このごろ思うこと パート19

☆悪いことが起きた訳ではない  (2006年8月)

 今年は天候が不順で、関東地方はやっと梅雨明けしました。世界中で起きている水害、平均気温の上昇は地球温暖化によるものでしょう。そして温暖化を加速させているのが、森林伐採であり、CO2の増大です。地球の平均気温+2度上昇すると、永久凍土が溶けだしたり、氷河が溶けだすと自然科学者たちはシュミレーションをしていて、新聞・テレビで報道されていました。引き返すのに後2年しか猶予がないと言っていました。

 頑張って浄化し続けてくださっている地球さんに感謝し、私たちも出来るところから、環境汚染しない事や、エコ生活に意識を向けていきたいものですね。


 つい最近のことです。朝、掃除機をかけているとき、ギクッと腰に激痛がはしりました。しばらく動けないくらいの痛みです。その日は孫の生後1ヶ月のお祝いの食事会をすることになっており、痛みで泣きそうになりながら出かけました。

 その晩のこと、2週間後に控えているダンスの発表会のことを心配している自我さんに、「大丈夫、その時のことはその時に考えればいいじゃない」といって安心させてあげてから、じっと痛みと向き合い、それを嫌わず、ただただその痛みを感じ続けました。まったく不安感がないのを確認してから、守護天使様、ヒーリングマスターをお呼びし、「この痛みが起こされたメッセージはしっかり受け止めました。体の声を聞き、無理をしないということですね。これからは無理をしないよう体さんの声をしっかりききます。そして休まず働いてくれている体さん、内臓さん、骨さんに感謝します。この痛みによる体験がもう必要ないのなら、どうぞ治してください。」とお願いし眠りにつきました。

 翌朝、痛みは前日の70%くらいになっていました。インターネットで「ぎっくり腰」を検索し、冷やすことと、安静にすることを知りました。家にあった冷感シップをはり、主人に今日は一日寝ていることを告げました。食事は冷蔵庫にあるもので済ませたり、店屋物をとったりしました。

 次の日、なんと痛みは30%になっていました。そして5日後には治ってしまいました。そして7月30日、ダンスの発表会で無事「パソドブレ」をカルメンになった気持ちで思う存分踊ることができました。

 何か「大変なことが起きた」と感じたとき、自分の中にある、その元となる価値観、恐れを探してください。そして、「大変なことが起きたとは限らない」と思い込んでください。すると感情の渦の外に出て、冷静に自分のことがみられるようになります。

 そして、「よく分からないけど、これが今回私が体験したかったことなのかもしれない。もう少しここに留まって感じてみよう。あせる必要はない。」と思えたとき、宇宙の中心と繋がり、思いもよらないようなことが起きたり、別に悪いことが起きているわけではないと心から思えたりします。


 これに関連したご質問がありましたので、皆様とシェアーしたいと思います。

 
1カ月ほど前から、ちょっとしたきっかけで津留さんのホームページを拝読させていただくようになりました。

 メッセージを読む度に、「・・・あぁそうだったのか」「・・・これだったんだな」「・・・気付かなかったなぁ」等々、新たなアングルからの思考との出会いに、戸惑ったり感動したりしております。

 本日お便りさせていただきましたのは、お尋ねしたいことがあるからです。今年、私の友人の家庭で実際にあったことを題材に、津留さんがメッセージの中で何度も述べておられる「・・・すぐに“手段”としてのお金を望むから・・・」ということについてお尋ねしたいと思います。
 
 その友人の家族は、社員数人のデザイン会社を営む父親と、専業主婦の母親、そして大学生の弟がいます。父親は人の良さもあり、経営はあまり上手く言っていない様でしたが、友人の祖父が残してくれた土地と駐車場があり、一家は普通の戸建てに住んで仲の良い家族でした。

 しかし、父親が人に騙されて7千万円近い借金を背負ってしまったのです。銀行と税理士に相談したそうですが、家と土地と駐車場は全て抵当に入っており、全部明け渡しても数千万円という負債が残るということが分かりました。

 私は久しぶりに会った友人のあまりのやつれぶりに驚きました。無理もありません。彼女はその時、お付き合いしている男性との結婚を考えていたようですし、弟はまだ大学の3年です。そして母親は病弱です。

 その時印象的だったのは、彼女がバッグの中からジャンボ宝くじを取り出し、「これが当ったら、住み慣れた家から出なくてもいいし、弟も大学を辞めなくてもいいんですけどねぇ。毎日毎日、一日に何度も願っているんですよ」と呟いたことです。

 津留さんのおっしゃられる、「ありたい結果にフォーカスし、その手段であるお金にフォーカスするのではない」という言葉は分かります。また、「彼女(父親、母親、弟)の、それぞれの進化の為に、それぞれのハイヤーセルフが、その苦しいという体験を創っている」というのも分かるような気がします。

 しかし、現実問題として考えたならば、一家は住み慣れた家を出て、どのような負担配分になるのかは分かりませんが、あまり身体の丈夫でない両親と、OLの彼女と、大学生の弟で数千万円という借金を背負うのです。勿論、これから何年もかかって頑張ればいつかは返済できるでしょう。でも、その間もずっと、「これは神である私がシナリオを書き、私のハイヤーセルフが私の進化の為に用意してくれたステージだから・・・」と思い続けていかなければならないのでしょうか?

 「手段」である宝くじの当選を願い、それを得ることで、思い出が詰まった家に住み続け、弟は希望どおり一年間の留学に出してやり、自分は愛する人との結婚を願ってはいけないのでしょうか?
 「自分がありたい結果が、当選金を手にして心から喜んでいる自分の姿」ではいけないのでしょうか?
 
 以上が2ヶ月程前に実際に見聞きした私の体験です。それからの詳しいことはまだ聞いていません。ちなみに宝くじは外れたようです。

 お忙しいことと思いますが、津留さんのメッセージによく登場する「手段としての金」にリンケージする話でしたので、お尋ねすることにしました。


 お便りありがとうございました。

 まず、これは他人の体験で、あなたの体験ではないということをしっかり自覚していただきたいと思います。

 そして、その話を聞かされたとき、困ったことが起きたとジャッジしたのはあなたです。

 共感したということは、あなたにも「お金がないと生きていけない」という強い価値観があるということです。

 今の人類の集合意識はまだまだそうなっていますので、無理からぬことです。

 でも、そのお友達のご家族はこういう難しい問題を課題にして生まれてきたソウルグループの方々です。

 自己破産をするなり、それぞれが自立して何とか乗り越えていかれるでしょう。今のままの状態が続くことが、幸せな人生だったかどうか、誰にもわからないのです。同時に二つの人生を送ってみて、はじめてどちらがよかったのか判断できますが、それはできないのですから・・・。

 Aの選択をすればAの体験があり、Bの選択をすればBの体験があるだけです。そしてそのどちらの体験も「いい」「悪い」はないのです。自分が今までやっていない体験を体験したい(高次元の魂である自分は)だけなのです。

 この人生の岐路に立って悩み、別の生き方を探し、それでより幸せな人生を送ることも可能です。根本創造主はその人の魂が承諾をしていない人生を押しつけたりは決してしないようです。ですから、その方々は被害者ではないのです。自分で選び取った人生なのです。自分がしたくて(自我の自分ではそう思えないでしょうが・・・)している体験なのです。

 津留も社長として大成功したあとで、それを全て失う体験を決めてきました。精神世界の話をするのが、本来の役目だったからです。それには苦しみ、もがきながら学ぶ必要があったのです。自分が苦しんだ末に得た心の平安があったからこそ、いまだに読む人の心に届いているようです。

 蛇足ながら、津留が「精神世界の話をして行こう」と決心したときから、宇宙のサポートがはじまりました。そして、「これでうまくいかなければ飢え死にすればいいだけじゃないか」と安心して委ねていると、後からお金がついてきて、それまで辛い体験をしていた家族も人並みに生活できるようになりました。30億円の借金を持ちながら・・・。

 どうぞそのお友達を信頼し、困難な選択をしてきた魂に敬意を表してください。

 そして、他人の体験に感情移入しすぎて、自分らしさを失わないようにしてください。あなたのするべきことは自分自身を幸せにしてあげることだけです。全ての人はちがう体験を意図しています。みんな違ってみんないいのです。それが、あなたの存在価値です。

 一つ書き加えるとしたら、「宝くじがあたればいいと願ってはいけないのでしょうか?」という問題についてです。彼女は当たればお金の心配から逃れられると思って願っていますね。

 「在りたい自分を明確にイメージとして描く」という願望実現の方法があります。その場合、出発点が「恐れ=マイナスの想念」から始まった場合は上手くいきません。「くじがあたればいいなぁ」と思うたびに、「私にはお金がたりない」という想いを出していることになるからです。

 ですから在りたい自分を無心で、出来るだけクリアーに描き、宇宙にお願いし、その方法・時期はお任せしておくというのがコツです。

 私のつたない文章をお読み頂き、ありがとうございました。



☆介護一年生  (2006年9月)

 今年は変な気候ですが、皆様お元気におすごしでしょうか? 孫が2人になったので、ニックネームをつけることにしました。8歳の女の子を花ちゃん、生後2ヶ月の男の子を空ちゃんと書くことにします。

 夏休みが始まってすぐに花ちゃんが我が家にやってきました。主人と二人きりの生活に、花が咲いたような可愛さと、若さがみなぎり、私達の癒しになってくれました。


 一緒に宿題をしたり、DVDを見たり、映画に行ったり、水族館に行ったりしました。そして夏休み前から8月17,18,19日に花ちゃんと旅行することが決まっていました。それに合わせて、娘が空ちゃんと、結婚以来始めてのお里帰りに来てくれました。

 一挙ににぎやかな楽しい家庭になり、心から笑える幸せをひしひしと感じました。主人もベッドから起きてくる時間が長くなり、一緒に居間に居るのが楽しいようです。

 そして17日、私と花は東北新幹線に乗って、親戚の家へ出発しました。現地でレンタカーをかり、鳴子のこけし館へ寄りました。花は体験こけし作りを楽しみ、素晴らしい絵付けを完成させました。夜は親戚の地元の西馬音内(にしもない)という盆踊りを見物しました。今では風の盆の次くらいに有名になっている盆踊りです。神秘的な踊りでした。

 次の日は花がどうしても行ってみたいと言っていた東北サファリへ行きました。白い動物を集めているサファリです。暑い日でしたが、花は元気にあちこち見て周り、写真を写して楽しんでいました。

   こけしの絵付け     西馬音内盆踊り


                  ホワイトタイガー 

その日は那須のペンションでバーベキューの夕食を楽しみました。そして最後の日は「南が丘牧場」へ行った後、「清流の里」でいわなとマスをつり、すぐに塩焼きにしていただきました。花は魚が焼けるまで清流に入り、水遊びをしています。その日も暑い日だったので、私も足を入れると氷水のようにつめたく、気持ちが生き返るようでした。そして主人のことが気になるので、早めの帰宅をしました。

 帰るなり私は重い現実をつきつけられました。8月18日、主人が自分の部屋へ行くために階段を登っていて途中で頭から真っ逆さまに転落してしまったそうです。

 もうずいぶん前から居室を2階から1階へ移すよう説得していたのですが、自分の体力を受け入れることが出来ない主人はどうしても聞き入れてくれませんでした。当日はヘルパーさんも来てくれていたのですが、2人が気づかない時にそのことは起きてしまいました。ドスンという音に2人がかけつけると、頭から大量の血を流して倒れていたので、すぐに救急車をよび、かかりつけの病院へ行ってくれるよう頼み、つれていったそうです。

 しかし、今の主人は肝硬変から来る症状で、血が止まりにくく、外科的手術はとても無理だという判断で、傷口を縫っただけで「お帰りください」と言われてしまったようです。救急車には娘と生後2ヶ月の空だけが乗り、ヘルパーさんには留守番をお願いしていました。「帰って下さい」と言われても、行きは救急車なので、どうやって立ち上がることも出来ない父親と空をつれて帰ればいいのだろうと思案した娘に、天使さんが「介護タクシーを呼べばいいよ」とささやいてくれたそうです。

 そして待つこと30分、ストレチャー付きの介護タクシーが来てくれて、親切に家の中まで運び入れて下さったそうです。それを機会に寝室を1階へ移しました。

 私に連絡しようかと思ったそうですが、せっかく日ごろの介護のストレスを晴らすため旅に出ている私に連絡したところで、何の意味もないと判断した娘は、私が帰り着くまでこの旅を楽しませてくれました。本当に感謝です。

 娘は数年前ヘルパー2級の資格を取りました。その後、その仕事をするのかなと思っていたところ、低学年の花を鍵っ子にするのは可哀想だと、結局は働きませんでした。ヘルパーの資格を取りたいという心が起きたのは、働くためではなく親の介護をするためにハイヤーセルフが起してくれた衝動だったことが分かりました。

 主人は、頭を強打したため頭蓋内出血があり、それが脳を圧迫して記憶がとんでしまったようです。ここ15年くらいのことがまったく記憶にありません。そして今は一日22時間ほど寝ている状態です。混乱している私は娘から、体の起し方、おしめの変え方、寝巻きを着替えさせる方法、まともでないことを言う人への返事の仕方など、色々教えてもらいました。

 介護一年生の私ですが、思っていたほど大変だと思わなくなりました。「ああ、また初めての体験ができるぞ」と興味津々の心もあります。「この過酷な体験を選んだのは高次の主人なのだ」というところがブレなければ絶望的になったり、のめりこんだりせず、ただ淡々と介護することができます。

 ですから、最大限やってあげながら、ヘルパーさんや、訪問看護も受け、上手に自分の時間も作って、息を抜くところは抜いて、趣味のダンスだけは続けていくつもりです。

 何か大変だなと思うようなことが起きた場合、そのマイナスサイドにばかり意識を向けると、限りなくやりきれなくなりますので、バランスをとるコツを身につけると楽に生きられるようです。絶望的な事柄の中にもきっとプラスの要素がありますので、それを探すといいと思います。

 そしてストレスがたまったらM2で浄化してあげましょう。

 今日8月31日、娘達はヒデさんに車で迎えに来てもらい帰って行きました。15日ぶりに空ちゃんに対面したヒデさんはその成長にびっくりしていました。幼児期の成長は本当に早いものです。一日、一日変化します。

 ちょっと淋しく心細い私ですが、週末にはなるべく看護に来てくれると言ってくれた娘に心からありがとう。息抜きに里帰りしたのに、かえってお世話になってごめんなさい。



☆主人の死  (2006年10月)

 9月20日、主人が肉体を離れ帰っていきました。

 肝硬変の末期特有の筋肉が弱くなるという症状が、4月ごろから始まりました。自由に出歩けないというストレスからますます酒量が増え、私にとって辛い毎日でした。そして8月18日に2階にある自室へ戻ろうとして階段から転落しました。

 その後、脳の硬膜にたまっている血の圧迫が始まったのでしょうか、だんだん反応がなくなり、言葉も失っていきました。

 しかしプライドの高い主人はお見舞いに人がお見えになると、急に表情豊かに多少辻妻があわない程度で、昔のことをビックリする程の記憶力で話しました。そしてお帰りになった後は、疲れきってまた今の現状に戻ってしまい、しばらくは眠ってしまいます。

 家から2時間以上離れた所に住んでいる息子は、バイオテクノロジーの研究者で、土曜日さえも夜10時、11時まで研究室にいるような生活をしているので、メールのやり取りはしていましたが、来いとは言いませんでした。しかし、どんどん症状が進むので、「今のうちに一度会いに来て」とメールしました。すると、その日の2日後にドイツで学会があり、そこで発表するので、今日は準備で忙しいが、明日、一泊して見舞ってから出発するという返事がきました。

 そのことを主人に話すと、そのころの主人は聞いたことを30分後には忘れてしまうという状況にもかかわらず、そのことだけはちゃんと覚えていて夜、財布というので持って行くと、封筒と言えず、手で長方形の形をつくったのでピンときて祝儀袋を持って行くと、手で数字を示したのでそれを袋にいれると安心して枕元に置きました。

 そして次の日の夕方、息子が帰宅しました。一緒に夕食を囲みましたが、主人は何を話すでもなく、ボーッと座っていて、おすしを2個だけ食べて、「疲れましたからベッドへ戻ります」と言って眠ってしまいました。

 次の朝、出発するとベッドサイドに挨拶に行った息子に、主人は「これは餞別だ、気をつけて行ってきなさい」と、ちゃんと普通に話し、握手をしました。突然正気に戻ったのです。親の愛のすごさに感動しました。これがまともに話した最後でした。

 主人は元々愛が一杯ある人なのです。それが、おしつけがましく、素直に受け入れられなくて、葛藤を繰り返してきました。

 介護認定が要支援2から、あっという間に介護5になってしまいました。一人では何も出来ない状態です。介護用ベッドが搬入され、ヘルパーさんも週に4日来て下さいました。看護師さんは自力で便を出す力もない主人の便を指を差し入れてお腹をマッサージしながら掻きだしてくれました。寝たまま下腹部をお湯で洗って下さったり、まったく自力で身体を動かすことができない人への介護のやり方を色々教えて下さいました。本当に頭の下がるお仕事だと実感しました。

 しかし、ヘルパーさんは1日2時間と決まっています。後は私一人です。週末には娘が駆けつけてくれ、疲れきった私の心を2人の孫が癒してくれました。

 最後は誤飲性肺炎でした。喉の奥にある、食道と肺を分けている弁が、筋力が弱いため上手く作動しないので、トロトロにした飲み物やおかゆの上澄みなどが、間違って肺へ入ってしまうのです。1度目の肺炎の時、往診にいらして下さった先生から、「身体をうつ伏せに近いくらい傾けてあげると自然に肺に入ったものが出てくることもありますよ」と教えて頂き、2時間ごとに向きをかえてあげると、肺にたまっていた水や食べ物ががたくさん出てきて持ち直しました。

 それから1週間後に、2度目の誤飲性肺炎を起しました。そして2日目に静かに息を引き取りました。私一人で見取りました。

 私たちは決して仲の良い夫婦ではありませんでした。お互いの向いている方向がまったく違っていて、価値観が全く異なり、大きな溝ができていました。しかしこの1ヶ月の看病のお陰で、2人はその溝を埋めることができました。最後の3週間は、3次元的には誰から看病を受けてるのかさえ分からない状態の主人でしたが、高次の2人は良い夫婦でした。

 あなたのお陰で、私はなんとドラマティックな人生を送れたことでしょう。結婚後3年目くらいからの心のすれ違い。嫁・姑の確執。あなたの目指した政治の世界は、夢がある反面、ドロドロとした裏があることへの戸惑い。1男、1女の母となった幸せ。子供たちの成長(本当に素晴らしい大人へなってくれました)。家出しての別居生活。初めて知った自立した女性としての心豊かな生活。弟、津留晃一のサポート役。会社の社長。心の仕組みを知ってからもどれた家。子供たちの結婚。孫とのふれあい。

 私はあなたを鏡として、ありとあらゆる感情を体験させていただきました。最後まで妻でいさせてくれてありがとうございました。

 あなたが亡くなった晩、私は眠りながら自分を責めている自分を発見しました。ああしてあげればよかった。こうしてあげればよかった・・・と。しかしすぐに、これでよかったんだと気づきました。こういう体験をしたくて2人は生まれる前に約束して肉体を持ったのだと・・・。

 最後の頃、自分の身体さえ自分で動かすことができませんでしたね。やっと重たい肉体を脱ぎ、どんなに軽く飛び回っていることでしょう。帰ったときの反省会でスケジュールはすべて体験していましたか。合格点でしたか?

 私の予定した来た体験はまだ終わっていないようです。さあ、次はどんな体験が待っているのでしょう。