このごろ思うこと パート7

☆孫の小学校選び  (2003年11月)

 孫の入学をひかえ、娘は1年がかりでインターネットを使って、小学校探しを始めました。個性的で繊細な感性の子供を温かく包み、のびのび育んでくれる学校をと、以前から興味のあった、シュタイナースクールの情報を集め、NPO法人で運営している各地のスクールを訪れました。(特徴のあるカリキュラムのため、学校法人として認可されていないのです。)北海道の学校が一番気に入ったようで、入学手続きを検討していました。

 以前に書いたので、ご存じだと思いますが、娘はシングルマザーです。孫が産まれた頃は私の会社で働いていたので、生活は充分やっていけていました。しかし、津留が亡くなり仕事が無くなってからは、パートタイムの仕事で幼稚園の費用やお小遣いを稼ぐ程度で、生活費などは親がかりでした。

一度離れてみるのもいいと思ってはみても、私の頭からは「お金はどうするの」という心配が消えませんでした。引っ越して、家を借り、学校へやり、生活しなければなりません。ずっと親がかりできた娘にそんなことができるのでしょうか。孫は耳鼻科系が弱く、冬になると幼稚園をお休みすることが多いのです。北海道で病気になれば娘も仕事に就けないのではないかと心配の種はつきません。本音を言えば、孫が可愛くてしかたないし、私も主人もだんだん歳をとっていくので、一緒に住んで欲しいと思っています。しかし娘には親元を離れて生活したいという強い決心があるようでした。

私の主人は「ねばならない」の強い人で、娘は幼少の頃から、「お前のお婿さんは、パパが見つけてあげるからね。この家を継ぐのはお前だよ。好きな人をつくって家出などしたら必ず見つけ出して、殺してやる」とよく言われていたそうです。私がいる前ではそのようなことを言ったことがないので、知らなかったのですが、最近娘に聞きました。私や娘に手をあげることもしばしばでした。幼い子供にとってそれは強烈なブロックとなって、男性を愛する事や自己表現をすることにストップがかかっていたのです。

娘は妊娠・出産を機に家を出て、一回り成長し実家へ戻ってきました。再び始まった父親との生活のなかで、壁にぶつかってはブロックをはずし、自分の意思や感情をきちんと表現し、恐れる事なく伝えられるようになっていきました。親の自我によるコントロールから離れ、自分の道を踏み出していく時期が来た、そう感じているようでした。私はそんな娘を、そして自分の心の葛藤を、ただ静観していました。

そんな時です。突然新しい道が拓けました。津留さんの娘が通っている東京の私立小学校で運動会が行われ、私たちは応援に行ったのです。津留さんの娘の方が孫より11ヶ月お姉さんで、兄弟のように一緒に過ごしていた時期がありました。絶対学校へは行かなと言っていた津留さんの娘が、一目見て気に入ったという学校です。

  そこは広々とした敷地に森を思わせる緑が茂り、一学年一教室がまるでこびとさんの家のようなたたずまいで点在していました。いよいよ運動会が始まりました。全児童の徒競走では、アナウンス担当の教頭先生が、子供たち全ての名前をご存じで「○○ちゃんがんばれ!」とひとりひとりに声をかけているのにはびっくりしました。少人数制の家族的な温かさ、子供と正面から向き合い、大きな愛で包み込む先生方、そして何よりイキイキした子供たちの姿に触れ、娘の心に変化が起きました。シュタイナー教育でなければ、という固執した考えを手放し、子供の為にと気負っていた肩の力がすっと抜けたのだそうです。

  娘はこの学校なら大丈夫と心を決め、孫は先日、無事入学テストに合格しました。2人は学校の近くに部屋を借りて引越しますが、電車で2時間弱の距離なので、互いに行き来することも出来ます。この適度な距離が、私や主人と娘との新たな関係性を育んでくれる、そう感じています。

  私のお金に対する不安は「今・ここしかない」とずっとアファメーションを続けているうちに、「絶対何とかなる」と確信が入りました。「今・ここ」には何の問題もないのに、意識が未来に飛んだ途端、不安感がやってきます。まだ起きてもいない事を心配して何になるでしょう。まだまだ未来は今の時間軸の延長線上にあると錯覚してあれこれ心配してしまいます。心配感を充分感じつくしもう要らないと浄化しました。

  しっかり決心すると宇宙はサポートを開始します。「幸せテクニック」の本が好評で、テープやビデオの注文がたくさん入るようになりました。そして娘は、人に役立つ仕事ができればと、介護を学び資格を取得中です。人当たりが優しくて、おっとりした娘にピッタリの仕事ではないかと思います。

  もう少ししたら、家探しを始めます。2つ家があると思えば、豊かな気持ちになれます。時折別宅で過ごすというのも、気分が変わっていいじゃありませんか。またまた楽しみが生まれたこのごろです。



☆「今・ここ」を生きる  (2003年12月)

 今年も後わずかになりました。今年は私にとって、変化の年でした。

  主人の地方統一選挙への9回目の挑戦の出馬決意を、最後の選挙ということで応援しようと決心し、年明け早々から準備にとりかかりました。

  主人は31歳で、娘が生れたばかりの頃、名古屋の商社へ席をおいたまま、有給休暇をとって実家の地での初挑戦を決意しました。まだ20代だった私は恐いもの知らずで、娘を義母に見てもらい、選挙の準備に取り掛かりました。ベニヤ板にのりでポスターをはり、キリで穴をあけ、針金を通し、電柱に一枚一枚取り付けてまわりました。夜遅くまで自転車に乗って、地理のよくわからない町を歩き回りました。

  中古の車を買い、7年くらいペーパードライバーだった私は主人の私設運転手もやりました。何の組織もなく、親戚すら一人もいない市での選挙でした。主人の同級生だけが頼りでした。高校生のとき生徒会長をやり、そのとき就任演説をやって、先生、生徒に舌を巻かせたほど、弁舌と情熱だけはもっていました。

 その初挑戦は惜敗しましたが、その後7回の選挙に当選し、28年間現役として働き、政治家としての主人は認めざるを得ないものの、人間としてだんだん尊敬できなくなり、3年間別居し、その後3年ほど週末婚状態を続けました。

  感情を体験するため、結婚相手に鏡役の魂の方と約束して産まれてくる場合が多いので、結婚するまではとても愛しあっていても、一緒に生活をしていくうちに、どうしても許せないという出来事が起こされてくるのです。その相手を自分が約束してシナリオを描いてきたと解るまで、完全に腑に落ちるまで、つらい体験を重ねてきました。きっとそういう方が多いのではないでしょうか? 鏡の関係で多いのは夫婦や親子です。他人なら離れれば、それで終わりですが、別れられない関係の方を鏡として決めてくるのです。

 その鏡と思われる方を、自分にありとあらゆる感情を感じされてくれる大切な人なのだと決めてしまうのです。そしてその方も今、必要があって(自分の魂の進化ため)その体験をしているのだと、その方のシナリオ通りに生きて、その方のハイヤーセルフに事を起こされているのだと100%思えたとき、目に映るその方の言動が映画を見るような感じで受け取れるようになります。

 全く何も感じないわけではないのです。映画を見ていても泣いたり笑ったりしますよね。ドキドキもワクワクも恐怖も感じます。でもそれは幻と知っているから、安心してその感情にひたっていられるのです。

  今私たちが現実だと感じているものは幻なのです。現実は心の中にあるのです。厳密に言うと「今・ここ」の心の中だけが現実なのです。

  前にも書きましたが、「主婦だから食事をつくらなければならない」という硬い固定観念を、今年8月にはずし、夕食だけ作るけど、後は自分で何とかしてと宣言してから4ヶ月たちますが、今もその生活は続いています。そして主人はそれが当たり前のように生活していますし、洗濯も掃除もやってくれます。もちろん、タイミングが合うときは作ります。

  ○○したらしかられるのではないか、○○したら人がどう思うだろうという考えは役に立ちません。あなたがそう思っているからそういう現実を引き寄せているだけです。自分のその思い込みをはずすことができたら、問題が解決している事に気付くでしょう。自分が思い込んでいることを、他人もそう思っているわけではないのです。

  主人は忙しかった現役を、選挙で負けるという形でリタイアし、それが自分の価値だと信じてきた、地位や役職そして収入も失いました。他人に対しては「淡々と、落ち着いた心境で生活しています。」と話していますが、実際はうつ状態で、何もしたくない、する気力がないという感じです。うつ状態の人への「感張りなさい」という言葉は禁句なので、あるがままの主人を受け入れ、本人がしたいようにさせています。今、ほとんど外出もせず一日12時間くらい寝ています。

  冬眠から覚めるもよし、冬眠のままでも、それでよしです。

  私は選挙の後遺症から脱皮してから、HPの作成を始め、「幸せテクニック」の本をつくり、電話やメールでのご質問にお答えしたり、充実した毎日を送っています。

  前回書いた、孫と娘が住むことになる小さなマンションの契約も終わりました。「今・ここ」に全てがあります。過去のつらい体験も思い出した時(潜在意識に閉じ込めてあった感情が表面に上がってきた時)、その体験は、自分がしたくてした体験なんだ(自分が生れる前にこれとあれとそれの感情を体験するぞ!とシナリオを描いてきた体験)と思い込むと、過去のイヤな体験がシナリオ通り体験できて良かったと、良い体験に変わります。

  不安がやって来たとき、よくよくその不安を感じてあげると、その不安はまだ起きてもいない未来の不安である場合がほとんどです。時間は過去から未来に一直線に流れているわけではありません。今が幸せなら、その幸せ感が幸せな明日をつくりだしますから、今を生きるという生き方を身に着けると、楽に生きられるようになります。

  アファメーションを使って別の新しい自我を作ってください。「今・ここ」「今・ここ」とお題目を唱えるように言って下さい。特に不安がきたときは効果覿面です。どうぞやってみてください。

 まだ少し早いですが、よいお年をお迎え下さい。