0系新幹線電車

0系新幹線電車

稀代の名列車0系

昭和39年10月1日、産声を上げた瞬間に世界の鉄道の革命を起こした
光のように速いと賞された時速200キロメートルを超える俊足
その足はまさに光の速さで世界の鉄道界を駆け抜け
衰退の危機にあった世界の鉄道を甦らせた
日本を代表する鉄道車両として
日本が世界に誇る技術の象徴として
誕生の地 東海道からは引退してもなお
山陽路にて最後の力走を続け
40年の長きにわたり走り続けている
今でも続いている偉大な記録
衝突事故0回
脱線事故0回
乗客の死亡人数0人
これは何より誇るべき記録であろう
彼が過去に消え去ろうとも
その功績は永遠に語り継がれる…

0系新幹線電車詳細
運転 1964年10月1日〜1987年3月31日(日本国有鉄道)
1987年4月1日〜1999年9月18日(JR東海)
1987年4月1日〜現在(JR西日本)
製造両数 3216両
営業最高速度 210km/h(運転開始時)
220km/h(1986年11月1日より)
均衡速度 推定230km/h
起動加速度 0.96km/h/s
減速度 1.2〜2.4km/h/s(高速域)
2.6km/h/s(低速域)
MT比 全車電動車方式
電動機 直流直巻電動機
出力185kw
編成総出力11840kw(16両)
制御方式 主変圧器タップ切換え
ブレーキ 発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ
ギア比 1:2.17
車体 素材 普通鋼
車体長 25000mm
車体幅 3383mm
車体高さ 3975mm
車輪直径 910mm
自重 平均55t
定員 最大定員 110名(26形200番台及びその派生番台)
最小定員 0名(36形食堂車 食堂席46名)
16名(37形5300番台・7300番台)
編成記号 開業時は日立製作所の製造した車両による編成、のちに大窓車で組成された「ひかり」用16両編成
開業時は日本車輌が製造した車両による編成、のちに小窓車で組成された「ひかり」用16両編成
開業時は近畿日本車輌の製造した車両による編成、のちに「ひかり」「こだま」用の12両編成
開業時は川崎車輌が製造した車両による編成、のちに「ひかり」「こだま」用6両編成
開業時jは汽車会社が製造した車両による編成、後に「こだま」用16両編成
東急車輛が製造した車両による編成
JR東海が12両のS編成に4両を足して16両にした「こだま」用編成
JR西日本が広島〜博多南間を運転させるために組成した4両の「こだま」用編成
車体形式 21形 博多より先頭車 静電アンテナ 列車無線アンテナ搭載
22形 東京より先頭車 静電アンテナ パンタグラフ搭載
15形 グリーン車 主に「ひかり」編成に使用
16形 グリーン車 「ひかり」「こだま」の区別なく使用 パンタグラフ搭載
25形 普通車 トイレ設備等あり
26形 普通車 全車客室または乗務員室付 パンタグラフ搭載
27形 食堂車従業員用設備搭載 車椅子対応
35形 ビュッフェ車
36形 食堂車設備 食堂席以外の旅客用座席なし パンタグラフ搭載
37形 ビュッフェ車 車椅子対応
主な番台区分 0番台 開業当時の大窓車
1000番台 22次車から29次車までの小窓車
2000番台 30次車から38次車 シートピッチが4cm拡張されている
3000番台 JR西日本が0番台のシートを改良した車両
5000番台 JR西日本が1000番台のシートを改良した車両
7000番台 JR西日本が2000番台のシートを改良した車両
 言わずと知れた元祖新幹線の0系。当初は新幹線車両と呼ばれ、美しいデザインと世界最速の210km/hでの運転で日本人の憧れの的となった。既に製造された車両の95%以上は現役を退いているが、今でも新幹線といえばこの団子鼻を思い浮かべる人が多くいると思います。1999年9月18日に走り慣れた東海道から引退し、現在は山陽新幹線で最後の力走を見せています。残念ながらオリジナルの塗装をまとった車両は既に無く、白い車体のJR仕様、グレーの車体のJR西日本仕様の車両が活躍している。40年も使用されたのでさまざまな改造がなされ、そのために細かく分けると90以上もの車種があった。そして何より偉大な記録は、この40年の間、乗客が死亡する事故が一件も無いことである。近い将来に完全に引退すると思われるが、その伝説は永遠に語り継がれることだろう。

0系の塗装

0系オリジナル塗装
オリジナルタイプの塗装
0系西日本塗装
JR西日本のタイプの塗装
JR西日本こだま新塗装
JR西日本の新塗装「こだま」

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