青春18切符の旅 高校編

  1. 快速ムーンライトながら
  2. 東海道本線 名阪編
  3. 大阪珍道中
  4. 台風からの逃避
  5. ギョロ失踪事件
  6. 長崎は今日も
  7. メールの気配がギュンギュンします!
  8. いなかの旅路
  9. 目玉の親父
  10. ジョンイル失踪事件
  11. 東海道本線 東名(家路)編

 この話を持ちかけたのはK君(以下コッシー)でした。夏は旅費が貯まらなかったので18切符でどこかへ行こう。ということで友人のS君(以下ジュール)とN君(以下ジョンイル)を道ずれに4人で計画を立てました。が実際は私とコッシーが決めたようなものでした。この計画に私の友人であるI君(以下ウッパ)とF君(以下トッティ)も加わって6人で行くことになりました。が、この話を友人のT君(以下こまち)に話したところ、彼の旅行計画とほぼ重なっていたので彼と彼の友人のO君(以下ギョロ)の8人での旅行になりました。それでは簡単なメンバー紹介をしましょう。

  1.   コッシー  この中で一番頭がいい?コッシーです。鼻の高さは天下一品です。
  2.   私      私、管理人です。この中で2番目に頭がいい? かなりの新幹線マニアです。
  3.   ジュール  このなかで一番ほのぼのした顔のジュールです。顔もジュールです。
  4.   ジョンイル この中でダントツに赤点男のジョンイルです。某国の書記長のそっくりサン?です。
  5.   ウッパ   京浜急行電鉄至上主義のウッパです。頭はいいけど意外に無知であります。
  6.   トッティ   このなかで一番モテそうな美男子?のトッティです。運動神経も抜群です。鉄道は苦手?
  7.   こまち   このなかで一番マニアな男です。男ですけどこまちです。軟体&雑学キングです。
  8.   ギョロ   彼の顔はとても個性的であります。ギョロです。謎に包まれております。


快速ムーンライトながら

 最初の乗車は18きっぷの旅では欠かせない「ムーンライトながら」であります。今回は8人東京に集合する。乗車券は私とウッパがあらかじめ買っておいた。場所は9号車のセミコンパートメントを8人で独占しておきました。私が東京に向かっているとトッティからメールが届いた。どうやら一番乗りはジョンイルらしい。さすがだ…。
 私は東京に到着したら二人に合流し、残りの五人を待った。すると間もなくジュールが到着し、残り四人。こまちとギョロは旅行の一部の日程が重なっただけなので現在こちらに向かっているはずだ。残りのウッパとコッシーが来ない。なかなか来ないのでホームを走り回ってみると上野よりの端のほうに二人は居た。間もなく残りの二人到着して作っておいた行程表を配り全員の電話番号を交換した。

 青春18きっぷは深夜12時を過ぎると無効になってしまう。これから旅行をするのだから深夜12時を過ぎた時刻に到着する駅、すなわち「横浜駅」まで切符を各自買っておくようにと連絡をしておいた。この中で一番鉄道に詳しくないトッティも「横浜高校の居る場所(=甲子園)まで買ってはいかが?」とボケをかましながらしっかりと買っていた。しかし、この八人の中に横浜までの切符を買っていないおバカが一人…。それはジョンイル!! さすが赤点男!人の話をまったく聴いていなかったようであります。「早く買ってこいよ。」「おう。」と買いに行かせた。18きっぷをまとめて管理していてよかった。

 快速ムーンライトながらが東京駅10番線に入線。早速乗り込んで座席に座る。混雑するうえ八人いるので席は私が決めた。決め方は簡単で、学校のクラスで分けた。丁度4人ずつ居たので進行方向右と左にクラス分けをしてあとは勝手に座れと。そしてみんなが荷物を置き終わったら外に出て記念撮影。今回は私が三脚を持参していたので暗い場所でも簡単に撮影できた。なぜかトッティはホームに正座していた。列車は定刻に東京を発車し、我々はトランプで「大貧民」を開始しました。運の悪すぎる私はたいてい貧民か大貧民であります。あまりに運が悪いので恐れ多くも大富豪に渡すカードが大富豪にもらうカードより弱いという事態が乱発し、「死なば諸共」と平民以上の人々の足を引っ張ることが私の仕事であります。下の図のような配置で通路をトランプが行き来していました。

座席配置
(進行方向↑)
ジュール コッシー 通路 ウッパ トッティ
テーブル テーブル
ジョンイル ギョロ こまち
  

 列車は横浜に到着。ここから青春18きっぷの使用開始となる。列車が発車した時点できっぷは配っておいたので検札は問題なし。セミコンパートメントを独占しているので周りにほかの乗客が居るわけでもなく、かなりうるさかったのではないかと思う。しばらくして私を含む進行方向右側のグループは大貧民をやめた。右のグループはまだ続いていた。ジョンイルが「馬鹿野郎〜!」「ふざけるな〜!」と一人で怒って?いた。おまけにジュールやコッシーを蹴ったりするS男ぶりを遺憾なく発揮していた。さすがジョンイル……。

 しばらくするともう寝ようということになり、静かになった。「なかなか眠れない。」と言っていたこまちがリュックからタオルケットを取り出して熟睡体制。ウッパはテーブルの上に突っ伏して上着を頭の上まで被せてまるで「座敷わらし」。私は案の定寝付くことが出来ないので音楽を聴きながらリラックスしていた。列車はもう富士に着いていた。富士を発車すると私もようやく寝付くことが出来、静岡まで眠った。静岡を発車するとまた眠り、浜松まで寝ていた。
 浜松に到着するとトッティやウッパは起きた。「眠れない」はずのこまちは超軟体をフルに発揮してわけの分らない格好をして熟睡していた。普通の人ではとても眠れない格好だが、彼にとってはフツーの体制なのかも知れない。私は浜松で下車し外の空気を吸う。やはり夜の空気は冷たくて気持ちがいい。 隣のホームを深夜の高速貨物列車が通過してゆく。牽引している機関車は昼間はめったに見ないEF200、出力で見れば日本最強の機関車である。コンテナを積んだコキを何両も引っ張ってゆく。席に戻ると私の場所がこまちに占領されていた。こまちは世にも奇妙な格好で二人分の座席を独占し完全熟睡体制である。何とか起こして席に座ると反対側のホームには寝台特急「サンライズ」が到着。運転停車でドアは開かず、しばらく停車した後に発車していった。こちらも浜松を発車。
 豊橋に到着。ウッパは外に出て行った。私も出たかったが隣のこまちが奇妙奇天烈な体制で寝ていて外に出られず。カメラだけウッパに預けて臨時大垣夜行の写真を撮ってきてもらった。豊橋を発車するとトッティも起きだした。私は時折すれ違う高速コンテナ列車を見ながら、コキにコンテナが乗っていないと「赤字、赤字、赤字……。」というと何故かウケた。ノリのいいトッティはすぐに赤字コールを真似だした。走行している間に、夜が明け、綺麗な朝日が顔を出してきた。私達は岡崎で降りることにしていたので、いそいそと荷物をまとめる。左側のグループも起こして荷をまとめる。が、約1名起こしても微動だりしない人が……。もちろんこまちである。こまちを起こすには数分かかった。何とか岡崎までには起きたものの、浜松で起こしたことはまったく記憶に無いらしい。

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東海道本線 名阪編

 ここ岡崎は戦国時代、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元軍を蹴散らした後に、今川家から解放された徳川家康が三河の国を治めた岡崎城がある。徳川家康はその後、南下してきた武田信玄に三方ヶ原の戦いで敗れたが、この敗戦を転機に実力をつけ、1603年、江戸幕府を開き天下を取ったのである。そんなこととは知ってか知らずか私たちは岡崎始発の普通列車に乗った。この列車は地域密着型のさきがけとなった117系である。二扉転換シートの4両編成である。私が前回乗ったのは異様な臭いがしたが、今回はまったく問題が無かった。この列車で一挙に米原まで向かう。私は岡崎を出発するとすぐに寝てしまって気が付いたら大垣であった。大垣と言えば「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」と奥の細道で芭蕉が弟子の曾良と別れるときに詠んだ歌が有名である。しかーし!ながらであまり眠れていなかった私はここぞとばかりに熟睡。気が付けばもうすぐ米原でした。

 米原では朝食を取る。と言ってもこんな朝は立ち食いそばくらいしかやっているお店が無いのでそこで食べた。食べ終わるとホームに下りて新快速を待つ。221系が目の前を発車。次に来るのが私たちが乗る新快速である。223系がホームに滑り込んできた。全員荷物を置いたがコッシーとウッパとこまちは先頭噛り付き。こまちにいたっては紙と鉛筆を取り出して発車・通過時刻を秒単位でメモしている。彼は東海道本線の駅を全て暗記しているので発車する前に紙が駅名でびっしり。あとは発車・通過時刻を書き込むだけ。私はトッティと話が弾む。彼にとって130km/hの運転は珍しいものだったかもしれません。列車は彦根に到着。彦根といえば井伊直弼。嘉門達夫がしょうもない歌を歌っていた。い〜直弼……。
 気が付くと山科です。また寝ていました。ウッパいわく「寝すぎだよ!」だと。次の京都で降りるので降りる準備をいそいでする。

 京都で下車。さて、どこに行こうかという話になった。 こまちが言った。「桂に行こう!」 そう、このころローソンのCMで


「ロースとんかつ弁当390円! カツだ〜! でもここは桂〜!」
桂三枝 : 「いらしゃ〜い! 桂〜!」


などというCMが放送されていたからそういうことになったのだろう。まず山陰本線で嵯峨嵐山に行き、そこから阪急嵐山線に乗り換えるという事になった。

 山陰本線のホームに向かうとちょうど列車が発車するところだった。急いで乗り込んで嵯峨嵐山に向かう。途中太秦や嵐山を通る。これらは嘉門達夫の「修学旅行行進曲」に登場するので楽しく歌いながら旅行だ〜。と、あっという間に嵯峨嵐山に到着。ここで下車するわけだが少し問題が発生した。こまちとギョロが口喧嘩をはじめた。まあその場は治まったものの、このことでのちに事件が起こる。
 嵯峨嵐山で下車して少し歩くと桂川。とても綺麗な川に大きな橋がかかっております。橋を渡ってさらに歩くと嵐山駅。もうこまちとギョロはまったく口をきかなくなっていた。阪急嵐山線に乗るがギョロは同じ列車には乗らなかった。

 桂に到着。「ここは桂〜。」「ここは桂〜。」「いらっしゃ〜い!」とみんなでCMの真似などして時間をつぶしていた。しばらくするとギョロが到着。河原町に向かった。まだ喧嘩は治まっていないようだった。

桂駅
カツだ〜!   かつら〜!


 地上に出てバスの一日乗車券の販売機を発見。早速買おうと思ったが500円玉が入らん。ここは八人の連携プレーで乗り切り京都駅へ。京都でちょうど昼時になったので昼食を取ろうということになったが、何故かトッティとウッパが京都駅ビルの階段を走り出した。この二人とコッシーは体育系の部活なのでかなり早く上がっていく。私は他の七人より荷物が多い(カメラ2基とレンズと三脚を持っていた)ので5位。かなり疲れた。最上階でウッパとジョンイルはダウン。私とコッシーは京都に発着する新幹線を眺めていた。私は高所恐怖症なので少し腰がひけていた。

 暫くして駅ビル内を移動し、右往左往と迷いながら歩いたが、結局大したものは食べずに終わった。地下のコインロッカーに大きな荷物を集めて入れておき、京都見物に出発。最初に三十三間堂に向かった。

 三十三間堂は国宝です。正式名称を蓮華王院といい、千手観音を信仰する道場であったとの事。三十三間というのは御堂の柱の間数で、南北125mの間に間数が三十三あることからきています。創建は1164年、院政が衰えていたころの上皇である後白河上皇が創建。約80年後に一度焼失したが1266年に後嵯峨上皇が再建し、桃山時代に南大門と太閤塀、昭和に入ると仏像と諸建築の大修理と東大門、回廊塀、地泉および築地塀が作られ現在に至っています。中には中尊千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩)を中心にたくさんの千手観音像があります。

 私たちは庭園で記念撮影をしてから清水寺へ。清水の舞台から突き落とす。とばかりに覗き込むジョンイルをポンとたたいたりして(良い子は真似しないでくださいね)あそぶ。トッティはモテるから観光に来た女性から「シャッター押してくださーい。」攻勢を受けていた。舞台の下にある三つの滝。どれを飲むか迷うところだが、訊いた話によるとあの水は淀んだ琵琶湖から来てるという。まあ飲みすぎなければ大丈夫だと思うけど。
 みんな水を飲み終わったら夜は立ち入り禁止になっている荒れた道を歩いて寺の入り口に戻った。バス停に戻る途中の京扇を買いバスに乗り京都駅へ。京都駅のロッカーで荷物を取り出していざ大阪へ出発!
 乗った列車は東京では見ないスカイブルーの201系。車内ではみんな寝ていた。

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大阪珍道中

 大阪に到着。そろそろ夕飯時なのでウッパが安い回転寿司屋に行こうと言い出した。寿司屋は道頓堀の方にあるらしく、地下鉄で移動。目的の寿司屋は狭く、私達の荷物はかなり邪魔になった。店の奥のほうに八人で座り回ってくる寿司を取って食べる。ジョンイルは何故かマグロの赤身ばかり注文。しかもさび抜きで。店員との赤点トークが笑えた。

「すいません。赤身ください。」
「赤貝?」
「赤身です。」
「赤貝?」
「いえ赤身です。」
「赤貝ですね。」
「違います。マグロの赤身!」
「マグロですね。」

 私はわさびが無いと駄目なので回ってきたのを取って普通に取って食べていたが、わさびがあまり効かなかったので物足りなさを感じていたらなんとわさびの入った入れ物が回ってきたのですかさずゲットした。トッティが「すばらしいものを手に入れましたね。」と。ウッパとこまちは大食い競争を始めて十数皿積み上げていた。私は寿司は素手で食べるものと考えているので、一人手がバリバリになり帰り間際に手を洗っていかなければ。

 寿司屋を出ると道頓堀から難波方面に向かい歩いていった。JR難波に着くと103系がお出迎え。みんなで今宮に行き、夜の列車撮影大会。ウッパの狙いは103系更新車。が、なかなか来ない。少し待つと国鉄色の381系が到着しなんだか得した気分であった。ウッパは諦めて大阪に行こうと言い出したので大阪駅に向かう電車に乗った。この電車こそ103系更新車であったが、ウッパは全く気付いていなかった。乗車してから暫くしてやっと気付いた。時刻表を眺めてこまちと話をする。「特急はまかぜが1番線にいるはず。見れるかな?」「見れるでしょ。」と。大阪ドームを眺めながら列車は大阪に向かっていく。大阪駅環状線外回りホームに列車が到着すると正反対の11番線ホームに特急はまかぜが停車していた。私は列車を降りると11番線までダッシュ!今回ばかりは一着である。特急はまかぜはキハ181系で運行される。車両は京都総合車両所の塗装に塗り替えられており、国鉄色は定期列車では使用しない。この日の先頭車は今年の山陰高速化により後藤総合車両所から転属したキハ181−45。後藤に居たときから塗装変更されており、はまかぜ色でいそかぜの運用につき、鳥取から九州は小倉まで走っていた車両である。私が写真をとり終えるとすぐに列車は闇の中へ消えていった。DML30HSCエンジンは健在であった。

キハ181系はまかぜ
キハ181系ディーゼルカーはまかぜ色


 こまちとギョロとは京都か大阪で別れる予定であった。そもそもムーンライトながらがいっしょだっただけのはずだったが、なんと次に乗るムーンライト九州まで一緒であった。座席は全く違う場所だが。
 列車を待つ間、私達は11番線で時間をつぶした。荷物をかわりばんこに見張りながら買出しをした。途中、サンダーバードや旧交ちくま、スーパーはくとなどが大阪駅に発着していた。

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台風からの逃避

 ムーンライト九州は京都始発。大阪駅3番線到着。博多行きの14系特急客車六両編成で本州内はEF65が牽引する。客車はシュプール用で後ろは展望席になっている。座席は急行だいせんと同じでリクライニング角度が深い。列車が到着するとこまち達は別の席へ。私達は席をくじ引きで決めて座った。この日は中国・近畿地方に超大型の台風が接近していた。コッシーやジュールは「列車が止まりそう。」と心配していたが、私は「逃げ切る!」と自信たっぷりに言った。もっとも逃げるのは私達ではなく列車のほうだが……。列車は定刻に発車。機関車が牽引するので発車するときにガシャ!ガシャ!ガシャ!と音がする。これは連結器の隙間が引っ張られて埋まるときに起こる音で、こうする事により全車両をいっぺんに引っ張らず、各車両に時間差をおいて引っ張ることが出来、そのため衝撃が起こるもののスムーズな加速が出来るのである。
 次の駅から列車は少し遅れが出始めた。別に大した事は無かったが少し不安が起こった。暫くするとこまちがこちらへ来た。どうやらギョロとの喧嘩がまだ続いているらしい。そのときは席に戻っていったが先が思いやられる。周りを見るとコッシーがカーテンを頭に被るという謎の行動、をしていた。外を見ているだけだったらしいが……。
 列車は姫路に到着。まだ午前0時にはなっていなかったがみんな疲れているのか寝ていた。ふと外を見ると寝台特急あさかぜが到着。東京に朝早く着くのでこんな時間にもう姫路に着くようだ。ホームにはなんか踊っている謎の人物がいたがあさかぜが発車すると同時にいなくなった。

 列車は台風の影響も無く、順調に走っていた。どこで寝付いたかは分らない。始めに気がついたのは糸崎、次は海田市、その次は小郡であった。もうすぐ厚狭に着く。「厚狭に朝着く。」などというくだらないギャグをこまちが言っていたがそのとおりである。私は当初、厚狭で皆と別れて単独行動をして新幹線で追っかける予定だったが、台風の接近で新幹線が怪しくなったので旅行の二日前に新幹線の切符を払い戻しをした。厚狭に朝到着。次は下関。下関には機関車の交換というマニアにとって見逃せないイベントがあるのでカメラの準備をしておいた。
 下関に到着。到着前にウッパ、ジュール、ジョンイルを起こして機関車分離の現場へ。京都からはるばる下関まで牽引してきたEF65が離れていき、暫くすると関門トンネル専用の電気機関車EF81の400番台がやってきた。その横をJR貨物の所有であるステンレス車体のEF81の300番台が通過していった。連結作業が完了し、列車は九州に向けて発車。ここで車内にいたトッティに彼の友人からメールが届く。どうやら少し前からやり取りをしていたようだが、その内容がすさまじかった。「本州の端の下関に居ます。」との内容のメールを送ったら、返ってきたメールには一言、「本州って何?」と。彼は丁寧な説明を返した。発車してすぐに関門トンネルに入り、数分で門司駅に到着。この機関車の役目はここまでである。ここで再び機関車を切り離し、九州専用の機関車ED76を連結。博多までこの機関車が牽引します。列車に乗り込んで気付くと空いた席でこまちが寝ている。どうやら私が寝ている間に喧嘩してこちらに来たのだろう。

ED76
九州区間専用の交流機関車ED76


 九州内は交流区間。首都圏では見ない機関車や電車がワンサカ走っている。JR九州のオリジナル車両が多いから当然だが。途中の駅で対向列車待ちで数分停車。ふと外を見ると線路脇に生えている草が不自然にゆれている。なんだろうと思ったが、どうやらこの車両の床下にある発電用のエンジンから出る風かなんかがあたっているようだった。

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ギョロ失踪事件

 列車が博多に到着。隣のホームで四国からやってきたキハ185系が到着。無事にギョロもいた。とりあえず全員鳥栖で降りることを確認した。ここからは普通列車に乗って鳥栖に向かう。JR九州の主力電車813系に乗車し、例のごとくウッパとコッシーが前面噛り付き。私達も最前頭部にいたが、ギョロは違う車両に乗った。もっともこまちと一緒にすると殴り合いになりそうだったのでしょうもなかったが。ウッパは録音再生MDウォークマンを取り出しインバータと電動機が発生させる音及び車内放送を録音し始めた。しかしこのインバーター音はどこかで聞いたことがある。そう、京浜東北線に使われている209系の試作編成それと同じ音だった。もちろんウッパも気付いていた。列車はどんどん南下。通勤時間帯なので車内もホームもかなり混雑しているなるべく場所を取らないように荷物を一箇所にまとめて乗車しながら前方を見ていた。九州のオリジナルの特急列車や在来線電車とすれ違いながら順調に駅を進め、あっという間に鳥栖に到着した。先頭車両にいた七人はもちろん全員降りたが、一人違う車両に乗ったギョロは降りてこなかった。暫くホームを探したが、どうやら本当に降りていないようであった。切符は渡してあるので大丈夫だと思うが。
 鳥栖で長崎方面の列車に乗り換える。これから乗る列車は常磐線でおなじみの415系。九州用なので車体上部に青いキャラクターラインが追加されている。博多から乗ってきて、国鉄が製造した電車を見るのははじめてであるこの列車は多良行きで、私達の向かう長崎方面に向かうが、計画では大村線に乗ることにしていたので肥前山口で乗換えとなる。
 列車は鳥栖を発車。暫く走って三つ目の駅、「吉野ヶ里公園」に到着。窓から遠くに吉野ケ里遺跡らしきものが見える。吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国のあったと推定される場所だがはっきりとは解明されていない。一説には近畿という説がある。私は近畿説が正解と考えている。なぜなら昔読んだ資料に中国の文献の話が載っていて、それによると、邪馬台国は九州に上陸した後、南に数日と言う記述があり、吉野ヶ里の場所と一致しない。しかも当時の南と言うのは現在の東を示しており、近畿地方はちょうど記述と一致した場所にある。というのである。実際にそんな文献を読んだ訳ではないが(中国語など読めないし)それを鵜呑みにしております。そんなことはこのページとは関係ないですが、とにかく吉野ヶ里と言う大集落がこの地にあったと言う証拠なのであります。吉野ヶ里公園を発車して時折車窓から見える田圃は青々としてとても綺麗だった。風になびく姿は非常に綺麗で思わず写真を撮ってしまった。

 肥前山口に到着し、私達は下車。ここから佐世保線の普通列車に乗り換える。この列車は813系で博多から乗ったものと同じである。今度は空いているので先頭車両の席を確保。先ほどは国鉄車両だったので前が見難かったが今度は容易なため、今までのウサ晴らし?にウッパとコッシーが噛り付き開始。ついでにジョンイルとジュールも加わって総勢4人が二枚の窓に張り付いている。私とトッティはその後ろの席を向かい合わせにして座り、こまちは私の隣で毛布を取り出して熟睡体制。というか完全に寝ていた。
 武雄温泉駅に着いた。ここで対向の特急列車を待ち合わせする。ホームに下りて待っていると「ハイパーサルーン」の783系が通過していった。再び列車に乗り込み佐世保へ。
 早岐(はいき)駅に着いた。駅の手前で廃車になったと思われる「赤いかもめ」485系が留っていた。JR九州では国鉄型はもう過去のものになりつつあるようである。この駅から大村線に乗ることが出来るが、乗り換えの間合い時間を利用して佐世保に行くことにした。
 早岐駅を出発すると乗客の人数はかなり減っていた。佐世保まではあと少し、こまちを起こすのは一苦労である。列車は佐世保に到着。高架のホームであった。隣に元ゆふいんの森であった特急「シーボルト」が停車していた。下に下りて正反対のホームに停車している快速シーサイドライナーに乗って今来た路線を引き返す。快速シーサイドライナーは青い気動車で運行される。と思ったが、乗る列車の先頭車は九州色のキハ47系。かなり詐欺的運用であった。最後尾の車両が青いキハ58。中央が九州色のキハ28でかなりハズレ列車。青い車両は座席のグレードが高く満席。中央の車両も急行型なのでやや座席が良くほぼ満席。先頭の車両は冷房こそ取り付けられているものの、しょせんは普通列車用。大した車内設備は無く、フツーのクロスシート。当然ガラガラである。私の座ったところにの上には冷房装置が取り付けられていた。が、そこから水が漏れてきてしばらくすると座席がびしょびしょに……。最悪〜。
 早岐に戻ってきた。ここから大村線に入る。早岐駅を出発してしばらく、車窓左手にはハウステンボスが広がってきた。さすがに西洋風の建物がたくさん立ち並び、そこだけ別世界であった。さらに列車は南下し、車窓右手には大村湾が広がる。本来なら青い海が広がるはずだが突然雨が降り出し白っぽい海しか見えなかった。眺めてもしょうがないので寝てしまい、起きた所は現川(うつつがわ)。長崎まであと二つ。

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長崎は今日も

 ♪あなた一人に〜 賭けた恋〜  (中略)  さがし〜さがしもとめて〜 ひとり〜ひとり彷徨えば〜 行けど切ない石畳 嗚呼〜 長崎は〜 今日も 雨だった〜♪ (長崎は今日も雨だった 内山田洋とクールファイブ)

白いかもめ
白いかもめ
寝台特急さくら
寝台特急さくら
 
 長崎に到着。到着すると反対側のホームに白いかもめが到着。さらに東京からの寝台特急「さくら」が到着。賑やかなホームになった。今日長崎発の寝台特急「さくら」は台風の影響で運休だそうだ。
駅を出ると前川清の「長崎は今日も雨だった」がエンドレスで流れていた。ちょうど昼時なので昼食を取ろうということになり何を食べようか……。長崎=ちゃんぽん ということで即効決定。こまちはここまで一緒に来るはずではなかったので駅前のカプセルホテルに宿泊手続きをしにいった。帰ってきたらちゃんぽんの食べられる店を探した。と、駅の裏側にこじんまりとしたお店を発見。中に入ると長崎駅の駅員さんが数人と一般の人が数人。ぞろぞろ7人の団体は歓迎された。もちろんちゃんぽんを注文。テレビでは台風情報。三重県や和歌山県は大変なことになっているようだった。ジョンイルは水ばっか飲んでいた。水をおかわりするとお店のおばあちゃんがバケツのような入れ物に水をたくさん入れてくれた。ジョンイルは使い方が分らないようでおどおどしていると、おばあちゃんはおぼんにコップを乗せてからバケツを傾け豪快に注いだ。見ていると面白かった。とってもいいおばあちゃんだった。ちゃんぽんも「おいし〜!」
 店を出て今日宿泊するホテルに向かう。その名は「長崎グランドホテル」。おい!学生の分際でグランドホテルかよ!という感じですが、これは宿泊手配を担当したウッパさんが私が「早く予約して」という忠告を聞かなかった?ため、普通のシティホテルが満室になってしまったため、やむを得なくグランドホテルになったわけです。二人部屋を三室とり、振り分けを行う。組み合わせは「ウッパと私」「コッシーとジュール」「トッティとジョンイル」という組み合わせになった。前者二組はともかく、トッティとジョンイルはお互い顔を知っている程度の関係だったので、妙な組み合わせ?になった。各部屋に別れて荷物を置くと私達の部屋にトッティが飛び込んできておもむろにテレビをつけてチャンネルを回す。ある所でとめた。放映されているのは「サンダーバード」。これを知らせたかったのか。ウッパ爆笑。荷物をおいてホテルを出発。長崎と言えば平和記念公園。早速向かった。路面電車に乗り込みトコトコ走っていくといろんな電車を見かける。これが路面電車というものだ。浦上方面に向かっ電車は走り、平和記念公園へ。

 1945年8月6日、午前8時09分広島上空を飛行中の米軍B29型爆撃機「エノラ・ゲイ」が原子爆弾を投下。爆弾はパラシュートを開きゆっくりと降下し、8時15分、広島上空500mで炸裂。爆風と熱線により20万人以上が死亡。それから三日後の9日、この長崎に原子爆弾「ファットマン」が投下された。この長崎の原爆は目標を少しずれたため、広島の半分程度の犠牲者だった。しかし、長崎は国際都市。キリスト教も普及していたため浦上聖堂をはじめとして長崎にいた外国人も被害を受けた。

爆心地
爆心地付近
左からジョンイル・トッティ・こまち
長崎平和公園入り口
左の爆心地付近から少し歩いたところにある平和公園の入り口
あの像
有名な平和の像です

 

 長崎平和公園は広島平和公園と同じような内容で資料館もある。当然資料館を見学した。こういうところで性格の違いが現れるのか?コッシーはやけに熱心に見ている。それに対してこまちやジョンイルは早々と見終えて最後のほうにあるベンチで休む。こまちに至っては寝ている。私はどちらかと言うと早々と見るほうである。ウッパとトッティ・ジュールが見終えてベンチにに戻ってきてからコッシーが来るまでえらく時間がかかった。そのせいかこまちの熟睡が進行し、起こすのがえらく大変だった。みんながそろったところでちょうど閉館の時間になり、外に出てまた路面電車に乗った。

 出島のほうに向かった。そろそろ夕飯時なのでたまたま見つけたそば屋に入った。私は何故かソーメンを頼み、食べていると何やら口の中に硬いものが……。どうやらステンレスたわしのかけらのようであった。まあ、たまにはこういうこともあるでしょうといい体験?をした。皆さんとっても満足していた。
 食事が終わると何故かカラオケに行こうということになり、カラオケに行った。中に入るとコッシーが「歌いたくない」といってどこかに行ってしまい、6人になってしまった。私はジョンイルと組んでアニメソングを歌いまくる。 トッティとこまちが組むとえらい事になった。こまちが「ちゅっ・夏パーティー」を歌いだすとトッティがサビの部分で「ヘイ!ヘイ!ヘヘヘイ!サマーパーティー!!」と叫びだした。かなり近所迷惑だったと思う。今度はトッティと私が嘉門達夫の小市民2を歌って爆笑。
 時間が来てカラオケ終了。受付に戻るとそこのイスにコッシーが座っていた。コッシーによれば「サマーパーティー」は受付の外まで聞こえたらしい。

 ホテルに戻った。テレビをつけると台風情報。そういえば家に電話をしていなかった。ホテルのロビーの電話からテレホンカードを使ってダイヤルしたが全くつながらない。何度やっても駄目なので仕方なく部屋に戻った。荷物を整理して台風情報を見ながらふとギョロのことを思い出した。まあ何とかやっているだろうけど。時間は午後11時近く。今度はPHSから家に電話してみた。つながった。全く大したことは無いようだった。安心して寝れる……。ウッパはもう寝ていた。

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メールの気配がギュンギュンします!

 午前五時、学校がある日なら起きる時間である。今日は八時半ごろに出発する予定だったのでまだ寝ていることが出来るはずだった。が、午前五時、突如私の眠りを妨げる者が現れた。そいつの正体はウッパが所有するJ-Phoneの携帯電話。目覚ましのアラームなのかどこぞの駅の発車ベルと思しきメロディーが大音量で流れ出した。この強烈なハーモニーは私の眠りを妨げるのに十分すぎるエナジーを秘めていたようで、私は飛び起きてしまった。しかし、最初は何が鳴っているのかわからず、とりあえず音の出るほうへ、するとウッパの携帯電話が極上のハーモニーを大音量でエンドレスに奏でまくっていた。しかも当の本人はそいつを耳元に持っていっても目覚めることは無かった。音の消し方が分らない私はとりあえずボタンを適当に押してみた。すると何とか音は止まった。しかし、あまりのうるささにすっかり目がさめてしまった私は二度寝することが全く出来ず、午前五時から起きている羽目になった。さらに、ヤツの携帯電話は私に新たな攻撃を仕掛けてきた。その攻撃とは、


「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」
「メールの気配がギュンギュンします!」

 やっかましぃ〜!!!!!!!!!!!!!!!

とヤツの携帯電話を布団に投げつけて部屋を出た。
 昨日の台風は関東を通過したが大したことは無かったらしい。私の地元横浜では「風も吹かなかった」とのこと。ホテルのロビーに下りると受付のホテルマンが「おはようございます。」と言ってくれた。ホテルマンってカッコえ〜。と感心しつつロビーに置いてあった新聞を取って読みふけった。大したことは全く起きていないので、あっという間に見終わり続いて外を少しブラブラして部屋に戻る。テレビをつけてさらに最新のニュースを見ながら時間をつぶした。その間にもあのヤカマシイ音声が時々鳴っていた。しばらくするとウッパも起きだした。出発の準備を整えつつコッシーとトッティの携帯電話に電話をかけ、起こす。コッシーの部屋は簡単に起こせたがトッティの部屋はなかなか起きなかった。オートロックなので外から入れず、いつまでたっても起きないので電話をかけまくった。ジョンイルの電話は留守電になっていたので妙なメッセージを何件も入れてやった。彼らが起きだす頃には、彼らの携帯電話の不在着信は私とウッパので占拠されていた。
 かなり遅くにホテルを出発。駅前でカプセルホテルに泊まっているこまちと待ち合わせることにした。しかしこちらも電話がつながらず、結局昼近くになってしまった。お土産を買ったり、駅近くのファミリーレストランで食事をしたりして時間を過ごした。こまちはここまで一緒に来る予定ではなかったので次に乗る快速ムーンライト九州の切符を持っていない。ついでに私達より一日前から旅行を開始しているので18きっぷの有効期限が私達より1日少ない。さあどうしようかと今後のルートのキップの値段を得意の暗算で計算し始め、いろんな組み合わせで試算して一番安い切符を探した。しかし、結局手持ちの金額では足りなかったので、私達とは姫路で別れることになった。

 昼頃の長崎発、鳥栖行きに乗車した。長崎本線を鳥栖まで乗り換え無しで行けるのでラクチン。単線区間なので時折対向列車の待ち合わせで駅や信号所に長く停車していた。信号所で対向列車を待ち合わせているとき、運転席後方から望遠レンズを使って対向列車を撮影してみた。

白いかもめすれ違い

 長崎本線は肥前がつく駅名が多い。肥前古賀、肥前長田、肥前大浦、肥前飯田から肥前七浦、肥前浜、肥前鹿島、肥前竜王、肥前白石、肥前山口と七つ連続続き、鳥栖の手前が肥前麗。あっという間に鳥栖に到着。ここから博多に向かって列車に乗る。

 博多に到着した。博多と言えばラーメンでしょう。とウッパとトッティが適当に進んでいく。あまりに適当なので駅の周りを一周しただけで終わった。博多駅の筑紫口から南のほうに少し歩いたところにラーメン屋があった。そこに入って曽木なラーメンを注文した。さらに全員が替え玉を……。
「替え玉パーティーだ!」で一同爆笑。
 食べ終わると各自自由行動にした。私は早速新幹線ホームに入って写真撮影。コッシーなんかも新幹線ホームにいた。さすがに夕方だったのであっという間に日が暮れて入線の撮影は不可能になり、在来線ホームに下りた。運良くゆふいんの森が止まっていたので撮影。デラックスな一般気動車キハ67系もいたので撮影……。とあっという間に集合時間に。

 集合場所に戻る。みなさん思い思いの行動をしていたようである。パ・リーグファンのトッティは福岡ダイエーグッズ(井口選手のストラップ)を買ってきた。さて、博多駅でムーンライト九州の到着を待つわけだがこまちは指定券が無い。本来なら乗れないはずであった。本人はどうにかすると言っているがその点が不安であった。と、トッティとウッパが酒を買ってきて飲み始めた。ホームで未成年が酒を飲むなどというなんともジジくさい行動を平気で出来る二人を少し軽蔑した。

 ムーンライト九州が到着し、私達は乗車。当然満席な訳だがこまちはどうするかというと、私の通路をはさんで隣の人がシートを向かい合わせにしていた。という事はシートの背面と背面が向き合っている場所があるということである。この列車は夜行のため、途中駅で人が入れ替わってシートを元に戻すということは明朝までは基本的に在り得ない。という事はその背面と背面の間に出来た隙間は朝までは存在するということになる。こまちはその隙間に持ち前の軟体を生かして潜り込み、さらに二つの背面テーブルに持っていたシーツを挟んでカーテンをつくり、立派な一人用C寝台の完成!横から見ればかなり目立つのに検札に来た車掌は気付かずす通りしていきました。分りやすいように図で説明しましょう。

こまち専用C寝台

 

 寝つきがかなり早かったらしい。門司と下関で例のごとく機関車交換作業を見てから気付いたらもう姫路近くまで来ていた。私達は姫路で降りてこまちと別れる。するとこまちが起きてきた。しかしこんなところでよく寝られるものだ。
 姫路に着いた。私達はこまちを残して下車。最後尾の車両だったのでこまちが貫通扉の窓から手を振っていた。ここでお別れ。

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いなかの旅路

 姫路からは相生方面にもどる。その方面に向かう列車を待っていると東京からの寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が到着した。列車は岡山で分離し、それぞれの目的地に向かう。車両は寝台専用電車で現在ある寝台列車の中で一番速い表定速度がある。さすがに客車は電車にはかなわないようだ。
 これから乗る列車は115系の岡山行き。首都圏では馴染みの車両だが、こちらの車両はJR西日本お気に入りのLEDタイプになっていた。列車に乗ってしばらく走ると上郡についた。上郡から第三セクターの智頭急行に乗る。コッシーとジュールは普通列車で、他は特急列車で行くことになっていた。切符を買いに行くと窓口はまだ閉まっていて買うことが出来ない。しょうがないから智頭で精算するればいいとコッシーとジュールを智頭急行の気動車「HOT3500」に乗せた。
 気動車が発車したら私たちは相生に逆戻り。相生でウッパ・トッティ・ジョンイルのオヤジトリオはどこかへ行ってしまった。私は当然ながら新幹線ホームに上がった。朝なので博多方面は順光になるが新大阪方面はとんでもない逆光になり、真っ黒な新幹線の写真が出来上がり〜。

逆光〜!!
一応ひかりレールスター
何じゃコリャ〜!!(ひかりレールスターです 汗)

そこそこのうちに時間が着たので下に下りて朝食代わりに駅そばの店に入るとオヤジトリオがいた。どうやら「マクドナルドを探していた」らしい。ここまで来てマクドナルドかよ!
 相生から再度岡山方面の列車に乗車。今度も115系だったが117系からの改造車であった。片側二扉。
 上郡に到着すると切符を買う。四人分を一枚の紙切れで発行。次に乗る列車は特急「スーパーはくと」1号。到着まで少し時間があるので待合室で待機。しかしここは列車が少ない。来るのは貨物列車ばかり。暇をつぶす私達の横をEF200-901がパワフルに通過していった。
 ウッパがコッシーに電話をしてみることになり、電話をしてみると間違い電話。全員同じ番号を連絡されていたので本人が番号を間違えているらしい。一方、ジュールはシティホンなので全くつながらない。何だかんだしているうちにスーパーはくとが轟音を響かせて上郡に到着。四人はくじ引きで席を決めて座った。
 スーパーはくとはディーゼル特急である。平成6年暮の智頭急行開業に合わせて製造された振り子式気動車で、形式は「HOT7000系」となっている。最高速度は130km/h、355馬力のエンジンを1両に2基搭載したハイパワーの気動車である。智頭急行線は1966年(昭和41年)から国鉄が工事を進めていたが、民営化直前に工事を中止。86年(昭和61年)に第三セクター智頭鉄道が発足し、高規格路線として建設を再開した。このため路線内は1線スルーで車両の性能を十分に発揮できる構造になっている。列車はぐんぐんスピードを上げて智頭急行線内を驀進していった。ウッパは振り子式特急に乗ることが初めてだったようで、車体が傾くごとに妙に感心していた。あっという間に智頭急行線内を通り抜け、JR因美線に入った。因美線は昔ながらのいなか路線で、タブレット閉塞こそ無くなったものの曲がりくねった規格の低い路線である。ここでは振り子機能が使えないのでかなりノロノロなってしまう。因幡社を通過して用瀬へ。鳥取県の用瀬といえば流し雛が有名である。かつては急行「砂丘」が停車した駅であったが現在は急行「砂丘」は特急「いなば」に格上げされ、用瀬は普通列車のみ停車する駅になっている。列車は郡家駅に到着。この夏の甲子園に鳥取代表として出場した八頭高校はこの駅の近くである。郡家を発車すると次は鳥取。鳥取駅は高架駅のため、上り坂をどんどん登っていく。降りる準備をするように全員に伝えようと後ろの座席を見ると事件が発生!!なんとジョンイルが目を開けたまま眠るという前代未聞の超人的大技を披露していた。

 鳥取に着くとコッシーとジョンイルが合流した。鳥取には1時間程度の待ち時間があるのでみんなで駅を出るとオヤジ組が駅前のマクドナルドへ。みんなで何か頼むが乗り気でない私はアップルパイを頼んだが出来上がりまで数分……。とっとと作れ〜!!やっと出来上がったアップルパイをほおばって終了。味気ない食事であった。

 私の知っている鳥取名物。それは駅前の地下道のエスカレーター。首都圏のエスカレーターと比べるとかなり遅く、首都圏の感覚で乗るとつんのめってしまう。みなさんあまり信じられなかったようだったのでそこに連れて行くとみなさん納得。本当にノロいので一度お試しあれ。

 あっという間に時間が過ぎ、駅に戻る。駅の中線には今年7月に登場した最新鋭気動車、「キハ187系」が停車していた。この気動車は450馬力の強力エンジンを1両につき2基搭載している超強力振り子式気動車である。そのため電車並の加速力があり、最高速度は120km/h。山陰の新しいエースである。残念ながら停まったままで動く気配はなかった。
 私達が次に乗るのは「快速鳥取ライナー」である。列車は国鉄の誇る急行型気動車「キハ58系列」である。この列車はキハ58+キハ28の編成で塗装は国鉄の急行色のまま。中には改造が施された車両もあるが今日のはあまり変化が無いものであった。列車は鳥取を発車するとすぐに進行方向右手に西鳥取車両支部がある。ここには鳥取を中心に使用されている気動車が停まっている。国鉄色のキハ181系「いなば」の姿もあった。私は鳥取大学前を過ぎたあたりから眠ってしまった。気がつくと「泊」駅。1文字なので駅名板が妙にでかく感じた。倉吉を過ぎると車窓右手に海が見えてくる。山陰の海はとても綺麗だと皆に伝えておいたが、まさにその通り綺麗に見えている。ウッパいわく「色がぜんぜん違う。」と。せっかく来たので泳ぎたかったが、この年の白兎海岸などの山陰の海岸には「サメ」がたくさん出没して遊泳禁止になっていたので泳ぐことは出来なかった。青い海を眺めながら列車は米子に到着。

西鳥取車両支部
西鳥取車両支部。右側に山陰に転属してきた「能登路」が

 米子は駅の南側に運転所があり、車庫内の車両を駅から一望できる。また、この駅の手前、「伯耆大山」から伯備線を通る電車のために本線及び運転所も電化されている。この駅から境線に乗換えが出来るが、この線の後藤駅にある後藤総合車両所には電車も出いるするため境線も一部電化されている。車庫内には今年のダイヤ改正で運用を失ったキハ181系気動車とキハ58系列気動車が留置されていた。

米子運転所
米子運転所を一望。右は本線の下り普通列車出雲市行き

キハ181系
運用を失い留置されたキハ181系たち

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目玉の親父

 ここ米子から境線に乗ることにした。境線の終点、境港駅のある境港は漫画家水木しげるの出身地。水木しげると言えば「ゲゲゲの鬼太郎」である。という訳で境線を走るキハ40系には鬼太郎をデザインした鬼太郎列車が走っている。ここでトッティの物真似18番、「目玉の親父」が炸裂!鬼太郎列車の前面には目玉の親父が6人?も居る。そこでトッティ、

「鬼太郎!」
「鬼太郎!」
「鬼太郎!」
「鬼太郎!」

と無理して「鬼太郎」を4回も繰り返した。私達は境港へ向かった。田舎路線好きな私はここで前に噛り付く。三つ目の後藤駅まで電化されている。三本松口を過ぎると進行方向右手に後藤総合車両所が広がる。哀れにも廃車になり解体待ち若しくは部品取りようにあちこち剥がされた国鉄気動車がたくさん留置してあった。その中にどうやらキロ28と思われる急行型気動車のグリーン車が置いてあった。今では「つやま」に残るのみの急行グリーン車を見ることが出来てよかった。しかし塗装は国鉄ではなかった。一瞬のことだったので帰りにまた見よう……。
 御崎口駅を過ぎると前方左手は米子空港。タイミングよく飛行機が着陸したためかなり巨大な機体が目の前を通過した。

 境港へ着いた。早速水木しげるロードを探索。鬼太郎や妖怪のオブジェがたくさんあり、鬼太郎話が盛り上がった。

水木ロードマップ 水木ロード妖怪マップ
水木ロード 目玉の親父 鬼太郎 鬼太郎誕生 ねずみ男 鬼太郎ポスト

 一通り見終わると境港駅に逆戻りした。するとちょうど列車が発車してしまったので近くの休憩所で休む。ここからは韓国行きのフェリーが出ているのでジョンイルはかなりからかわれていた。しばらくすると駅に入り列車を待った。するとすぐに到着。今度も同じ鬼太郎列車だった。

鬼太郎列車 鬼太郎列車車内
鬼太郎列車 鬼太郎列車の天井

 米子を出発するときにウッパがあることに気付く。駅の東側の踏切に警手が居るというのだ。私は知っていたが。そこで米子に戻って踏み切りを見ようということになり、鬼太郎列車に乗車。忘れていません後藤総合車両所で車窓左手に広がる留置線を除くとあのキロ28は急行「たかやま」色と判明。おまけに手前には砂丘色のキハ58まで停まっていた。こちらはまだ現役のようで、岡山からはるばる検査に来たものらしい。かなり得した気分です。

 米子に着くと踏切を見に行く。踏切までは少々の距離があり、ジョンイルはお疲れ気味。踏切につくと私は車庫内に停まっている車両を撮影。警手は列車が通過するたびに踏切をしめる。車両の入換も多いため、結構頻繁に踏み切りを操作する。田舎とはいえかなり大変な仕事のようだ。しばらく踏切付近を行ったり来たりして時間を無駄?に過ごしていた。ウッパは警手と話したりしていた。踏切を後にするとトッティが何かを発見!!それは佐川急便の小型トラックに描かれている子供の飛脚。確かに首都圏のトラックは大型の物が多いので飛脚の絵は大人である。佐川急便もなかなかお茶目なところがあるなーと感心していると、トッティが写真を撮っていた。なかなかカメラを使わなかったのに……。
 駅に戻ると何故かタンゴエクスプローラーが到着。ウッパ大急ぎで写真を撮りに行った。続いて115系ワンマン改造車、381系やくもDD51ディーゼル機関車、キハ126系快速用気動車、寝台特急出雲と次々に列車が到着した。ウッパとジュールは撮影に忙しい。出雲を撮影してすぐに快速「アクアライナー」に乗り込んだ。

 この列車は山陰線の米子〜益田間を走る7月に登場した新型の車両である。前身はキハ58系列で運用されていた快速「石見(いわみ)ライナー」であり、山陰高速化に合わせて改称及び置き換えを行った。車内は木目調の暖めのデザインであった。この列車は浜田行きで、私達は出雲市まで乗る。出雲市までは各駅停車のため実質快速ではなかった。
 車内はさほど混雑していないのでこまちとメール合戦。どうやらこまちは藤枝駅で信号機故障が発生して帰れるかどうか危険な状況らしい。しばらくして列車が混みだしてきたのでメールは自粛。隣にも人が座った。トッティはその人の顔を見るなり学校の笑いネタ人物「Y.O.」に似ていると発言。確かに似ていた。列車は干拓事業でもめる中海の脇を通過し、日が暮れた頃、宍道湖を左手に見ながら西へと下って行った。

 出雲市へ到着。この駅の始発の快速ムーンライト八重垣に乗るが、まだ時間がある。駅の外へ出て、名物出雲そばをみんなで食べた。その後、ローソンでロースとんかつ弁当を買ったりするやつもいた。駅コンコースでみやげ物を物色しながら時間を過ごし、ムーンライト八重垣が到着するのを待った。

 ホームにムーンライト八重垣が到着したようだ。ホームに上がると青い特急用客車14系をかつては奥羽本線の板谷峠で活躍し、奥羽本線の交流化、伯備線の直流電化によりこの地へ渡って来たしたEF64が牽引していた。ウッパはEF64とEF65の違いが全く分らないようだった。違いが分らないというより機関車を最初からEF65と思い込んでいたようである。
 この列車に乗り込むとびっくり。車内は国鉄のまま。青い簡易リクライニングシートは座席がスライドするだけのもので、しかも立ち上がったり伸びをしたりして尻が座席と離れると元に戻ってしまう。すごい列車に乗ってしまった。

 疲れていたのかすぐ寝てしまった。気が付くと米子。その次は倉敷。その次も倉敷。その次も倉敷……。いつまで運転停車をする気だ〜!!(時刻表では倉敷は通過) おっ、岡山だ。もう姫路か……。倉敷から先はかなり短く感じた。朝早くに大阪に到着。始発の新快速に乗った。

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ジョンイル失踪事件

 新快速の中では爆睡モード。米原で乗り換えてもそれは続く。そもそもこうなったのはウッパの携帯電話のせいだ。あの野郎 「メールの気配がギュンギュンします!」「メールの気配がギュンギュンします!」とやかましくてしょうがない。列車内くらい音を出さないようにしろ!!睡眠妨害の恨みは深いぞ! 呪ってやる……。ウケケ……。
 大垣の少し手前でようやく目がさめた。もっとも大垣行きだったのでいやがおうでも起きなければならないが。で、大垣駅に降り立つと大混雑。通勤時間帯はもう過ぎたのにこの混雑はいったい何なのでしょう。しかし、恐るべきマニアの意地! 東海大好きコッシーと噛り付きウッパはしっかり運転室後ろを確保。私も貫通扉前を確保。あなおそろしや……。
 さて、九州でもやったように前面ガラス越しに対向列車の撮影を開始したが、あまりの混雑と被写体となる車両がみな短編成のためあまり上手くは撮れなかった。

311系 117系

 しかし知らない土地の列車は見ていて飽きない。名古屋に到着すると全員下車。さてとりあえず改札へ行くとジュールとコッシーがあることに気付く。「ジョンイルが居ない。」なんとギョロに続いてジョンイルまでが居なくなるとは……。「まあいっか。大体の見当はつくし。」と一同。その見解は一致していた。

  ジョンイルは中日ドラゴンズファンであるから名古屋ドームに行ったに違いない。

口癖「馬鹿野郎〜!!セ・リーグはドラゴンズじゃ〜!!」 By ジョンイル

そしてコッシーが電話をしてみると、案の定名古屋ドームに行っていた。なんと単純なヤツ……。

 私達はジョンイルの心配などせずにおそらく世界一の駅ビルを持つ駅のコンコースをブラブラ。コインロッカーに荷物を預け、「次はどこへ行くだぎゃー。」と言った訳でもないが相談。結論はこれまた単純で名古屋=名古屋城=金のシャチホコという訳で金のシャチホコを見に名古屋上へと向かうのでありました。

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東海道本線 東名(家路)編

 名古屋城へはどう行くべきか、それが問題だ。名城公園駅が最寄と思われるので地下鉄で行こうか。と思った。しかし中央線で大曽根まで行って乗り換えても行くことが出来る。どちらにしようかということになったが結局大曽根までJRで行くことにした。なお、名古屋ドームも大曽根で乗り換えていくことが出来るので結果的にジョンイルの後を追うかたちになった。

名古屋城
名古屋城

 大曽根で地下鉄に乗り換えて名城公園へ。そこから歩いて名古屋城の天守閣を目指す。途中で記念撮影を行ったりして名古屋城の城内に。中では金のシャチホコの模型なんかが置いてあり、なかなか楽しい。城内は撮影禁止だが、途中には金のシャチホコに乗って記念撮影をすることが出来るスペースがあった。これにトッティが反応しないわけが無く、競馬ジョッキーになりきって記念撮影をした。天守閣の一番上に到着。高さは52m。大した高さではない。というのも名古屋駅の駅ビルが高すぎるからだ。名古屋の東側は一望でき、ジョンイル君の現在位置も確認できた。

 全員が上までのぼってきたところで私は下へと下りた。入り口の近くの店で食事を買い食べていたがものすごく暑い。下手すれば熱中症になりかねないのでなるべく日の当たらない所へと移動。皆が下りてくるのを待った。しばらくすると皆が集まったので出発。名古屋まで歩いていくことにした。

 地図を持っていないので所々にある周辺地図と名古屋城から見た景色を頼りに歩いた。そんなに遠くはなかったような気がした。しばらく歩いて名古屋駅の北側に出た。駅ビルの入り口近くに来るとセントラルタワーズのデカいことデカいこと。

JRセントラルタワーズ

 駅ビルの中はまるで迷路である。すぐ迷ってしまう。たまたま土産物屋が並んでいるところへ着いたので皆で土産を物色していると私だけおいていかれた。しょうがないので「をちこち」を買って一人で駅ビルの中をウロウロ。すると高島屋の中に入っていたのでさらにウロウロ。2階に上がるとエレベーターを発見。そのまま勢いでどんどん上へ上がっていき、入場料1000円を払って展望台「Panorama House」に到着。地上約240mの眺めを堪能?した。ここからもジョンイル君の現在位置を確認した。高いところはやはり苦手……。

先ほどまで居た名古屋城が小さく見えた。はるか下には全長400mの新幹線が発着。ミミズのようである。在来線の列車は糸ミミズ? 貨物列車が唯一在来線では目立っていた。展望室の中に記念コインを発行する場所があったので作ってみた。名前を彫るときには物凄い音がした。ズドン!ズドン!ズドン!……。ホルダーにはめて出来上がり。

 展望室の中には「Panorama Cafe」というカフェ、「Towers SHOP」というグッズショップがあり、名古屋駅周辺の模型が置いてあったりした。

しばらく展望室にとどまって時間をつぶした。帰りの列車の1時間前くらいになってようやく下に下りた。皆がどこにいるかは分らないが、コインロッカーに行けば集まってくるだろうと思い、駅のコンコースで駅弁を買って荷物を預けたコインロッカーに向かった。するとトッティが居た。コッシーはウッパに拉致されて名鉄に乗せられているらしい。ジュールとジョンイルはじきに来るはずであった。しばらくするとジュールが到着。その後コッシーが到着。少し遅れてウッパが到着。ジョンイルは一番最後だった。コッシーが電話をかけて誘導。

 わたしたちの青春18きっぷは今日が最終日。今日中に家に帰らなければいけない。普通列車を乗り継いでいく。最初は名古屋からの新快速で豊橋へ向かった。

新快速の車内でトッティと話をしていると、クラスメイトのJ.M.君の話になった。彼の顔はトッティより美形だが、ちょっと太っている。それがもったいないという話題だったのだが、彼がやせたらどんな有名人に似るかというところで、私が「ハンマー投げの室伏。」といったらトッティのツボにはまってしまい、トッティは豊橋まで笑いつづけていた。これ以後、J.M.君のあだ名が「室伏」になってしまった。

 豊橋から普通列車に乗り換えて浜松へ。結構混雑していて疲れた。何とか席は確保できたが……。ようやく浜松に着くと今度は静岡行き乗り換え。見慣れた211系と思いきやこちらはJR東海が製造した5000番台。外観以外は何の変化も無いようですが……。時々見える新幹線を眺めながら列車は静岡に向かう。途中で寝てしまった。気が付くともう日が暮れていた。間もなく静岡に到着。

静岡からは東京行きに乗り換えてそのまま家路へ。列車は東京駅折り返しムーンライトながらとなる373系。またしてもセミコンパートメントを占領した。二人足りないけど……。
 静岡を発車。各駅停車で東静岡、草薙、清水、興津、由比、蒲原、新蒲原、富士川、富士、吉原、東田子の浦、原、片浜、沼津、三島、函南……。楽しかった旅の終わりは確実に近づいていた。静岡を発車して約1時間20分、列車は熱海に到着した。熱海を発車するとき、聞きなれた発車ベルが鳴り、いよいよ帰って来たなという感じがした。湯河原、真鶴、根府川、早川……。小田原に到着。ここでコッシーとジョンイルが下車。二人はここから小田急に乗って帰宅する。小田原で二人と別れ、鴨宮、国府津、二宮、大磯、平塚、茅ヶ崎、辻堂、藤沢……。大船。ここでウッパが下車。彼は横須賀線に乗り換え。大船を発車し戸塚に到着。ここで私は下車し、旅は終わった。私はここから横浜市営地下鉄に乗り換える。列車は戸塚駅を発車していった。トッティとジュールは共に東京駅まで乗車し、それぞれ中央線、総武線に乗り換えるはずである。私が家に着く頃には東京駅に到着した頃であろうか。しばらくするとトッティから家に着いたという連絡が入った。こうして私達の旅は終わりました。

 その後の話で、鳥栖で失踪したギョロは、鳥栖で下車せずに終点の荒尾まで行ってはじめて私たちがいないことに気付き、博多に戻って「モー娘。ショップ」に寄ってから予定通りに帰ったらしい。

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