このごろ思うこと パート9

☆子供のしつけ  (2004年4月)

 満開の桜を少し過ぎ、花吹雪の中、孫の小学校の入学式がありました。

  一学年の定員が22名のところ、新一年生は20名でした。小学生は全校生徒が130人の家族のような温かい雰囲気の学校です。校長先生は毎日、朝のお迎えとお帰りの時、一人一人に笑顔で語りかけ握手をして下さいます。先生方やお兄さんお姉さん達に大歓迎で迎えられ、最初の緊張もすぐに消え去り、まさにピカピカの笑顔で毎日通学しているようです。顔つきも急に凛々しくなったように感じます。

  次のような「子供のしつけ」についてのご質問のメールがあったので、今回は子供のしつけについてご一緒に考えてみたいと思います。

  Tと申します。津留さんの本「多くの人が、この本で変わった。」を読みました。何度も何度も読んでいます。今まで、私がどれだけいろいろなことにしばられてきたのかに気づかされました。とても、気楽になりました。

  私には、子供が2人いてもうすぐ3人目が産まれるんです。私が今振り返ってみると、親からいろいろ教えられることがすごく多くて、それでしばられることが多いと思ったんです。

  津留さんの本を読んで、どういう風にしていいのか迷ってしまいました。小さい頃は教えることが多いと思うんです。ご飯は座って食べなさい、これは大事でなど…それをすべて言わないのかな?と思ってしまいました。まだ本質が分かってないんでしょうか?何か、良い本やアドバイスはもらえないでしょうか?

  子供のしつけ・・・難しいテーマですね。ご自分が色々と子供時代に傷ついてきた方たちならなお、日々迷い、悩み、これでよいのか?と自問自答されていることと思います。

  津留は「今まで常識だと思い込んできたことを、一度、そういうわけではないと疑ってみてはいかがですか?」という提案をしているだけです。

  良いも悪いもない、○○しなければいけないことなど何もない、という真理を受け入れるとは、全てを認める立場です。お子様のいい所も悪いところも全て肯定した上で、「ルールを教える」「しかる」はTさまのお気持ちのままになさってください。

  そしてTさまのシナリオとお子様のシナリオが同じなら、親の言うことを抵抗なく受け入れることでしょう。しかし、お子様がT様の常識をぶち壊しに来たのなら、思い通りには育たないということです。

  ただそうなっているだけです。地球に来るとは、体験をするために肉体を持つということです。そしてその体験に良いも悪いもないのです。

  ですから、思い通りに行動してください。感情を出していいのです。そしてうまくいかなかった時、どうしてどうしてと心が内側に向きますので、そのときブロックを浄化すればいいのです。

  ここからは、今子育て真っ最中の娘に書いてもらいます。

  津留は良いも悪いもない、「〜ねばならない」という固定観念をはずしましょう、とよく言っています。そう言われると子供にダメダメと注意したり、マナーやルールを守らせたりといったしつけはどうなの?必要ないの?と思われるでしょう。

  親御さんも子供さんも人それぞれです。みんな一人一人違います。ですから「子育てはこうしなくてはとか、これが正しいしつけですというただ一つの答えはないのですよ。」と津留は言いたかったのでしょう。

  誰でもみな魂のシナリオ(向き合いたいテーマ、乗り越えたい課題)を抱えて生を受け、今ここにあります。それは大人であれ、生まれたての子供であれ全く等しく尊い事実です。自分が親になりこの子(一つの魂)を預かった。それは大いなる宇宙のシナリオです。自分の課題を映す鏡として、互いを刺激し合い成長へと導く大切なパートナーとして選び、今親子として居るのです。ですから自分を信頼し、子供を信頼し、その時々で最善と感じることを精一杯されればそれでいいんじゃないでしょうか。

  最善といっても決していい人ぶる必要はありません。怒りたい時は怒り、怒鳴り散らす時があってもいいんじゃないでしょうか。親がやりすぎ偏りすぎな時には、子供はしっかり反撃したり、何らかのサインを送ってきます。その度に子供も立派な一つの魂なのだと再認識し、子供の反応をしっかり受け止め、軌道修正やフォローをしてあげればいいと思います。子供の側にも痛みを乗越え、立ち直ったという貴重な体験となるでしょう。

  私の娘は生れた時から、とてもマイペースで感情表現の激しい子でした。それは調和を気にかけるあまり感情表現や自己主張が苦手な私のまさに鏡、太陽と月のような関係でした。娘の成長に伴い、段階的に認識力や行動範囲が広がり、その時々で新たに「やりたいorやりたくない」対「ダメ」のバトルが起こります。私はかなり忍耐強く娘のペースに付き合い、その好奇心を尊重していましたが、やはりここからはダメという二人の共通認識(ルール)が必要だと実感しました。激しくぶつかり合ったり、冷戦状態になったり、お互い試行錯誤しながら、だいたい1週間もすると自然と新たなルールが生まれ、何事もなかったかのような平穏な日々にもどるのです。でもそれは決して元に戻ったのではなく、二人ともステップアップし次なるステージへ向かって歩いているのです。

 私が感情表現を恐れず出来るようになったのはまさに「ゆりあ」のおかげです。泣くことも笑うことも、怒ることも(もちろん怒鳴り散らすことも)・・・。また、これまで心の傷や痛みを内に抱えていたが為、私は内なる宇宙を見つめ、心の仕組みを学んできました。そのことが、この新しい時代に「ゆりあ」が自分らしく枝葉を広げていく上で強力なサポートとなり、大地にしっかり根を張っているのです。

  私と娘は互いを信頼しあっています。つい怒りすぎてしまったり、怒られて泣いたりすねたり、甘えたり、寂しいのを我慢したり、心配事があったり、二人はよく自分の感情について話し合います。それは自然な二人の習慣で、ケンカの後や寝る前のお布団の中でだったりします。

  「今日はいっぱい怒っちゃったね。ママ疲れてイライラしてたから、キツク言い過ぎちゃった。ごめんね。悲しかった?」 「すごく悲しかった。ママはもう私なんていらないのかな?いない方がいいんだって、お胸がはらはらして恐くなっちゃった。(涙)。」 「そう、そんなにつらい思いしてたのね。本当にごめんね。ママはいつでもあなたのことが世界で一番だいすきよ。ママの宝物よ。」 「本当?私のほうこそごめんなさい。お約束守らなくて。今度から気をつけるね。」 「ママも怒りんぼにならないように気をつけるね。まだ悲しい気持ちは残ってる?はらはらする?」 「もう、ほとんど無いけどちょびっとある」 「じゃあ、どうしたら安心するかな?」 「寝るまで抱っこしてて」 「OK!」

  またある時は娘が「あー、もやもやするー! 何か頭の中も、お胸も、お腹も! もやもやして、爆発しそう!」と身振り手振りで言い出したので、紙をだして「この紙にそのもやもやがどんな感じなのか、いろんな色や形や、何でもいいから書いてみてごらん。できそう?」すると紙全体に書きなぐり出し、形で表現しているうち、だんだん言葉で気持ちを出し始め、しばらく後にはスッキリした顔をしていました。あとで得意気に「ここはイライラを表現してみたんだ、何かキューって肩がこるし、ストレスだったんだよねー」と作品解説をしてくれました。(笑)

  近道も遠回りもない、全てのプロセスが魂のシナリオを歩む最善の道のりです。気負うことなく、自然体で歩いて行けたらいいですよね。道草だって楽しいし・・・




☆今を楽しく生きる  (2004年5月)

  春の連休も終わり、1週間泊まりに来ていた娘と孫がかえっていき、夫婦二人の生活が始まりました。孫は小学校生活が楽しくてしかたないようです。お帰りのとき、教頭先生がバス停まで集団下校の引率をしてくださるそうですが、孫は必ず先生とお手てをつないで歩くそうです。幼稚園の時は、あまり先生にまとわりつかない子だったのですが、「先生に甘えてみるといいものだなーと思えたので、教頭先生にも甘えているんだ」と報告してくれました。

  ここ2年ほど、夏休みの少し前に沖縄のルネッサンスリゾートホテルに3日間滞在していました。今までは幼稚園だったので、園を休ませることに何の抵抗もなかったのですが、小学生になったのだから、学校を休ませて遊びに行くということに少し抵抗を感じ、夏休みに行こうと調べて見たところ、金額が2倍くらい高くなるのです。3人で行くと50万円。うーんと考えてしまい、ゆりあに「今年は高原にいこうよ」と言うと、「一年間楽しみに待っていたのに・・・、絶対行きたい!」と言われてしまいました。

  娘と色々話し、「学校へ行ってお勉強するのも、沖縄へ行って色々体験するのも何の違いもないよね。」ということになり、6月の終わりごろ今年も沖縄に行くことになりました。

  去年、沖縄で、イルカにタッチするプログラムを体験した後、イルカと一緒に泳ぎたいという夢をかなえるために、水が顔にかかっても嫌がって泣いていた孫が、スイミング教室に通いだし、今では泳ぐのが楽しくてしかたないようです。今年は無理でもそのうちきっと夢が叶うでしょう。

  話は全く変わりますが、最近私は還暦を迎え、年金の手続きに行ってきました。何年間か勤めた事があるので、担当の方は当然のごとく厚生年金分の計算をして「はい、これだけもらえますよ。」とおっしゃいました。我が家は去年の春、主人が選挙に落選するという形で、突然年金生活者になってしまいました。住む家はありますが、地方政治家だった主人は他に職業をもっているわけではなく、政治に全精力を投入していましたので、借金こそありませんが、預金などほとんどない様子です。昔は恩給があったらしいのですが、今どきそのようなものはなく(国会議員だけは今も恩給があるようです)、もちろん退職金などもまったくありません。

  生活を縮小せざるを得ません。それで私は60歳から年金をもらうことに決めました。65歳からもらえる金額の60〜70%になってしまいますが、手続きさえすればもらえるのです。私は係りの人に「私は肝硬変であと5年生きる可能性はあまりないので60歳からいただきます。」と言うとちょっと気の毒そうなお顔をされ、すぐに手続きをして下さいました。

  そして今を楽しく生きることを選択しています。今は体も元気だし、孫もなついてくれるので、そのときを楽しまないないのはもったいないでしょう?

 色々とご相談のメールをいただきますが、そのほとんどが過去や未来にとらわれ過ぎて、今を大切にしていないように感じられます。過去のトラウマにこだわり、それを癒してあげないと前へ進めないと言うことも真理です。でも一番大切なことは今という時を大切に、今目の前にあることにのみ集中してあげる、今を感じきってあげる、今ハートがキュッと閉じていると感じたら「どうして、どうして、どうして」とその不快感と共に3分から5分集中していると、ハートがフッと温かくなります。必ず。

  そのようにして、今を心地よくしてあげる。それを次の瞬間も、次の瞬間も続けたところに未来があるわけですから、未来は今の気持ちによって変わっていきます。未だ起きてもいない未来の心配のために今という時を無駄にしないで下さい。

  ご参考のためにこの方のメールをご紹介します。


お便り

口さん、始めまして、丁度2週間前ほどにこちらのHPを発見致しました。

私は今中国に語学留学しています。
一年間の予定で、一度も日本には帰らないつもりで中国に来たのですが、一度治った過食症が再発して冬休みに帰って、また戻ってきました。戻ってきてからもまだ過食症が完全に治っているわけではないのですが、津留さんのメッセージを読んで、本当に嬉しくて、こちらのHPに出会えて本当によかったと思っています。

今は自分のエゴ観察をしています。これをやっていると前のように焦りすぎるという事が少しずつ減ってきている気がします。
ただ、語学の勉強をしていると、どうしても周りががんばってるのを見て、焦ってしまったり、エゴで勉強方法を考えてしまっている自分がいます。
こういう時はどうしたら良いのでしょう? 勉強をする事が苦痛になってしまっています。

過食症の方は上手く行っていて、今まで痩せるためにしなくてはならない事をやめました。そしたらお菓子を食べたり、食べ過ぎてしまっても太る事がなくなりました。本当に不思議です。

これからもどんどん観察を続けていって本当の自分で生きていきたいです。本当に感謝です!



返事

お便りありがとうございました。

あなたはどうして中国語を勉強したいと思ったのですか。
やりたかったから始めたのではないでしょうか?
やりたいからする行動は喜びですが、○○しけなればいけないからする行動は苦痛です。
自分の本当の存在は「今・ここ」にしかありませんから、過去に決めた語学を勉強しょうという事に縛られる必要はありません。

「勉強しなくてもいいじゃない」と声に出して言ってみてください。そしてわきあがる想念(思い)を感じ続けてください。感情はエネルギーですから、3分から5分で抜けていきます。

そしてハートチャクラが開いてきたら、その時、私は何がしたいのか、語学の勉強を続けたいのか考えて下さい。

「幸せテクニック」の本に浄化の方法が書いてありますので、それをお読みになってはいかがですか?

勉強を続けても、止めてもどちらでもいいのです。心が喜ぶほうを選択してください。「私ってなんてダメなんだろう」と自分をとがめるのをもう止めませんか・・・。



再度のお便り

山口さん、お返事をどうもありがとうございます。とてもうれしかったです。

私が中国語を勉強しようと思ったのは中国語を話せるようになって、香港に住みたいからです。
ある人の知り合いの方で、香港を拠点に世界を飛び回っている方がいらっしゃると聞いて私もそうなりたい!と思いました。もともと香港が大好きなのと、ずっと海外に住むのが夢でした。

今日この事について考えていたのですが、もしかしたら、こうやって思っていること事体がエゴの考えなのかな?と思いました。

正直今は香港に住まなくても、日本を拠点に海外と関係できる事をしてもいいなと思っています。
ただやはり世間の目で物を見てしまう自分がいます。それは親の目でもあります。そこで如何しても嫌々勉強してしまう自分がいます。

色んなものを手放したいです。でもしがみついている自分がいます。思いきって新しい自分に踏み込んでみようかと最近は思っています。

過食症も、前よりはよくなったとはいえ、今日もものすごい量の食べ物をたべてしまいました。自分を観察する事、今を生きることを忘れているんだと思います。

もう少し自分をしっかり見つめようと思います。



返事

お便りありがとうございました。

自分の中には、エゴの自分とハイヤーセルフの自分が常にセットで存在しています。いつも何をしていても、エゴの自分を観ているもう一人の高次元の存在を感じながら、悩んだり、怒ったり、落ち込んだりして下さい。

元々神様であったあなたが、地球に感情の体験旅行へ来ているだけですから・・・。

自分に足りないものがあると勘違いして、過食でそれを埋めようとしているだけです。足りないものに常に意識を合わせている人が、何とか頑張らなければならないと思っている人で、自分が持っているものに意識を合わせている人が、ゆったりとした穏やかな人です。
そしてそのどちらも良いと悪いはありません。ただ体験が違うだけです。



再々度のお便り

山口さん、一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか? また勉強のことで今日葛藤を感じるのですが、そこで疑問が一つ浮かびました。

まず、私は勉強をしなければならないと思っています。ですが、私の目の前にある事は勉強です。これをしたくないなぁと思 っているということは、自分に起こっている事を否定している ということになるのでしょうか? これは自分をも否定するということになるのですか? それとも勉強に対する私の固定観念を直しなさいという合図なのでしょうか?

わかったようなわからないような感じです。最近もエゴがニョキっと出てきてそれに気づかなかったのですが、また元に戻れました。少しずつ少しずつ・・行きます。

日本は相当温かいのでしょうか? 私がいる中国は、東北地方なので、やっと花が咲き始めました。



返事

お便りを拝見していて感じたことは、勉強をする事が、辛いと感じるのは、「○○しなければならない」という価値観を握ったままだからです。しなければならないからする勉強は楽しい事もあるでしょうが、辛く感じることもあるでしょう。

中国語を勉強しようと決めたのは過去のことです。過去に決めたことに縛られる必要はありません。
しかし、何か目的があって、そのためにする努力はしても価値があると自分で思えるなら、辛くてもがんばればいいでしょう。もうやめたいのに、親に悪いとか、周りの人に対してみっともないとか、そんな理由で続けるのであれば、どんどん苦しくなりますから、自分に嫌な事をさせない事を勇気を持って許してあげることも大切なことです。

どちらでもいいのです。自分で選択する自由があります。Aの道を選択すればAの体験があり、Bの選択をすればBの体験があるだけです。そしてその選択に良いも悪いもないのです。同時にAとBの体験を死ぬまですることができれば、どちらが良かったか判断できますが、それは不可能なことです。

だったら、毎日がストレスのない生き方を選択しませんかというのが、津留が常に言っていた事です。とにかく、日々ストレスのない状態でいることが、大切です。今を常にストレスのない状態にするテクニックがあります。

勉強に行き詰ったとき、ハートに意識を向けて下さい。きっとキュッと固くなっていると思います。
その時「勉強なんてしなくてもいいじゃない」と言ってみてください。きっとものすごいストレス感がわいてくると思います。その時、呼吸に意識を合わせてそのストレスをじっと感じ続けるのです。じっと集中して、そのストレスと共にいてください。
その時、頭はからっぽにして何も考えないでください。何か思考がわいてきたら、すぐ思考を止めて、ハートの感覚だけを感じてください。すると3分から5分でハートが軽くなっているのを感じるでしょう。その時、いっぱい持っているブロックの風船の一つがわれました。

風船は今までの人生で数限りなくつくってしまいました。ですからストレスを感じる度にこのワークをやってください。根気よく続けて下さい。




☆人はオリジナルな人生を体験している  (2004年6月)

  天候に恵まれた土曜日、孫の学校の運動会が行われました。広々としたグラウンドの上には、万国旗と一緒に、全生徒一人一人が描いた旗が風に乗り、心地よさそうにはためいていました。小学1年生から中学3年生までが、各クラス赤・青・黄色の三つに分かれ、縦割り3チームで勝利を競い合います。

  応援合戦に続いて、各学年の50m走が始まりました。もちろん1位から3位まではチームの得点になるので、みんな頑張って走ります。でもレース前、先生は語りかけます。「人と競争するんじゃない。去年の自分、昨日の自分に負けないよう、今の自分の力を精一杯出し切って走るんだぞ・・・」と。毎年50m走では一人一人のタイムを計り、順位に関係なく記録賞が出ます。一年ごとに自分の成長、変化を実感できるよう配慮してくださっているのです。

  私は学校までの道々、のんびりやさんの孫に「よういドンとピストルがなるけど、ドンという音が聞こえたらすぐに走り始めるのよ」と話しました。孫は何度かスタートダッシュの練習をしながら、学校へと向かいました。その助言が功を奏したのか前半はリードしていましたが、後半スピードが落ち、次々に抜かれてとうとう最下位になってしまいました。

  くやしがる姿・・・、でもくやしさも悲しさも思いっきり感じ、感じつくすことはとても大切です。その小さな体と心で、色々な体験をし、いろいろな事を感じている孫。えらいね。よくやってるね。愛しさがこみあげてきました。

  次はダンス「世界にひとつだけの花」。1・2年生合同でずっと練習してきた成果を発表します。曲も全員で歌って吹き込んだオリジナルバージョンです。歌詞のとおり、一人一人とても個性的でのびやかで存在感があって素晴らしかったです。孫も幼稚園時代のお遊戯からは想像できないくらいスムーズな動きで楽しそうに踊っていました。

  全生徒がバトンをつなぐ色別対抗全校リレーはこの学校恒例のメインイベントです。最後まで抜きつ抜かれつの白熱したレースになりました。走っている子供の顔を見て「○○ちゃん、△△くん、◎◎ちゃん頑張れ!」と実況アナウンスする生徒の顔と名前をほとんど覚えていらっしゃる教頭先生。走り終えた子供も皆、自分のチームを懸命に応援します。

  その他、玉いれなどの競技を終え、午前の部だけで1・2年生は終了。家族でお弁当を食べたあと、クラスに戻り、皆で精一杯やり遂げた事を祝してジュースで「やったぜ! いぇーい!!」と乾杯。どの子もそれぞれ最高の顔をしています。順位も、緊張も、疲れも忘れて笑顔、凛々しい顔、誇らしげな顔。子供達をやさしく包み込む木漏れ日がまるで祝福してくれているようでした。

  天真爛漫な子供達の姿が教えてくれます。人は誰でもオリジナルな唯一の存在であると・・・。他の人と比べる必要もないし、他の何かになる必要もない。ありのままの自分を受け止め、認め、愛してもらえれば、安心して個性や能力を発揮し、いきいきと今この瞬間を生きることができるようになるのです。

  大多数の人は幼少期から比較され、ありのままの自分を認めてもらえず否定されることによって、劣等感やコンプレックスを植えつけられて育ち、恐れや不安、欠乏感を育てていきます。傷つくことを恐れて自分らしさを押し込め、他人の顔色をみて生きることが当たり前のようになっています。そうしていることさえ感じなくなっています。

  でも、そのブロックが限界までくると苦しくて、自分の感情をコントロールできなくなり、自分に何が起こっているのか解らなくなり、パニックを起こしてしまう方もいらっしゃいます。他人と違っていて当たり前なのです。違う体験をしようとシナリオを描いてきているのですから。それがあなたの存在理由なのです。

  今まで創り続けて来たたくさんの、重いブロックを脱ぎ捨てるステップが待っています。本来のオリジナリティーあふれる、ユニークな自分自身に還るステップです。もういらなくなった重荷をひとつずつ手放していけば、ありのままの自分を受け入れ、愛することはどんどん簡単に、自然にできるようになります。自分であることが幸せ、今ここにいることが幸せ・・・と。