このごろ思うこと パート5

☆HPづくり&死について  (2003年6月)


 津留の死後は精神世界から少し距離をおき、全く活動していませんでした。しかしその後、四国の英光舎の松浦さんから津留の本を作りたいとご相談を受け、その原稿の校正のとき、否応なく津留の書いたものを読み返すことになりました。するとそのとき引っかかっていた問題が解けたりして、「宇宙はひとつだなー」という感覚を感じさせられました。

 そしてやはり私は津留のサポート役として、自分で津留のメッセージを発信して行こうと、マニュアル本を読み読みホームページを製作中です。

 そして私はずーっと吹っ切れていなかった津留の死、わかってはいるけど、腑に落ちていないところが、今回の文章の推敲作業で心の芯に触れてきました。「その間にあるもの」の中から抜粋して掲載します。

 21世紀の新人類と、我々旧人類の最大の違いが「死」に対する価値観の違いです。「死」はもっとも忌まわしいものという考え方から、「死」は最も素晴らしいもの、とその価値観が反転していく事でしょう。ここで少しの時間「死は最高の人生の祝福」という言葉に意識を止めてみて下さい。そしてあなたの中で生起してくる感情と想念をしばらく感じてみて下さい。果たしてどんな感情が起きてきたでしょうか? それはあなたにとって心地よいものでしょうか、それとも恐れの感情も入っていたでしょうか。

 死とは魂の飛躍の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続ける事が不可能となって起きてくる現象であると知った時、あなたの中の価値体系が全て崩壊してしまうかもしれません。どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時であるなら、葬式は結婚式以上の晴れやかな儀式となるはずです。もし葬式をするならばの話ですが。


 我々の本質は、生でもなければ死であるわけでもありません。「生」と「死」の間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの。そのいずれかであるわけではなく、その間にいてそれを感じている者、そしてまたその両方である者、それこそがあなたです。

 実はこの宇宙には今しか無く、あなたのまわりにいる人は自分のパラレルワールドの中の自分自身に過ぎないのだとわかってきます。あなたとはその肉体の中にあるものではなく、あらゆる二極の間にあるもの、その間にあるものこそ自分である事がわかります。



☆HP完成&主人の選挙  (2003年7月)  

 6月22日夏至の日(夏至の日は地球のエネルギの変わり目だと言われていますので)、「津留晃一の世界」というHPを公開しました。20日間くらい、ほとんど一日中パソコンの前に座って津留に意識を合わせていたせいか、娘に「津留さんのエネルギーを感じる」と言われました。ひとりで作ることができたのも津留のサポートのおかげだと思っています。この津留のメッセージを読んでおひとりでも、生き方が楽になってくだされば嬉しいです。


 今年の4月、私の主人は統一地方選挙に8期目の挑戦をしました。7期28年間公職につき、昨年の春の叙勲では藍綬褒章もいただいたことだし、62歳で体もあちこち痛んできているので、私はもう引退して欲しいと内心思っていました。しかしこれを最後にするからというので、最後の選挙なら勝敗にかかわらず思い残すことがないようにと、選挙大嫌いの私も娘も孫も、全面的に協力体制をとりました。

 心からボランティアでがんばってくださる方も多くいて、結構楽しく選挙戦を戦うことができました。主人は99%当選すると思っていたようですが、私は最後まで当選には疑問をいだいていました。定員に対して立候補者が多すぎること、非常に若い人が出てきたこと、主人の年齢、理由はいろいろありますが、私の心配は第6感からくるものでした。

 そしてその想い通り惜敗しました。主人は実力もあり、仕事も大変よくできる人ですが、権力を振りかざすような行動が多々ありました。主人に面と向かってそのことを注意してくださる方もいないので、いつも私が嫌われ役で注意をしてはいたのですが、私が反抗しているとしか受け取ってもらえませんでした。(でも権力を振りかざす事を悪いと感じてしまうのは私の自我なのですが・・・。)

 肩書き人間で、「議員の山口ですが・・・」「議長の山口ですが・・・」と必ず肩書きがはいります。そういう人がある日突然肩書きをなくしてしまったのです。サラリーマンのようにもうすぐ定年だから、その時にはこういう暮らしをしよう等というアイデアが全く準備されていませんでしたのでその落胆振りはみるも無残でした。

 主人は精神世界のことは全く知りません。でも私は声に出して言います。「これがあなたの描いてきたシナリオなのよ。肩書きを、権力を持って生きた後、全く普通の人になってどうやって生きていくか、どんな感情が起きてくるのか、その事を体験するために自分でこの人生を決めてきたのよ」と。

 「妻は家出をして津留さんのところで精神世界のことを勉強したらしい。それからの妻は全く変わってしまい、自分に自信を持って生活している。私が何を言っても柳に風で反発はしないが、私の思う通りには絶対にならない」これが、主人が私に対して感じていることだと思います。だから私は、主人がわかろうがわかるまいが、自分の考えを言葉に出して伝えます。

 主人は1週間くらい、おいおいと子供のようになき続けました。泣ける事は素晴らしいことです。感情を閉じ込めず、感じきってあげれば、マイナスのエネルギーはどんどんぬけていきます。そして今は、一日15時間くらい寝ています。もう少しできっと元気になるでしょう。そのときの主人が楽しみです。

 私は議員の妻の役目をやっと終えることができ、今は趣味の社交ダンスのレッスンに励んでいます。60歳の少し前から始めた社交ダンスですが、音楽に乗って踊るのは本当に楽しいものです。これから年金生活に突入するのでぜいたくはできないのですが、宇宙には「今・この瞬間」しかないのですから、今やりたい事をやらないでどうしますか。こうしようと決めた時からその道が開けます。考えないでハイヤーセルフにお任せするのです・・・。




☆「幸せテクニック」という本の作成  (2003年8月

  津留が「アネモネ」という月刊誌に、1998年から15回掲載させて頂いた「実践!幸せレインボー講座」を推敲し、プリントアウトしたものを綴じて表紙をつけた手作り本をこのHPで販売したところ反響がいいので、本を作ろうと決心しました。

 A5版にする事に決め、コストを削減するために私一人で編集しレイアウトを考えました。「幸せテクニック講座C」の講演会テープを起こし、実践編として付け加えることにしようとアイデアがわいたのはいいのですが、やってみると結構たいへんな作業で、この夏はほとんどコンピューターの前で過ごしました。


 私は暑いのが苦手なので、いつも夏休み前にバカンスに行く事にしていて、今年も娘や孫と4泊5日で沖縄に行きました。沖縄が好きなのでもう何度も行っているのですが、レンタカーとホテルだけ予約してリゾートホテルに連泊します。沖縄の海の色だけで癒されます。ホテルだけは毎回変えて雰囲気を楽しんでいますが、今回泊まったホテルにはプライベートビーチの一角のラグーンにイルカがいて、イルカとふれあう色々なメニューがあります。今回は孫と一緒なので「タッチング&えさやり」のメニューにしました。イルカはプレゼントに海藻をくれると本で読んだことがありましたが、メニューが終わって帰りかけたとき、孫に一頭のイルカが口の先に海藻を引っ掛けて持ってきてくれました。ハッピーな瞬間でした。





 主人はやっと立ち直りましたが、全く趣味がない人なのでする事がなく、夜8時には寝てしまいます。そして朝は4・5時頃には起きるので、ゴミ出しから庭掃除、簡単な掃除、洗濯と私が起きるころには全て終わっています。本当に助かります。

 感謝、感謝と思っていたのですが、今回の本作りで、私は夜中の2時くらいまでコンピューターの前に座っているので、朝が弱いのです。起きて朝食を作らなければと気はあせるのですが、起きられないというジレンマが続きました。朝食だけ作って、また寝るということもよくありました。

 朝食の時間が違うため、私が起きて朝食が終わり、掃除が終わった頃にはもうお昼になっていて、「今日の昼食は何ですか?」と言われ、私は今、食べたばかりなのに昼食の事など何も考えていないと「ストレス」を溜め込んでしまいます。主人は食に対するこだわりがとても強く、どこの店の肉しか食べないとか、家でつくるラーメンでさえどこの店の焼き豚とメンマが入っていないと気に入らないなど簡単に「じゃあ」と、ありあわせのもので何か作るわけにいかないのでなおさらなのです。

 定年退職した夫が、ぬれ落ち葉のようにまといついてうっとうしいと友人から聞かされてはいましたが、本当だなと実感しました。それで今、作っている本のストレス開放のテクニックの実験が開始されました。想念に言葉がくっついている場合のM2でやってみました。両手の指を胸につけ、「私にまとわりつかないでよ!」でやり、次に「冷蔵庫にあるもので食べればいいでしょ」、つぎに「それぞれ自分の好きなことをやっていきましょうよ」など、思いつく限りの言葉で感情を自分と切り離しました。

 そして、自分を責めなくなって2・3日後、主人は主人でストレスを溜め込んでいたのが爆発したのでしょう、鬼のような形相で「いつまで寝てるんだ、飯を作れよ!」と言って来た時、主人の顔をただテレビの画面を見るように冷静に見ている自分に気づいて今だと思い、「夕食は家族で一緒に食べましょ。でも朝食と昼食は自分の好きなものを食べて下さい。あなたの食事のことを考えるだけで私はすごくストレスを感じるの。今後も一緒に生活していくのなら、お互いに自分の好きなことをやっていきましょうよ」と言いました。

 それから今日までこのスタイルは続いています。私はものすごく気が楽になりました。どれほどその事がストレスだったか思い知りました。晴れ晴れとした気持ちです。主人はその事について全く怒っていません。不思議ですね。自分でも不思議です。何であんなに悩んでいたのか・・・。

 主人は食事を作らないことを怒っていたわけではなく、待っていることにイライラしていただけなのですね。作ってもらえないとわかると、自分の好きなものを買ってきたり外食へ行ったり、結構楽しんでいます。

 昨日、本の原稿が全て出来上がり、インターネットで探した、お手軽に本を製作してくれる会社へ原稿のCDを送りました。どんな本になるか楽しみです。