新潟小旅行

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 第24回鉄道模型ショーにこまちと行った。そのときにウッパとトッティも同行予定(連絡済)で計画されていた。

 新潟まではムーンライトえちごである。青春18切符を利用するのだが、午前0時を過ぎて最初に停車する駅はなんと高崎駅。つまり高崎まで普通乗車券で行かないともとが取れないわけです。そこで私は京浜急行に乗って品川まで行き、品川の自動券売機で高崎までの切符を買うことにしました。時刻表で調べたところ、面白いこと?を発見したので新幹線の指定席を取るという馬鹿げたことをしました。乗る列車は東京発20時16分の「あさひ407号」。高崎到着は21時11分で指定席特急料金と運賃の合計は5,000円ピッタリであります。東京駅20番線で列車の到着を待っている時間はウキウキ。普段全く乗らない北行きの新幹線であるからこうなる。お隣にはE4系のどデカイ車体がズドーンとあってかなりの圧迫感。
 乗る列車がいきなり登場しました。私は緑のリニューアル前の200系を期待していましたが見事に外れました。リニューアル後の200系です。お盆休み明けの土曜日の夜の下り列車だったので混雑しないと思いきや、実際には指定席の着席率はほぼ100%でした。

あさひ407号指定席特急乗車券

 東京を出ると次の停車駅は上野。東京〜上野間は山手線のほうが速いのであります。秋葉原から地下に潜って上の駅のホームに停車。かつて「北の玄関」と呼ばれた上野駅だが、東北新幹線東京駅が開業した今では単なる一通過駅に過ぎなくなっている。すでに特急専用ホームの18番線は無くなり、相次ぐ特急の廃止で、往年の東北線長距離特急は夜行を除いて存在しない。そんな現状を表すように対向列車が上野駅を通過していった。

 上野駅を発車すると次は大宮駅。この二駅間の所要時間は全列車が20分。在来線は25分。つまり大して変わりないのである。やはり騒音問題等で速度が出せないのか? 併走する埼京線をゆっくりと抜き去るあさひ407号であった。

 大宮で東北新幹線と上越新幹線が別れる。大宮駅は新幹線のホームとしては新大阪駅に似ているが、かなり寂れた感のある駅であった。発車してしばらくは複々線の区間が続き、日本最大の分岐器(36番分岐器)を通過してしばらくするとようやく分かれていった。次は熊谷、その次が高崎である。大宮を発車してからはどんどんと加速し、見た目では時速200km/hを超えていた。しかしながら夜なので全く外が見えないのでありました。特に何も無いまま熊谷に停車し、そのまま高崎駅に到着。

 高崎駅で一旦外に出て、こまちが居る神保原駅までの切符を買ってホームに向かおうとすると、「アンケートお願いします。」と。こんな夜中に?と思いつつアンケートに答えたが、私は群馬県の人間ではないので参考にはならないと思いますが。そんなことをしているうちに発車時間が近づき、ホームに降りて列車に乗る前にこまちに電話しておいた。
 神保原に着くと偶然にも改札の真ん前に停車。こまちについていって、彼の母親が経営する店へ。そこで自転車を借りて彼の家へひとっぱしりです。こまちの家でしばし休む。前線基地といったところか。パソコンの意味不明なムービーを見たりしていた。

 時間が近づいてきたので神保原の駅へ。改札で切符に押印してもらっている最中、金沢行きの寝台特急「北陸」が通過していった。神保原駅にはいわゆる「七福神」があって、なんともありがたいのでありました。ここから最終列車に乗って高崎へ。やってきたのはJR東日本御自慢の最新鋭省エネ列車E231系近郊型電車であります。すでに高崎線には湘南色の115系は無いようです。高崎に到着すると次に乗るムーンライトえちごはかなりあとに発車するので何か食べるものを買おうと駅前のファミリーマートへ行くとなんと閉店。24時間営業じゃなかったのネ……。しかたが無いのでローソンで買い物をして、こまちは吉野家で牛丼を買って駅に帰った。駅に帰るとすでにムーンライトえちごが到着していて、となりのホームには急行「能登」が。

 ここでウッパとトッティが合流するはずだったが、トッティは女に振られてから性格が変貌して音信普通。噂ではかなり薄情者?になって、男から届くメールを見ずに消去しているとか。ウッパは相変わらずのお馬鹿ぶりを発揮して、こまちの連絡を受けておきながら忘却していたもようで結局二人とも来なかった。

 ムーンライトえちごの車内では慣れない超リクライニングシートで全く寝付けず、そのまま徹夜で高校時代の話が盛り上がった。気がつけばもう朝。次は新津といったところだった。ここでこまちが睡眠を開始。新潟経由で豊栄まで行く。

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165系快速ムーンライトえちご
165系ムーンライトえちご
165系登場時の大目玉が特徴

 豊栄に着くとこまちと別れて切符を買って一路新潟へ。新潟で降りて駅構内を歩くと「えちごワンデ-パス」の看板が。これは買うべしと思った。しかし売っている場所がわからぬ。とりあえず駅の外に出て周囲をブラブラするものの、朝なので空いている店はほとんど無く、関東以外では珍しいヨドバシカメラなんかもあったが、当然しまっていた。町をぶらぶらしていると大きな川が。そう、これが日本最長の河川、「信濃川」である。ここはほぼ河口なので上流は数百キロ続くことになる。ウーム……。

信濃川
信濃川

 駅に戻って中央改札に行くと、首都圏と同じタッチパネル式の券売機があった。もしかしてとくとくキップに「えちごワンデーパス」があるかと思い、操作してみるとやっぱりあった。さっそく購入して越後線の列車に乗車。

えちごワンデーパス
えちごワンデーパス

 この越後線の列車はE127系。これまたJR東日本御自慢のローカル輸送用直流電車である。2両編成での運転が可能で、必要に応じて4両、6両と増結して運行する。駆動音は京浜急行600形に良く似た音だった。乗った列車は内野行き。ずいぶんと中途半端な行先だったがこれに乗った。車内はなにやらどこかの学校の野球部が占拠していた。列車が発車すると次の駅、次の駅、と連続で野球部員が乗ってきて、どんどん車内がミーティングの場と化していったのでありました。そんな状態で列車は終点の内野駅に到着。次の柏崎方面の列車は一体何時じゃと思いながらホームをウロウロ。結局新潟から一つ後に発車する列車に乗ることになった。乗ってきたE127系はそのまま新潟行きとして折り返していった。

越後線内野駅のインテリアグッズ
内野駅の構内にあるその名も「成長キノコ」

 十数分待っただろうか、柏崎行きの列車がやってきた。新潟色の115系。首都圏ではもうほとんど見ない列車である。車内はシートのモケッと変更程度だったが旅行者の私にはけっこう新鮮であった。ここから何処に行こうか。吉田で弥彦線に乗るか、それともワンで-パスの限界範囲の寺泊に行くか。考えた挙句に寺泊に行ってしまった。

 寺泊というくらいだから寺院か港(泊)があるのだろうと降りてみたところ、駅前は国道と田園。何処に海があるんじゃ! 駅前の地図には海が書いてあるが、いいかげんな地図だったのでよくわからなかった。駅前の道路の形から違った地図だったのでこの地図はどっちを向いているのだ? と考えながら、ウロウロと歩いたが、疲れるだけなので駅に帰った。すると列車が停まっていたので乗り込んで吉田に戻った。

 吉田から弥彦線の弥彦駅行きの列車に乗った。この列車も115系だが、こちらはワンマン改造された2両編成である。吉田から弥彦までは途中に矢作(やはぎ)駅があるだけである。先頭車から前を見ていると線路はほとんど草に隠れていていかにも田舎路線という感じであった。

115系弥彦色
115系弥彦色 クモハ114+クモハ115

 弥彦駅に到着。降りると女性駅長がお出迎え。そういえばここって女性駅長が登場して話題になったことがあったような。まあどうでもいいので駅の外に出てレンタルサイクルを借りようと思ったが、一体何処にそんなものがあるんじゃい? と借りるのをやめて歩いて山を登って行った。弥彦といえば競輪と弥彦神社。私の目標はもちろん弥彦神社なのでずっと続く上り坂をズンタカタッタ!ズンタカタッタ!と登って行ったのでありました。

弥彦駅
越後一ノ宮 弥彦神社への最寄駅 弥彦駅

 弥彦神社の入り口に着いた。とにかく暑いのです。汗びっしょりです。神社は林の中なので涼しいので一安心。ずんずん中に進んでお参り。済ませたら山に登ろうと思い、ロープウェイがあると聞いてさらに山の上へ歩いていった。とにかく歩いて歩いて歩きまくったので汗びっしょりでおそらく人生最大に汗をかいたのだと思います。せっかく登ってきたのにロープウェイの乗車料金がえらく高くて所持金ではちょっと苦しいのでそのまま降りてしまった。

弥彦神社
弥彦神社

 神社の入り口の食堂で昼食を取って気がつけば列車が10分後。急いで坂を駆け降りたものの、列車に乗ってはじめて時間を間違えていたことに気付き、もう一度外に出てジュースなんかを少し買い込んで列車に乗った。

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 弥彦駅を出発。先ほどの駅長さんがお見送りであります。こちらに向かって礼。こちらからも礼。そして吉田へ。
 吉田に着くとはじめて見ましたタブレット収受。おそらくスタフ閉塞式のスタフに代えてタブレットを使用していると思います。とにかくはじめてみたのでラッキーでした。
 吉田を発車する間際に放送。女性客が一人来るので乗せてくれとのこと。田舎路線ならではの光景でした。
 吉田を発車して東三条へ向かう。途中の燕三条は新幹線の停車駅。駅名は燕と三条の組み合わせばかりです。なんかヘンですこの路線。

 東三条から信越本線の新潟行きに乗って新津で降りる。新津から磐越西線の列車に乗った。車両はキハ40系列の編成。乗ったはいいが、すぐの新関で降りてしまった。特に行くところも無いのでそのまま反対方向の列車を待った。途中、ふらついて線路に落ちたりしたが列車が少なくて幸いだった。すぐにホームによじ登って事なきをえた。すぐに新津に戻って駅の外へ。

 新津といえば鉄道の町。JR東日本の工場であるJR新津車両製作所がある。さっそく歩いていくことにした。

JR新津車両製作所
JR新津車両製作所 入り口の社名板

 テクテクテクと東三条方面に向かって線路沿いに歩いていくと、北側に分岐している線路が。その線路に沿っていくと工場があるのかな?と思いながら歩くと目の前に黄色と黒の物体が横切った。見るとスズメバチ。あら恐ろしい。とっとと逃げましょう。となるべく草木に近寄らないようにして歩いた。線路先にはそれらしき建物があり、途中にバリケードがはってあった。どうやら今日は休みのようだ。稼動しているようにはまるで見えない。工場の周りを歩いていると新型の山手線E231系500番台が。そうです。首都圏を元気に走っている通勤電車は間違いなくここで造られているのであります。と気がつけば列車が後10分で発車。やばい間に合わないとまたまた走って新津駅へ。今回は何とか間に合って駆け込み乗車。新潟色のキハ40に乗った。

JR新津駅
鉄道の街 新津の玄関 JR新津駅駅舎

 気がつけば新発田。ここで降りなければこまちとの待ち合わせ時間に間に合わない。新発田で降りて駅前の商店街を伝ドン歩いていってが、異常に長い。こんなにあっても無駄だろうと思い、途中で引き返した。新発田城があるはずと今度は城探しとなったがいっこうに見つからないので駅に帰った。列車到着まであと10分。

 駅前のコンビニでジュースとお菓子を買ってベンチに座って食べていた。ほどなくしてホームの端っこの乗り場にもう見飽きた感のある115系が入線してきた。食べるのもほどほどに列車に乗って、発車の時刻を待った。列車が発車したらまたお菓子を食べて、食べきったら外を眺める。一面の田園風景が目の前に広がり、時折小さな道が見えていた。白新線の佐々木駅でしばし停車。反対方面の列車の通過待ち。やってきたのは特急いなほ。国鉄の標準特急型電車485系が颯爽と走り抜けていった。

 豊栄に着いたと同時に今まで圏外だったはずのASTELからモーツアルトの交響曲が流れ出し、こまちから電話が着信。ほどなくしてこまちと合流してここ始発の列車に乗った。今度の列車は新新潟色の115系。こちらは車内が改装されてかなり綺麗であった。小町は即行寝ていたが、あっという間に新潟に着いたので起こした。

 新潟ではとりあえず貯金を引き出すために郵便局を探し回り、駅から少し歩いたところにあった中央郵便局からお金を引き出した。帰りの切符を買っていないとこまちが言うので、帰りのムーンライトえちごの指定席を買いに行った。が、「満席でございます。」と。まあ、しょうがないか。夏だし。という訳で時間をつぶしにカラオケへ。途中、SLばんえつ物語号のものと思われる汽笛が聞こえた。

 カラオケ=就寝場所という手もあったが、さすがにそれはしなかった。新潟から長岡に向かう、えちごの手前の最終電車に乗れるように時間を見計らって店を出た。店を出るとすっかり夜で、なんか東京以上の風俗店の勧誘が出ている。路上での勧誘は犯罪ではなかったでしょうか? もちろん、勧誘に乗ることもなく無事新潟駅へ。

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 新潟から長岡行きの列車に乗るのだが、てっきり115系が来るものと思っていた。しかし来たのはE127系。オールロングシートである。ボックスシートで寝ようと思ったのに。しかし超人こまちは運転台の助手席部分のスペースに新聞を敷いて寝てしまった。恐るべし。

 列車はほとんどガラガラだった。新潟を発車し、途中駅に停車するごとにどんどん客数は減ってゆき、車内にはイケイケ風ギャルネーチャンのやかましい話し声だけが響いていた。

 長岡に到着手前でこまちを何とか起こして、降りた。えちごはどのホームに停まるのだ? と反対側のホームに表示があったので近くのベンチに座って待った。ベンチの上でもこまちは異様な格好で寝ていた。待ち時間中、長岡駅の中線をEF64重連の貨物列車と、EF81トワイライト色の牽引する寝台特急「日本海」が通過していった。遠路はるばる青森からここを通って大阪へ。長い旅路だ。

 えちごが到着する頃になるとホームに人がちらほら。歩いているとそんな一人に遭遇。いかにも私はアヤシイです。と言わんばかりの服装と髪型で私を睨みつけてくるただの変人だった。無視無視。そんなことより奇妙な格好で熟睡しているこまちを起こすほうが先決である。まあ、何とか起きたからいいが。

 指定券を持っていないのでとりあえず空き席探し。すぐに見つかったがここは喫煙車。タバコの臭いがぷーんとする。でもしょうがないのでここに座った。周りはすでに熟睡。こまちもすぐに熟睡。私も少し遅れて眠りについた。

 新前橋あたりだろうか、そとで凄い音がしている。音の正体は大雨。台風が接近しているのだ。まあ、オンボロとはいえ車内に雨漏りはしないだろうと気楽に考えていた。高崎を過ぎた頃、席を立ってトイレへ。客室との仕切り扉を開けてデッキに出るとなんと雨漏りでずぶ濡れになっている。用を足してから、他の車両も見てみたが、ほとんどの車両でデッキがずぶ濡れで、特に先頭車どうしが連結してあるところでは滝のように水が降っていて、とても通路をぬれずに通るのは不可能だ。床も水溜りでかつての急行型列車とは思えない惨状になっていた。

 席に戻るとさらに悲劇が! こまちが私の座席までも占領している。長崎に行ったときもそうだったが、この人が睡眠中に座席を占領すると退かすのが一苦労である。ましてや今回は前日のえちごでほとんど徹夜だったため、起こしても起きないという事態になっていて、しょうがないので力ずくで座席を取り戻した。ようやく自分の席に着いて寝ようかと思いきや、通路を挟んだ席に座っていた、宇宙人みたいな化粧と衣装をまとった女性がタバコを吸いだした。まあ喫煙車だからしょうがないが、その宇宙人女は10分おきにマルボロライトを取り出しては火をつける。私の受動喫煙もはなはだしいので、私はタオルを顔に被せて、マルボロ宇宙女が吸い終わるまで息をほとんどしないという荒業で抵抗。そんなことで体力を消耗しながら新宿に着くのを待った。

 新宿に着くと、とりあえず山手線に乗り、熟睡して1週半。東京駅で降りた。東京駅で大雨の中、東海道線10番線ホームで列車を見ながら、置いてあったインスタント食品の販売機で焼きそばを買って食べていた。この時間、寝台特急「出雲」(JR東日本)、寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」(JR西日本・東海)、特急「東海」1号(JR東海)、寝台特急「あさかぜ」(JR西日本)とまあJR三社の所有する車両での特急列車を見ることができるのである。しばらくして、東海道線に乗って横浜に向かった。こまちは途中、18切符を私に預けて品川で降りた。どうやって降りるつもりだろう。

 横浜に着いた。相鉄・地下鉄方面の出口に向かって歩いて行き、地下に入ると通勤時間だからか大混雑。しかしどうやらそれだけではないらしい。駅員がたくさん出ていて、何かやっている。「雨漏り」であった。それも滝のような。一生懸命水を掃いていたが、当然そこは通れず、通路が半分しか使えなかったのである。そこを何とか通過してコインロッカーに向かった。荷物をここに預けて、そのまま予備校に向かうという前代未聞の行為に走るのである。

 ちなみにこの横浜駅雨漏りは、翌日の新聞に大きく載っていた。

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