なぜか列島横断! 北海道合宿紀

旅のあけぼの 〜寝台特急「あけぼの」〜

 今回の北海道合宿は、かずさ君の『ゼロ兄さん!「あけぼの」に乗りましょうよ!』の一言で、寝台特急「あけぼの」に乗ることが決定した。そのお返しに、「君は合宿があるたびに、『尼崎』を通っているんだから、今回も通るべきだ! だから帰りは函館発の『日本海4号』に乗るべきだ!」と提案した。それもあっさりと通過し、今度は、「ゼロ兄さん! 『はまかぜ』に乗りましょうよ! 『はまかぜ』。」と、返ってきたので、「ならばこの前、チミのサンクチュアリ(Sanctuary)である銚子に招待してもらったお礼に、今度はチミを、我がサンクチュアリである、「山陰」に招待しよう。」

 というわけで、半ば強引に山陰拉致を決定いたしました。どんな北海道旅行だよ。そして奇奇怪怪な切符軍

 なにやら複雑な経路の切符を使って旅行であります。

 旅の始まりは、8月28日。地元を出発して京浜急行の日ノ出町へ。ちょいとバイト先へ寄ってから桜木町へ向けて出発。移動手段は徒歩。大通りを闊歩していく。それほど遠くないので桜木町へはすぐに到着する。ちょうど始発の北行きが停車していたので、それに乗車。ちなみに、乗った車両は最後尾の209系クハであったが、車内は酔っ払いがばら撒いたのか、紙くずやらライターやらが転がっていて汚い。輝く横浜みなとみらい21地区を背にして京浜東北線根岸線は桜木町を発車。北へと向かった。日曜の夜とはいえ、それなりに人は乗っている。デート帰りなのか、若いカップルが数組、一人者が数人。横浜を過ぎれば次々と乗ってくる。鶴見では障害者も乗車。このあたりでかなりにぎやかな車内になった。

 さて、上野に着いたはいいが、咽がカラカラ。水をがぶ飲みして地平ホームへむかう。かずさ君を発見し、待合所へ。キヨスクに買い物に行こうということになり、歩けば何故か構内の無印良品。まぁそれはいいとして、地平ホーム近くに大きなキヨスクがあるのに、何故か 常 磐 線 のキヨスクへ行くおバカなかずさ君。「こんなところじゃ何もねぇよ!」と、改めて地平ホームのキヨスクへ。

 さてさて、もう少しで入線時刻なので、カメラの準備をしているといきなり何の放送もなしにホームへ音もなく滑り込む寝台特急「あけぼの」。おかげで推進回送を撮り逃した。まぁ、しょうがないので車内へ入り、個室B寝台へ。5号車8番の部屋。2階席だった。しかし狭いな。さすがはB寝台個室である。でも狭くても横になって寝られるぶん、夜行高速バスなんかよりずっと快適なんだろうな。暗証番号式のキーで施錠して、写真を撮影。ついでに車両番号も控えて、今後、もし模型を作るとしたら、参考にする。本日の編成は以下の通り。

←青森
電源車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車
カニ24-25 オハネフ25-129 スロネ24-553 オハネ24-551 オハネ24-555 オハネフ25-125 オハネ25-32 オハネ24-20 オハネフ24-21

寝台特急「あけぼの」 牽引機は言うまでもなく、田端運転所のEF81で、本日は139号機が担当。ツララ切りと双頭連結器を装着したいぶし銀なパーイチです。ちなみに、客車は24系25形を中心に、24系24形とその改造車を含めた9両編成で、電源車と1号車および2号車が白帯を巻いている。なお、所属は盛岡で、ここに所属する車両は雨どいを外付けにしたり、車掌室の窓を小型にするなど、日本海沿岸の過酷な潮風の対策がとられていて、模型を再現するにしても一筋縄ではいかない。もっとも、個室車両は模型化すらされていないが。

 さて、寝台特急「あけぼの」はゆっくりと、衝撃もほとんどなく上野駅を発車。今日の運転士は、起動技術が神クラスのようだ。
 一人用個室なのに何故かかずさ君がいるという5号車8番個室。かずさ君は酒を飲みだします。そしていつものトークショー。

K:「この列車は蓮田の方に行かないのか。DC信者の心の聖地。佐山さんの心の聖地蓮田。」あけぼの B寝台ソロ外観
F:「205系が止まってるよ。」
K:「なんか色が・・・・・・。」
F:「京葉線カラーだね。」
K:「京葉線といえば、ケヨリナ買わなきゃ。夜明け前より瑠璃色な。略してケヨリナ」
F:「2ちゃんのトミーテックスレに『はにはに人形キボンヌ』って書いたのお前じゃ・・・・・・?」
K:「はは、は、はにはに違う。2ちゃんねるはうちのホームページが話題になったことが。」
K:「スカ色とか言うバカが、千葉の田舎もんが尼崎のデータ作りやがって。」
K:「東金線作ってるやつが不謹慎なデータ作ってるって、2ちゃんねらーが大量流入。」
K:「したら、そんなデータなかったぞ。って、」
F:「その話は何度も聞いたよ。あ、埼玉新都市交通・・・・・・。」
K:「交通博物館が出来るのこのあたりですね。で、成田線ならあったけどって。」
K:「はにはにネタか? 不謹慎だ。事故とエロゲ直結は不謹慎だ!」あけぼの 最後尾
F:「なにをバカな。さすが埼玉。」
K:「で、双葉ちゃん行けば尼崎=天ヶ崎ではにはに祭りになってるし。」
K:「鉄道板行けば銚子電鉄祭りですし。」
F:「それお前が仕組んだんじゃないのか?」

なんて、会話をしていました。

K:「わかしお君も青ざめたけど、その後わかしお君もイタくなっちゃったし。」
K:「尼崎で脱線事故起きたといえば、『はにはにですか?』って。」
F:「まともなやつ居ないのかよ。4Aはマターリ君と八高君くらいか?」
K:「わっち君は・・・・・・。Bhbh」
F:「その話はここでストップ。」

そんなことを言っている間に雨が降り出しました。

K:「ディープな埼玉に入ってきましたよ。」
F:「フハハハハ! 気にするな! どうせ埼玉だ!(某アニメの島根県知事風)」
K:「倉ちゃんはやたらとはにはにに詳しいんですけど。」
F:「実はやってたりするんじゃないのか?」
K:「たぶん・・・・・・。」あけぼの Bソロ車内 (今夜の寝床)
K:「たぶん、はにはにトークに入ると株が下がるからね。」
F:「鉄研株式市場にはストップ安がないのね。」
F:「落ちるときは加速度的に落ちるでしょ。マイナスの二次関数みたいに。」

二人だけだと悪口陰口言いまくり。まぁ、世間ってこんなもんだろうと思うけど。

K:「ピヨピヨ君と岸原君はNゲージ運転免許の試験をしましょうよ。」
F:「受からなかったら日勤教育。」
K:「東中野と常磐線は安全の礎! 今年は中央線と常磐線祭り!」
F:「今年も新幹線祭りやるかいな。開業以来無事故。」
K:「JR西日本の車両は危険だから禁止! 礎バンザイ!」
F:「建学祭のブース紹介用冊子の写真にさりげなく207系を入れたけど。」
K:「今年は関西祭りはできないからねー。」
K:「今年は415系でガキンチョの心をゲッツ!」
F:「それで2年連続空回りじゃん。『小田急線だー。』とか言われて。」
K:「415系と651系でガキンチョの心をゲッツ!」
F:「こまちと475とかは?」

その後、BVEとエロゲの話で持ちきり。

K:「チューハイはうまいなぁ。」
F:「函館で少しくらい飲むか。全然ダメだけどさ。」
K:「函館へ着いたら皆で酒盛りだー。」
F:「シナ君は明日、明けでそのまま飛行機乗ってくる。わっち君は船だって。」

K:「ハァ〜、ゼロさんエッチですぅ〜!」
F:「これでもくらえ!」 群田靴下攻撃を仕掛けました!
K:「わー! クサイクサイクサイ!」
F:「浸水している靴だから威力倍増だ!」

K:「(鉄道雑誌を持ってきて)しょっぱなからゼロさんが萌え萌えしそうなの(DD51)が。」
F:「お、DD51-1121牽引の出雲だ。」
K:「1121って良いの?」
F:「んと、後藤総合車両所のDD51の中では一番吹き上がりが悪い。」
K:「これいいですか。萌えですか? このあと『あけぼの』ありますよ。」
K:「萌えは『ゆうづる』だな。」
K:「レインボーですよレインボー。レインボーはカコイイですよ」
K:「鮎川駅近くにある小学校の子供会の名前は凄いですよ。あさかぜ子ども会ですよ。」
K:「他にみずほ子供会、さくら子供会、あけぼの子供会とか。」
F:「(常磐線ページを見て)これが目当てだな。」
K:「これは萌えですか? これは萌えですか? これは萌えですか? これは萌えですか?」

しばらく雑誌を見てあーだこーだと話しております。

こんな話をしているうちに群馬県に突入。BVEのオブジェクトの話を続けます。「もう大変だよぉ〜。」といいながら作っているらしいです。で、相模大野停車の特急ロマンスカーに乗ってきたとのことです。時刻は間もなく23時15分・・・・・・。

K:「嫌がらせですよ。私が冬合宿に乗った路線が事故るなんて。」
K:「高山本線といい、越美北線といい、音公開している区間はあと5年くらい復旧不能。」

そして、中野かずさといえばはにはになので、その話に。

F:「わかしお君イタイな。」
K:「で、貸したら貸したで、今度は何でもはにはに直結ですよ。」
K:「カフェテリア行けば、『かずさ君さん、はにはにですか?』」
K:「プリンを買って食べれば、『かずさ君さん、はにはにですか?』」
K:「彼はDC信者並のはにはに廃人です。いや、屍です。うちより一段階上です。」
K:「ちなみにミコトンは、ホナミンより人気がないよ。」
K:「ミコトンといってもピヨピヨ君の恋人351じゃないよ。」
K:「尼崎事故と聞いてミコトンって、しまった! わかしお君並のイタイ反応だ!」

延々とはにはにネタで続きます。多少はにはにに詳しくなったような気が・・・・・・。
この後、ピヨピヨ君の大旦那様にお仕えするメイドさんの話です。結論はすね毛が剛毛でニーソックスに変なシミがついているような汚い祖メイドがお仕えしているそうです。
 で、ピヨピヨ君はSそうに見えて実はMである。という最終結論に達する。

K:「佐山さんは彼女に『兄さん』と呼ばれたい。」
F:「俺は彼女でもないのに『お兄ちゃん』と呼ばれた。」
K:「ずっと『献身的な義妹が欲しい。』って・・・・・・。」
F:「二次元と三次元の区別をつけようよ・・・・・・。」
K:「いや、うちには赤尾という、三次元決別宣言をしたツワモノが。」

佐山さん、実は彼女目当てではなくて、彼女の妹目当てだったりしませんよね?

K:「ピヨピヨ君は、常に引っ張ってもらうからキハ20ですな。」
F:「180馬力・・・・・・。」
K:「鉄研の会員を車両で表すとなにになるんですかね?」

 ・・・・・・・・・・と言うような、下らない話を延々30分も議論していました。 

 さて、水上駅に到着。運転停車なんですけどね。と、突然転動して後方へ少し動く。何故? 転動は危ないですぜ。扉が開いていないのが幸いですが。夜も更けたことだし、そろそろ寝ようと言ってうみかぜ君を追い出す。彼が扉を閉めた後、外からキーを押す音が聞こえる。俺の部屋のキーを押しているのだろうか?? そんなことはないよな・・・・・・。

 しばらくして歯を磨こうと部屋を出て、キーを入力。と言うより、何故か施錠中と表示されていたような気がした。で、4桁の番号を押すとエラーが出てそのまま施錠され、自分の個室から締め出されました。「ちょっと勘弁してよ!」 と、後ろがオハネフだったのを思い出して、すぐに後ろへ行く。車掌室に押しかけて、今日の担当である車掌を引っ張り出して、ドア開けてくれと頼む。

 で、個室の鍵相手に車掌悪戦苦闘。とりあえず予備キーで扉は開くのだが、キーは一向に直らない。つまり、入っても、次に出た瞬間に扉が施錠されてまた入れなくなる。とりあえず、扉を開けたまま、「電池を交換してみます。」と車掌。どこかへ電池を取りに行き、しばらくして戻ってきた。今やめったに見なくなった単一電池。それも4本セットを抱えている。で、扉の内側にある出っ張りについているネジを外し、カバーを取れば、単一電池4本がそのまんま入っている。こんな鍵動かすのに今時単一電池4本かよと思いつつ、作業を見守るが、電池を変えても直らないものは直らない。しばらく鍵をガシャガシャ動かしたら、カシャッという音が。どうやら直ったらしい。車掌自ら、「直った・・・・・・。」と驚いていました。

 ようやく歯を磨いて、就寝にこぎつけました。荷物を扉の前において入り口封鎖。寝台をセットしてお休みなさい。

 朝6時20分頃に目が覚める。車内放送が入ったので。放送が終わると、その直後にどうやら我が個室の扉を叩いている音が聞こえたような気がした。 仮にドアを開けるとしたら、寝台を折りたたんで荷物をどかさないと扉が開かないのね。緊急事態じゃなさそうなのでそのまま二度寝。

 しばらくごろ寝した後、荷物をどかして扉を開けられるようにしていると、再度扉を叩く音が。もう少し待て。で、かずさ君登場。

 秋田駅に到着し、駅弁を買うためにダッシュ。何にしようかな・・・・・・、といろいろ考え、「牛めし」(900円)を買って個室へ。で、かずさ君を個室から追い返して静かな朝食をいただきます。

 白神山地の脇を通り、間もなく大鰐温泉。弘南鉄道で東急を見ようとかずさ君部屋に侵入。室内照明は下段のかずさ君部屋のほうが装飾されて豪華っぽいのは何故でしょうか?

 まぁ、しばらく喋りながらのんびりと青森を目指すわけです。歯を磨いて、なんだかよく分からないが、「すののん」がどうのこうのとかかずさ君が言う大館を通って、青森駅に下車。もちろんヲタなのですぐに外に出るなどということはやりません。機関車を外します。そして、お迎えのDE10-1765が迎えに来ます。というか、「あけぼの」って昔DE10が牽引していたような気がしますが。

 そんなものを見た後、やっと外へ出て八甲田丸へ行きます。その前に、公園内にある、朽ちた58系列気動車を見ます。キハ56で、もう酷い有様の車両。ボロボロです。近くにある車掌車と控車を見て、変なポーズで記念撮影をしてから八甲田丸の船内へ。まぁ、去年の合宿の帰りに見たので、特に変化はないですけど。

八甲田丸 八甲田丸の船内では、かずさ君に、「凄い動力方式」のNゲージ鉄道模型の運転を見せる。で、一等船室で『ハッハッハ、朕は満足じゃ。おいお前! 殿にお酌をせい!』と、ピヨピヨ君の真似をする。甲板に行けば、タイタニックっぽいマネをしてみる。展望台にのぼって船を見わたす。

 そして車両甲板に降りて、控車、郵便車、キハ82系、DD16などを見る。エンジンルームも見れますぜ。

 さて、もうすぐ特急「白鳥」がやってくるので、青森駅に戻ります。駅には昨年乗った覚えのある青い客車が停まっています。駅弁で「鮭いくらご飯」(値段忘れた)を買って、特急「白鳥」に乗車します。津軽線、津軽海峡線を通って青函トンネルへ向います。途中の交換では、反対側の車両で女子校生が手を振るので、一期一会の会会員としては振り返すのが礼儀。バイバーイ。

 津軽海峡線の高速走行を楽しみつつ、窓の外を眺めれば、いくつかのトンネルに入り、厳つい構えのトンネルに突入すれば、それが青函トンネルだったらしく、どんどん深いところに潜っていきます。海抜−240メートルまで潜るのね。ちなみにこの特急は、「竜飛海底駅」「吉岡海底駅」に停車します。これらの駅は、本来、非常事態があったときに使う、海底と地底の間に作られた駅であります。やがて最深の地点を通過して、吉岡海底へ停車。すぐに発車する。発車直後にED79牽引の貨物列車とすれ違う。そして、はに陀仏様が降臨なさいました。何度見ても怖えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! そのままずーっと函館近くまではに陀仏様が降臨しておりました。そうだ、ピヨピヨ君が居たら、アジだタコだイクラちゃんだとか言ってからかえたのに残念だなぁ。

 さぁ、青函トンネルを抜けていよいよ北海道へ出ました! おお、雄大な自然! 緑の大地! ビバ北海道! さぁ函館はまだか! まぁいい。疲れたから俺も少し昼寝。Zzzzz・・・・・・。

 木古内に停車した記憶がないからその前後に寝てたのね。間もなく終点の函館。五稜郭に機関車が居て、車庫が見えて・・・・・・。

 函館に到着すると、とりあえず時間があるので市電に乗ります。どっく前に行ってそこで1日乗車券を購入。そのまま十字街まで折り返して、谷地頭行きへ。谷地頭でレトロ電車を待つも、よく見れば今日は運休でついていない。仕方ないから今度は五稜郭公園前に行き、歩いて五稜郭へ。入り口で鉄研運命共同体を発見し、時間がないのでさっさと五稜郭を見学。五稜郭公園から終点湯の川にポリス塗装の電車に乗っていった。そのままとんぼ帰りで駅前へ戻り、鉄研メンバーと合流し、本日のホテルへ。で、毎回そうなんだが、道を知らないのにグループを引っ張って歩いていく人が誰かしら居ます。分からないのに勝手に先導しないように。

 20分くらいだろうか。歩いてようやくホテルへ着き、全体でミーティングの後、自由行動。ちなみに2人部屋で、相方はシナ君となりました。まぁ無難なところですな。かずさ君は後で散々一緒に行動するし、ピヨピヨ君は酒を飲んで暴れて何するか分からないから。

100万ドルの夜景 シナ君と歩いて函館山へ行きます。ピヨピヨの旦那様が、「ハァハァ・・・・・・疲れた。」とママーな状態になって、100ドルの夜景を見たいと言っているので、100万ドルの夜景を見に行く必要はないと置き去りに。夜の函館を歩いて山へ。ようやくロープウェイが見え、往復券を買って乗車。後ろ側が景色が良いので人が群れる。展望台に着いたら一番高いところまで上がります。すばらしい眺めだ。キラキラと光る町のあかり。ここでキラキラ号とか言ったら殴るからな。しかしちと寒いぜ。気温15度らしいから、真夏の服装の俺にはちときつい。

 展望台の東側、記念撮影をやっている脇の方は、視界右側が欠けるのであまり人が居ない。ここで記念撮影で三脚立てて勝手に撮影しております。シナ君がかずさ君に連絡をとっても一向に来ないので、しばらくしたら下山。駅近くの謝謝軒というラーメン屋で、函館塩ラーメンを食べて帰ります。なお、この店は北島三郎の演歌が次々とエンドレスで流れておりました。

このころ、ピヨピヨ君・かずさ君部屋では、

ピヨピヨ君:「俺は鉄研一の酒豪だ! 飲むぞ! かずさ君! 酔いつぶれるんじゃないぞ!」
といって酒盛りが始まりました。チューハイ2缶くらい飲んだピヨピヨ君は、
ピヨピヨ君:「おいかずさ! 俺を誰だと思ってるんだ。ゼロとシナを連れて来い!」
ここでかずさ君が俺に送ったメールがこの内容
かずさ君:「ゼロたーん ピヨピヨ逆噴射と酒盛り厨ですの。ゼロたんも酒とつまみを持って来るですの。」
文面が完全に酔っ払った文章になっているわけで。

そのメールが届く頃に、我々がホテル着。部屋に入るや否や、
かずさ君:「ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘァァァ、ゼロたーん、飲みましょうよぉ〜。ンヘヘヘヘヘ〜」
と、かずさ君が侵入。で、私が一本背負いや袈裟固めなど柔道技で、シナ君がうでひしぎ逆十字固めなど、プロレス技で散々痛めつけた後、そのまま二人で引きずって部屋へ強制送還。

 その後、東海大学鉄道研究会で語り継がれる伝説の「函館事件」が発生。

 酒で散々暴走したピヨピヨ君は、最終的にはユニットバスの湯船の中で沈没。私が引き揚げたあと、冷水をジャンジャカ浴びせて酔いを覚ませて事件は終結しました。

いざ札幌! 苗穂工場へ

北斗5号 キハ183系HET 朝遅めに起きて食事へ行けば、すでに4A生が食事中。酔っ払い二人はまだ来ない。この時点で今日の朝食に来ることはないなと思った。バイキング式なので取り放題。大量に食べて今後の長丁場に備える。あぁ、美味しかったと。で、昨晩の騒動で部屋が散らかりっぱなし。早いこと片付けて出発しないと間に合わない。隣の部屋は一応起きているようだ。さて、ギリギリになって出発。シナ君と一緒に駅まで小走りで行く。まあ、何とか数分前には到着して、北斗5号の先頭車、キハ183系HETのヲタシート後方を確保です。

しかし、前についている温度計にはNSマークがついている! おお、すばらしい。これって流用品かな??
で、ピヨピヨ君は昨晩散々大騒ぎしといて、何も覚えていません。自分が大騒ぎしたことを完全否定しています。さらに自分が撮らせた写真を「アイコラ」扱い。自分がやったことに責任を持ちなさい。
さて、大沼でヲタシートの親子が居なくなったので、ヲタシート奪取! 
ヲタシートから前方の駒ケ岳を望みながら、列車はかなりの速度で驀進します。同じ道内ながら300km以上も走るのね。

車窓からの駒ケ岳 一応カメラを持って対向列車を待ち構えるわけですが、なかなか来ない。で、単線だから対向車が来たら我々もろとも天国行きになってしまいますよ。
車内では車販で蝦夷ちらしなど、弁当などを買って食べる。しかし複線非電化というのはどうもしっくり来ない。単線ならいいんだけど・・・・・・。


札幌に到着すると、わっち君が待ち構えております。
731系の普通列車で一駅戻ります。苗穂駅で下車し、ついに待ちに待った工場見学です。

 苗穂駅から苗穂工場総務科に電話連絡をして、教えられた通りに歩いて行きます。守衛室で受付して、建物の中へ案内されます。本日の案内は、リーゼントがバッチリ決まったイケメンな担当の方です。よろしくお願いします。

 まずは、北海道旅客鉄道苗穂工場の沿革から紹介です。生い立ちは明治42年12月、鉄道院北海道鉄道管理局札幌工場として職員200名でスタートし、現在、JR北海道、貨物及びグループ会社も含めて400名以上の職員が働いているとのこと。車体の修繕が主な仕事であるが、改造、新製も行っているそうです。最初の新製車両は貨車のホユニ8000の746番で、以後同形式を4両、旅客運用を行うものとしては、1938年に落成したD51-237で、以後蒸気機関車は11両を製造したとのこと。

 旅客車は1940年のスハ33-509を最初に、同形式を3両、JRに入ってからは、1988年の「ニセコエクスプレス」、1990年の「クリスタルエクスプレス」、1991年の721系17番、1992年の「ノース・レインボー・エクスプレス」、1996年のキハ283系2001番など、多様な車両が製造したそうです。

 また、改造も多く、1985年に「アルファコンチネンタルエクスプレス」をはじめ、「フラノエクスプレス」、「トマム・サホロエクスプレス」など、多くのジョイフルとレインを改造によって製作したとのこと。

 さらには、グレードアップや高速対応化など、北海道の車両のあらゆる改造を受け持ち、車体だけではなく、特に制輪子などのブレーキ部品、ストーブや、動輪をあしらった鉄柵なども製造、販売しているそうです。

一通り説明が終わったあと、場内の見学に入る。まず初めは、JR貨物の主棟となる、赤レンガ造りの機関庫の近くから。資材倉庫や給水塔、発電ルームについての案内を受ける。工場内で使われる水は全て地下水をくみ上げているものだそうだ。発電については、今年から三菱によるオンサイト発電システムを導入したが、昨年まではDD51のエンジン4基を発電用として使っていたとのこと。

DD51解体中 説明が終わると機関庫へ案内される。中には整備中というよりも、解体中と言った方が良さそうなDD51と、整備を受けているDF200-59がいた。JR北海道に所属する北斗星牽引用DD51も、JR貨物に整備を委託して、この機関庫で整備を受けるとのこと。なお機関区の奥には、DD51のエンジンや屋根などが置かれていた。特筆すべきことは、この機関庫において、「ヨージ・ヤマモト・パリコレクション・イン札幌」というファッションショーが1995年に行われたことである。機関庫でファッションショーとは・・・・・・!

 続いて、鋳物の工場へ。ここは案内氏よりも、職人のオジサマが出て熱く説明してくれた。制輪子は8種類の原料を配合して作り、その配合の違いにより、制動力が変化する。で、いろいろと物理の質問をしてくるので、ここは自ずと物理学科のわかしお君のワンマンショーになる。まぁ、「車輪とレールはどちらが硬い?」「車輪と制輪子はどちらが硬い?」というような質問は、常識があれば分かる。硬度は当然、 レール>車輪>制輪子 となるのが当然となるわけで。逆だったら首都圏は毎日線路を交換しなければならんよ。

 で、職人の自信は凄いものがあり、型さえあれば何でもできる。『テレビで「ジンギスカン鍋はここでしか作れない。」なんて言っていたが、あんなものは俺でも出来る。』と豪語しておりました。
案内氏はこの間ダンマリ。で、絶口調の職人氏は質問1回100円とか言っています。JRタワーの展望台で売ってるストーブのミニチュアは俺が作った。でも値段はボッタクリだ。と言いながら、ヘッドサインを一つ作るのコストは「俺らは注文を受けて作るだけだから知らない。」らしい。

 このときエロ川君から電話がかかってきていたのだが、ここで出たら鋳物で殴られそうなので出られませんでした。ゴメンネ。

 鋳物製造所を出て、エンジン部品を見てから検修場へ。ここでは北海道のスーパーエース、根室本線の韋駄天キハ283系運転台に上がっていいとのこと。さっきの職人も絶賛していた北海道最速の特急形気動車ですよ。運転台は高く、想像以上にシンプル。気動車でありながら左ワンハンドルであった。狭いので2人ずつの見学です。

キハ283系運転台(検査中でパネルを外してある) このほかにも、スーパーホワイトアローで使われている785系電車や、日高本線の塗装のキハ40系が検査を受けていた。JR北海道のすべての車両を検査できるだけある。付近には取り外された車両部品、たとえば交流用の高圧機器やパンタグラフなども置いてあった。また作業用の道具がJR北海道の特急列車の塗り分けになっていたりした。

 またDLのエンジンがむき出しになって置いてあり、迫力満点。

 さて、次は車輪場です。車輪は1枚約9万円。思ったより安い。車軸1本は100万円以上。車軸と台車をつなぐ軸箱の中に使われているベアリングは、現在は世界情勢の影響から入手が難しいとのお話でした。車輪は波打ち車輪で、軸にディスクブレーキを装備していました。床下機器はJR北海道は黒塗装が標準のようでした。ガイシは青に塗装されていました。

 最後は、苗穂工場の中にある鉄道技術資料館です。この建物は明治43年から使われている、当時は倉庫として使われていた建物だったそうです。中には薄っぺらいD51の先頭部分や、北海道初の特急「おおぞら」に使われたキハ82系の先頭部、苗穂工場で初の改造落成車、「アルファコンチネンタルエクスプレス」の先頭部、HOゲージの運転やエンジンの展示、その他部品、模型の展示が行われている。

 ここで30分くらい自由に行動でした。運転室には入れるので、運転士気取りな人多数。エンジン模型を見て動かしたり、Nゲージを風景に映し込むという良くわからないアトラクションがあったり。2階はパーツと模型、及び資料が多く展示されていた。天井が低いので頭上注意です。外には解体待ちのDD51が見えた。資料館の近くにはC62-3が置いてある。スタンプなどを押して終了。外でC62を撮影。ウォーリー君はまた線路上でセクシーポーズを決めていた。

 また、資料館から少し離れた場所には右の写真のようなものが置かれていた。ラッセルヘッド二機。その後ろには、見たことのあるような列車がぶつ切りにされて置かれておりました。

 見学が一通り終わり、総務科の事務所へ戻って、再度解説を受ける。まとめと言ったところか。質問等は特になく、今回の見学は終了と言うことになった。案内氏、ありがとうございました。このあと、工場の門で記念撮影をしました。

 で、帰り道の歩道橋で、ピヨピヨ君がまた「ハァハァ・・・・・・疲れた。誰でも良いから引っ張ってぇ〜。」という状態になっているのは仕様。もはや彼には「大旦那様」の威厳のかけらも感じられないレッテルがベタベタと貼られている。いいやつなんだけど言うことがやや変だし、やっぱり酒を飲んで大暴走するのがマイナス要因なんだろうなぁ。

 札幌に戻ると、とりあえずホテルに行こうということになる。札幌の町は碁盤の目のように通りが直角に交わっている。欧州風に言えば、ストリートとアベニューの関係になっており、分かりやすい。

 ホテルに着くまでに、わっち君とピヨピヨ君のラブラブドライブの計画を聞かされる。幸福に行く。登別くま牧場に行く。ピヨピヨ君はそのまま17時の北斗星に乗って帰るらしい。で、わっち君によれば、走行距離は400km〜500kmという、なんともアバウトな概算。無謀なので三人がかりでピヨピヨ君に向かって止めさせようと試みる。結果はどうなるか知らないけど。

 ホテルに着いたらチェックインして、すぐ下におりてシナ君、かずさ君両名わっち君・ピヨピヨ君のラブラブドライブ計画変更のための座談会を開催。たまたま降りてきたピヨピヨ君に通告しておく。俺はこの時点でこのことに関しては一切首を突っ込まないことに決めた。

 ホテル近くではアイスクリームが激安。「ゼロたん、奢って。」というかずさ君の言葉に、「何で俺が。・・・・・・ま、いっか。」と、なぜか納得してしまい、アイスクリーム1個奢り。 さて、とりあえず札幌駅の方へ行き、ラーメン共和国というところに行く。最近よくあるフードテーマパークであるが、ここが少し違う点は、北海道のラーメンだけとう点。函館、札幌、旭川、帯広、遠軽などのラーメン屋があった。私は札幌なのだから札幌ラーメンと主張。かずさ君は「コンビニのカップラーメン」で扱っている旭川の店を主張。まぁ、どうせまた後日こちらに戻ってくるので旭川ラーメンの「青葉」に入って、ラーメンを頂いた。

 この後どうするかで、シナ君が帰るので「新千歳空港往復」というので大筋が決まった。が、かずさ君が「切符が無い。」と言い出し、離脱。なぜ持っていないのかと小一時間問い詰めたくなる。

北斗星 かずさ君と分かれて新千歳空港駅へ行くエアポートを待っていると、横に北斗星が入ってきた。DD51のサウンドはやはり良い。色が青なのが・・・・・・。

 エアポートに乗り込んで、シナ君を萎えさせる京急トークであります。途中寝てしまい、あっという間に新千歳空港。早い・・・・・・。シナ君を見送って、再度札幌へ戻る。千歳で降りて北斗星を待ち構え、通過を見送る。反対側にDF200牽引の長大貨物列車も通過。なんとも迫力のある駅である。

 731系の各駅停車でダラダラと札幌に帰り、道に迷いつつホテルへ戻る。他のメンツは見ない。ウォーリー君の笑い声は聞こえるから、彼と、多分、伊藤くんあたりは残っているのかな・・・・・・。

 他の奴は・・・・・・、付属している温泉? いや、4Aだったら多分全員まとめて温泉に行くはず。となると、某氏のレンタカー無茶に付き合わされているっぽいな。ピヨピヨ君がまた酒飲んで、犯罪行為とかやらなければいいけど。

 目指すは最北端 宗谷岬

 朝、起きたらメールが届いている。

かずさ君より:「ゼロたーん ピヨピヨ逆噴射君と事故マニアとはにはに屍とワシは和知磯にわっちカーたんで拉致られます。」

 やはり「わっちカー」か。切れ目のない長い文章ということは、恐らく酒が入ってる。夜遅くにご苦労様なこって。さて、食事へ行けば7時10分という時間にも関わらず1番乗りのようで。

 さて、食事が終われば、あとはそそくさとホテルを後にするのみ。今日は昨日と違って、部屋はちらかっていないので簡単に出発。のんびり歩いていると札幌駅到着8時30分過ぎ。タッチの差で稚内行きの特急「スーパー宗谷」は出て行った様子。まぁ、いきなり最果てに行っても面白くない。のんびりいきまっしょい。

スーパーホワイトアロー 9時ちょうど発、特急「スーパーホワイトアロー」で旭川へ向かいます。自由席に座れば目の前のテーブルには「北海道東海大学」などと書かれております。松前教は北海道にまで広がっているのね。というか、松前って北海道の地名よな。

 横を見れば銀色に五色のラインが入った豪華客車特急が停まっています。それはさておき、スーパーホワイトアローはさすがに速い。伊達にマユーゲをつけてはいない。昼寝している間にあっという間に旭川。すぐに乗り換えも出来たが、それでは面白くないので旭川をちと見学。札幌と同様に町が碁盤の目で分かり易い。でもイトーヨーカドー旭川店は徒歩15分以上かかる距離。

 ストリートを見ていると結構面白い。電柱が湾曲していたり、両手がさながらドラクエのマドハンドのように池から飛び出しているオブジェがあったり。

 駅に戻って駅弁購入。が、駅弁に長蛇の列で危うく列車を逃しそうになる。というか、なんでこんなに並んでるの? 乗った列車は「快速なよろ」。意味があるのかは知らないが、小さい駅をとばします。客室は満席なので、デッキにて前面展望をすることにします。といってもキハ40系列はあまり前が見えない・・・・・・。とりあえず旭川駅を発車すると、旭川運転所(旭アサ)が見えます。DD51が停車していたりするのですが、新しいらしく奇麗でした。さらに先へと進んでいくと、豪雪地帯らしく、ラッセルヘッドの縦列駐車オンパレードでこれにはさすがにビックリしました。進んでも進んでも横に見えるのはラッセルヘッド。一体いつになったら途切れるんだと思わせるくらい大量のラッセルヘッドが縦列駐車されているのであります。いやはや、これを見たときは感動してしまいました。

 さて、これから稚内へ向けての一本道が始まります。とにかく北の果てへ。何かが私を北へと導いているような、そんな感じでした。


 前がほとんど見えないので、とりあえず運転時刻表を確認してみます。まず車両はキハ40-735であります。運転時刻表を見ると、列車番号3321D、最高速度95km/h、速度種別は通気F8って、遅っ! 1%上り勾配でどんなに頑張っても58km/hしか出ない。峠越えに弱そう。始発の旭川駅を11時14分30秒に発車。名寄には12時32分15秒に到着です。峠越えとなる蘭留から塩狩までは7分15秒で、時刻表で距離を調べて計算すると、平均速度46.3km/hで上る。下りとなる塩狩から和寒までは7分45秒で、平均速度61.1km/hで下っていく。まぁ、それなりに頑張って走るようだ。

 比布(エレキバンと言いたくなる)は11時35分30秒着。和寒(わっさむと読むが、わかんと読むやつがいそう)は11時57分着。終点名寄には12時32分15秒に到着です。さてさて、そんなこんなでどんどん進んで、比布に到着です。どうしてもピップエレキバンが頭から離れません。ミナミピップエレキバン、キタピップエレキバンと訳の分からん商品が頭の中をかけめぐります。蘭留を発車すると、前の方に工事をやってる保線員がおり、そこから峠越えの始まりのようです。警笛で合図をして、保線員の脇を通過し、大きく右にカーブして、山へ入っていきます。トンネルこそ入らないものの、どんどん登っていきます。線路は思った以上に強固なものらしく、PCマクラギに50レールクラスの、およそローカル線とは思えない規格で作られていました。

明治42年2月28日夜、この塩狩峠を上る列車の最後尾の連結器が外れ、客車1両が坂を下り始めた。たまたま客として乗車していたクリスチャンの鉄道院旭川運輸庶務主任、長野政雄氏は、何とか客車を止めるべく、手ブレーキ等を使ったが効かず、ついには自らを車輪の下へ投げ出して列車を止め、殉職した
 塩狩峠にまつわる逸話である。標高は263メートルでそれほど高くはないが、険しいことには変わりない。なお、三浦綾子氏の小説「塩狩峠」は、この逸話がモデルになっている。

 さぁ、和寒に着いたところで無事に峠を超えました。ここからはもう道北です。あとは名寄を目指して一直線。士別では跨線橋の入り口の階段にカーテンが引かれている。吹雪よけであろうか。

 さて、名寄からさらに稚内行きに乗換えです。キハ54-501が担当。なにやらツーリングなのか、自転車を持った客が多数。年寄りから若い女の子まで。メンツがほとんど変らないまま稚内までの長丁場となる。運転時刻表に書いてある速度種別は、停気A3って、さっきとは打って変わってかなり速い。まぁ、単行ということもあるだろうけど。まぁのどかな車窓を見ながら4時間も走るわけで、車内はお昼寝天国です。途中、美深で多少下車しました。さらに進むと雄信内で特急「サロベツ」と交換し、さらに北を目指します。さらに音威子府で半分まではいかないまでも、下車がありました。後から気付いたが、天北線の廃線跡巡りかな。雄信内で特急「サロベツ」と交換して、さらに北へ。ウトウトしながら外を眺めると、安牛駅の駅舎が車掌車で出来ているのを発見。上幌延でも同様の車掌室駅舎。過疎線区では待合室に、いらなくなった車掌車がちょうどよいようだ。いろいろ発見があるって面白いなぁ。またボケっと外を見ていれば、「乳牛ですが何か?」といわんばかりに牧場の牛がこっちをにらめつけるので、負けずににらみ返してにらめっこしちゃったし。楽しい。

 幌延で長時間停車。ここから列車番号が変る。いたるところにトナカイ、トナカイ、トナカイ。どうやらトナカイのふるさとを謳っているらしい。近くには国鉄コンテナが置かれている。何に使っているのかは不明であった。そしてさらに北を目指して列車は走る。兜沼では兜沼が目の前とは言わないが、車窓に映り、やがて町並みが見えてきて間もなく稚内。南稚内に到着すると、反対側のホームにはキハ261系が停車中。特急「スーパー宗谷」との交換か、と思ったが、客が乗っていないようである。時刻表で確かめると、どうやらこれから稚内駅に入線するらしい。

 南稚内を発車して、丘を登り、視界が開けたらそこはもう海。最果ての香り漂う北の海が見える。やがて町並みが迫り、日本最北端の駅、稚内へ到着した。

 さて、ここから日本最北端、宗谷岬へ行くわけですが、先日「バスがちょっと高い。」と、ラーメンを食べながら倉科、かずさ君両名とは話したところ、「そんなことない。片道400円強で行ける。」という話を両名ともしていた。で、実際のところどうかというと、往復で2430円です。どうやったら400円強で行けるのか分かりません。乗車時間も結構長いし。ノシャップ岬と間違えていませんかね?

 バスが出るまで結構時間があるので、歩き回る。海岸にある防波堤は名物らしい。駅近くには自民党の「武部つとむ選挙事務所」なんぞがあり、土産物屋と間違えそうな紛らわしい建物である。駅からそれほど離れていない「ヴァンのとなり」というラーメン屋に入り、奮発して1000円の「かにラーメン」を頂く。結構ウマイ。ちょっと具がアレだが十分いける。バスの発車時刻間際まで居た。

 バスターミナルに戻り、宗谷岬往復乗車券を購入。ちょうどバスが入ってきて、「あのバスです。」と案内される。案内されたとおり、バスに乗って発車を待っていると、さっきのお姉さんが血相変えて駆け込んできて、「宗谷岬へおいでのお客様! 申し訳ありませんがこのバスではなくて、次のバスです!」と。「そうですか、次ね?」とバスを降りると、運ちゃんが一言「遅いよ!」だって。まぁ、発車間際だったしなぁ。

 さて、やって来たバスは古そうな普通の路線バス。折戸の乗車用扉が木製に見えるのは気のせいであろうか。それより何より、オールロングシートのバスなんてはじめて乗った。大岬行きバスは、私を含めて乗客4人で稚内駅前ターミナルを発車。途中で学生を数人拾って、少しばかり賑やかになる。しばらく走ると海が見えてきて、夕日が落ちていく。海沿いは民家が少なく、1つのバス停の案内が出てから、そこを通過して次のバス停の案内が出るまでがやたらと長い。5分くらい走りっぱなしの場所もあった。しかもほとんどが通過である。途中何度か停まって、学生が降りた後、宗谷バス停で学生が降りて、乗客はまた3人になる。ちょうど日が完全に落ちた頃、宗谷岬バス停に到着。下車。

宗谷岬 真っ暗でライトアップされた最北端の地の碑が浮かび上がる。なかなか幻想的である。山の上には灯台があり、海を照らしている。ツーリングの途中らしき人が3人と、バスで同乗していた人が1人と私が最北端の地に居た。

 日が落ちているので、最北端の食堂なども開いているわけがなく、平和の等など、付近の観光名所も見ることなく、帰ることになる。バスもそんなに待たずに来る。これを逃したら最後、今日中に駅には着かない。近くの看板には、稚内まで31kmなどと書かれている。ノンストップで歩いても7時間くらいかかりそうな距離だ。

 バスが来るまで後数分。自販機があるので何か買おうかと思えば、真っ暗の中煌々と明かりを照らしているだけあって、虫どもの巣窟と化している。鳥取の田舎ですら見たこのないような虫がウジャウジャ。中には黄色と黒の縞模様をしている危なそうな虫まで。買うのはやめて灯台の明かりを見ながらバスを待つ。そして、来たバスで熟睡して稚内へ。

 稚内駅に着いたが、特急「利尻」まで相当時間がある。駅前商店街をウロウロしてみるが、時刻は20時。田舎ならとっくにみんなしまっている。鉄道ショップとかあったけど。セイコーマートで買い物して、さらに待合室などで時間を潰す。それでもまだ時間があるので、しばらく駅前をウロウロ。

 駅構内に入ったころにはすでに特急「利尻」が到着し、そろそろ改札が始まっている。さあさあ、改札を通り抜けてヲタシートを確保しましょう。というわけで確保。と言うか、前の方に誰も来ない。とりあえず編成を確認してみる。特急利尻

←札幌
4号車自由席 3号車B寝台 2号車指定席 1号車指定席
キハ183-1556 スハネフ14-503 キハ
182-501
キハ183-1506

 付随車1両くっつけて塩狩峠を登るそうです。となると、電源は3号車になるのかな。詳しいことは良く分からんがとりあえずこの4両編成で運転です。
22時ジャストに稚内駅を発車。で、次の南稚内駅で特急「スーパー宗谷」と交換のため、11分停車。だったら稚内発車を8分くらい遅らせたらどうだと小一時間。さてさて、対向列車の「スーパー宗谷」は、11分経っても来ない。車内放送が入る。

 「反対列車のスーパー宗谷号は、途中で鹿を跳ねたため、現在約5分ほど遅れて運転しております。発車までしばらくお待ちください。」 なんと、「鹿とですかっ!」 さすがは北海道。事故の方向性もものすごいものがある。次は「熊とですかっ!」と言いたいところだが、熊なんぞ線路上に出てくるものなのか。そういえば、親が北海道に言ったときは線路上に「牛」が寝ていたらしいが・・・・・・。

 本当に5分遅れで「スーパー宗谷」が到着しました。で、ムダに20分も停車してから発車になりました。で、車内放送。「鹿など出没の際には急ブレーキをかけることがございます。」 急ブレーキをかけたところでぶつかるときはぶつかる。

 さて、今日の夜食はセイコーマートで売っていた茹でトウモロコシ。う〜ん、美味しそう・・・・・・。いただきまーす! と、お世辞にも奇麗とはいえないガブリつき作法で食べて、座席を4席使ってさっさと寝る。
一旦名寄で目が覚めるが、暗い上に何もないので再度寝る。

目的特に無し ほぼ時間つぶし

濃霧 朝起きれば朝霧の中を駆け抜ける。ここどこ? 岩見沢付近? 時刻的には旭川は過ぎているな。ヲタシートから前を見るが、白い霧でほとんど見えない。視界は50メートルと言ったところ。突如として前の方から二つのヘッドライトが現れ、脇を通過。オレンジ色の車体。しかもあっという間。DD51の単機回送だと思われた。

 岩見沢らしきところを通過。まだ霧が全然晴れない。するとまたヘッドライトが。霧は多少薄くなっているので、今度は明らかにDD51であるのが分かった。今度はコキを連ねて走っていた。

 霧はしばらく、薄くなったり濃くなったりを繰り返していたが、江別を過ぎたあたりでようやくはれてきて、視界が開けてきた。白石に到着する頃はほぼ霧がなくなり、良く見える。間もなく札幌である。

 札幌で降りて、改札を出ようと思ったら回送が入るとのことで、急行「はまなす」を期待してホームへ。予想通り「はまなす」が到着した。機関車は日立製のDD51-1137で、北斗星カラー。車内からは多数の女性客が降りてきた。団体かな? 客車は14系の座席車両、寝台車両混結で面白い。なんとなく急行「だいせん」を思い出す。

 さて、札幌で下車して何をしよう。と思い、北海道大学へ。クラーク先生に会いに行きました。北海道大学って広いのね。東海大学より広い。でも起伏がないから楽。駅からも近いし。

 駅へ帰り、特急「スーパーおおぞら」に乗って帯広へ。走り出すと今までのディーゼル特急とは少々違うエンジン音に驚き。京急で使われる「スクリューコンプレッサ」のような高めの「ウイーン」という音が連続して聞こえる。北のエースだけあって、特別仕様なのかな?

 熟睡してもう帯広についている。車内は日が当たって暑いので、汗だく。帯広の町をしばらく散策する。ところどころに目のない鹿の像があって怖い。ヨーカドーの残骸もあった。今日から7&Iとかいうよくわからない会社になっているわけだが。てか、今の帯広店ってどこにあるの??

 やることないのでまた「スーパーおおぞら」で折り返して、気付けば札幌。速いけど暑い。除湿でもいいからエアコン入れて。降りるたびに汗だくになっていて水分補給している。

 目的地もないので時計台に行ってみる。つーか、これ、気付かないで通過しそうな勢いの場所にあるね。目立たないし。中に入って沿革とかを見て、なんだか内村鑑三展とかやっている。これって松前教祖に影響を与えた人物じゃなかったっけ? そのほかにもなんだか偉そうな人がいっぱい出てるんだな。北海道大学の初代学長とか、前の5000円札の新渡戸稲造とか。

 歌に登場する時計台のコーナー。大音量で「時計台の歌」が流れる。すごい展示内容。で、進んでいくと出口に居る係員がヤクザっぽい。怖いよ、ココ。
そそくさと退散して、苗穂へ行き、JR苗穂工場を横目に札幌方面に三脚を立てて、2時間ほど写真撮影をしておりました。ウロウロと苗穂駅を歩いていると、駅舎の看板にこんなことが書かれていた。

「ふらんすへ 行きたしと思えども ふらんすはあまりにも遠し せめて新しい背広を着て きままなる旅に出てみん 夢紀行 ロマンを求めて 苗穂から」

いいねぇ、きままなる旅ですか。その旅の最中なんで続けましょう。本日の終点は苫小牧ですよ。どんどんいきますよ。

 札幌駅で「スーパー北斗」を待っていると、かずさ君からメールが届く。

 要約すると、新得まで暴走してきたわっちカーに拉致られるらしい。

 あまりに無謀な計画にかなり呆れはててしまいいました。

 札幌でタラバガニ弁当(1400円)を買って、「スーパー北斗」の車内でいただく。が、1400円という値段のわりには全然美味しくない弁当で、価格のほとんどはカニ使用料だな。といわざるを得ない弁当でした。後は熟睡。

 苫小牧に到着。確か「スーパー北斗」の後に、お話にならないくらいの速度差がある「北斗星」が追っかけてくる(と言うか、差を開けられているが)ので、待っています。十数分ほど待って到着。DD51やっぱカコ(・∀・)イイ! 重連(・∀・)イイ! 青い客車激しく(・∀・)イイ!

 本日の宿へ。チェックインしてコインランドリーを使うと、まぁ、いろいろありまして他のお客さんと1日だけ仲良くなりまして。そんなわけで洗濯が終わったのが深夜1時をまわってしまい・・・・・・。朝起きればチェックアウト時刻間近でした。

さらば北海道! いざ日本海縦貫!

 チェックアウトして、とりあえず王子製紙の軽便鉄道が保存されている公園に行きます。ちっこい機関車と、客車が1両保存されていました。どう見ても30km/hの速度が出ればいい方のちっこい動輪。まさに軽便鉄道って感じです。苫小牧駅に行き、函館方面の列車を待ちます。すると反対側からは、こんな列車がきました。

DF200「レッドベア」の試作機ですね。行きの「北斗」の中では1号機とすれ違いました。

さて、これから函館方面に向うわけですが、次の列車は特急「すずらん」です。ガキの頃、北海道の特急と言えば、「おおぞら」、「ライラック」、「すずらん」の三つ。これ以外は思いつかないというザマでしたが、で、北海道=青々としたおおぞらの下に、ライラックとすずらんがたくさん咲いているという勝手なイメージを膨らませていたわけであります。

 特急「すずらん」に乗って、とりあえず室蘭へ。王子製紙の横を通り、しばらく走ると海が見えます。車内はそれほど混雑してなく、ゆったりマターリです。しかしながら山の方を見れば不吉な雲が。そういえば、わっちカーに拉致されたかずさ君は大丈夫なのか? 今頃トマムとか変な場所に居ないよな。日本海4号に間に合わないぞ。嫌な予感でガクガクブルブル。

 国鉄唱歌のチャイムを聞いて、東室蘭から室蘭へ。途中にJR貨物の整備工場がある。旧駅名なのか輪西と書いてある。室蘭駅に到着し、さあ降りましょうと思えば、ドアが開かない。どうやら故障らしい。先頭車のドア開かず。3号車の前側は国鉄型交流電車特有の「機械室」のため、ドアがない。3号車の後ろでようやく降りれる。前にいたオッサン、「ドア無いの??」とブチキレ。そんなに怒らなくてもいいと思うけど。

 さて、折り返し時間で駅周辺探索。いきなり目に入ってきたのは「レインボー通り」。しばらく歩くと旧室蘭駅駅舎があり、明治建築風。カッコ(・∀・)イイ! ちなみに国指定の有形文化財で、公園が整備されています。

 おっと、もうすぐ時間だ。慌てて駅へ戻り、さっき乗った781系に乗車。東室蘭に着いて下車。駅改札横にある、「れいる亭」という喫茶店でカレーを食べながら時間つぶし。朝からカロリーメイトしか食べてなかったような気がする。そういえば、かずさ君は全然連絡ないけど大丈夫なのか? 東室蘭駅を次に北斗に乗っていないとアウトだぞ。

 食べ終わってもまだまだ時間があるので、ホームに下りて、貨物列車が来ないかなぁと待ち伏せ。で、先に札幌行きの北斗が来ると言うので、カメラを用意して待ち伏せです。で、約10分遅れって何?? また鹿? キハ281を期待していたのに、来たのはキハ283系。撮影して、ホーム中ほどへ移動。で、マターリしていると、わかしお君登場。本人曰く向こう側に停まっている711系に乗りたかったとのこと。

 わかしお君を乗せた711系は、苫小牧へ向けて走っていった。またしばらくヒマである。工事のオッチャンがなにやらケーブルを通している。そういえば、朝、苫小牧でも自販機を取り付けていた。今日は工事ばっかりだな、と考えているうちに中線を貨物列車が通過。この貨物列車の後追いで、「スーパー北斗」が来る。どこまで逃げるのか、DF200の実力はいかに??

 さて、やってきた「スーパー北斗12号」に乗れば、中に憔悴しきったかずさ君が居る。そして、わっちカーの恐怖を散々語られる。全然寝られなかったらしく、テンションが変です。まぁしょうがない。アイスクリームを食べつつ、函館へ。

 函館から寝台特急「日本海」に乗るわけですが、もうすでに停車中。発車まで1時間くらいあるんですが、ホームが余っているのね。操車場を見れば、DE10が何故かここにいるトワイライトエクスプレスを入れ替え中。で、外に向って歩いていくと、日本海のカニがトワイライトカラーで、しばらく眺めているとその隣に本家が入ってくるではありませんか。緑の客車が横に並んでいます。何故に函館でこんな光景を見られるのだろうか? とりあえず、函館で買い物。「酒を飲もう。ゼロさんも飲みましょう。」という意見に同意し、酒を購入。

←青森
機関車 4号車 3号車 2号車 1号車 電源
ED79-11 オハネフ
25-145
オハネ
25-207
オハネ
25-79
オロネ
25-301
カニ24-13
トワイライト

 牽引機はED79-11(日立製)で、青森までの担当。ちなみに反対側のエンドには「はまなす」のヘッドマークがついている。オロネ25-301は、元あさかぜ、瀬戸用の改造シングルデラックス。電源車はトワイライトカラーのカニ。

 発車してすぐに散々愚痴をこぼすかずさ君。わっちカー拉致が相当いやだったらしい。

 茂辺地で特急の通過待ちです。後から発車の特急に抜かれています。ついでに反対列車とも交換。函館山を見ながら海沿いを進み、そして間もなく青函トンネルというところで、アナウンスが入ります。要約するとこんな感じ。「青函トンネルは昭和21年に建設が始まり、42年の歳月をかけて完成した。海底部が23.3km、地底部が30.55kmで総計53.85km、最深部は海抜マイナス240メートル。トンネル内は日光が当たらないので、気温がほぼ一定になり、そのためにレールが伸縮する心配がないため、52.57kmのスーパーロングレールが使われている。津軽海峡線は全部で18のトンネルで構成され、トンネル部の総延長は71.8kmにのぼる。」 なるほど。でもこういうアナウンスがあるのはいいな。また、吉岡海底駅は18時6分通過、竜飛海底駅は18時21分通過、そしてトンネルを抜けるのが18時34分頃とのこと。と、トンネルに突入し、バカ話を延々と続ける。アナウンスどおりの時刻で列車は運行し、トンネルを出る。すでに真っ暗。もうしばらく走ると青森になる。

 青森では機関車付け替え。プラス客車増結です。で、青森駅手前で待機している機関車は緑色・・・・・・。トワイライトエクスプレス用のEF81が待機していた。

 で、ここで機関車付け替えと増結を見るのだが、進行方向が変わって、今まで後ろ側だったほうに機関車が、前側だった方に客車が連結されるので、作業が同時に行われるので増結のほうを見る。まず、牽引機であるED79が、青森港方に引き上げ、入れ替えて駅反対側の引込み線に停車している客車を連結し、再度港方に引き上げて、推進運転で連結する。そして、連結が終わると、機関車を引き回して青森運転所へ向う。なお、ピヨピヨ君によれば、機関車の引き回しは、機関車を市中引き回しの刑に処することらしい。どうやって機関車を引きずりまわすのかは知らない。逆に引きずり回されそうであるが。さぁ、増結が終わったら機関車を見に行きます。トワイライトカラーのEF81-103であります。前2両だけトワイライトエクスプレスの日本海んて、なかなかJR西日本もお茶目さんですね。編成は以下の通りになりました。

大阪→
8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 電源 機関車
オハネフ
25-47
オハネ
25-97
オハネ
25-42
オハネフ
25-75
オハネフ
25-145
オハネ
25-207
オハネ
25-79
オロネ
25-301
カニ24-13
トワイライト
EF81-103
トワイライト

 さて、いよいよ、青森から大阪への日本海縦貫線走破ツアーが始まります。酒が入ってかずさ君の口がパワーアップします。

 飲ませすぎたというわけではないと思うが、凄い毒の吐きよう。楽しい寝台特急の車内で愚痴のスーパースペシャルオンパレードでした。よっぽど嫌だったんですね。・・・・・・もう寝よう。

 朝、起きて着替えると、ちょうど加賀温泉に到着する。特急を待つので、ホームに出て特急様を礼賛してくる。しらさぎを見送って列車は福井へ。福井駅は高架化されていて、新幹線がいつ来てもいいようになっている。逆に言えば、新幹線の準備をしたんだから、通さないってことはないよね? という、後戻りできないように仕組まれた高架化である。政治のにおいがする。ヤダヤダ。そういえば越前かに飯って美味しいよね。食べたくなってくる。

 かずさ君はわっちカーのせいでお疲れの様子。一旦起きたがまた寝ている。やがてループ線を通って、近江塩津へ。ここでサンダーバードに抜かれる。そして直流区間に入る。直流区間に入って、かずさ君熟睡。客人がだいぶ降りたので、開いた寝台へ行ってくつろぐ。京都を発車すると、山陰線の特急と同時発車。接続取らないのね。何故かこっちの方が速い。まぁ、向こうはポイントがあるから。ポイントを過ぎたら、猛然と追いかけて来ました。でもその頃には線路が大きく分かれて行きます。

 さて、沿線にはたくさんのヲタがおります。何が目当てなんでしょうか? 廃止される彗星は大阪止まりだし。何かイベントがあるのかな。と、車窓から眺めていると、寝台特急「なは」が通過した。それ以外は何も来なかったので、目的はこれらしい。そうか、次の改正で、山陽本線を通る単一の寝台特急は無くなるんだったな。東海道でも出雲と銀河のみ・・・・・・。寂しい限りだ。

 茨木を過ぎた頃だろうか、福知山線で事故を起こしたような記憶のある車両がずっと横についている。駅に停まるために減速して消えるのですが、しばらく走ってるとまた追いついてきます。でも駅に停まるために減速して・・・・・・、結局、大阪までずっとついてきました。どんだけ客車列車が遅いんだよ。

 眠たそうなかずさ君を起こして、日本海から下車。前を見に行く。一旦駅を出て、空き時間をどうするかと。安治川口に行く

いざ、聖地 山陰へ

 大阪環状線に乗って、西九条で桜島線に乗りかえたところ、車内広告が全部嘉門達夫。あっちにも嘉門、こっちにも嘉門、ところどころに嘉門達夫が見えます。なんだこの嘉門電車。水族館か何かのCMらしい。

 桜島へ行ってから、折り返し安治川口へ。しかしなんもない。来た列車には、クハ103-1とか書かれている。昭和33年製。いったい何年使う気だろうか。つまらないのでとっとと戻る。

 大阪で駅弁を買って、特急「はまかぜ」を待つ。その前に北近畿が発車するので、混雑したホームは一気に閑散とした。やがてエンジン音と共に京キトのキハ181系はまかぜカラーが到着。それほど待たずに発車となる。車掌がやたら丁寧である。淀川を渡るときは、長く続く鉄橋の騒音で聞こえないと判断したらしく、放送が中断される。渡りきったところで放送を再開。そして、車内に入ってくると深くお辞儀をして、車内の温度をチェック。そして聞き取りやすい喋りで車内改札。ずいぶんと丁寧なサービスだ。これが日勤教育の成果とは言わせたくないけど。

 さて、車内では日本海での会話の続き、つまり愚痴が延々と話されています。新快速にケツを叩かれながらキハ181系は姫路を目指し爆走。但し、途中で貨物が足を引っ張り遅れます。で、姫路に到着すると、播但線とは正反対の新幹線側のホームに停車。で、貨物列車が遅れているので発車が遅れる。

 EF200-901牽引の貨物列車が通過。つーか、このあたりに来るとEF200-901をほぼ確実に見るのは何故?

 貨物が行ったら、線路上をグネグネと曲がり、線路を全部封鎖して播但線に入って行きます。さすがに特急。やることが違うね。ケツを叩いていた新快速も、特急はまかぜ様の線路封鎖に対向できず、立ち往生です。さて、このあたりでかずさ君がウトウトしだします。しばらくするとかずさ君は熟睡し、ついにはに陀仏様が降臨なさいました。おまけに外は大雨になってきました。

 播但線を抜けて山陰本線に入り、江原で大雨になり、国府で交換だが対向車が大雨で遅れて3分延発。ちなみに対向車も「はまかぜ」であった。豊岡付近で雨が止んだ。しばらくデッキで過ごしてみるが、エンジンから出る熱がこもって暑い。城崎温泉で大半が下車したので席に戻り、外を眺める。竹野駅付近から海が見えはじめる。次の佐津を通過する前に、停車していたバスが見えた。行先は「畑」だそうです。

 終点香住で下車し、駅前をウロウロしたり、オレンジカードを買ったりして時間を潰します。ここから次の列車でわが聖地への入り口、餘部へ向います。

 やって来た列車は、播但線カラーのキハ47-2。なんか古い車両ばっかりに当たるなと思いつつ、乗車。そして鎧を過ぎ、しばらく走り、トンネルを抜けると突然の空中散歩。高さ41メートルの餘部鉄橋であります。我が聖地山陰の最初の駅、餘部で下車であります。

 餘部鉄橋は、この地域の重要な観光資源でありながら、来年以降、新たな橋が造られるため、取り壊しが決まっています。そのためか、結構人が降りています。ほとんどが観光目的です。で、中には鉄橋を渡る極度のバカもおります。しかも総勢5人。全員みやび落ちれば良いのに。

 さて、では餘部鉄橋について少し説明しましょう。正式名称は「余部橋梁」というらしいのですが、姫新線の余部(よべ)と間違えないよう、餘部(あまるべ)とされています。高さは41メートル45センチ、長さは310メートル59センチです。明治45年(1912年)の3月1日に開通し、幾度となく保守を繰り返し、今に至っています。形はトレッスル式と呼ばれ、本来ならば木材を複雑に組み上げて作るところを鉄骨に置換えて組み上げたもので、鉄骨はアメリカ製です。海に面し、常に潮風に晒されているため、専門の保守工が駐在し、保守を行っていた時期もありました。

 風速が一定以上になると安全のため渡れませんが、1986年12月28日に、回送の客車列車「みやび」が転落して、車掌と、直撃したカニ加工場で作業中の職員5人が死亡する事故が起きた。子供心にこのときの新聞記事は衝撃的であった。父親に連れられて、何度もここを特急「あさしお」で通ったので・・・・・・。以後、橋上に柵が設けられ、規制も厳しくなった。老巧化のため、この橋を取り壊して、コンクリート製の味気ない橋が掛けられる予定である。来年より工事が開始され、2010年までに新しい橋に移行することになっています。

 さて、とりあえず下を見てまわろうと思いきや、雨がひどくなってきたので、かずさ君と荷物を待合室に残して出発。ピヨピヨ君がハァハァ言って登れなくなる駅への道を一気に下る。足元が滑りそうでかなり怖い。ちなみに、餘部駅は戦後に出来た駅で、それ以前、住民はこの坂道を登って、さらに鉄橋を渡ってトンネルを通り抜けて、隣の鎧駅まで歩いて列車に乗ったそうだ。列車に乗るだけでかなりの恐怖を体験する。

 さて、下から見上げる橋梁はかなりの迫力。民家の上に鉄塔が聳える異様な光景である。そして、みやびの転落現場へ。慰霊碑が立っているので手を合わせる。農家の人に挨拶するが、あまりよろしい返事が返ってこない。恐らく、変なヲタクがカメラを持ってうろついているので、正直なところ、地元にとっては良い感じはしないのであろう。さて、戻るか。と、駅へと続く坂道を登る。高低差は前述のとおり41メートルです。坂はいいけど雨が嫌だ。足元が滑る。かなりきつい坂だからこけたらそのままゴロゴロと行きそうだ。慎重に足を進めて、無事餘部駅へ到着。しばらくすると鉄橋を渡って浜坂行きの列車が到着。

 浜坂では給水塔を見つつ、We are the魚屋のオッサンと化したかずさ君と次の列車を待ちます。何が来るかなとヘッドライトを見ながら予想。お馴染みのキハ47かと思いきや、ヘッドライトを見て、もしかしてキハ33が来る? と、大当たりでかずさ君の大好きは50系改造のキハ33が47と連結されて到着です。こいつで鳥取まで行きます。

 ホテルにチェックインした後、かずさ君を残してひとり「出雲」礼賛に出かけます。が、駅に着いてどこで撮影しようかと探していると、大雨で20分遅れとか言っています。のんびり待っていると、20分どころか40分くらい遅れて来ました。まぁ無理もない。同業者は一人しかおらず、撮影もマターリ感が漂う。但し、1分停車なのであっという間に出発。エンジン音を響かせて走り去っていった。そしてホテルに戻り、かずさ君とヤカマシイ夜を過ごすわけである。
「ゼロたん、山陰には中小地方私鉄はないでつか?」
「一畑電鉄しかない。郡家から三セクの若狭鉄道があるから、乗ってくれば?」
かずさ君、嫌な反応を示す。ちなみに若狭鉄道の初乗り運賃、郡家〜八頭高校前は日本一安い60円となっている。さなに列車はさくら1号、さくら2号という風に名前がついている。

大雨の山陰紀行

 朝起きて、かずさ君を起こしても起きないので一人で駅へ行き、今度は出雲市行きの寝台特急「出雲」を礼賛する。遅れてくるかと思いきや、普通に到着です。停車時間が長いので、のんびりとみてまわります。結構な乗客が下車。廃止するのは乗客の切捨てだ! と、反論したくなるほど。

列車が発車した後、「砂丘そば」を食べる。今まで何度も来たが、食べる機会が無かった。注文してみると、ソバにチクワが入っている。鳥取県民はちくわが大好物。ちなみにアゴ(トビウオ)のちくわ。

 で、ホテルに戻ったら朝食を・・・・・・。かずさ君をあの手この手で起こす。なんとか起きたら、下へ直行。電源を切った上にかずさ君置き去り。かずさ君ゴメンネー(菅井家の爺ちゃん風)

 で、チェックアウト時刻を過ぎて、フロントから「とっとと出ろゴルァ!」と電話がかかってくる始末。ホテル前で別れて、郵便局でふるさとギフトの二十世紀梨を自宅へ送る。二十世紀梨はウマイよ!

 さて、大原行きの因美線に乗って、鷹狩駅を目指します。車両は智頭急行のHOT3500形であります。津ノ井でいきなり交換があり、しかも指令によれば、対向列車は3分遅れで郡家を発車。5分遅れで発車する。なんか線形が良いからか、100km/h以上で突っ走っています。郡家では特急「スーパーいなば」と交換し、河原、国英(くにふさ)、鷹狩と停車し、下車。その後は親の実家の整理とお墓の掃除。

 なんとか用を済まして駅へ戻ります。次の列車を逃したら3時間も列車がないですから。墓に居た頃から降り始めた雨が、駅に着くころには大雨に変わっています。狭いホームで待っていると、HOT3500形の鳥取行き普通列車が到着。乗車します。運転室脇に立って前を見ていると、運転士さんが、ワイパーを動かしてくれました。親切ですね。郡家で特急「スーパーいなば」と交換。そして津ノ井では「スーパーはくと」と交換です。大雨の中通過する特急というのは迫力があります。因美線は振子を使わないはずですが、写真を見る限り使っているように見えるのは気のせい?

 鳥取に着くと、目の前の砂丘ソバにかずさ君が。どうやら若狭鉄道に乗ったらしい。で、砂丘ソバを多少解説し、天ぷらそばを食べながらそば屋のおばちゃんと喋った後、中線に止まっている「ふれあいSUN-IN」を撮影して、手持ちの資金がないのでかずさ君と別れて再度郵便局へ。急いで駅に戻るもかずさ君の乗った列車は既に発車した後。次の特急を待ちましょう。と、たまたま停まっていた浜坂行きに乗車し、大岩で下車して、反対側の鳥取行きに乗ってとんぼ帰り。とんぼ帰りといっても、鳥取〜福部間は1駅ながら10分以上かかるので、30分以上掛けて往復しています。そして、特急「スーパーくにびき」5号に乗車。自由席に乗れば、雨漏りで6席が使用不能。蛍光灯のところからボタボタ垂れています。危なくないかい?

 相変わらずバカみたいに速い加速を見せるキハ187系。雨をものともしないであっという間に高速域へ入る。とばすとばす。雨で景色もいまいちなので、西鳥取車両支部を過ぎたら寝る。

 あっという間に米子。とりあえず降りて車庫の撮影。が、大したものが無い。ついでに持っていたはずの傘も無い。どこで落とした?? 車内か? 外に居てもつまらないので次のやくもに乗って松江へ行こうと思う。ホームに入るとEF64-1000が牽引する貨物列車が登場。岡山機関区には0番台のほうが多いのに、ムーンライト八重垣を除いて、0番台が牽引する列車を見たことが無い。山陰本線で見る貨物はみんな1000番台が牽引。何故だ??

 381系「やくも」に乗り、「おお、振り子ってる! 振り子ってる!」などと一人でハァハァして、荒島で対向車遅れでこちらも遅れるが、全く気にせず松江で下車。ここでの目的は、もちろん出雲礼賛であります。が、雨で3分遅れ。気にしない気にしない。やがてやって来た。ここでも10分近く停車して、後ろの特急「やくも」に道を譲るが、電車特急の方が客車特急より遅れてるってどういうことじゃ?? 

 撮影が終わると次の快速に乗って出雲市へレッツゴー。キハ126系だ。久々に乗った。しかし速いなぁ・・・・・・。さて、出雲市でかずさ君と落ち合うはずだったのですが、居ません。後藤駅に行ったのは分かるのですが、遅れで列車が来ませんと。まだ米子ですか・・・・・・。彼によれば、「まつかぜ」が46分遅れだそうです。でこちら出雲市では、「まつかぜ」が米子を出ないとモニターできな

かずさ君メール:「みことんと共にやくもんは失敗振子だ! う〜酔った。」

 381系の揺れごときで酔うとは情けない。やはり異教徒が神の国に入ってくるというのはまずいことだったのか??

 まぁ、ずいぶんと待ったがようやくかずさ君が変なテンションで到着。ホテルへ行ってから夕食探し。出雲そば出雲そば・・・・・・。

 台風が接近ってことなので、翌日のホテルをキャンセルして出雲の寝台特急券を買う。予定変更ね。そして大社へ。私は出雲礼賛のため、駅へ行くが到着時刻を1時間近く過ぎてもこないので断念してかずさ君を追って旧大社駅へ。一畑電車は間一髪で行ってしまったので、一畑バスで行きます。と思ったら、駅通りを通らないので、吉兆館で降りて歩いて旧大社駅を目指す。おお、荘厳なつくり。明治建築! すばらしいぞ大社駅! ほとんどがそのまんま残ってる。キハ47とかが今にも走ってきそうな勢いだ。D51も置いてあるがあまり状態が良くない。ヘッドライトのレンズが無いし。中にはイザナギとイザナミの顔ハメパネルがあり、かずさ君が顔を出してなんとも汚いイザナギの出来上がり。

 いろいろ撮影した後、出雲大社へ。かずさ君は「三次元の彼女」ができるようにしたいらしい。間違って「二次元」と言わないようにしな。
参道を通ってお参りし、お参りのあとは「お賽銭を要れずにたくさんのお願い事をしたらどうなるか」という話。10月の日本全国神様会議で「お賽銭を入れないくせにたくさんの願い事をする厚かましいやつがいる。」という議題が出て、その願い事をどこの神様がかなえるかという話になり、散々たらいまわしにした後、「貧乏神」が引き受けるという結論になるとかなんとか。

 近くの出雲そばの店で3段割子を食べて、一畑電車に間に合うか? と駅まで全力ダッシュ。何とか間に合って一畑電車に乗車。で、川跡でデハニ50が動いているのを見て、松江しんじ湖温泉行きに乗りかえて熟睡。雲州平田で車庫を眺めつつ寝る。宍道湖を左手に走り、一畑口でスイッチバックして、車両の向きを変えて松江しんじ湖温泉を目指す。宍道湖をずっと眺め、はに陀仏が降臨し、日本一長い「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」に到着。アナウンスは「庭園美術館前」と省略されている。

 松江しんじ湖温泉駅で、ようやくはに陀仏様が天へ舞い戻り、かずさ君起床。寝すぎだボケ。で、そのまま帰ったら出雲に間に合わないという。しょうがないのでバスに乗って松江駅へ。途中、鉄研で有名な島根県知事(フィクションの知事だけど)のいる島根県庁や、「ジャクチョーファイブ」がコンサートを行った島根県民会館の脇を通る。島根だけにほとんどが菅井君ネタである。
松江から乗った車両は103系前面の115系。運転士は女性。田舎臭い学生が多数乗っている。直江で「スーパーやくも」と交換し、出雲市へ到着。コインロッカーから荷物を引っ張り出して、弁当とお土産を買って寝台特急「出雲」に乗車する。

旅の終わりへ 寝台特急「出雲」

←東京
8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 電源車
オハネフ
25-124
オハネ
25-208
オハネ
25-143
オシ
25-703
オハネフ
25-203
オハネ
25-150
オハネ
25-209
オロネ
25-7
カニ
24-112

 牽引機は、朱色のDD51-1121(三菱製)が担当。客車は東オクで、変なところも無く、B寝台が全車100番台以降の純粋な出雲編成である。出雲市から横浜まで乗車。私の向かいには子供の家に遊びに来たと思われるおばさまが。「一晩よろしくお願いします。」と挨拶を交わした後、メモと撮影に走りまわり、乗り遅れたのではないかと心配をかけてしまう。そして発車間際に車内に入り、とりあえず検札が来てからフリースペースの食堂車に行こうということになる。

 私は3号車、かずさ君が2号車。切符が複雑なので、あらかじめ用意しておき、検札が来たら一枚ずつ説明して渡す。説明したので車掌は混乱も無く検札終了。よく考えたら、車掌は1号車オロネを拠点に4号車までを担当していると思われるので、かずさ君を先に検札している。迷わなくても不思議は無いかも。

 定刻どおり発車した出雲は、松江まで定刻どおりに運転してきます。松江で先日同様、後発の特急「やくも」に抜かれるのですが、またしても「やくも」が3分ほど遅れています。情けない電車特急381系です。ホームに出て、撮影します。1121号機のキャブとか資料画像を撮影して、発車前に車内へ。食堂車で談笑します。松江停車中に自販機でQooを買いました。5分遅れで松江を発車。1121号機は米子を目指してラストスパートです。

 米子に到着すると機関車の付け替えです。既に交代の機関車が鳥取方で待機しています。増結がある場合は客車も交代の機関車に連結されて待機しています。米子に到着し、1121号機を切り離して鳥取方へ引き上げ、交代の機関車が入れ替わり入ってきます。今晩のお供は1179号機。1121号機は不調機と噂されるのとは対照的に、1179号機は絶好調言われている機関車であります。付け替え作業を終えて、食堂車に戻って役目を終えて車庫に戻る機関車を見つつ、激しい衝撃と共に列車は発車。好調なので一気に引っ張ってきます。米子〜鳥取間は、立席特急券で乗車する人が多い区間となります。食堂車には我々のほか、ビジネスマンが多数乗車しています。テーブルがあるので書き物をする人や、お酒を飲みながら談笑する人、置いてある自販機で水やお茶を買う人、結構な利用率であります。寝台そのものを使うことはあまり無いのでしょうが・・・・・・。

 さて、食堂車では相変わらず、かずさ君の饒舌が冴え渡ります。でも高速バス嫌いの俺に、出雲廃止後は夜行バス「キャメル」に乗って鳥取へ行くべきですとか、「キラキラ号」に乗るべきですとか執拗に勧めてくるのにはさすがに。バスは長くても2時間程度乗る箱なんだよ!で、今度は「キラキラ号」を徹底批判。
かずさ君:「後藤さんが絶賛する『キラキラ号』は、単なる動く箱ですよ。」
ゼロ:「安いだけが売りのバスなんぞ興味も無い。列車の方が速くて定時性が良いし。」
かずさ君:「トイレスペースも削って固定座席をキツキツに並べて詰め込んでるんですよ。」
ゼロ:「つまり、KTXと同じやり方をしているのね。」
かずさ君:「そうですよ。あんなの東京〜大阪間を移動するエレベータですよ!」
ゼロ:「それって、移動用の箱じゃん。絶対乗らない。」
かずさ君:「運転手も一人で、しかも走って何ぼですから半ば運転ですし。」
ゼロ:「運転手が逝ったら乗客道連れというわけか。リスクがある分安いわけか。」
ゼロ:「大体、道路を整備する金を払わない自動車メーカやバス会社はセコイ!」
かずさ君:「言われてみればそうですね。鉄道は用地持って整備してますしね。」
ゼロ:「だから民主党の言ってる高速道路無料化はありえない。値上げすべき。」
かずさ君:「エロ川君のキレかたも面白かった。『新潟のバスは二人乗務だ!』って。」
ゼロ:「ハハハハハハハハハ・・・・・・。」
ゼロ:「何、東京〜大阪と距離が変わらないからって、新潟〜大阪は高いとか言ったのか?」
かずさ君:「ええ、言ったらしいですよ。」
ゼロ:「彼ってあれ? 経済学の理論で使うような、実際にありえない仮定がデフォルト?」
かずさ君:「ん、といいますと?」
ゼロ:「つまり、全ての主要都市の交通需要がみんな同じと仮定して話している・・・・・・。」
かずさ君:「たぶん考えてないですよ。それならば夜行列車なんて廃止されませんよ!」
この「キラキラ号」叩きは、延々と30分以上続いたと記憶している。列車は間もなく鳥取に到着しようとしていた。弁当やらお菓子やらを食べて。

鳥取について、立席客がいっせいに降り、車内は閑散としてきた。相変わらず絶好調1179号機はガコガコと衝撃を立てながら動いている。まぁ菓子折りを食べながらずいぶんと喋り続け、21時13分、我が聖地の入り口である餘部鉄橋を通過。聖地を後にし、それからずいぶん経って、豊岡付近でようやく寝る。

 朝というか、夜中、目が覚める。高速走行中。恐らく名古屋付近。このあたりの走りっぷりがあまり好きではない。ここで一旦目が覚めると寝られなくなるのが常。どうも体に合わないらしい。浜松を過ぎるとあっという間に寝られるのだが。外を見ればどうやら大府あたりを走行中のようだ。しばらく外を眺め、寝ようとするが寝られず。延々とモソモソと動き続け、豊橋を過ぎた頃にもうダメだと思い、着替えて車内をゆっくりとウロツク。しょうがないから寝台の使用数を数えてみる。

 まず、先頭のオハネフに行き、機関車の番号を確認。本日の京都からの担当は、EF65-1109 でした。そして、8号車の寝台使用数はたったの1基。7号車も1基、6号車も1基。ヤル気あんのかって感じである。5号車はフリースペースであるから当然ゼロ。4号車は10基、私が居る3号車は12基で、うち2基が上段寝台。かずさ君の居る2号車は19基使用。そして1号車シングルデラックスは、11部屋のうちなんと8部屋が使用中であった。合計52名の乗車率。定員は、普通なら214人だったはずだから25%にも満たない。

 浜松に着いたら、何故か私のお向かいのおば様も起きているので「おはようございます。」と挨拶。そして私は寝る。

 起きたらなんか臭いニオイがしそうな駅を通過していた。日はもう出ているはずだが、厚い雲に覆われている。向かいのおばさまは、静岡で降りたらしく既に居なかった。片浜を通過する頃、反対側をEF65+小田急10000形が通過していった。長野電鉄譲渡用に、日本車両で改造を施すものと思われる。さらばHiSE。

 間もなく旅も終わり。荷物を片付けて食堂車へ。かずさ君が居るのでまた駄弁って終わり。熱海を出て、いくつものトンネルを抜け、海を眺めて新幹線と離合し、森の中を抜け、貨物を追い越し、青とクリームの電車の下をくぐり、大きな左カーブを曲がり、貨物線と離れていくともう横浜だ。早い早い。こうして、長い旅路は終わった。

 後は戸塚に帰るだけ。と思いきや、横浜を発車した出雲にトラブルが発生したらしく、ホームを半分はみ出した状態で停まっている。横須賀線のホームから何事かと眺めていた。とりあえずかずさ君にメールを送ってみる。かずさ君によれば、機関車に異常発生とのこと。確かに機関士が動き回っているのは分かった。数分停車した後、東京方面に向かって走り去っていった。

戻る