄戦を知る旅 魂の眠る場所
|
|||
|
|||
戦争が終わって、辛うじて生き延びた住人は、米軍による占領を受け、この場所に集結させられ、この場所に住むことになった。しかし、この場所には誰ともつかない骸が無数に倒れていた。
集められた住人は、まずこの亡骸を供養すべく、大きな穴を掘って、遺骨を一つ一つ納めていった。大きな穴はみるみる遺骨で埋まっていき、ついに遺骨は穴に入りきらず、大きな山になってしまった。そのままにしておく訳にもいかず、周囲から土や石をかき集め、米軍に懇願して分けてもらったセメントを使って造られた、沖縄初の追悼施設かつ、完全手作りの追悼施設である。完成した時に収められた遺骨は3万6千人分と言われる。沖縄の戦没者遺族にとっては、ここがお墓のようなものになった。 住民はここを「魂魄の塔」と名づけ、魂の拠り所とした。 ところが、魂魄の塔が完成してから、すでに25年以上も経過した1979年に国立沖縄戦没者墓苑が創建。25年も経過すれば遺骨も掘り起こされないことから、時の厚生省はこの魂魄の塔に目をつけ、深夜、魂魄の塔の裏側に穴を開け、中の遺骨を盗み出して、開いた隙間には残った遺骨もまるごとセメントで固めるという暴挙を行った。その跡が今も裏側に残っている。 政府にとっていかに沖縄県民の感情がどうでもいいものだったか、また当時の厚生大臣であった橋本龍太郎という人物が、いかに人の気持ちが分からない人物だったかをよく理解できるエピソードだと、自分では理解している。 戦時中から、今にいたるまで、沖縄は日本のために犠牲に鳴り続けている。 こうして、私の沖縄戦を辿る旅は終了した。 え? 鉄道旅行記なのに、鉄道の話がないって? 一応、ゆいレールは全部乗ったし、展示館にも行ったんです。ただ、戦争の話と一緒にヲタ話を載せる気にはならなかった、それだけです。 |
<< 来た道戻る |
鉄道旅行記トップへ |