宮城山形合宿旅行記

 2005年3月4日、合宿のために出発。ひとまず仙台を目指す。天候は雪で、珍しく首都圏でも積雪がある。3月の積雪記録は7年ぶりらしい。まぁ、列車が動くならばかまわないが。  急いで準備をして、8時20分頃に家を飛び出す。大雪。傘を差しても雪まみれになる。ハッキリ言って傘の意味なし。地下鉄に駆け込んで乗車し、久々に順調なスタートだ。

 戸塚8時43分発の東海道線に乗り換えた。そこそこに混んでいるが、動けないほどではない。案外快適な移動だ。車窓が真っ白というのも珍しく、私には新鮮に映った。しばらくしてからトラブルが起こる。蒲田付近は順調に通過していたが、大森のあたりで止まる。信号故障らしいが説明が長ったらしい。「先ほど品川駅付近におきまして、信号機故障が発生いたしました。信号故障はすぐに復旧しましたが、このために列車が詰まっています。現在このために停止信号により、列車が止まって・・・・・・。」 簡潔に「先ほど信号機故障が発生して、その影響で列車が詰まってる。」と言ったほうが分かりやすいと思うのですが・・・・・・。 隣の臭いオッサンがいまだに臭い臭い(クサイニオイ)を噴出してるし、とっとと出たい。 気持ち悪い。

 品川手前でまた列車が止まる。早く動かしてくれい! ってなわけで何とか品川に到着し、悪臭オッサンとオサラバ。そして東京へノロノロと東海道線は進む。品川の客車区は、「富士・はやぶさ」が到着してないとはいえ、「あさかぜ」が居ないと寂しさがある。田町のあたりで、車庫から上がってくる500系と並んだ。先頭車のキャノピーの部分に雪が積もっていた。まぁ、営業運転に入ったら物の見事に吹っ飛ばされるんだろうけど。と、なぜか500系を置き去りにされた。と思ったら、浜松町付近でこちらも止まる。500系に抜かされると思いきや、なぜか来ない。先にこっちが発車した。新橋に到着し、ようやく500系が追いつく。こちらも発車し、同時に東京駅に滑り込んだ。列車は13分の遅れだ。

 乗車するやまびこ49号が発車するまで30分ほど。回送列車を2本見て、反対側にはE3系の試作車が停まっていたりしたが、特に気にとめなかった。いつもなら写真撮りまくりなんだけどね。まぁ、寒くてしょうがないし・・・・・・。

 Maxやまびこ49号が入線。13号車22番E席に着席し、まもなく発車。白い首都を眼下に列車は滑り出す。上野を発車し、埼玉県内を静かに走る。戸田にあるロッテ浦和球場などはほんと真っ白になっていて使えそうもない。後ろの席では、降りる駅まで「3時間!」「2時間も乗らない!」の下らない論争が繰り広げられていた。 んなもん指定席券に印刷されてる到着時刻を見れば分かるだろうに。車窓に再度目をやれば、おそらく東武鉄道の車庫と思われる基地が見えてきた。が、なぜか東急の車両がたくさん見えたのだが、東武に拉致されてんのかね? そんなことを考えつつ、列車は利根川を通過し、小山駅を通過。雪はどんどん強くなっているように思えた。  

 うたた寝をしている間に宇都宮を発車。しばらく走ると視界が100メートルちょいくらいしかなくなる。大雪だ。そのまま再度寝て、郡山手前で目がさめた。郡山工場には、「フレッシュひたち」の車両が停車していた。側壁の積雪は見た目で判断しても20センチメートルほど積もっている。郡山では側線にリニューアル200系が停車していた。続いては福島に停車する。短いトンネルと、白い世界を交互に走る。明るくなったり暗くなったりで目がクラクラする。去年も上越新幹線で同じことを感じた。「サングラスが必要だ。」と。慣れれば大したことではないのだが・・・・・・。福島を出て、仙台に着くまでの間、何度か高速道路を見た。車は一台も走っていない。どうやら交通規制が敷かれているようだ。

 仙台に着いた。コンビニでサンドイッチとスープを買って、仙山線の列車に乗った。列車の中で立ったまま食事。乗務員室には、二人の職員がいた。話を聞いているとどうやら見習い運転士が運転し、指導運転士が指示を出しているようだ。といっても、見習のほうはかなりの腕前で、指導運転士は専ら線形の特徴や信号の位置を教えていた。愛子駅に着くころにはほとんどの乗客が降り、着席率は100パーセントだ。のんびりした田舎路線という感じになってきた。前方を見てみると、時折線路はどこ? というくらいに積雪がある。また、ホームで扉が開けば、積雪20センチメートルで客の足が埋もれる。何もかも珍しく、写真を撮ったり、感心したり。言うなれば自分は「逆田舎者」に成り果てていた。

 作並を過ぎると乗務員室の後ろのシャッターが閉められる。、「この先にトンネルがあるのかな。」と思えば案の定、案の定、トンネルがいくつかあった。一番長かったのは仙山トンネルで、数分は走りつづけた。ちょっとレールが波状磨耗しているのか、少し騒音が大きい。トンネルを出るとすぐに「面白山高原」駅だった。いったい何が面白いんだか良く分からないが、多分トンネルのなかで山形県に入ったはず。山沿いを右に左にカーブを切って、なかなかトンネルに入らない。やがて山寺に着いたが、どこに寺があるのやら分からない。当初の予定ではここで降りるはずだったが、この大雪で山寺の千数百の階段を登る気がしないので、そのまま乗りっぱなしにした。

 やがて列車は奥羽本線に入り、山形に到着した。左沢(あてらざわ)線の気動車が止まっていた。空からは細かい雪が降り続き、使われていない線路は埋もれてまったく見えない。雪も細かいながらもジャンジャカ降っており、とてもどこかに出かける気にはならない。とりあえず、コンコースを歩き回ってみる。しばらくして再度入場し、雪を掻き分けて入線してきた「つばさ」を見物。続いて雪を押しのけて発車する701系を見て、仙山線に再度乗車。先ほど同様、見習運転士と指導運転士が乗務。  山形を出ると、「90まで上げて。」、「(ブレーキを)3までいれて。」「遠方信号が進行なら、ここは85キロくらいで走る。」などなど、指導運転士のアドバイスが時折聞こえる。見習運転士も、電車でGO!でブレーキが早すぎた時に起こる「停止位置までノロノロ運転」を何度かやったが、結構うまかった。指導運転士「このままじゃ届かないよ。ノッチいれて。」と言ってもそのままだったり。駅に停車し出発。「3ノッチで65まで。」と言われたとおり加速中。そんな運転席を見ながら、いつしか寝てしまい、気づけば目の前に仙山トンネル。面白山高原に停車中だった。

 もう一度寝てしまい愛子付近までには寝ていただろうか。車内放送「只今雪のため5分ほど遅れております。」と。すると運転台の方から声がして、指導運転士「このままじゃ停まれないよ!」と。しかしながらうまく止める見習運転士。「おまえ上手いな!」と指導する側が感心してました。そんな感じで列車は仙台に到着です。 仙台の立ち食いそば「杜」で適当に食事をしたあと、あおば通り駅から仙石線に乗ってみました。案の定、前にかぶりついて見ていたわけで、トンネル内なので後ろはシャットアウト、乗務員室扉の窓だけが前を見れます。と、途中から変なオタク野郎が割り込もうとあちこちから押してくるので、こっちもむかついて、「絶対譲らない。」と断固動かない。10分ほどの攻防で特等席を守備。すると今度は、「すいませぇ〜ん。」と今更になって声をかけてきたので、「なに!」とにらみつけてやったら、「な、なんでもありません・・・・・・。」だと。最初から声かければいいのに。しかし俺も性格が悪いわ。

 列車は東塩釜行き、本塩釜で降りて快速の石巻行きに乗り換えた。松島海岸で降りて、日本三景の「松島」を見てみるが、大雪&ちょうど日没となり、暗い。海沿いの公園の積雪は軽く20センチメートル。普通に靴が埋もれる。歩くだけでも一苦労だ。とりあえず、松島っぽいものを見てから再度仙石線に乗って帰る。

 寝ながらあおば通りに帰り、本屋で鳴子温泉付近の地図を見てから、コインロッカーの荷物を引っ張り出してホテルへ。テレビを見てからさっさと就寝。  翌日目がさめるとすでに7時40分だった。まだ雪が降っている。のんびりと荷物をまとめ始め、ある程度すんだら朝食に出かける。パンばっかりの朝食をたくさん食べて、部屋に戻って荷物をまとめて出発。

 まず仙台駅入場券を買って新幹線ホームへ。例の発車ベルを録音して、たまたま来た原色の200系を見送ってからあおば通へ向かう。11時8分発の仙石線快速を待ち、乗車。こんなときに限ってロングシートが来る。でも車掌は女性だった。とりあえず松島付近まで座っておく。先頭の窓では、子供が「前見たい、前みたい」と騒いでいる。そこで父親が肩車をしたところ、子供の頭は窓よりもはるかに上に。「見えない見えない!」とまた子供が騒ぐ。父親、子供が前を見れるように、変な体制で松島まで乗っていた。松島付近になると、きれいな島々が見えるので立って撮影。車しばらくすると島々は遠く離れ、雪の中、一本道を淡々と走ってゆく。仙台から減る一方だった乗客が、矢本から増え始めた。石巻市に向かうのだろう。途中、「ロボコン」のペイントが施された列車とすれ違う。そういえば、石巻って石ノ森章太郎の出身地だっけか。漫画が多そうだな。

 貨物線か何かと合流し、しばらく走ると石巻に着いた。案の定、漫画だった。お出迎えは「サイボーグ009」、その他、「仮面ライダー」やら「猿飛びエッちゃん」なんかも見た。ロボコン号乗車位置なんてのも。あまり時間を空けずに石巻線の普通列車に乗り換え。女川行きだ。発車すると、石巻湾とでも言うのだろうか、入り江のような海沿いを走って女川湾の入り口まで行った。女川駅にはチリ沖地震でおきた津波による海面上昇の目安が描かれていた。かなりの津波だったようだ。すぐに折り返すので駅前をぐるぐる回って終わり。

 乗ってきた列車で折り返し、小牛田へ向かう。乗車しているのはキハ48なのだが、どうもしっくり来ない。この形式にしてはエンジン音が小さい。揺れも少ない。多分エンジンが積み替えられているのだろう。昔よく乗ったこの系列とは別物のように思えた。うとうととしているうちに前谷地まで来てしまい、気仙沼線と合流。さらに列車は西を目指す。途中、一般住宅の庭にある神社というユニークな神社があったが、あれは家主の趣味なのであろうか?

 小牛田に着く。乗り換え時間は十数分。おなかが減った。昼何も食べてない。小牛田に行けばキオスクか何かがあるだろうと思っていたが、何もないでやんの。駅前には何かあるだろうと思って出てみれば、やっぱり何もないでやんの。あたりを見渡すと、Aコープを発見。早速コープに行って、パンを購入しとんぼ返りで、次はトイレに駆け込んで用を済まし、最後に列車に駆け込みぎりぎりセーフ。車内には、ウォーリー君、きっしー君、わかしお君が居た。とりあえず一緒に鳴子温泉を目指す。

 なんだかよく分からない会話をしているうちに、時は過ぎ、いつしか鳴子温泉郷に入っていった。雪がチラつきはじめたころには終点、鳴子温泉に到着。集合時刻までまだ間があるのでいったん解散し、一人ノコノコ歩いて周辺の探索を行った。  荒雄川を渡って道路を登っていく。歩道は狭い上に所々雪が高く積まれていて通れない。やむなく車道を歩くと車ががんがん走ってきて結構あぶない。かなり高いところまで歩き、折り返し。ドブ近くに積まれた雪を蹴飛ばして、ドブに雪を流し込むなどという小規模な雪崩を起こして遊んだ後、再度川を渡り、本日の宿泊先を見てから集合場所へ。ちょうど集合時刻の17時に到着した。現役生、OBがそろっていた。

 旅館からはわざわざ迎えが来ていて、バスで移動。そしてその後は宴会となった。その前に部屋で一服となるはずだったのだが、恒例のピヨピヨ君人格破壊攻撃で笑いの渦に巻き込もうといろいろやっているが、最初に人格破壊されたのは、エロ川君の「わっち家のお茶」実演を見た南風氏だった。死ぬほど笑っていた。  さて、段取りが良くないのでものすごくチグハクとした宴会になってしまったが、まぁ無事におわって何より。その後、かずさ君がダウン。どうやら愛する415系の中でいろんなものをもらって来た(拾ってきた)模様。だめだよ何でもかんでも持ってきちゃ。  そのためにプレゼント交換は不参加。大丈夫かよ。

 で、夜になれば見事に回復。頼むから夜這いはするなよ。風呂に入って寝る。まぁそう一筋縄ではいかない。ピヨピヨ君が亡霊化した写真を取ってみたり。不気味過ぎだって。  翌日、気が乗らない朝食を食べて、部屋を片付ける。で、料金の徴収&支払い+タオル配り。まぁこんなもんですかね。お土産も買って出発時刻まで部屋で待機。そして送迎バスで駅前まで送ってもらった。

 新庄行きはまだ来ていない。と、キハ110の4両編成が入ってきた。無駄じゃんと言いたくなりそうな感じもするが、後ろ2両は切り離しと。乗車してエロ川君と話しながら発車を待つ。そして車内では、雪に埋もれた人工施設を見つけるたびに、  「あ、恐怖! 人を拒む神社!」だとか、  「恐怖! 人を拒む踏切!」、  「恐怖! 人を拒む墓地!」  などと言って遊んでいた。しかし雪道を走るのは豪快だ。列車の後方を見れば雪煙が舞い上がっている。うまく写るかどうかわからないが写真を撮影。すると隣にボックス席に座っていた方が話しかけてきた。鳥海山へ行くとか。そういえばNゲージのEF81長岡を「鳥海」にするか「北陸」にするかで迷ってたんだよな。

 さて、列車は新庄に到着しました。ここから山形までは自由行動で、私は新庄で下車ましたが、ほとんどの方は山形へそのまま行ったようです。新庄駅から徒歩で10数分、新庄城跡に行ってみました。が、雪が深すぎて何がなんだかわかりません。歩き回ると雪に埋もれて参道だけが除雪されている神社を発見。とりあえずお参りをしてみた。狛犬も片方が雪に埋もれて見えなかった。  その後、ツララを切って遊び、駅へ。近くの駅めん屋で新庄名物の「板そば」を注文。要は「ざるそば」の「そば」が、『ざる』ではなくて『板』に乗っているだけなのだが、値段はざるそばの倍。と、そばも倍くらい入ってるのね。おまけにそばつゆまでついてこれはお得かもしれない。  食して山形新幹線にのろうと思ったら、急に腹痛が襲う。あわててトイレに駆け込んでことなきを得たが、今度は発車時刻まであと1分。走れ!走れぇ! と、駆け込み乗車でなんとか乗れた。今更だが、新庄駅のトイレにある洗面用蛇口からは、お湯が出ていたような気がします。

 それはさておき、山形新幹線「つばさ」は、奥羽本線を南下。雪に埋もれた駅をどんどん通過する。デッキにいた私。客室内は人であふれてます。途中駅で扉が開き、すぐに閉まる。しばらくすると圧着するので、しまった扉に寄りかかっていると、急にガクンとなってびっくりするのです。さてさて、「何でこんなに混んでるのよ!」と不平不満をぶちまけてるオバハンを白い目で見ているうちに、山形についてしまいました。  ちなみに、この列車の少し後に続行で「つばさ」があったのですが、こちらは山形で見たところ、ガラガラでした。やはり列車は選ぶものだな。

 しばらく写真撮影に時間を使った後、左沢(あてらざわ)線に乗車しました。まぁ、考えることはみんな同じで、見たことのある連中が車内にいるではありませんか。雑談をしながら左沢を目指します。終点、左沢では人生で初めてラッセル車を目撃しました。ここまで雪深い場所に行ったことがなかったので。  さて、山形に戻り、今日の宿、「東横イン」に行きます。チェックインは自由で良いそうで……。部屋に入ると幹事のエロ川君に部屋番号をメールで伝え、部屋にはなぜかかずさ君がいる。やはりこいつホモなのか? しつこいので力技で追っ払い、テレビを見てのんびりとすごす。テレビは介護ロボットの話をしていた。で、2年でだめになった介護用会話ロボットのだめっぷりを放送していた。 老人「君は、どこで生まれたのかな?」 ロボ「横浜だよ。」 老人「横浜のどこ?」 ロボ「実は、三渓園の売店の裏に捨てられていたんだ。」 老人「三渓園なら、わしも行ったことがあるよ。」 ロボ「あ、ぼく散歩の途中だった。じゃぁね。バイバーイ!」 なんなんだこの会話は……。会話ロボットって会話になってねぇじゃん。

 しばらく時間が経った後、エロ川君が部屋に遊びに来た。で、後藤君の部屋に鍵を忘れて、肝心の後藤君が失踪したために部屋に入れなくなったらしい。悲惨だ。悲惨すぎる。ジャケットごと忘れるのもどうかと思うが、それにまったく気づかないのもどうかと思うぞ。まぁフロントに言ってみれば解決しそうな問題だが、とりあえず後藤君に電話をしてみるが、つながらない。何度目かにやっとつながった。帰ってこれるかと訊けば、無理という。まぁ、入っていいらしいのでフロントで鍵を借りて合法的に侵入。冷蔵庫にアルコールがあると思う。と二人で同意し、こっそりとあけてみればやはり入ってました。流石だ。

 トラブルも解決し、あとは時間をどうすごすかだけだ。山形駅前ってピヨピヨ君の聖域らしいが、歩いてみればボッタクリバーっぽい店ばかり。呼び込みもウザイ。食事は山形牛ばかりでお財布によろしくない。聖域と呼ぶにはいまいちだ……。寝よう。

 翌日、シナ君と朝食。まぁ、今後のことをいろいろしゃべって……。その最中にエロ川君がチェックアウトし、一足先に新潟へ行ったようだ。食事が終わるといったん部屋に戻り、単独でチェックアウトし、米沢方面に向かう普通列車に乗車した。次の蔵王で知的障害の人が乗車。これがまたうるさい。 「西武! 西武! 堤! 西武! 西武! 西武! 義明! 西武!」 「ライオンズ! ライオンズ! ライオンズ! 堤ライオンズ!」 意味わかんねぇ。 やってらんねぇ! せっかく雪原を気持ちよく走っているのに雰囲気台無しッ! 奥羽本線台無しッ! 誰かつまみ出してくれい! もう誤魔化すしかありません。前の写真をとり、横の写真を撮り、ここだけでデジカメのメモリーを異常消費。やがて列車が高台を走る。なかなかいい雰囲気だ。でもまた騒ぎ出して台無しッ! もう嫌だ。

 米沢に着いたら逃げ、米坂線の列車にダッシュ。で、後ろの方の車両に乗っていた見覚えのある顔の方々の前を素通りし、先頭の車両へ。後ろはキハ47系、しかし前はダブルエンジンのキハ52系だ。初めて乗った。  米坂線は山に向かって一直線。日本有数の豪雪路線で、羽前沼沢での積雪記録はなんと5メートルだそうだ。つーか、そんなになるんだったら駅自体必要なさそうな気もしないでもないけど。ということは、ロータリー式ラッセル車も見れるかな?? ひそかな期待を膨らませる。  山々に向かって突き進み、山越えです。まじめに雪だらけ。そして記録保持中の羽前沼沢は軽く2メートルは積もっている。やはり豪雪地帯だ。そしてこの羽前沼沢で、念願かなってロータリー式ラッセル車を見た。ほかにも、水面が凍結してその上に降り積もった雪が覆い隠すダムとか、いろいろなものを見て、私の日常とは遠く離れた場所であることを認識する。

 話が変わるが、キハ52のトイレは前面の運転台側に設置されている。場所が場所だけにトイレに入る人が運転室に消えていくように見える。前に歩いていったと思えばどこにも見えなかったりしてなかなか不思議な空間をかもし出しているな。しばらくして白鳥君登場。なんだか後ろが楽しい事態になっているらしいのだが、そこは彼らの自由なので、介入もしないし口も出さないことにした。やがて山を越え、平地へ出てくると雪もほとんどなくなる。そして村上に到着。と、反対側のホームにEF81の長岡ヒサシが滑り込んできた。実物もカッコイイ! そして我々は新潟へ。  新潟へ向かう車内。ピヨピヨ君に「ラーメンズ」のネタを仕込んでみる。これでピヨピヨ君も「千葉滋賀佐賀を崇拝することになる。……かどうかは知らない。  やがて新潟が近づくと、200系2000番台が車庫に停まっているのを発見。ここがねぐらなのだろうか? 何はともあれ、新潟に到着。

 ピヨピヨ君と別れ、1時間ほど新幹線ホームにいた。ちょうど「とき2号」が到着する時刻。東京〜新潟間ノンストップだが、案外乗客がいたのには驚いた。そして駅の外へ。特に行く場所もないので適当に歩いてみる。そのうちどんどんどんどん歩いていってしまい、万代橋を超え、イトーヨーカドー丸大新潟店を通り過ぎ、横断歩道で倒れているオバサンとそれを見守る野次馬の脇を抜け、オバサンを蘇生しに来た救急車とすれ違い、どんどん坂の階段を上り、あれよあれよという間に新潟の海に着きました。でもな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んもないね。エロ川君いわく、「北朝鮮から流れてきたゴミならあるよ」とのこと。遠くをフェリーのような船が航行している。佐渡汽船だろうか?

 引き返して新潟駅へ。そしてホテルへ。ホテルの入り口がわからん。と思ったらこっちかよ! 一周しちゃったよ。負け組みだ。ハッハッハ。

 さて、もう帰る日になりました。雨でやる気をすべて流されてしまったので、初乗り切符を買って新発田方面の列車に乗車します。で、車掌の兄ぃに捕まります。 「どちらまで行かれますか。」 「とりあえず、新発田までのどこかで気が向いたら降りますのでお構いなく。」 「では現地での精算をお願いします。」 不正乗車などしないってば。で、次が新発田となるとまた登場。 「お客様、新発田で下車ということでよろしいですね。」 なんとしても車内精算をさせろというのか。 「大回り乗車できますよね。乗り換えて新津に行きます。」 と切り返す。と、、 「次の新津方面はちょっと先になりますが、○○分発車です。」と。なかなか親切だねぇ。

 新発田到着。で、エロ川君が言うには「イケメン」という駅そばらしきものがあるらしいので探してみたがない。駅からは出られないので駅の外は探せなかったが、少なくても駅構内では見つからなかった。どんなふうに「イケメン」だったのか気になる。  さて、新津行きのディーゼルカーが来ました。期待を大きく裏切るキハ110です。センスのないウグイス色のやつです。ツマンネ。で、車内は高校生満載。で、エロ川君のいう、いわゆる田舎の法則「出入り口のみ乗車率120%」を目の当たりにする。た、たしかに。  新津に着いたら行く場所はひとつ。新津車両製作所です。トコトコと歩いていくと、山手線で俺のストーカー兼彼女である205系を陥れようとたくらむE231-500が佇んでいます。これもやがて東京に来て、205を置き換えるのだろう。  相模鉄道10000系など、新津で作られている231-500以外の車両が見えない。つまらないので即帰り、今度は反対側へ。DD14ラッセル用ディーゼル機関車を見て新津へ。

 さぁ帰るか。E127系の普通で新潟へ向かい、新幹線の切符と駅弁を買う。そして、E4系マックスの「平屋の部分」にわざわざ座る。そして弁当を食べているうちに列車が出発。スプリンクラーが首をもたげているのはやはり豪雪地帯ならでわ。でも案外小さいのね。燕三条に停車。長岡に停車。仮設住宅っぽいものが見えたが、運行にはあまり支障はなさそうだ。魚沼トンネルも問題なく通過した。若干速度を落としたような気もしたけど。 寝てしまい、気づけば上毛高原。次は高崎で、下車します。  高崎に着くと、待っているのは湘南新宿ラインの国府津行き。自分は戸塚で降ります。というわけで乗車し、約2時間の乗車で自宅へ帰りました。

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