御礼参り

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 私や友人の大学合格を受けて、昨年3月に行った大宰府天満宮に御礼参りをすることにした。

 3月23日夜、家を出発して地下鉄に乗車。横浜駅まで約20分を眠気を殺しながらひたすら乗った。深夜だけあって乗客はまばらで、乗車率は10%以下と見えた。特に変わったこともなく、横浜駅に到着。

 横浜駅では青春18きっぷが使用できる午前0時まで、15分ほど余裕時間があった。乗り換えはスローで行い、それでも時間が余るので、遠回りしてJRの改札口へ。それでも時間が余るので東西自由通路をウロウロした。こんな夜に大騒ぎしているバカそうな若者や、泥酔して座り込んで、通行人に対して怒鳴り散らすどうしょうもないババアがいたりした。

 午前0時を過ぎたら、切符に日付印を押してもらって旅行開始!
 最初に乗るのはもちろん「ムーンライトながら」である。もう西への旅の良きパートナーとしての地位を不動のものにしている。いつもは東京からの乗車だが、今回は横浜から乗車するので、私のとった指定席の隣の席はすでに人が寝ていた。失礼ながら起こして席に座らせてもらった。

 今回の旅行は一昨日にボーリングとカラオケ、昨日はバイト14時間、そして今日の出発直前もバイトをしていたのでヘトヘトである。席に座るとすぐに眠ってしまった。

 気が付いたら小田原を過ぎていた。しかしすぐに寝てしまい、次に気がついたのは静岡。ここでもすぐに寝てしまい、ムーンライトながら恒例の浜松でやっと車外へ出ることが出来た。

 豊橋の長時間停車にまた外に出て、何もない夜のコンコースをブラブラ。暫くして列車に戻り、ドア開けのボタンを押すと、そこにはまともな感じの女子高生と思われる集団が占拠していて通れなかった。何とか道をあけて通してもらい自分の席へ。そこでまたぼんやりと外を眺めながら、「旅」というものについていろいろ考えていた。

 結論としては、旅とは日常とは違う環境に触れるものであり、日常のに多々ある悩みや不安を日常の場所から離れて別の角度から直視できる。だから悩みや不安が大きいときは、旅に出てみる。何か良い考えや解決策が浮かびやすい。あるいはプラス思考に転換できる。そんな効力があるのが「旅」というものだ。と感じた。余談だが、この考えは今後の行動に少なからず影響が出ている。

 こんなことをぼんやりと考えているうちに、列車は安城に着いていた。下車駅は名古屋。もう少しの乗車である。

 名古屋に着くと、隣の横浜からずっと寝ている印象のある女性客を起こして下車。他の下車客が居なくなるのを待って関西本線のホームへ向かった。関西本線の列車はJR東海が製造した211系だった。先頭車に乗り込んで、一番端にある新幹線のホームを見ていた。東京行きの300系「ひかり」と新大阪行きの100系「こだま」が停車していた。どちらも6時20分ごろの発車である。もうすぐ100系は東海道を引退し、東海道新幹線では完全に過去の車両となる。暫くして先に奥にとまっていた100系が、そしてすぐに手前の300系が名古屋駅を滑り出していった。

 自分の乗っている関西本線の普通列車が発車した。あまりに疲れているのかあまり記憶がない。ほとんどの区間を寝ていたように思える。しかし、乗務している車掌は女性であった。私は桑名に近づくまで寝ていた。木曽川と揖斐川を連続して渡るあたりで目がさめた。快調に列車は動き、南四日市に到着するころに、車掌が先頭車両にやってきた。何かと思えば無人駅の集札と精算を行なうためだった。どうやら出口は二ヶ所あるようで、車掌は先頭に降りて後方まで走っていった。こんなことが数駅で行なわれていた。私の地元のような大都会では考えられないことだが、このあたりではこれが普通。自動改札など不要なのである。

 列車は亀山駅に到着。ここからはJR西日本の管轄となり、非電化となる。そして、車両はJR西日本の標準型気動車のキハ120。関西本線の青色を身にまとっている。トイレなしだ。ところがここで私の体に異変が起こり、出発8分前に下車してトイレに駆け込む。用を足して出発1分前に再び同じ列車の同じ場所に乗車。乗客も「何事か?」という顔をしていた。まあ、何とか乗れて山の中を列車は進むわけで、最初は平野だったがだんだん山が迫ってきて、昨年乗った飯田線の天竜川付近を思い出させるような難地形が連続していた。

関西本線の前面展望
前面風景:山が迫る

 走りつづけて山をくぐるとまた平野が広がり、加茂に到着。隣に停まっている221系の普通列車に乗り換えて奈良へ向かった。

 奈良に到着すると下車、駅前をうろつき、荷物の整理をして地図を貰い、眺めていると人のよさそうなおじさまが声をかけてアドバイスしてくれた。

JR奈良駅
JR奈良駅

 とりあえず興福寺の方に行ってみようと思い、地図を頼りに歩いたが、迷った。というのも地図の見方が全く違ったからである。1時間も無駄に歩き回ってしまった。気を取り直してもう一度興福寺に向かって出発。暫らく歩いてようやく到着。有名な五重塔。そして、国宝の東金堂。中に入って見る国宝や重要文化財の数々。暫らく仏像と睨めっこした後、そこを出てまた歩き出した。適当に歩いていくと「春日大社」の文字が……。そして、そこに行ってみることにした。

 テクテク歩いて春日大社の鳥居を発見! さっそく中に入った。しかし・・・・・・、

春日大社参道歩き始め
最初の鳥居をくぐってどんどん歩く。かなり距離がありそう。
春日大社参道10分後
最初の鳥居から10分後。まだまだつづく参道。
春日大社参道20分後
さらに10分後。まだですか〜?
春日大社
さらに10分後。やっと着いた〜。

 とまあ、かなりの距離を歩いてやっと着いた。しかし疲れた。おまけに今日は快晴。暑い暑い。

 中に入ると朱色が印象的な神社であった。別にこれといって変わったものは無かったが、「千と千尋の神隠し」の春日様を思い出させるような、そんな感じの神社である。おみくじもあった。ちょっと変わったおみくじで、小さな木彫りの鹿がおみくじを口に咥えているやつがあった。たまたま隣にいた若い女性が妙に気に入ったらしく、販売員の人と楽しそうに会話をして買っていった。

 さて、来た道を戻るのは非常に気が重い。当たり前だが30分ほど歩くのである。体力作りにはもってこいの状況だ。おまけに背中には6kgほどの荷物が詰め込まれた鞄がぶら下がっている。で、なるべく速度を上げようとするのだが、敷き詰められた砂利が妙に厚く、地面を強く蹴ったところでアスファルトのように前には進まない。参道の途中の道を右折して、東大寺に向かうことにしたが、それでも15分ほどかかった。

 東大寺といえば、奈良時代、聖武天皇が全国に作った国分寺の一つである。そんなことよりもっと有名なのは大仏である。俗に言う「奈良の大仏」。私は日本史を専攻しているわけではないが、記憶が確かなら752年に作られたものである。その後に何度か損傷して、その都度損傷部を作り直しては取り付けて、現存する大仏は部位によって作られた年代が違うとのこと。そして大仏殿は、木造建築物の規模としては世界一で、江戸時代のもの。しかも、当初の大きさの3分の2の大きさだという。

 春日大社を後にして暫らく北に進むと、東大寺が見えてくる。そして、南大門をくぐる。南大門といえば仁王像ですね。右と左を合わせて阿吽といったような・・・・・・。どっちがどっちだか分らない。勉強不足で申し訳ない。そして、壁に囲まれている大仏殿へ入場料を払って入る。

東大寺大仏殿
東大寺大仏殿

 入場料を払って中に入る。とても広い。大仏殿が一望できる。上のように写真も撮影でる(ただし三脚は使用不可) そして、中央の入り口から中に入ると、目の前に巨大な仏像が登場。もちろん奈良の大仏である。これも写真撮影が可能。私も写真を撮ったが、やはりこれを御覧になっている皆様には実際に目で見ていただきたいので、ここには掲載しません。
 そして、大仏の裏手にある鼻の穴と同じ直径の柱の穴。くぐれるかと思ったが、実際に見てみると子供なら楽だが、大人の人はとてもくぐれない狭さ。もちろん私も明らかに詰まるので挑戦はしなかった。

 東大寺を出て歩いていくと、同じく奈良時代の宝庫というべき正倉院があった。たまたま外観だけ公開していたので見てきた。校倉造といったと思うが、独特の構造を実際に見ることができた。

正倉院 校倉造
校倉造の正倉院

 中に入ることは出来ないが、実際に正倉院を見た。ちなみに中に入っていた宝物は別の場所で保管されているとのこと。

かなり時間が経ったので、とりあえず駅に戻ることにした。そういえば昼飯も食べてない。腹が減った。で、財布を見たら、金が無い。この金欠を最後まで引きずる旅行となってしまった。歩いてとりあえず近鉄の奈良駅に着いた。そして、とりあえず郵便局へ行って少しばかりのお金を引き出した。んで、しばらくどうしようと考えたが、結局JR奈良駅まで戻ることにした。

 JR奈良駅の売店でサンドイッチを買って、ホームの端っこで食べていると221系の大和路快速が到着した。それに乗って大阪へ。しかしすぐに寝てしまい、気がついたら大阪であった。

 大阪に着いたが天気が悪い。とりあえず弁天町の鉄道科学博物館にでも行こうと思い、降りたホーム逆方向の大阪環状線に乗車した。しかし、乗車直後に雨が降り出し、おまけに桜島行きの電車だったので、そのまま終点まで行くことにした。西九条を出て安治川口に到着。車窓左手に貨物ターミナルがあった。ここを発車すると次はユニバーサルシティーに停車。ここはUSJの最寄駅だが、不祥事が連発されたためか、大混雑はしていなかった。そして、終点の桜島駅。特にすることも無いのですぐに折り返した。先頭車にかぶりついて前を見ていて、ユニバーサルシティーでたくさんの乗客が乗ってきた。先頭車はあまり混雑はしていなかった。そして、安治川口に到着する寸前、私はちょっと変わった物を見た。貨物ターミナルの中に何かが停車していた。確認のため安治川口で下車し、再度桜島行きの電車に乗った。そして、見つけた。

スーパーレールカーゴ
スーパーレールカーゴだ!

 スーパーレールカーゴは、JR貨物が開発した貨物電車である。現在試験走行らしいが、こんなところで出会えるとは思わなかった。貨物量が安定している東海道本線で活躍する予定である。

 そんなこんなで再び桜島で折り返して、西九条で大阪環状線に乗った。しかし、やって来たのは大和路快速。まあいいかと乗ったが最後、車内で爆睡してしまい、奈良まで戻ってきてしまいました。しょうがないのでどうしようかと思いとなりのホームを見ると、桜井線の電車が停車中。迷わず乗り込んだ。しかし大雨。電車は105系で2両編成。ほどほどに混んでいた。列車は奈良を出て、読み方の分らないような小さな駅に停まっていく。途中、宗教の影響をもろに受けた町、天理で人が一気に入れ替わった。しかし、基本的に何も変わったことも無く、列車は王寺に到着した。

 すっかり日が暮れて、時刻は帰宅ラッシュ。再び奈良行きの大和路快速に乗車したが大混雑。奈良で下車して今度は奈良線に乗って京都へ向かった。この奈良線の車掌も女性車掌であった。車内はガラガラだったので、PHSをガンガン使って唯一のメール友達である大阪人と文通をした。

 京都につくとそういえば夕飯も食ってないやということで、立ち食いそばに入って食事を済ませ、ホームに降りて寝台特急を見て、そして東海道線の各駅停車に乗って大阪に向かった。はずだった。各駅停車だからと思い、時間があるから安心していたら寝てしまった。そしたら気がつくと尼崎。あれっ?と思い列車を良く見てみると「快速」。どうやら途中から快速になったようだ。区間快速とでも言うのか・・・・・・。でとにかく大阪に戻るために逆方向の列車に乗った。大阪に戻ると私が乗る夜行まであと1時間。時間つぶしで大阪環状線の外回りに乗り、かぶりついて1週した。そうすると約30分の時間が経過した。そしてホームで列車を待つと東京発の寝台特急「富士」が到着。それが出て行った後、私の乗るムーンライト山陽が到着した。

 ムーンライト山陽は3両編成の客車列車。車両はムーンライト九州と同じシュプールで、編成の向きは逆向きであった。私の座った席はこの時点では人はいなかったが、途中から中年の女性が乗ってきた。少し喋ったりして、荷物が自分の上に落ちてきたりしたが、暫らくすると女性はいなくなった。

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 熟睡していた。朝、目が覚めて自分の左側にある窓の外を見てみると、何も見えない。霧が発生していた。しかし、もう一つ理由があった。窓の外は海だったのである。瀬戸内海。何度も通ったが、明るい時間に通ったのははじめてである。列車は上郡駅での旅客侵入と濃霧で遅れていた。柳井を発車すると濃霧がかなりひどくなり、窓から外は10mほどしか見えなくなった。当然列車は徐行。遅れがますます広がった。

 光駅を19分遅れで発車、一駅先の下松駅を17分遅れで発車、徳山を同じく17分遅れで発車、防府を15分遅れで発車し、次の私が降りる小郡では13分位かな〜と思いきや、またしても濃霧で視界がほぼ0となり、走行速度が極端に落ちて、結局25分遅れで到着した。

 小郡駅は新幹線も停車する、山口県を代表する駅である。県庁所在地はここから山口線に乗っていかなければならないので、重要な駅であった。また、SLやまぐち号もこの駅から発車するため、レトロ風なアクセサリーも光る。


小郡駅山口線時刻表

 新幹線のホームで撮影を少しだけやったが、全く列車が来ない。しかも山口線の発車が迫っているのでほとんど撮影できなかった。山口線の気動車に乗り込み、先頭車運転席後ろを陣取った。結構暑いので窓を開けたが、リニューアル車だったので閉じか全開の二者択一だった。もちろん全開でついでに手や顔を出してやった。列車が発車して暫らくは良かった。山口駅を過ぎて山越えが本格化すると、トンネルが時々あった。古いトンネルで、非電化路線なので半径が狭く、入るたびに全開の窓から物凄い風圧が襲ってくる。はっきり言って息が出来ない。かなりつらかった。

 各駅に停車してあと数駅で津和野に到着。列車が徳佐に停車した。普通に乗降が完了し、ドアが閉まり、列車のエンジンが唸りを挙げて発車した。その直後、「まってください!」と車内の女子校生が運転士にお願いした。運転士は列車をとめて彼女に「どうしました?」と訊いた。すると「友達が走ってこっちに来るのでもう少し待ってください。」と。すると運転士も身を乗り出して、「どこ?」「あそこに居る子でです。」「ああ、あれか。」 そして、結果的に列車を止めてしまった彼女が息を切らしながら乗車。「ありがとうございました。」の言葉を合図にドアが閉まり、列車が発車した。田舎ののどかな光景であった。

 津和野に到着。1時間40分ほど車内で立ちっ放し、車外を含めれば3時間以上立ちっぱなしなのでそろそろ座ることにした。そしたら案の定。熟睡してしまった。ちなみに、この駅はSLやまぐち号の終点の駅である。

 

 気がついたら山口線の終点、益田駅。この駅は今年が開業80周年である。山口県は有名な文学者をたくさん輩出している。種田山頭火、森鴎外、金子みすゞ、柿ノ本人麿、中原中也、文学者ではないが雪舟も山口県の出身。この中で、金子みすゞ以外は全て山口線沿線の出身であります。そして、益田駅には人麿の像がありました。しかしスゴイ顔をしてます。

柿ノ本人麿 これが柿ノ本人麿さんのようです。
  本当にこのような顔なのでしょうか?

ここから山陰本線に乗車して西へ下ります。売店でお菓子を買い込んで列車に乗車した。ここから2回の乗換えを経て下関に向かいます。最初の列車の乗車中は、特に変わったことも無く、車窓左手に時折見える日本海を眺めながら暫し列車に揺られた。


山陰本線の車窓より:山陰本線ではこのような光景があちこちで見れます。

 そして、一度目の乗り換えは長門市。去年もやってきたので見覚えがすごくある。そして乗り換えた。列車に乗ったはいいが、その直後に爆睡してしまい、気がついたら終点らしく、何がなんだか分らないうちに下車。ボッカリと空白の時間が頭の中の旅行記に刻まれた。いったい何時から寝たのか。どのあたりから寝たのかが全く分らない。分ることといえば、降りた駅は終点の小串駅であるということである。小串で次の列車に乗り換える。やってきた列車を見ると、なんとキハ23系。「こんなもんまだあったんかい!」といいたくなるほどのボロだった。見るのはいいが乗るのはちょっと・・・・・・。と不満を口にしてもしょうがないので乗車。列車は山沿いと海沿いを行ったり来たりし、幡生にて山陽本線に合流。そして下関に到着。

 下関でまた列車を乗り換えた。JR九州の415系。車内は綺麗にリニューアルされていた。この列車で小倉に向かう。

小倉で下車し、まず予約したホテルへ向かう。ホテルに荷物を置き、再び小倉へ出た。駅ホームの立ち食いそばでラーメンを食べた。なお、駅ホームの立ち食いそば「ぶらっとぴっと」は、漫画「クッキングパパ」に掲載されたらしい。

 小倉から列車に乗って門司港へ向かう。門司港の手前の小森江駅。この駅の北側には、現在放送されている大河ドラマ「宮本武蔵」に関する出来事で、もっとも有名な決戦の場「巌流島」がある。しかし、暗くて見えない。そして私は門司港へ行った。

 私は去年も門司港にきているが、どうもここが気に入ってしまった。今年も夜になってしまったが、今回はかなり歩き回った。1時間ほど歩いた後、小倉のホテルに帰った。

 朝、小倉を立つ。日田彦山線の列車に乗った。するとなにやらぞろぞろと60代前後の団体が乗車してきた。どうやら登山愛好者の団体のようだ。私の座った席の周りを全て占拠。そして列車は出発。オバサントークに私も巻き込まれ、色々喋りまくってしまった。列車は城野を過ぎて日田彦山線に入っていく。地方交通線で非電化なので、田舎なのかなと思いきや、結構住宅が建っていた。登山愛好者の団体は石原町で降りていった。私はそのまま列車に揺られ、突然目の前に見慣れない気動車が現れたのに驚きながら田川後藤寺に到着。さらに乗車を続け、夜明駅を過ぎて久大本線に入り、日田駅に到着。が、ここでデジカメが壊れた。「ピントが合わない! 電源が切れない! どうしよう!」根性で久留米行きの乗り換え時間までに直した。

カメラを直してなんとか撮影したキハ125系
証拠:久大本線日田駅に留置しているキハ125系

なんとか直して、上の画像をデジカメで撮影。そして急いで久大本線の久留米行きに乗り込んだ。列車の車内ではどこぞで買ったポッキーを十数回噛んだら飲み込むを繰り返した。沿線には菜の花が咲き、春の陽気であった。のどかな田園風景が広がるなか、列車は軽快に走っていった。

 久留米に到着。ここから鹿児島本線で博多方面に向かう。二日市駅で下車し、徒歩で商店街を突き抜けて西鉄二日市駅に到着。ここから大宰府線に乗って、この旅行の目的地である大宰府天満宮へ。

 大宰府天満宮に着くと速攻でお参りを済ませた。旅行のメインはここなのですが、旅行記で1年前のものを紹介しているので、記述はここまでです。

 西鉄大宰府駅で次の列車の時刻を調べるために時刻表を探した。そして、見つけた。変わっている。

大宰府駅時刻表
お分かりだろうか。出発時刻と乗り換え列車がダイヤグラムで表示されている。

 列車に乗って西鉄二日市駅で下車。再度商店街を突っ切って二日市駅へ。そこから快速荒尾行きに乗った。が、どこまで行こうか……。と考える間に寝てしまい、気がついたら終点荒尾。とりあえず下車して駅前の地図を見ると、どうやら海が近いらしいらしい。海を見るのは私の趣味のようなものなので、行くっきゃないと思った。列車が少ないので制限時間が1時間も無い。地図を見る限りは楽勝である。

 ノコノコ歩いて駅前の地図の通り歩いていくと、海の前に立ちはだかる地図には載っていなかった無用の建物「荒尾競馬場」。時間が無い中、この競馬場前をひたすら南下、南下。しかし一向に海は見えず。しかも馬臭い。「こんなもん造るな〜!」と怒りすら込み上げてくる。が、ようやく右に入る道を発見。そこに入って少し歩くと・・・・・・。

有明海
有明海だぁ〜!!

と、満足したらトンボ帰り。急いで荒尾駅まで引き返すと、なんとか列車に間に合った。列車に乗って一路博多へ。

 またまた熟睡してしまい気付けば博多。下車して博多駅前のラーメン屋で食事をとった。そして、列車まで時間があるので、まず篠栗線、通称福北ゆたか線に乗車し、長者原(ちょうじゃばる:「る」は九州地方での「ら」のなまり)で香椎線の西戸崎方面に乗り換え、香椎で鹿児島本線に乗り換えて博多へ戻った。それでも時間が余るので、博多駅前のコンビニで弁当を買い、ホームで食べた。ちょうどその頃、長崎本線ではトラックが電車線を切断して、特急「かもめ」が全て運休となり大混乱。博多駅の中線に「かもめ」の車両が停車し、車内販売の荷物をホームに運んで、ホームでは係員が荷物を運んでいった。
 「長崎へおいでのお客様は佐世保線をご利用になり、早岐から大村線にお乗換え下さい。」とアナウンス。正規の長崎本線を利用して肥前山口から長崎までは約2時間。アナウンスされていた経由で長崎まで行くとすると、肥前山口から早岐経由で長崎まで約3時間。かなりの遠回りである。

 一番端のホームでは、寝台特急が発車していった。本来なら「さくら」「はやぶさ」の併結列車だが、今日は長崎本線の事故で「さくら」が運転できないため、「はやぶさ」のヘッドマークを掲げていた。

 乗車列車、ムーンライト九州がやってきた。この列車に乗って姫路まで向かう。

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 朝、車窓を眺める。まだ真っ暗である。列車は姫路に到着。下車して次の播州赤穂行きに乗る。ちょっと時間があるので改札の外へ出ることにした。検札が来なかったので改札で18切符に印を押してもらわなければいけないのだが、改札の人が寝ぼけていたのか、「はいど〜ぞ。」などと言ったので「印押してください。」「あぁ、これは昨日か。はいど〜ぞ。」と、印を押すまでにちょっと時間がかかった。駅前を暫らくウロウロして、列車の発車時間に近づいたので再度入場して列車に乗った。

 列車は223系の4両編成で、播州赤穂行き。終点播州赤穂で115系の岡山行きに乗り換えた。通勤時間だけあって、車内は結構混雑し、岡山近くになるとかなりの混雑となった。

 岡山で下車し、あたりを見回すと、乗務区から女性の車掌がゾロゾロと出てくる。どうやら結構な人数が居るようだ。私はここから吉備線に乗る。吉備線は現在非電化の路線だが、将来は電化され、路面電車となるらしい。吉備線のホームと津山線のホームが同じで、停車している車両も同じ。行先方向幕などは無く、どちらが吉備線だかさっぱりだったが、なんとか乗車することが出来た。車内は通学の高校生であふれていた。せいぜい40分程度の乗車で、あっという間に終点総社に到着した。

 総社は伯備線の駅。列車を待っていると特急「やくも」が通過していった。それほど待たずに乗る列車がやって来て、倉敷に向かった。

 倉敷はなにやら石垣のような模様が印象的な駅。だった。

倉敷駅

 そして、岡山方面の列車がもうすぐ到着するというとき、「♪ぜーんろはつづく〜よ。ど〜こま〜で〜も〜。」と歌いたくなるような音楽が流れて放送が始まった。そして通勤客が岡山方面の列車に乗り込んでいった。

 さらに、私が乗車する広島方面の列車が到着するというとき、「♪雪解け〜 間近の〜 北の空〜にむか〜い 過ぎ去りし日々の夢を〜 か〜け〜る〜とき〜 かえ〜らぬ 人〜達〜 熱い胸〜をよぎ〜る せめて今日から一人きり た〜び〜にで〜る あーあ〜 日本のどこかに〜 私を〜待ってる〜人がいる〜 いい日〜 旅〜立ち 夕焼けを〜を探しに 母の背中で聞いた〜 歌を〜道づれに〜♪」と思わず歌ってしまう音楽と同時に放送が始まった。この列車で、最短でも三原まで、長ければ広島まで行く。

 列車に乗って揺られること1時間、列車は尾道あたりを走っていた。車窓左手に時折見える瀬戸内海。そして町並みと道路と線路が並んでいる。なかなか面白い風景だと個人的には思う。いつか歩いてみたい町として私の頭の中に刻み込まれた。

 尾道を過ぎると間もなく三原。三原で呉線に乗るかどうかで迷った。しかし、呉線に停まっていた105系を見て、一瞬で呉線に乗る気が失せ、そのまま列車に乗りつづけた。

 三原から40分。八本松に到着。ここからは見ものである。先頭車にかじり付いた。次は瀬野。ここから瀬野までは急な下り坂が連続する。碓氷峠や板谷峠といった難所の一つである。未だにここを通る貨物列車には補機が連結されている。廃止された碓氷峠に比べれば、このセノハチ峠は半分以下の勾配なので電車は自力で登坂できる。今回は下りなので115系に装備されている抑速ブレーキで速度を維持しながら走る。列車は八本松を発車し、下り坂で加速。制限速度に達するとマスコンをニュートラルに戻し、さらに逆方向に回して抑速ブレーキをかける。列車は速度を維持したまま走行し、補機のついた貨物列車と何回かすれ違った。やがて勾配はゆるくなり、瀬野駅に到着。スリルある数分間であった。

 瀬野を過ぎるとシティーライナーとなり、広島までノンストップで到着。広島ではとりあえず見つけた立ち食いそばでラーメンを食べ、再び列車に乗った。

 列車に乗ってすぐに雨が降り出した。だんだんひどくなり、土砂降りになった。と思えば宮島口で下車した頃には小降りになった。ここから宮島航路に乗船した。宮島航路はJRの運営する船である。約10分の船旅である。もちろん、宮島行き。そして、この宮島の代表的な建造物といえば、厳島神社である。海の中に建てられた印象的な鳥居が目の前に見えた。

厳島神社の鳥居

宮島に上陸。雨が降ったりやんだり。カメラが濡れるのであまり使えない。とりあえず厳島神社の方に向かって歩く。鹿が住んでおり、時折糞が落ちている。この辺は奈良とよく似ている。世界遺産の条件は鹿がいること? まあ、そんなことはどうでもいいが、とにかく鹿がやたらとうろついている。

 待合室から出て右側、西のほうに暫らく歩くと厳島神社がある。余談だが、宮島のお土産といえば「しゃもじ」で、たくさんの店がしゃもじを売っている。中には数メートルはあろうかという巨大しゃもじが展示してあるところもあった。しかし、こんなに巨大なしゃもじは使い道が無い。

 少し歩いて神社に近づいた頃、テレビ局の車が止まっていた。地元のテレビ局だったと思うが、どうやら明日の日本テレビの「ズームインスーパー」の生放送を行うらしく、車体にはしょぼい張り紙が貼られていて、それには「ズームインスーパー 羽鳥さんが来る!!」と書かれていた。思わず笑ってしまった。

 厳島神社に着いた。海に浮かぶ寝殿造りの神社であるが、あいにく干潮の時間で、しっかりと地上に建っていた。ただ、沖合いの鳥居は海の中だった。

 神社は拝観料さえ払えば中に入れる。さっそく入った。普通の神社とはやはり違い、板張りの回廊を歩く。一方通行である。言ったら最後、戻って見ることは出来ないので慎重に見物する。足元は「キィキィ」と音がしてなんとなく床が抜けるのではないかと不安があった。回廊から下を見ると、結構な高さがある。3〜4mくらいだと思う。干上がった地面にはなにやら白いもやもやっとしたものがたくさん落ちている。なんだか気持ち悪いが、これは「おみくじ」だった。下が海なので溶けて、それが干上がって地面に貼り付いているだけだった。さらに進むと、能舞台や、実際に渡ることが出来るのかわからない閉鎖された橋などがあった。おみくじとしゃもじを買って海を眺めた。

厳島神社

 厳島神社を出て、桟橋へ戻る。雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返した。宮島航路に乗船して宮島口へ、そこからまた山陽本線で小郡方面に向かう。

 乗った列車は新瀬戸内色の115系。なんと岡山発小郡行き。もう始発駅を出発して3時間以上経過しているのにまだ終点に着かない。この列車は小郡止まりだが、時刻表を見てみると岡山発下関行きなんて列車もある。近郊型の電車を6時間半もぶっ続けで走らせるのは如何なものでしょう? まあ、そんなことは置いといて、私はとりあえず2日目に撮影が出来なかった小郡を目指して、2時間を115系の中で過ごすこととなった。大して混んでいなかったので、先頭運転台の後ろの席をキープしておき、前を見ては座り、座っては眠り、起きては前を見るを延々と繰り返して2時間を潰した。小郡に到着するとまた大雨と霧で撮影はまたしても不可能であった。私はクハ115−3003を後にした。

 どう頑張っても撮影できそうも無いしょうがないので隣のホームに停車している下関行きに乗車した。しかし、この電車、いかにも「私は日根野をリストラされました。」と言わんばかりの顔をしている。

113系 日根野リストラ組
どど〜ん。

そして、運転室の天井付近にはこんなものが・・・・・・。
リストラされた証拠

 明らかに紀勢本線の電車がリストラされて飛ばされてきたものである。しかもこの車両、普通の113系とは違って運転室後方が左右対称である。恐らくATSが旧型のもの、若しくは装備されてないのかもしれない。それはともかく、とりあえずこの車両で下関に向かう。

 もう2時間も列車に乗りつづけた。こうなればあと1時間などへでもない。ガンガン行こー! と根性で乗りつづけ、新下関に留置された0系の4両編成を見て感動。そして下関へ。

 下関では快速ムーンライト山陽の時間待ち。座り食いそばを食って、武蔵関連のパンフレットを読み耽って時間を潰した。そしてホームへ向かう。乗車ホームで待っていると、入換線に門司方面から列車がやってきた。一旦停車して再度幡生方面に出発。一字視界から消えた後、幡生方面から推進運転で入線してきた。いそいそと乗車して熟睡体制に入った。

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 かなり熟睡したようで、気がつけば神戸。また熟睡して新大阪。そして終点の京都に到着。列車を出てみるといつの間にか他の列車を併結してブルーの車体が目立つ。とりあえず、空いている駅のトイレに駆け込んだ。

 暫らくして湖西線の列車が到着する時間になり、ホームに行って待っていると、117系のマルーンが到着。登場時と全く同じカラーリングらしい。しかも運転士は女性であった。定刻に出発したが、次の山科駅で5分遅れた。しかしながら快調に列車は飛ばした。雲の切れ目から時折朝日が差し込む右の窓を眺めると、そこには琵琶湖が広がっていた。

琵琶湖

 近江今津が終点で、そこで乗りかる。待っていた列車は419系。通称「食パン電車」である。

117系マルーン419系 通称食パン

 どうでしょう? 食パンに見えるでしょうか? この電車は特急寝台電車583系をムリヤリ普通車に改造した変わった電車です。ですので扉は引き戸だったりして面白いです。車内の写真も撮りたかったですが、結構混雑しているので取れなかったです。

 近江今津を発車して数駅、近江塩津の手前、交直を入れ替えるポイントがある。古い電車は一旦電気が消えたりする。首都圏では常磐線の取手以北に切り替え区間がある。もちろん、直流電車は交流区間に入れないし、その逆もあるので、交直両用の電車でなければここは通れない。無事に切り替え作業も終わって暫らく走り、敦賀に到着。ここは最近電化開業した小浜線の終点である。残念ながら小浜線の電車はしばらく来ないので、留置しているものしか見れなかった。

 敦賀からは今度は北陸本線で琵琶湖東岸を通って米原へ。交直両用電車はあまり詳しくないが、クモハ412と書かれていた。先ほど通った近江塩津から分かれていき、各駅に停車。そして終点長浜の手前で交直切り替えを行って終点に到着。そこから今度は新快速の姫路行きに乗り換えて、米原で降りた。

 米原は晴天だったので、暫らく新幹線の撮影をした。なかなか見通しのいい駅だが、あまり撮影に向いているような感じはしなかった。冬場は雪が降って迫力がある写真が取れるかもしれない。たいしたことも無く終了し、大垣へ向かう。

 米原発大垣行きは313系だった。しかし半端じゃなく混んでいる。真昼間なのにこの混雑はいったいどうしたもんだろう。というか編成が短すぎである。身動きが取れないので何もすることが出来ず、大垣に到着。すると詰め込まれた客人が一斉に313系新快速の豊橋行きになだれ込んで、またしても大混雑。私はそれを尻目に次の新快速に乗車。余裕で座って熟睡した。

 気がつけば蒲郡を過ぎ、終点豊橋は目前。車内は適度に混んでいて日常的な風景だった。豊橋で下車して遅い昼飯を食べ、即座に浜松行きの列車に乗り込む。またしても313系。なにやら部活かなんかで豊橋に来たと思われる学生が結構居た。しかもユニフォームには「小田原」と書かれている。こんな鈍足&混雑&乗り換え2回で帰るのかと同情する私。発車した列車は時折東海道新幹線と交錯しながら順調に進み、浜松へ。浜松では隣のホームの列車に乗り換えでしかも1分しか時間がないので皆走る。私も走って一番乗り。そして静岡行きに乗車。ここでも結構混雑した。遅れることもなく順調に走りつづけ、静岡へ。静岡では皆が次の列車に乗る中、私は次の次に乗車。国府津行きで東海道経由。席を確保して寝たり起きたりを繰り返して小田原で下車。小田原から東海道線に乗って戸塚へ、戸塚から地下鉄で自宅に帰還しこのハードな旅行は終了した。

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