最西端への旅路

 人員の都合で、バイト終了から直接旅行に出発という強行日程を組んだ。いつも以上にテキパキと作業を終わらせる。おかげで最終の一本前の地下鉄に乗ることができた。地下鉄は廃車もまもなくと見られる1000形だった。終電が近いだけあってそこそこに混雑している。戸塚までのわずかの間の乗車だ。戸塚に着くと、最短距離でJRに乗り換える。JRのホームは閑散として静かだ。と、EF66が牽引する貨物列車が通過していった。東海道線の普通は、期待していた113系ではなく、211系がやってきた。これで次の大船までの乗車する。大船駅に着くと、乗車するムーンライトながら91号まで約30分待つ。京浜東北線のホームには209系の500番台が停車していた。時折、EF66牽引の貨物列車、EF210牽引の高速貨物列車が通過していった。

 通常運行の「ムーンライトながら」の続行で、本日乗車の「ムーンライトながら91号」が到着した。夜の大船駅に現れた列車は、国鉄色でありながら特急シンボルマークの無い189系だった。マークが無いだけでまったくしまりの無い顔になっており、国鉄車両としての風格もいまひとつ。だが車内へ入ると、いかにも国鉄っぽい設備がお出迎え。切符は窓側の席だが、通路側に熟睡する若い男が座っている。体をゆすろうが声をかけようがまったく起きる気配なし。しかもテーブルを広げて、上には貴重品が置いてある。無防備なことこの上ないと思った。しかたなくその上を飛び越えて自分の席に着く。これで時間を食ってほどなく平塚に到着だった。手前の相模川でEF66牽引の貨物に追い抜かれる。機関車が横に並ぶとさすがに迫力がある。平塚を発車したのを確認して眠りに着く。いつになく熟睡して、気付けば沼津、その次は浜松に停車した。対向ホームには、出雲やサンライズが発着していた。その次に気付いたら、すでに名古屋に到着していた。

 やけに寒い。窓は曇り、空調もあまり効いていないようだ。曇ったガラスの外を眺めながら、ボケっとしているうちに、終点の大垣に到着。そうだ、来る前に「おはぎ」をもらったんだった。と取り出してみればえらい水浸し。ベタベタになりながらも食べる。姫路行きに乗り換える。それにしても、いくら関ヶ原が近いとは言え、この時期にしては寒い。寒すぎる。異常気象じゃないか? 大垣で出迎えてくれたのは、113系ではなく、223系だった。乗りこんだが車内も寒い。特になにをするわけでもなく、踏切事故防止キャンペーンの中吊り広告をみていた。しばらく走ってさて途中駅の近江長岡に到着。ドアが開くと反対側のホームに貨物列車が停車中。目の前に停車していたのは「JNR」の文字がまだ残るC36コンテナだった。その周りはJRコンテナなのだが……。米原に到着すると、後発の新快速に乗り換え。乗った車両はクモハ223‐1013で、中間の先頭車だった。あらかじめ用意しておいたパンを食べ始めると、ほどなく発車時刻となった。食べ終わるころには草津。その後、熟睡して気付けば姫路というありさま。寝すぎ。

 姫新線に乗るのだが、発車まで時間があるので、姫路城の堀あたりまで行ってみた。まず駅前のバス乗り場に停まっていた観光用のバスを発見。「御殿様」と「御姫様」があるようだが、恥ずかしくて少なくとも自分は乗る気にはならないな。そのまま歩いていくと今度はオブジェがたくさん並んでいる。で、ピヨピヨ君の好きそうな銅像が……。それは置いておいて、お城が間近になるにつれて、瓦屋根の和風建築が多くなってくる。で、純和風の建物に入っている店の名前が「ミラノ」って、思いっきり場違いな気がする。そして姫路城の近くまできたら、引き返して駅へ。良い具合に列車の発車時刻が近づいていた。

 姫新線は、赤とんぼカラーとでえもいうのか、キハ47‐1028で、ワンマンかと思いきや、3人も乗車。運転士一名はわかるが、他は移動のついでに車掌業務をしているという感じだった。天気はかなりよい。車窓からの眺めも田舎っぽくなってきた。途中で川を渡る。川辺で列車を眺めている子供たち。一昔前の光景のように思える。やがて余部に到着し、列車交換。さらに山へ向けて列車は走る。太市を出ると、線路沿いの林の中にごみの山がたくさんあった。残念ながら不法投棄なのだろうな。 東觜崎発車時にスプリングポイントを久々に見ました。まあ、どうでもいい話ですけど。そして、三日月駅に到着。こぢんまりとした駅だが、待合室の椅子には座布団が敷かれていました。地元の人による手製のもののようです。さらに列車は走って佐用駅に到着。次の列車に乗り換えです。

  次の列車が来る気配がないので、ちょいと駅を出てみました。古そうなスタイルの郵便受けがありました。と、ガラガラとキハ120らしき車両の入線する音が聞こえたのでそそくさと駅の中へ戻ります。駅は細い地下通路が一本で、枝分かれにして改札側が智頭急行、奥側が姫新線となっております。田舎の駅とはちょっと印象が違うかな? とにかく、やって来たキハ120に乗車です。 津山線カラーの木は120に揺られて姫新線内を北上していきます。佐用を出ると智頭急行の線路と併走します。智頭急行は途中から高架となり、いかにも高速仕様といった感じに一直線に山まで伸びて、トンネルを貫いていっていました。一方の姫新線はというと、智頭急行の下を、S自カーブを描いて山を避けていきました。 さて、「美作」という地名を聞くと、いかに中国地方の山の中という気がします。途中にトンネルあり、湧き水あり、とにかく山の中です。線路の整備をやる気がまったく無いJR西日本。時折、お得意の「制限25」カーブがあります。しかも、雨の日はさらに制限されて、「制限15」とのことです。軽量気動車のキハ120でこの制限。重量級の国鉄気動車が走ったらどうなるのでしょうか? 時は流れて美作大崎に到着です。でもドア開きません。乗客の一人がドアセンサーの前に思いっきり立ってるからね。

 運転士「後ろのドア付近のお客さん! ドアから離れてください! ドアが開きません!」と車内放送。普段乗っているだろうにそれくらい気付けと。さて、さらに列車は走って 東津山に到着。列車交換。そして終点、津山へ。手持ちの切符では東津山から因美線に入っているのでこのままでは津山に行けない。というわけで、津山で精算が必要です。比較的大きな駅なので、窓口に係員がいるかと思いきや、誰も居ません。応対しません。精算運賃を入れてくれと言わんばかりに箱が設置されています。金額がわからんので140円を投入して出場しました。さて、次の列車まで約1時間あるのでどこか行こうかと思いましたが、まず朝食が適当だったうえ、もう昼なので空腹。とりあえず、四国合宿の前に行った「学長の秘書の知り合い」らしい人のやっている飯屋に行ってみれば休みでやんの。しょうがない。と、近くにはよくある冷凍食品を温めて販売する自販機がある。しかも東京よりも安いぞ。というわけで温かい焼きそばを購入し、一気に食べました。

 駅前をウロウロしているうちに時間が迫ってきたので駅へ戻る。乗車目標がある位置で列車を待つが、自分の周りにはなぜか人がおらず、2メートルほど離れた別の場所に集まっている。ホームの端には見世物みたいなヤンキーが約2名。何なんだあれは・・・・・・。と、程なくして列車が到着する。と、乗車目標以外の場所に人が集まっている理由が良く分かった。到着した列車はキハ120系。17メートルの小型気動車だ。私の待っていた乗車目標は、20メートル車のキハ40などのものだったのだろう。乗車すると程なくして発車。東津山から因美線に入る。線路配置は、Y字ポイント→駅→Y字ポイント→左分岐という単純なもの。道路の下をくぐって大きく左カーブし、姫新線と分かれた。線路脇にはなごり雪が残る。のどかな光景を眺めているうちに、いつしか眠りについてしまい、気付けば終点まであと数駅という状態。寝ている間に山越えをしてしまった。

 智頭駅に着いて、途中下車。駅員に切符を見せたところ、「えーと、横浜市内から東海道、山陽、姫新、因美、山陰、山陽、鹿児島、長崎、佐世保、唐津、筑肥で伊万里、九州! 地震は大丈夫かねぇ!」ってオチはそこ!? まぁ、それはそれで楽しいけどね。さて、待ち時間がまた長いことあるのでちょいと駅を出てみましょう。南側に歩くとバスロータリーっぽい施設が。バスは2台停車中。もちろん鳥取県のスーパースター「日ノ丸交通」です。「停留所以外の場所で停車する場合があります。」だって。半分タクシーじゃん。 続いて必要あるのか無いのか不明な建設中の大橋。やたらと立派だけど、その橋と接続するにふさわしい道路がありません。第一、1時間に2本か3本程度しか通らない線路に橋はいらないだろうと疑問に思う今日この頃。そして南側の踏み切りで特急列車を待つ。6両編成のスーパーはくと、2両編成のスーパーいなばが30分の間に続けて通る。というか、あっという間だね。そこそこに車が通る。2分に1台程度。案外多いけどあの橋が出来たらどうなることやら。

 カンカンカンと警報音が鳴る。南側から弧を描いてHOT7000系「スーパーはくと」が驀進してくる。とりあえず撮影。十分ほど経過し、同様にキハ187系「スーパーいなば」が通過。そして駅へ戻る。自分の乗る列車はもう停車中。つーか、智頭に着いたときから停まっていた。HOT3500系。ちなみに智頭急行の因美線乗り入れ列車は、ワンマンと表示されているのに検札が来る場合のある不思議な列車。私を乗せたHOT3503は鳥取を目指します。千代川の流れに沿って、因幡社、流し雛の里「用瀬」、親の実家の最寄駅「鷹狩」、難読駅名で有名(?)な、国英(くにふさ)と停車していきます。また寝てしまい、気付けば津ノ井をとっくに過ぎて終点鳥取にまもなく到着と。

 鳥取からは3分で接続列車が出ているが、日が暮れかけているので夕食に、毎度おなじみ、鳥取の「元祖かに寿司」を買って、ついでに米子までの特急券を購入。特急スーパーまつかぜに乗車した。 ホームには特急の発車時刻5分前にいきなり普通列車が到着し、後者終了後に福部方へ引き上げ、中線に入った。そうしている間に、西鳥取から来たキハ187が湖山方で待機している。そして、反対側の2番線に普通列車が到着した後、キハ187がついに入ってきた。ちなみに、2番線の列車はなぜかキハ37で運転されていた。乗車時間はわずか。すぐに発車だ。 ドアが閉まり、エンジンが唸りだす。「ガガガガガガガギュイィィィィィィィィーン!!」と、物凄い加速力で長い一直線の鳥取駅ホームを出る。さすがは1両900馬力の高性能気動車! 性能は電車並だ。車内で「元祖かに寿司」を食い尽くしたころに検札登場。ムシャムシャしながら切符を出す姿はなんともカッコワルイと自分で思う。  途中駅で列車交換のため停車したようだ、と、相手方もキハ187で2両編成のため、窓の外を見て待ち構えていても、「ガー・・・・・・、」と、一瞬で通り過ぎる。 そんなこんなで昼寝も交えつつ米子に到着。

 時間的にはまもなく寝台特急「出雲」が到着する時刻。1番乗り場の端っこの鬼太郎コーナーで待ち構えていると、DD51-1187に牽引された「出雲」がやってきた。ここで機関車を付け替える。米子に到着した頃に、車両所でDD51-1179が準備をしていた。米子以東を担当する機関車は、駅南側にある車両所から東側に出て、いったん留置される。出雲が到着すると、先頭の機関車が外され、同じく東側に出て、付け替えるの脇に止まり、ポイントを換えて付け替える機関車が入線、連結。その間に外された機関車は車両所に入っていく。付け替え作業を見たら、発車を待たずに快速「アクアライナー」に乗車し、出雲市を目指す。  快速「アクアライナー」のキハ126系の車内では、携帯電話を注意しまくる変な爺さんがとにかくうっとおしかった。自分は基本的にあまり電話を使わないのだが、ホルダに入れているだけで監視対象らしい。いちいち身を乗り出してあからさまに見てくるのでだんだんイライラしてしまった。

 出雲市に到着しました。さっさとホテルに行きましょうと、駅の北側に出て歩いてみましたが何もありません。ホテルどこ? と思ったら南側でした。地図くらい見ておけばよかったかな。チェックインして空腹のために、適当に買物。といっても、田舎なのでコンビニすら簡単に見つからない。と、駅前にサークルKがあるのを発見。適当に買い込んでホテルへ。で、ネットにつないでいろいろやって就寝。

 朝、そこそこ早く起き、朝食の時間。無料のバイキング形式なのをいいことに、パンを11個、マカロニサラダを3人前くらい食べる。いくらなんでも食べ過ぎ。朝食が終われば荷物をまとめて出発する。駅のコインロッカーに大きい方のカバンを放り込んで身軽になったら一畑電気鉄道の出雲市駅へ。  往復券を買って、いつものように入ろうとしたら、「まだ改札始まってないよ!」と駅員に止められる。そうかそうか。さすがに電鉄といっても1時間に1本じゃな・・・・・・。というわけで、雨の中ウロウロウロウロ歩き回って時間をつぶす。

 改札が始まる頃に戻り、ホームへ。電鉄出雲市に停車中の車両は、「私、京王です。」というような顔をした車両だった。もちろん元京王なわけですが・・・・・・。車体は黄色だけどね。京王電鉄は廃車した車両の車体を一定期間保存しておき、他社から譲渡・売却希望があれば応じるようにしているらしい。なるほど、関東一財務体質の良いとされるだけあって京王、なかなかやるな! 小田急みたいに「匠の技マンセー!」とか言って、古い車両をばかみたいに大量に残して時代遅れになっている私鉄とは訳が違うぜ!

 さて、列車は電鉄出雲市を出発する時刻でベルが鳴っています。が、運転台に運転士の姿はありません。どうした運ちゃん! まさか遅刻? と思ったら、ベルが鳴り止んでからやってきました。 少しくらいの遅れもキニシナイ! のんびりしていていいなぁ・・・・・・。最初はそんな印象を受けたが、案外とばして走るのね。大丈夫かと思うくらい揺れるんですけど・・・・・・。まぁ古いからしょうがないか。

 出雲大社へは川跡(かわと)で乗り換えです。で乗り換えは反対側の大社行きをって、反対のホームなのか乗り場なのか良く分からない。とりあえず反対側の乗り場にいた列車に乗ってみれば、大社行きは3番線と言われ、3番線の列車に乗った。川跡では大社行きへ乗り換えが便利なように、本線の上下と大社行きが同時に停車するようにダイヤが組まれているようだ。

 川跡から乗った列車は、古そうな前面二枚窓でおでこにヘッドライトがある、いわゆる湘南顔の車両だ。聞いた話では元南海電鉄の車両だとか。詳しいことは分からないが、小さな窓が並んで2扉になっている車体は、確かに80系湘南電車って感じがする。列車は、「菅井君と家族石」の舞台を通って大社駅に到着。反対側のホームにはイベント列車が停車していた。駅構内は門司港駅のようなレトロ調で、ストーブなんかも置かれている。駅を出て左側に少し歩けば出雲大社はすぐそこだ。

 出雲大社の鳥居をくぐり、わき目も振らずに一直線に突き進み本殿へ。手を洗い、うがいをして、2礼4拍1礼の出雲式参拝を行う。それが終わった後、本殿裏の神域を見る。神域は文字通り、神の住む場所で、その庭は見学することが出来、これを「おにわふみ」と言う。天気のよい日に、正装をして行わなければ見学することは出来ない。今日はあいにくの雨。ついでに服装も普通なので、神域に立ち入ることは許されない。残念だ。もっとも、神域まで行くほどの時間的余裕は無いが。そして、出雲大社脇のこれまた大きな社に、太い綱がかかっている。この綱にコインを投げて、刺さるといいことがある、・・・・・・らしい、ので、久々にやってみる。5年ぶりかな。なかなか刺さらない。30回くらい投げてようやく刺さった。

 とか何とかやっている間に一畑電車が発車する時刻まで20分を切っているではないか! というわけで、またまたわき目も振らずに大社駅まで一直線。でも「シャッター押してください!」は断れなかった。発車時刻ぎりぎりの一畑電車に乗車。今度も湘南顔だった。川跡で電鉄出雲市行きに乗り換え。なんと車内に自転車をそのまま持ち込んでいる集団が。自転車持ち込みOKなんですね。とりあえず入口から離れた場所に置いてほしいけど。

 出雲市からは山陰本線を特急「スーパーまつかぜ」3号で益田まで一気に下る。まず駅弁の出雲そば弁当を買う。しかし、この出雲そば弁当は、出雲そばの他、かに寿司やら海老やらが入って結構高い。ところが、販売代行をしている店には、「出雲そば」だけの弁当を売っている。というわけでこの「出雲そば」を買って、ホームへ。程なくキハ120がホームに滑り込み、それほど時間のたたないうちにキハ187系「スーパーまつかぜ」が到着。さっさと席に座ってそば食うぞ。

 発車! 「ギュイィィィィィィィィィーン!」と、推定1000馬力の加速。(加速時は定格出力の2割増しほどの出力が出る) やはり物凄い加速力。振子の効果もあって山を避けて海岸線を通る山陰本線を驀進。西出雲を過ぎると海が、手が届きそうなくらいまでに近づく。そばを食ってとっとと寝てしまった。起きたらすでに浜田近くまで来ているし。何のために乗ってんだか・・・・・・。と、曇った空にメタリックな海を見ていてもつまらないので、車内を見回す。先頭の右側、運転室後方に窓があり、そこの席が開いている。簡単に言えば特急版の「オタシート」だ。誰も居ないので座ってみた。おー、右に左に、車体が傾いているのも良く分かる。スピード感もあるぞ。これは次回乗るときに使わなければいけませんな。しかしながら貫通扉を持つ車両。大雨とくれば隙間から大量の水が入ってきます。オタシートから指定された席に戻ってくつろいでいると、車掌氏が登場して運転室に入ります。運転室の扉って引戸なのね。と、すぐにモップをもって出てきて、水を拭いています。ご苦労様です。

 というわけで、綺麗な景色が最後まで綺麗に見えないまま、終点の益田に着いてしまいました。あー残念残念。  さて、益田駅では田舎駅の宿命、恐怖の2時間待ちであります。やること無い、遊ぶ場所も無い、見所も無い、の三重苦。とりあえず留置線に停車中のDD51-800重連の写真を撮って見る。でも車庫にはこれくらいしかめぼしい物が無い。しょうがないので駅の外に出てみるが、とにもかくにも何も無い。大きい駅なのにねぇ・・・・・・、山陰本線では。仕方ないので歩いてみる。でも何も無い。線路をくぐってみる。でも何も無い。と、先ほどの重連がどこかへ消えていった。さらに歩いてみる。焼肉「ぽん太」がありました。ただの焼肉屋ですけど。その先にもう一見焼肉屋がありました。「お持ち帰り出来ます。」と書かれており、その下にお持ち帰りカウンターがあります。で、カウンターには「空き家あります」と書かれています。空き家情報のお持ち帰りですか。まるで不動産屋だな。さらに歩くと公園が・・・・・・。あの黒い塊は・・・・・・、もしかして、貴婦人の横顔ですかね? と、近づいてみると確かに貴婦人C57が保存されています。しかし酷い有様。看板は折れ曲がり、ナンバープレートは剥ぎ取られ、運転室の扉は壊され、きっと運転室の部品も大量盗難に遭っているのだろうなと。頼むからこういう真似はしないでくれよ! ドロボーオタは即刻斬首刑に処すべし。  で、さらに歩いて益田駅一周完了。でもあと30分あるぞ!

 でもでも車内に入れるようになっているからOKかな。でキハ47系更新車の広島カラーに乗車。更新直後らしくかなり綺麗だ。ところが妙な老人団体が乗ってきて一気にやかましい車内へと変貌。で、お互いの旅行自慢をはじめる。オーストラリアがどうのこうの、イタリアがどうのこうの、東北線があーだこうだ。常磐線がどうたらこうたら・・・・・・。ここは山陰本線だっつーの。だいたい、車窓から海が見えれば「ここから北朝鮮に連れてかれるんだねぇ」って、勘弁してくれ。

 ちょうどその時期に起きていた海賊事件の被害にあった会社を「近藤商事」、「近藤商事」って、それを言うなら「近藤海事」だっつーの! 近藤商事は知る人ぞ知る彼のことだなぁ。 もう、あー聞こえない聞こえない。車窓を見れば相変わらず灰色の空、ガンメタリックの海ですよ。本来なら夕日が綺麗なのだけどな。この時間。見えないけど。  散々騒ぎまくった老人集団は、東萩で降りていった。萩といえば萩焼。今度はやかましく萩焼を作る気だろうか。落ち着いたものもが落ち着かなくなっちまうわ。

 さて、綺麗な夕日が雲の外から地平線の下に落ちたのでどんどん暗くなります。さすがに2時間近くキハ47系に揺られるのも飽きました。たいして混んでいないけど疲れますよ。キハ58系だったら良かったのに。外は真っ暗、中はガラガラだが、たいていどこか一箇所が騒いでいて煩い。早く下関に着かないかな〜と、寝ているうちに小串を過ぎ、山の中に入り、川棚温泉を過ぎ、次は幡生。山陰本線も終了で、山陽本線に入って一区間、終点下関へ列車は滑り込んだ。  下関ではすぐに乗り換えをしないで、いったん出場した。と、なにやらかなり近代化しているのですが・・・・・・。エスカレーターなんてあったか? 自動改札? 2年前はこんな感じじゃなかった・・・・・・。まぁいっか。

 特に何をするわけでもなく再度入場して日豊本線に乗り入れる普通列車に乗車。415系だった。下関を発車すると、右側に下関鉄道部が見える。3月改正で廃止された「いそかぜ」のキハ181系や、「あさかぜ」の24系25形が留置されていた。やがて単線並列の関門トンネルに入り、数分の走行の後、トンネルを出て九州へ上陸。セクションで電気が消えた後、交流区間に入って門司へ到着した。さらに小倉まで行き、列車を降りた。夕食は駅そばならぬ「駅ラーメン」。つーか、毎回来るたびに食べているような気がする。 さらに普通列車に乗って、博多へ。もうとにかく乗りっぱなし。新幹線なら17分の区間を1時間以上かけて走る。西小倉で日豊本線普通が遅れ、3分ほど延長して停車。さらに特急通過待ちで5分ほど遅れて特急が来たため、博多着も5分以上遅れた。何もする気力が無く、そのままホテルへ行って就寝。しかし、エレベータを1歩出て左向け左で部屋に到着とは・・・・・・。しかも反対側には自販機群。夜中にいきなり「ガシャン」と音がします。神経質な人にはお勧めできななぁ。

 そんなこんなでもしっかり寝て、ホテルの朝食。今度は食べ放題ではありませんが無料です。荷物をまとめてホテルを出たのが10時過ぎ。まぁ、せっかく博多に来たのだから、新幹線ホームに行かなくてはなりません。ノコノコとホームに行けば、山陽新幹線博多開業30周年記念の0系「ひかり」号に使われたと思われる0系が停車中。アコモ改善車両のマークは上からシールで覆われて消されていました。  それを見た後、在来線のホームに行けば、リニューアルされた「ソニック」用883系が試運転中。オタクが写真を撮影しています。隣に停車している885系「かもめ」の運転士がいきなり降りてきて、おもむろに携帯電話を取り出し、写真撮影していましたが、そんなもの持ち込んでいいのでしょうか? 試運転列車が行ってから、30周年記念パネル展示を見て回り、近くにあった本屋に「山陽新幹線」の本が置かれていたのを衝動買い。1890円は結構なお値段だ。  本を買ったら入場して、駅ラーメン。そして列車に乗って二日市へ。距離はそこそこありますが速度が速いので大した時間はかからない。で、到着。「ふつかいちー、ふつかいちです。ご乗車ありがとうございました。」

 二日市で荷物を預け、西鉄二日市へ向かう。いつだか歩いていったことがあるので平気だと思い、歩いていったら同じ場所に帰ってきました。ダメじゃん。で、気を取り直してもう一度、歩いていくと、今度はしっかり着きました。西鉄の列車が見えましたし。そして大宰府までの往復券を買って入場。列車を待つと、天神から二日市でスイッチバックの大宰府行きが到着。人がゾロゾロと降りてきた。降車が終わったので乗車し、先ほど買った高価な本を読んでいると、先ほど最後に降りてきた女性が話し掛けてきた。「コノデンシャ、ダザイプー ヘ イキマスカ?」  「あ、はい。Yes.」。 不意の片言日本語に驚いたがどうやら通じたらしく、旦那だかフィアンセだかと一緒に乗ってきた。しばらくすると大宰府行きは発車し、五条で列車交換を行った後に大宰府に到着した。降りて大宰府天満宮へ行く。お参りして、お守りも買って、境内をフラフラしていると、先ほどの外国人が登場。で、今度はシャッターを押してくれと言うので押してあげた。

 さらにフラフラして帰ったが、まだまだ時間ありまくり。大宰府から列車に乗って、西鉄二日市から二日市まで歩き、二日市で1時間くらい列車の撮影をして、大牟田行きに乗車。途中でかもめに追い抜かれ、鳥栖に到着。サッカー好きの知り合いに鳥栖スタジアムの写真を撮って送ってみたりした。スタジアム側はまだ工事中で、なにやら小型のSLが保存されているのだろうか、近寄れなかったがそんな感じだった。鳥栖駅でまた撮影をして時間をつぶす。完全な逆光で結構つらい。撮影が終わったら、クルップの古レールを撮影して、鳥栖駅の伝統的な駅弁「かしわ飯」を買って長崎本線の列車に乗車。817系だ。長崎本線に入り、数駅で佐賀に到着。

 今日はここで泊まるが、それにしても時刻が早い。チェックインしても時間があまりまくり。洗濯物をコインランドリーに放り込んで出かけてみるが、何も無い。戻って部屋にこもってテレビを見るくらいしかやること無い。コンビニで適当な雑誌を買って読みふける。

 次の日、また雨が降る中、何とか唐津線の普通列車に乗車。準備が遅かったため、危うく乗り損ねるところだった。車両はYellow-DCのキハ125系。外見は派手な黄色だが、中はシックな黒っぽい色でまとめられている。なんだか知らないが物凄い大雨になってきた。ロングシート部に座っていたが、前面窓は雨が激しく当たりまったくと言っていいほど前が見えない。途中駅では狭い待合室に人が密集して雨宿りをしている。悲惨だ。しかしながら乗り換える山本が近づけば、次第に雨は弱くなってきた。山本のずいぶん前から線路が右横について走っている。これは何線なのだろう? 筑肥線の伊万里方面だったら、右から近づいてくる線路はおかしい。左側なら納得できるけど。なんだか分からないまま山本に到着。いったん下車して古い駅舎を見ながら列車が到着するのを待つ。

 少し待つと今度は伊万里方面の列車が来る。写真を撮影して乗る。すると先ほどの謎の線路を走ってゆく。おかしい。どこで交差するのかと思い、見ていたら、しばらくして左に曲がって勾配を上りながら右へ旋回、唐津線の上を越えていった。なるほど、こういう構造だったのね。

 伊万里に到着したら、松浦鉄道に乗り換える。切符を買っているとまもなく発車します。と慌ててホームに出ると松浦行き。たびら平戸口まで行かないので乗るのはやめた。さてお昼時でおなかがすきました。何かないかとあたりを見れば、イオングループのマックスバリューとかいうスーパーがあったのでそこで弁当を購入。しかし風が強すぎでまともに歩けない。立派な西洋建築の建物があったので、その前まで行って見てみた。しかしいったい何の建物なのかは分からず。あまりに風が強いので立っているのがやっとの状態。これで海沿いに行ったらえらいこっちゃ。

 松浦鉄道の佐世保行き、MR300に乗って弁当を食べる。しばらくして伊万里駅を後にした。  国鉄松浦線は沿線人口の割に利用者が少なく、廃線の危機を第三セクター化で乗り切った。松浦鉄道になってからは、駅数を倍増してより乗客を拾える体制を整え、本数を増加させることによって利便性の向上などを図った結果、沿線人口の利用が促進されて、黒字転換を果たした。やはり国営というのは考え方が甘いのね。 交換がある駅で前面から写真を撮ってみたりしたが、今福から大量の学生が乗ってきたために身動きが取れなくなった。

 やがて車窓から海が見え始め、さらに走ると松浦駅に到着。学生の大半はここで下車した。そして、巨大な松浦発電所を右手に眺めつつ、田平へと列車は入っていく。と、ここでパラパラと雨らしきものが降ってきた。前を見ると、運転台に水が当たって跳ね返り・・・・・・、ん? 変だぞ? もしかして雪か? まさか、こんな時期に、しかも九州で雪なんてありえないよな。うんうん。で、日本最西端の駅、たびら平戸口駅に到着して、列車を下りると吹雪になっています。雪は雪なのですが、氷のような雪です。MR300の写真を撮っているときも体にバコバコ当たって痛いです。おまけに強風で限りなく地面と水平に飛んできます。たまらず駅舎内に避難。

 さて、吹雪がおさまらないかとたびら平戸口駅に併設された鉄道資料館を見学します。「最西端証明書」を買うべく窓口もありますが、駅員はおらず。来るまで資料館を見て待ちます。切符やらグッズやら、が大量においてあり、運行時刻表は500円で売られています。と、駅員がコーヒーを片手に登場。おもむろに椅子に座って週刊誌を読みだす。客のこっちを完全無視。いかにも国労組合員です。といわんばかりのジイサン。 態度もずいぶんと横柄だった。

 雪は止んだようだし、さっさと平戸へ行こう。バス停はすぐ近く。えーと、次のバスは、次のバスは・・・・・・、3時間以上ございません。えっと、平戸市の観光案内には「お気軽に利用できる」とかなんとか。気軽かも知れんが本数がないぞ。騙された。でも歩いてでもいけるだろうと思い、とりあえず平戸大橋を目指して歩く。細い道を下っていくと、そこはもう田平の港。海を挟んだ反対側に見えるのが平戸だ。ところがものすごい風。重い荷物を背負っているにも関わらず、港に近づけない。風が強すぎて押し戻される。それどころか、荷物を持ってしても飛ばされそうになる。海鳥が翼を広げて飛んでいるが、あまりの風の強さに前に進まず、空中でほぼ静止している。

 とりあえず、平戸大橋まで歩く。港から坂を上って頂上が大橋の入り口。途中には神社なんかがある。やっとこさ平戸大橋に着いたが、歩行者用の通路は僅か1500mmです。とばされたら最後、海峡に真っ逆さまに落ちて、「ぼくドザえもんです!」って水の中から飛び出してくる陽気な水死体になってしまいます。車道側に飛ばされたら、有料道路なので、すっ飛ばして来る車の餌食になって、車偏に楽しい出来事になってしまいます。ここに来るまで2度ほど吹っ飛ばされそうになっているので、さすがに吹き曝しになっている海峡の橋なんぞ、怖くて渡れません。しょうがないので引き返しました。  たびら平戸口の待合室で、チェルシーを食べながら30分ほど待つと、列車が来ました。今度はキハ120系と同形の車体を持ったMR100であります。ちなみに、キハ120系よりMR100の方が先に登場しています。さて、車内は予想に反してクロスシートの部分がありまして、そこを占拠してたびら平戸口駅を出発しました。しかしながら、あっという間に寝てしまい、気付けば佐々で、周りは学生だらけ。停車時間が長いので、外に出て写真を撮影。

 さて、佐々を出て次第に街中へ入っていきます。やっぱり乗りっぱなしは飽きてきます。早く着かないかなぁ・・・・・・。と。  ボケーっとしていると、北佐世保駅に到着。次は中佐世保です。中ということは、佐世保の中央あたりなのだろうなと思いきや、その次は佐世保中央・・・・・・。意味的にはほぼ同じだと思うのですが。ちなみに中佐世保と佐世保中央間の距離は僅か200メートル。「ひかりレールスター」を駅間に置くと、ちょうど1号車の扉から車内に入り、歩いて8号車の扉から出られるという距離。ちなみに日本で最も駅間が短い区間らしい。

 ふー、佐世保に着いた。もうダルい。少し早いがホテルに行こう。と、10分ほど歩いてホテルへ到着。入ると民宿っぽい感じが・・・・・・。え、玄関で靴を脱ぐの? 見た目どおり民宿じゃん。スリッパに履き替えてチェックイン。で、部屋に案内される。シングルを予約したのに何故かツインルーム。おまけに風呂とトイレは別々で、風呂が下手なアパートより広い。世の中には面白いホテルがあるのだな。これで5000円台とはかなりお安い。

 で、佐世保の商店街に出かけてみるが、日が落ちるとあまりに寒くてほとんどトンボ帰り。夕食は適当に。あとは部屋に篭っていろいろやります。風呂桶にお湯をたっぷり入れてのんびりと・・・・・・。

 さぁ、朝です。天気もいいですので早いこと長崎まで行きますか。佐世保線の快速シーサイドライナーに乗車する。キハ200系の運用を期待してホームでカメラを構えていると、来た来た。やっぱりキハ67系なのね。でも国鉄カラーだ。さぁ、乗車。発車までに席が8割方埋まった。佐世保を出て、いきなり日宇で列車交換。相手は817系です。早岐から大村線に入ります。ハウステンボスを見たら熟睡し川棚に到着していました。反対側にはシーサイドライナーのキハ200系。そのうちに気付けば目の前に海が広がります。大村湾です。やっぱ海っていいなぁ・・・・・・。

 さて、諫早に着きました。下車します。諫早ってなにかあるのかな。と思い、適当に歩き回る。すると見つけました。変な看板。「長崎で2番目に汚くてマズイ店」だそうです。なんだかよくわかりません。そんなもんですかね。2時間近く歩き回っような気がします。

 諫早駅で写真をバシバシ撮っていました。駅員さんと喋ったりして。さて、長崎行きの列車が間もなく発車。というわけで列車に乗車。したつもりが、列車が違ったようです。慌てて下りる。反対側のホームから長崎行きの817系が出て行きました。再度30分待ち。  次のシーサイドライナーに乗るか、そのすぐあとの普通列車に乗るか。シーサイドライナーがキハ200系だったら乗るか。と、キハ200系が入ってきたので乗ります。この列車は、喜々津を発車したら浦上までノンストップ。・・・・・・のはずだが、現川で客が待っている脇でドアも開けずに運転停車です。ホームで待っている客にとってはイジメです。前のトンネルから、銀の「かもめ」が飛び出してきたら交換完了。しばらくしてから信号が変り、発車しトンネルの中へ。長いトンネルをしばらく走ると、トンネル内で817系が交換待ちをしています。その脇を通過。そして、列車は浦上に到着。平和祈念公園はこのすぐ近くとなる。

 長崎に到着。そういえば昼を食べていないので、ちゃんぽんを食べようと駅前をウロウロ。ロイヤルホストなんかで食べてもしょうがない。昨年の夏合宿の後に来たときは、2001年に初めて来たときに食べた店が駐車場になって、なくなっていたので、遠くまで行く必要があるのかと思った。しかしながら、駐車場の中に入れる道があった。夏は気付かなかったが。そして、中に進んでいくと、ありました。ありました。2001年のときとなんらかわらない店内。店員さんにちゃんぽんを注文。残念ながら、2001年に来た時にいた面白婆さんは、お亡くなりになったのか、店内にはいなかった。ちょうど春の甲子園が始まっていた。

 ちゃんぽんを食べ終わると一旦駅へ行き、例の如くコインロッカーに放り込む。そして、適当に歩いていく。坂の上へ上っていくと、なにやら殉教者26名の記念碑らしきものがあった。京都で捕らえられた外国人や子供を含む切支丹26名が、処刑のためにはるばる京都から連行されて、この地で処刑されたらしい。聖人達が苦難の末、神の元へ召された場所だ。ある意味、聖域なのかもしれない。その近くには教会があり、自由に入れた。中の礼拝堂の雰囲気に圧倒される。十字架を前に身動きが取れない。もちろん切支丹達はここで祈りを捧げる。やはり宗教の施設というのは特別な存在感と威厳に満ち溢れているようだ。

 さて、ノコノコと適当に歩いていき、何もないので水路を見つけて、その水路沿いに坂を下っていく。すると、長崎本線にぶつかった。右は浦上、左は長崎。平和祈念公園に行こうかと思ったが、今回は眼鏡橋を見に行くとしよう。  歩いて歩いて歩くこと十数分。坂を上ったり下りたり。そういえば長崎は「坂の町」なんだよね。

 さて問題です。坂の町長崎の坂ですが、「上り坂」と「下り坂」のどちらが多いですか。 個人的な感想に過ぎないが、上りばっかりの気がした。もちろん、反対側に歩けば下りばっかりになるわけで、言うまでもないが意味のない質問である。急な坂を上っていくと、市電は勾配を登れないのでトンネルで抜けます。市電のトンネルの上を渡り、坂を下って真っ直ぐ、川がありました。この川の右側に少し行くと眼鏡橋。日本で一番古い石造りの橋です。  ここ、長崎といえば、どうしてもキリスト教徒、キリスト教国の国々との結びつきが強いと思われますが、実は中国ともつながりが深いのです。眼鏡橋をはじめ、川にかかる石橋のほとんどが中国人の設計。友好の碑も川沿いにあります。ほどなくして眼鏡橋に到着。なるほど、水面に映った橋のおかげで眼鏡に見えそうです。うん。  眼鏡橋を見た後、工事中の川沿いを通りから適当に街中に入っていくと、まもなく思案橋にたどり着いた。ガス灯が立ち並ぶ道をどんどん上り、市電の終点、正覚寺下に到着。せせらぎの音が心地よい場所で、しばし市電の到着を待つ。

 ちょうど日が暮れた頃、市電が到着。あっという間に思案橋、出島を通り、長崎駅前に到着した。駅前の店をハシゴしてお土産を物色し購入。さらに明日の朝食とおやつ、今日の夕食の弁当をローソンやらam・pmで購入して入場。本日乗車する寝台特急「あかつき」の到着をホームで待つ。

 とれたて弁当をたべていると、何のアナウンスもなく寝台特急「あかつき」が到着。今日はシングルツインの個室をとってみた。前の方に歩いていき、乗車。ちょうど車掌がいたので部屋の場所を見てもらう。と「10番は、こっち、じゃなくてこっちだ。」となんとなく不安な車掌。そして10番の部屋の前でカードキーを受け取り、部屋に入る。部屋の中は暖房を聞かせすぎでものすごく暑い。暖房を切って車外へ。もちろんカードキーでロックをするのは忘れない。ボタンを押してカードスキャンで施錠完了。暗い中写真を撮ってみるが、思ったとおりあまりうまくいかない。牽引機は、JR九州のスター、ED76-87だった。

 19時46分、定刻に発車。間もなくして浦上にいきなり運転停車。対向ホームには「かもめ」が。「かもめ」が長崎についてから発車しても良さそうなものだが・・・・・・。さて、まだ19時台なので敷いてある蒲団で寝る気がしません。ので、いきなり寝台を座席化します。片側の座席にある蒲団を引っぺがしてガッチャンコと、こんな感じであっという間に座席化完了。真っ暗な車窓を眺めながら列車は運転停車を繰り返しながら東を目指す。  いつしか肥前山口を過ぎ、佐賀に到着していた。外に出てみると、結構な乗車率だ。この列車はまだ生き残れそうだ。やがて鳥栖に着き、博多に着き、そして小倉へ。小倉を過ぎれば門司。ここで機関車を取替え、彗星を併結する。作業を見るために駅に降り立った。停車ホームは6番乗場。

 まず、ここまでエスコートをしてくれたED76-87を切り離し、下関方に引き上げさせる。そして、関門海峡をエスコートするEF81-409が入れ替わりに入線し、連結される。それから間もなくすると、ED76-94に牽引された寝台特急「彗星」が、お隣の5番乗場、しかもホームの後ろの方に停車した。この時点で大体展開は読める。すると、突然「あかつき」の扉が閉まり、列車が下関方へ発車してしまった。まぁ、戻ってくるのは分かっているが、なんとなく不安になるな。一部のギャラリーは「おいて行かれた!」とパニックに陥っている。大丈夫だって。  彗星のED76-94は切り離され、下関方に引き上げていく。しばらくすると下関方から中線を機関車が走ってきた。しかし、これは何の関係もない、EF81貨物カラーの重連貨物だった。それが過ぎると、「あかつき」が静かに5番乗り場に下関方より入線し、彗星と連結。これにて併合は完了した。
 併合が完了し列車に乗り込む。列車は改めて下関方へ動き出した。そして僅か5キロメートル足らずを走り、下関へ到着。そして、ここで再度機関車を付け替える。ここからのエスコートは、名機EF66-47である。EF81-409が幡生方に引き上げた後、EF66-47は暗闇の中から静かにその姿を現した。眠れる獅子といった感じを受けるほど、静かな登場だった。ここから京都までのお付き合いとなる。

 さて、やりたいことが一通り終わったので、個室寝台の椅子を再度ベッドに直し、蒲団を敷く。そして、窓の外に新下関の0系が見えたのを確認し、眠りについた。

 朝起きる。窓の外を見る。たぶん姫路の手前って感じの風景。と、車内アナウンスが流れる。「おはようございます。寝台特急あかつき号は現在、定時で運転しております。列車はまもなく姫路に到着いたします……。」外をちょいと見ただけで場所的中。このあたりやたらと通るからな。で、寝台を座席化して外を眺める。やがて山陽新幹線の高架が接近してくる。姫路に到着。隣のホームには赤とんぼ列車。戻ってきたって感じである。  姫路を出たら適当に買い込んでおいた朝食用の弁当を食べる。つーか、寝台がしっかり格納されないのでテーブルが座席に引っかかって出てこない。5分ほどガチャガチャやってようやくテーブルさん登場。疲れるよ。しかし、3月とはいえ寒い。乗車以来消していた暖房を再びつける。しかし温度調節くらいできればいいのに。つければ真夏並みの暑さ。しばらくしたら消す。

 あっという間に大阪まで来てしまった。客車とはいえ通過駅が多いから早い。大阪駅の隣のホームには、特急「ワイドビューひだ」の文字が。最初はこれに乗って帰ろうと思ったのだが……。吹田の機関車を何機か見ながら東海道線を北上。そして京都に到着。1番線到着と思い込んでいたが2番線だった。で、次の米原行き新快速を待つが、時刻表が間違えているのか、見間違えたのか1番線発車と思い、待っていたが、待てども暮らせども来ないので、再度見たら2番線でもう発車していたという始末。仕方ないので次に乗る。

 ほどほどに混雑した車内。なぜか同世代くらいの見た目スポーツマンっぽい女性がなぜかオタ行為をしている。山科トンネルを通過したあたりで補助席に座り、眠った。気付けば彦根で山が迫り、山の上には嫌な感じを醸し出す黒い雲がかかっていた。案の定、米原に着くと大雨で、先頭だけにホームに屋根などあるわけもなく、びしょ濡れになってしまった。  次の大垣行きは2両編成で大混雑だと思いきや、なんと211系の6両編成で運転されてまいす。やはり18きっぷシーズン対策なのでしょう。それでも満員だからすばらしい。

 で車内ではやかましい関西18きっぷオタが乗車中。 「うちいつも18キップやねん! 金ないから!」 この台詞を百数十回ほど聞いたような気がした。その近く、自分のすぐ前には赤ん坊を抱えたお母さんが座っている。自分の後ろが「かわいい! かわいい!」と連呼。でも当の赤ん坊は時折大泣きを繰り返す。お母さんは「げんこつ山のたぬきさん、(以下略)」であやす。まぁ一時的に良くなるんだけどね。しばらくするとドカーンよ。 さて、関ヶ原を越える頃、天候は雨から雪に変わりました。東海道の難所にして豪雪地帯だけあります。で、車外の写真を撮影していると、赤ん坊がデジカメに興味を持ったらしく、ずーっとこっちを見ています。そのまま出しっぱなしにしておいたら、なくことはなかったです。

 さて、雪が降り出してしばらくたってから、また大阪人が騒ぎ出します。  「わぁ! 雪降ってるで! 雪! これ雪やで! さむぅなるなぁ!」と、少しは静かにしていただきたいわ。 柏原に到着する頃、雪は雨に変わる。そして大雨の大垣に到着。大阪を越える大都市「名古屋」、未来の首都「名古屋」に行くためにさらに乗り換えだ。しかし混みすぎて接続列車は乗り換える前に出発してしまい、次の列車を待つ。と、樽見鉄道の貨物列車が走ってきた。タキを連ねたDD13似のディーゼル機関車。  さて、313系の豊橋行きが到着。乗り込んで名古屋を目指します。あっという間です。気付けば岐阜など過ぎています。いやぁ速い速い。あっというまに二本の白い巨頭の足元に到着しました。

 ここから新幹線「こだま」で一気に帰ります。「のぞみ」は、混む+止らない=空気が淀む=疲れるの方程式で、かなり飽きましたので時間のかかりまくる「こだま」です。ガラガラで快適この上ない列車。早速みどりの窓口でキップを購入。しかしまぁ万博対策で窓口の数が半端じゃなく多くなっている。見ただけで20はあった。

 ホームに上がり、新幹線「こだま」に乗車。席は海側のA席。海側なので普通は富士山が見えることはありません。よほど天気が良いときに限り、一箇所だけ通称「幸せの富士山」が見える場所があります。少しでも天気が悪いと見えない幻の富士山です。

 あまりに快適すぎて寝まくりです。三河安城から先の記憶がありません。1号車は自由席禁煙車。制御車のため静かで、さらにどの駅でもホームの出入り口階段から遠い自由席のため、東京付近以外はまったくといっていいほど混雑しません。最高の列車です。

 さて、ずいぶんと熟睡してしまい、目を覚ましました。静岡県内を爆走中。そして車窓右手、目の前には富士山が見えます。 「あー、富士山だ。きれいだなー。……ん?」 と、寝ぼけ眼で位置確認。ここは海側のA席で通常、富士山は見えません。で、今、富士山は右手、つまり海側の窓から見えています。ということは……! 「あ、あれが幸せの富士山か! 初めて見た!」 というわけで、一枚写真を撮って、後はのんびりと眺めているうちに列車は静岡に到着しました。そして、新富士へ。静岡であれだけきれいに見えるのであれば、新富士では絶景だろうと思い、わざわざデッキまで行って車窓左側を眺めます。そして、トンネルを出て富士川という場面で、目の前には想像以上の絶景が広がりました。いよっ! 日本一!  そびえる富士山を眺めた後は、満足してまた眠りにつき、気付けば右手に見えるのは横浜羽沢貨物駅。こうして、毎年恒例の九州旅行は幕を閉じた。

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