新幹線に乗ろう

 普通の進学校ではない高校に通っていた私は、就職することが出来ず、10月に大学進学を希望した。しかし、元々進学のための教養を受けていない私が1流大学にいけるわけもなく、地元の有名校を受けることにした。
 受験の準備をはじめた10月後半、持っていた病気が悪化し、急遽手術を受けることとなり、11月後半、生まれて初めて手術というものを受けた。すぐ退院できたものの、切開の痕があまりに痛く勉強どころではなかった。それでも冬休み中に世界史の勉強を猛烈にやったが付焼刃。志望校には補欠になったものの結局落ちた。そんな中でも旅行は決行。

 夜、家を出た。目指すはひとまず東京駅。ここからおなじみのムーンライトながらに乗る。夜中の京浜急行の上り特急はガラガラだ。車両には最初こそ立っている人がちらほらいたが、終点に近づく頃にはあまり人がいなくなった。
 ムーンライトながらの発車時間の2時間前に東京駅に着いた。平日なので湘南ライナーの長い行列がホームに続いていた。こんな夜中なのに下りの電車はえらく混んでいる。
 東北新幹線の最終電車が東京を発車。しきりに新幹線ホームからの放送が聞こえる。しばらくするとムーンライトながらが到着。切符を買うときにわざわざ後ろの3両の切符をお願いした。理由は名古屋で確実に降りるため。
 ムーンライトながらの発車時刻が来た。しかし列車の扉は閉まらない。どうやら「山手線が遅れている。」らしい。結局5分ほど遅れて発車した。しかも今日のながらは3号車のトイレが故障して使えないらしい。品川に到着すると今度は逆方向の山手線が遅れているので数分停車し遅れを増大させて発車。その後は順調に走って遅れを少しづつ取り戻したかと思いきや、今度は国府津駅構内で緊急停止信号が現示されたためまた停車。かなり長い間停車していた気がした。
 深夜列車は長時間停車が多いのであるところまで行けば停車時間をカットして遅れを取り戻すことが出来る。私は名古屋に定時に着けば良いので全く気にせずに寝てしまった。
 浜松に着いた。ここで車外に出るのはもう定番になっている。目の前を貨物列車が通過していった。

 豊橋を過ぎるとほとんど各駅停車。こまめに停まって通勤客を乗せて列車は定刻で名古屋に着いた。
 名古屋からは「こだま491号」に乗車することになっていた。いそいそと新幹線ホームに行き、乗る列車を見るとJR東海から西日本に譲渡された100系であった。西日本らしく車内はシートのモケットが変更されていた。この列車の発車時刻は6時21分。ムーンライトながらと同時である。ツインタワーを背にしてこだま491号は新大阪へと走り出した。
 私の席はA席。進行方向左側である。朝の日差しは右側から差し込んでいた。しかし、米原までは北向きに走っている電車も米原から京都は南向きになるためこちら側にも朝日が差し込んできた。
 新大阪に着くと次は「ひかり543号」に乗る。この電車は0系6両編成の臨時電車、つまり「ファミリーひかり」である。少ない待ち時間に駅の売店を探してサンドイッチを買ったと同時に列車が入線してきた。

 「ファミリーひかり」は3号車に「こどもサロン」と呼ばれる子供用の遊び場がある。遊び場の壁はソフトパッドで保護されており、ぶつかっても安全。保護者用のスペースも用意されていてさながらデパートなどにある遊び場そのもの。18人分の普通座席が同じ車内にあり、透明な壁で仕切られているが扉はない。さぞかし賑やかというかやかましいというか……。

 午前8時6分、新大阪を発車。しばらく走るとトンネルに突入。トンネルを抜けると新神戸に停車。新神戸を発車してすぐにトンネルに入る。トンネルを抜け、兵庫の町並みを駆け抜ける6両編成の新幹線は8時29分に西明石を通過し35分に加古川を渡り8時40分、姫路に到着。1分程度で発車し48分相生通過。しばらく山の中を走り9時5分岡山到着。今年は山陽新幹線の岡山開業30周年だ。岡山も1分程度の停車で、発車後左手には新幹線の基地が見えた。新倉敷を通過して次の福山に停車する。時刻表を見る限り、福山で500系「のぞみ」に抜かれるらしい。
 9時28分、福山に到着。車外に出ると小雨が降っている。福山駅のホームは曲線になっていて比較的列車を取りやすかった。しかし、いざ500系が通過するとなると私のボロカメラのシャッターが降りてくれず、撮影できなかった。
 33分に福山を発車し、7分ほど走ると新尾道を通過。その4分後には三原を通過。この二つの駅はかなり近いようだ。三原においては0系が0系を追い抜くという0系全盛時代のワンシーンが繰り広げられた。10分後には東広島を通過し、その10分後の10時2分に広島に到着。ここで2分間停車し、4分に発車。豊橋からずーっと起きていたのでこの先30分くらい寝てしまった。
 10時32分、徳山に到着した。海が近くて工場のような建物がたくさんある。時刻表によるとここでは700系「ひかりレールスター」に抜かれるらしい。福山と同じように車外に出て待っていると700系「ひかりレールスター」が予想通り通過。今度はしっかりシャッターを切れた。

レールスターが追い抜き


 38分に徳山発車。54分に小郡到着。1分後の55分に小郡発車。ここから先は私にとって初めての乗車となる。車窓の景色はもう都会のものではなくかった。11時4分、東海道・山陽新幹線では一番新しい駅「厚狭」を通過した。ここでも0系が0系を追い抜くシーンがあった。10分に新下関を通過した直後に新関門トンネルに入り、18分、新関門トンネルを抜けるとすぐに小倉に到着した。小倉を発車するとあたりまえだが次は終点の博多である。博多までは北九州を駆けること約20分で到着。電車を降りると反対側のホームには0系を置き換えるために改造された100系5000番台の4両「P編成」が停車していた。
 博多駅の改札を一旦出て、博多南線の切符を買って再び新幹線ホームへ。すると名古屋始発の100系「ひかり」が到着。100系の定期列車の「ひかり」としては最後の列車である。かつて0系も同じ名古屋始発の博多行き「ひかり」が最後の「ひかり」定期列車となった。それはさておき、博多南線の列車がやってきた。この列車は先ほど紹介した100系5000番台の4両編成。車内に入るとシートが懐かしの「ウエストひかり」の2列シートそのまんま。おそらく廃車した車両のシートを流用したのだろう。 
 博多南線は特急しか走らない在来線で、走っている車両はすべて新幹線車両というなんとも奇妙な路線。それもそのはずこの博多南線は山陽新幹線の車両基地、「博多総合車両所」への回送線を旅客扱いした路線で、終点博多南駅に隣接して博多総合車両所がある。ここでは新幹線車両が走っているとはいえ、在来線扱いなので最高速度は120km/h。しかし、いずれは九州新幹線の一部となる予定である。そのため、在来線並みの速度で走るにもかかわらず、高い防音壁が線路を囲んでいた。
 博多〜博多南間は約10分。途中に駅はない。博多南駅に近づくと九州新幹線の高架が分離し、途中で切れる。進行方向左手には留置されている0系や100系、米原の風洞センターに保存される予定のWIN350も留置してあったが、ここから一番遠い線で他の車両の裏側に隠れていたのでここからはほとんど見えない。
 博多南駅で降りると改札へ、私は改札手前で荷物の整理をしていたので出るのが遅れた。そのため列車に乗るために列をつくって待っていた乗客がホームへ流れ込んできて暫く出ることが出来なかった。数分後、ようやく改札を脱出出来た。駅前には自転車がたくさん置いてあり、今日は風が強かったからか、将棋倒しになっているところもあった。駅を出て西側に歩き、車両所をくぐるトンネルを通り、反対側を東側に歩くと先ほど微妙に見えたWIN350が置いてあった。

JR西日本500系 WIN350

 反対方向に歩くと今度は16両編成の新幹線が置いてあった。そこに停めてあった500系は全般検査を終えたばかりなのか、綺麗な姿を見せていた。
 次の列車に乗るためにすぐに博多南駅に帰ってきた。今度の列車は6両編成。6両編成の100系(K編成)はまだ1編成しかないようなのでほぼ確実に0系が来る。案の定0系だった。この列車の博多からの指定券を持っていたのでその席に座った。もちろん博多までは自由席である。しかしこの座席、博多開業時の三列固定シートのJR西日本バージョン。おまけにシート間隔の狭い1000番台の車両だった。「よくもこんな車両を指定席に使うな。」と思いつつ写真を撮り、狭い座席でくつろいだ。リクライニングは尻がスライドするタイプ。立っても元に戻らない分前回の旅行で乗った14系客車よりはよかった。
 博多に到着すると0系ひかりがお出迎え。もちろん「ファミリーひかり」である。新大阪に向かってすぐに発車していった。こちらも暫くすると発車した。先ほど乗ったばかりの路線を逆走して新下関へ。ここで降りて改札を出て、写真を撮るために荷物を整理してコインロッカーに入れ、お金を入れたが鍵が閉まらず、しょうがないので荷物を持ったまま再びホームへ。
 ここで暫らく上りホームで写真を撮り、駅を出てあたりをブラブラと歩いた後、電車に乗って下関に向かった。ただし乗った列車は広島色のキハ58系だった。下関に着くと電車やら気動車やら寝台特急あさかぜやらぞろぞろと停まっていて、賑やかであった。
 日が暮れてきたので今日の宿さがしをすることにした。しかし今日は休日。駅周辺のホテルはすべて満室であった。仕方なく港を眺めて新下関に戻った。新下関ではかろうじてビジネスホテルのツインルームが空いていたので泊まることが出来た。駅からはそれほど遠くない距離だったので、部屋からは時々新幹線が通過する音が聞こえた。夕食を食べていなかったので買出しを……。と出かけたが、近くに店がない。新下関駅の新幹線改札のあたりに店があったのを思い出して、そこに行くことにした。ホテルから新下関の新幹線改札に行くには山陽本線が邪魔でかなりの遠回りをしなければならなかった。閉店間際に売れ残りのパンを買い込んでホテルに持ち帰り、テレビをつけて「辻本議員の疑惑」報道を見ながら二人用のテーブルの上にパンを並べて片っ端から食べた。なかなか美味かった。
 ツインルームを一人で使うのはなんかもったいない。ベットが二つあるのに使うのは一つ。イスも二つある。カップも二つ。タオルも二つ。ハブラシなどの小物もしっかり二人分。もちろん全て一人分だけしか使わない。夜、ベットの入り、横に誰も寝ていないベットを見るとさびしいですね〜。
 疲れすぎたのかかなり熟睡した。朝、目がさめると外は大雨。やはり珍しくホテルになんか泊まったから雨が降ったのか……。とりあえず朝食を食べて身支度を整え、白手袋をして傘を差す。お金をおろしに郵便局を探して見つけるとまだ営業時間前。数分で営業時間に入るのでそこでしばらく待って、数千円を引き出してから新下関へ。新下関から山陽本線に乗って厚狭へ。厚狭で新幹線のホームに入るために、連絡改札で切符を見せて入場券を買おうとすると、駅員の人が「マルスで発見した入場券が欲しいの?」と。「オイ!拙者は新幹線のホームに入りたいだけじゃ!」とは言わずとも頭の中ではそう思った。まあ私もマニアだし。入場券も欲しいことは欲しいいので。
 厚狭駅の上り新幹線ホームの小郡寄りに立っていると、美祢線からバラストを運ぶ貨物列車がやってくるのが見えた。DD51がバラストを積んだ貨車を連ねて走る姿はさながら往年の石炭列車のようであった。おまけに下を見るとこげ茶色の国電「クモハ42」が停まっているではあ〜りませんか!おまけに数十分経過すると0系「ひかり」が目の前を通過していくではあ〜りませんか!!

「うおおおおおおお!! 感激!!!」
DD51 バラスト列車

 と珍しい物ばかりを目撃して浮かれ気分で美祢線の列車に乗った。「普通列車 仙崎行き」とのことで、美祢線から山陰本線の仙崎まで直通する。形式はJR西日本の標準気動車のキハ120系。小型のレールバスのような気動車だ。もちろんワンマン。荷物が大きく、網棚に乗せると他の乗客の迷惑になると思い、運転手さんにお願いして運賃箱の前方、貫通扉のところに荷物を置かせてもらった。車内はけっこう混んでいた。途中駅から学生がぞろぞろと乗ってきて、一部のジベタ族が乗降扉の前にベッタリ座るという非常に「愚かな醜態」をさらしていたので運転手がキレるというひとまくもあった。
 美祢線はダイヤ上は田舎路線だが、主要幹線の扱いである。だからといって路盤がしっかりしているかといえばそうではなく、所々に「制限15km/h」とかいう標識があり、30mほどの制限区間を走るために80km/hあたりから一気に減速したりすることがあった。運転士さんもたいへんである。

キハ120系美祢線
キハ120系身美祢線色

 田舎路線で前方噛り付きを行うと、都会では見ることのない信号があったりして面白い。信号歓呼標を通過するごとに「第○閉塞進行!」。駅に近づくと「遠方進行!」と歓呼する。歓呼標に閉塞番号または遠方信号の印が書かれている。首都圏ではあまり見ない。
 約1時間で長門市に着いた。ここで山陰本線の普通列車の到着を待ってから、終点・仙崎に向かって出発する。長門市〜仙崎はわずか2キロほどの短い路線。駅は終点の仙崎のみである。美祢線の列車が直通するが山陰本線の路線である。
 終点・仙崎は昨年(2001年)に話題になった童謡詩人「金子みすゞ」の生誕の地であります。「金子みすゞ」の詩は最近、小学校の教科書に使われているらしいです。「大漁」や「星とタンポポ」などの作品を残しながら26歳の若さで命を落としたしまいました。駅前にはみすず通りが続いていました。これといって賑やかな通りではなく、昔ながらの町並みが並んでいました。所々に観光客がちらほらいて、写真撮影をしていました。通りをまっすぐ行って、しばらくしてから左に曲がると目の前は日本海。あいにく、あまりいい天気ではなかったのですが、綺麗な海がそこにありました。
 海に沿って南に向かってテクテク歩き、仙崎駅を通り越してさらに歩くとあっという間に長門市駅へ次の美祢線にはまだ1時間近くの時間があるので、駅周辺をブラブラした。駅南の公道から駅構内を眺めると、広島色のキハ48がエンジン音を唸らせて発車。もちろん山陰本線の列車である。駅の近くに金子みすゞの記念館のような物があるらしいとの情報を入手したので、探してみたが見つからなかった。
 駅に戻って「仙崎蒲鉾」を買って列車に乗り、厚狭へ。厚狭から415系の普通列車に乗って小倉へ向かった。先頭車に乗っていて、途中、下関で前に列車を連結する際に「ガシャン」という音と共に車体が大きく揺れ、頭をぶつけてしまった。
 小倉に到着すると列車を降りて改札を出て、駅のコンビニに行って平田裕香さんの表紙の「ヤングアニマル」を購入。その後駅前の見事さに驚きながら宿探しをはじめた。目に付いたのはイタリアの国旗のビジネスホテル。今日はそこに泊まることにした。チェックインしてから一度外に出て、小倉駅に向かい、新幹線ホームに上がって写真を撮り、すぐに在来線ホームに下りて今度は世にも珍しい?立ち食いラーメンを食べた。食べ終わると門司港に向かった。

小倉駅
JR小倉駅

 門司港駅は関門連絡船で本州と九州を結んだ九州の鉄道の原点。駅にはその名残が残っていた。駅はなんともレトロモダンな洋風建築であった。駅の近くにはすぐ港が見えたが、あいにく日が暮れてしまい、下関の町の光が美しく光っていた。
 門司港駅に戻って小倉に戻ろうと日豊本線の列車に乗った。小倉につくと買い物をしてホテルへ。ホテルでテレビをつけると、専用のカードを買わなければ見れないはずのアダルトチャンネルがついたのでビックリ。が、30秒程で消えたのでメデタシメデタシ。相変わらず清美ちゃんニュースが延々と放送されていた。

 朝、目がさめてカーテンの隙間から外を見ると物凄い風が吹いている。1階のお店で朝食を摂っていると、外をいろんな物が飛んでいった。荷物をまとめてホテルを出て、新幹線の切符を買って新幹線ホームへ。どの列車に乗ろうかと写真を撮りながら考えていると、放送で、「博多行きひかり号の指定席は、空いている席に限って自由席券で乗車可。」との内容を言っているのに気付き、早速JR西日本ご自慢の「ひかりレールスター」のサルーンシート、しかもその中のオフィスシートを使った。さすが最新車両!乗り心地は抜群だ!などと分りもしないくせに妙に感心して博多までの乗車を楽しんだ。
 博多に着くとどこへ行くべきか。浪人=受験=大宰府天満宮という単純な図式が頭の中に浮かび、大宰府天満宮に行くことにした。どうやって行けば良いのかサッパリ分らなかったので、とりあえず本屋で地図を物色して場所を調べた。その結果、西日本鉄道に乗れば良いという結論に達し、福岡地下鉄で天神に向かった。
 福岡地下鉄のホームに降りると、反対側のホームにJR九州の直流電車303系が到着。そして私が乗る列車が到着。車両は首都圏でもお馴染みの103系だが、首都圏や大阪圏で見かける103系とはまったく別モノの顔をしている。

九州103系
JR九州の103系

 たった二駅で天神に到着。ここから西日本鉄道に乗り換え。切符売り場にて大宰府の往復切符を売っていたのを見つけ、その切符を買ってホームに入った。普通列車の車両を見るとやけに縦長な感じがした。私は発車間際の特急に駆け込んだ。車両はクロスシートが大半を占め、いかにも特急らしい。私は車端部のロングシートに座った。しばらくすると乗り換えの二日市に到着。太宰府方面の列車に乗り換えた。発車間際に運転士と添乗するひとが運転室に入った。先頭で前方を見ていると途中で停車。添乗していた係員が線路に下りていった。前を良く見ると、電車に轢かれたのか可哀想に「ネコ」らしき死体が横たわっていた。そのまま列車は発車して死体の上を通過。ダイヤ優先ということか。
 大宰府に着いた。ここから大宰府天満宮に歩いて数分。境内に入ると今年は菅原道真公が天神様になってからちょうど一千百年目とのことで「一千百年大祭」が本日3月23日からはじまっていた。いろいろな催しが奉納として行われるらしく、私が着いた時間は、地元?の精華女子高校のマーチングバンドが演奏を行っていた。しかし生徒より先生の方が目立っていたような……。見終わると天満宮の中を歩き回り、お守りを買ってお賽銭をいれて……。

大宰府駅
西日本鉄道大宰府駅


演奏中
精華女子高校のマーチングバンド演奏の様子


 今年の桜は早咲きであった。ここ大宰府天満宮でも桜は満開。お池の周りにたくさん咲いていた。そのお池の反対側に食堂がありそこにはいって昼食。窓から外を見ると大道芸をやっている人が数名。よく見るとあれは正しく「ナンキンタマスダレ」であった。
 私は食堂の池とは反対側の席に正座して食事を食べていると、3mほどはなれた出入口をガキンチョがバタバタと走って出て行った。親を追いかけていったと思いきや、池側の席で桜を見ながら食事をしている人々の中からその子の母親が現れた。親が目を離した隙にいなくなる子供はよくいるものだ。食事を終えて外に出ると母親がまだ子供を捜していた。私は近くをぐるりとまわってみたが、見つからなかった。というのもまわっている間に見つかっていたからである。

 帰りの新幹線まであと2時間半。大宰府を後にし、博多に向かった。博多で明太子を物色し、二つ購入。新幹線ホームに上がり、帰りの新幹線「のぞみ26号」の到着を待った。
 「のぞみ26号」は500系。時速300km/hでの営業運転を行う世界最速タイの列車である。待つこと30分。博多総合車両所より「のぞみ26号 東京行き」が到着した。

JR500系のぞみ
のぞみ26号の500系

 さっさと席につき、車内での暇潰し道具をテーブルに置き、車内を見てまわって帰ってくると隣の席の乗客がいた。大人びた中学生か高校生ぐらいのメガネ君だった。いっちょまえに彼女らしき女性と別れを惜しんでいるようだった。クサイセリフが行き来しているので発車するまで席には戻らず車内を見てまわった。
 博多を発車し、一路東京へ。小倉・広島と停車し、東広島を通過する直前に「ただ今時速300km/hで運転している。」という内容らしき放送が流れた。ボソボソとしたパッとしない声だった。岡山・新神戸・新大阪・京都・名古屋と停車し、小田原を通過して頃に放送が入り、「ただ今小田原付近を通過しています。間もなく新横浜です。」と。「オイオイ、新横浜到着まであと15分あるぞ」とツッコミを入れたくなるような放送だった。新横浜に到着するともたくさんの人が降りていった。新横浜を発車しプリンスホテルの脇をすり抜けてトンネルに入り、三つ目のトンネルを抜け、右に曲がって多摩川を渡り、横須賀線と品川まで併走して八ッ山橋の下をくぐり、新幹線品川駅の工事現場を通過して大井の回送線と田町で合流。そのまま東海道線と併走して東京に到着。15番線におりると14番線からJR西日本の300系が発車していった。
 東京からは京浜東北線・京浜急行・横浜市営地下鉄を乗り継いで帰宅。ここから長い1年が始まる……。

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