このごろ思うこと パート18

☆私たちは全てを体験することを望んでいる  (2006年5月)

 10日以上連絡が来なかった娘から、5月5日に帰国することに決まったとメールが来た。妊娠している人が国際線に乗せてもらえるのは、出産予定日の45日前までだそうで、そのぎりぎりの線で日程を決めたらしい。

 私は娘が出産をNZでする場合、長期で応援&立会いに行くつもりではいましたが、帰国して出産すると聞いて本心はホッと安心しました。

 娘たちが、自分らしく生きる道を探しにNZへ旅立って4ヶ月、様々な体験(こんなはずではというマイナスの体験・身も心も洗われるような素晴らしい自然に癒され、感動する体験・おおらかで心優しい人とのふれあい・ニューファミリーが苦しみも楽しみも一緒に体験し、共感することでお互いの絆を深め合う体験)を経て出した結論です。

 その間、私はいつもいつも娘たちのことが心配でなりませんでした。どうしてこんなに心配なのだろうと、ジッと自分の心を見てみると、多くの価値観を握り締めていることに気づきました。

※子供は学校へ行かなくてはならない。
※子供には子供の友達が居ないとかわいそう。
※一家の主人は仕事をして家族を養わなければいけない。

 精神世界のことは散々勉強してもう分かっていると思っていて、人様へは色々アドバイスをしているのに、自分のこととなると「分かってはいるのに・・・」「でも現実は・・・」となって、心はちっとも晴ればれしませんでした。

 でも、自分を責めることだけはせず、「今はこの感情を体験しよう、感じつくそう」とジッとそこに留まって、無理やり自分を納得させることはしませんでした。そしてさんざんそれを体験していると、「あぁ、自分自身を生きていないなぁ」と気づきました。

 娘たちの事ばかを考えて、自分が幸せでないということは、そちらにエネルギーをそそいで、自分の力を他へ明け渡しているということだと気づいたのです。

 「これは娘たちの体験で、私の体験ではない。そしてその体験に良いも悪いもない。今、必要があってその体験から来る感情を味わっているだけなんだ。ジッと見守ってあげよう」と決めました。

 そして、毎日、毎日、その日に起きることに意識を向け生活を楽しみました。趣味のダンスの次のメダルテストに向けて一生懸命練習したり、大好きな映画を見に行ったり、友達と旅行へ行ったりしました。

 旅行は友達4人で箱根への2泊のドライブです。NZへ行ったとき、ロトルアの観光をしましたが、そこで仙石原にとても似ている場所に行きました。キアオラ・ヘルズゲートというところです。ロトルアで最も活発な地熱地帯で、マオリ族の宝の土地だそうです。ぶくぶくと灰色のドロや水蒸気が湧き出していて、硫黄においがすごく、「ああ、温泉たまごが食べたい」と思ったものですが、それがこの仙石原で実現しました。


       キアオラ・ヘルズゲート


 常に「今・ここ」で体験していることに意識を合わせてブレないこと。今している体験が、自分の魂が選択しているのだと疑わないこと。

 究極的に私たちが目指していることは、「全てである存在と(=神)と合体する体験」だと思います。全てとは「憎しみや、怒り、嫉妬、非難」がないことではなく、あらゆる感情の体験です。色で言えばあらゆる色を含んだ「白」でしょう。

 神が全てなら、私たちの魂も全てを体験することを望んでいるはずです。自分がまだ体験していないことを、今世で体験しようとシナリオを描いてきて、それを体験しているだけ。だから人と同じ必要などない。

 自分はあの人より劣っていると嘆いたり、他の人よりお金がないとか良い仕事がないと落ち込む必要もない。

 だけど、わかってはいるけれど「つらい」。そのつらさを絶望的に味わうのではなく、これは今回の生での必要な体験なのだと信じつつ味わえば、そのつらさは半減するのではないでしょうか。

 そして、今世(高次の自分が)選ばなかった部分を嘆くのではなく、選んだ部分を充分に体験し、味わい尽くし、浄化していく。

 そのあとに望む現実の創造をすれば、そこに不安感、恐れの心がないので、次のステージへと移行できるでしょう。


 そのことを教えてくれたのが、娘たちのNZのビッグ&ロング新婚旅行なのでした。

 全ての体験にありがとう!




☆私たちは役を演じているだけ  (2006年6月)

 もう何度も書いている私の鏡である主人のことですが、いよいよアルコール性肝炎からくる肝硬変が末期になりました。いくら入院を進めても
首を縦に振らなかったのに、食べることも、歩くこともままならなくなり、自分から入院すると言いました。

 肝硬変脳症が出て、認知障害や妄想がかなり出るようになり、私が自分を追い込もうとしていると被害妄想を抱いているようでした。

 これは主人の体験なのだからと、彼の中にいるハイアーセルフを見るように心がけてはいましたが、2人きりの生活で、常に彼に向き合っていると、やはりストレスを感じざるを得ません。私には両親の介護をするという体験はありませんでしたが、まさか主人の介護をするとは想像もしませんでした。

 私は心配しながらも、本人(高次元の彼)が望んでしている体験なのだからと、見守ることに決めていました。なぜなら、人は全ての体験が終わって、神にもどるのですから、神から分離して以来、まだしていない体験をしているだけなのです。それが私から見てどんなに歯がゆく、情けなく映ったとしても・・・。

 それでも見ていられずに、主人の友人に何とか入院させることは出来ないだろうかと相談したり、息子に助言を求めたりしましたが、本人がイヤだというものを無理やり病院へ連れて行くことなど不可能でした。


 やっと病院へ行くと言って、車で病院へ連れて行った日が、今までで一番弱っていました。私の手をギューとつかみ一歩一歩ゆっくり、休み休み歩く主人を見ていると、わが子のように愛しく感じました。


 
主治医の先生から、即入院だと言われ、すぐに点滴が始まりました。それ以前の約20日ほどは、お酒以外の食べ物を全く受け付けず、栄養も水分も全く足りていない状態でした。少しでも食べるともどしてしまうのです。

 まだ入院4日目です。時には素直な子供のようにウンウンと私の言うことに耳をかたむけ、心もとない目で私の存在をたしかめたりします。しかし、時には他人を見るように疑い深げな目で見たりもします。今は食事なしで、点滴で栄養や薬を入れています。

 退院できるほど快復するのか、そうでないのか彼のストーリーは分かりませんが、一日一日を大切に過ごして欲しいし、私もそうしたいと思っています。病院通いと仕事と趣味と、今までと変わりなく、私らしく生きていきます。

 娘は臨月に入り、もういつ生れてもおかしくないほど赤ちゃんが下がっているようです。是非また水中出産に立ち会いたいと思っています。孫が水中出産で生れた時の様子は娘のブログをお読み下さい。

 孫はニューベービーの出現を複雑な気持ちで待っているようです。これも大切な大切な体験となるでしょう。孫は帰国以来、毎週週末を私の家で過ごします。この家が一番おちつくようです。そしてエネルギーをチャージして新しいファミリーの元へ戻ります。

 孫は4ヶ月学校を休んだため、授業についていくのがなかなかむつかしいようです。そうでなくてもマイペースの勉強嫌い、自分の好きなことには集中しますが、ねばならないがまったくなく、特に漢字が大嫌いです。3回続けて0点を取りました。本人が全く悪びれていないところが、またすごいところです。週末に私達のところに来るにあたってのママとの約束が、宿題を必ずするというものです。

 「宿題をしなさい」と言うと、算数はすぐにするのですが、漢字を書くだんになるとパニック状態です。それを何度か体験するうちに、「どうして漢字を書かせなくてはいけないのか」という疑問に行き当たりました。

 ※宿題はしなければいけない
 ※宿題を忘れると先生に叱られてかわいそう
 ※漢字は積み重ねなので、その都度覚えていかなければ先で困る
 ※漢字を覚えなければ、大人になったときに困る

 いろいろと自我のささやきが聞こえます。でもいっぱい勉強して、いい学校へ行った頭のいい人が、みんな幸せな大人になっているわけではありません。それなら、今やりたいことが一杯ある孫のありのままを受け入れてあげればいいじゃないと思いました。先の事を心配して、今を生きていない人生より、今、イキイキと輝いて生きていたほうがいいと思います。

 娘達が日本での出産を決め、NZから帰国したのは、主人の体調が悪くなって入院することになり、私がNZまで手伝いに行けなくなる事をテレパシーでキャッチしたからでしょう。ハイアーセルフのお導きとも言えます。

 全ての体験に感謝! 病気ですら、貴重な体験です。大変なことが起こったとマイナスサイドに意識の焦点を当てるのではなく、この体験は高次の自分が決めて来たのだと心から思えたとき、悪い体験など何一つないと分かるでしょう。そして「恐れ」もなくなるはずです。

 人生は映画で、それぞれの配役の役者がいて、様々なストーリーがからみあっていく・・・。自分の今回の役はどんな役で、それをどう演じようか・・・、そのように生をとらえてみると生きるのが楽になるのではないでしょうか?



☆ニューベイビー誕生  (2006年7月)

 6月13日、私の2人目の孫が誕生しました。今度は男の子でした。予定日は16日でしたが、娘は満月の12日に生れる気がすると言っていました。その言葉どおりに陣痛は12日の真昼に起きました。娘から電話がかかってきて、今から助産院へ行こうと思うので、出来たら学校へ孫を迎えに行って、一緒に来て欲しいとのことでした。娘と前もってその時の為の手順を決めていました。是非、我が子にも立ち会って欲しいとの願いから・・・。

 主人は10日ほどの入院で、体力もかなりつき、脳も見違えるほどクリアーになりました。すると早く自宅へ帰りたいと言うようになり、私も病院での生活は本当に生きているとはいえないなと感じていたので、先生に相談したところ、快く退院をを許可していただきました。

 家へ戻った主人は歩くことだけは不自由で、一歩一歩ゆっくりしか歩けませんが、生活に意欲が出てきて、食事も楽しんで取れるようになりました。入院当時、いつ死んでも不思議ではないほど肝臓が悪くなっていました。いつも「死にたい、死にたい」と自暴自棄になっていましたが、先生にはっきり現状の説明を受け、初めて「生きたい」と思ったようです。

 私は主人の様子から、これなら大丈夫だと思い、介護してくださる方の手配もすませ、いつでも出産の立会い&孫のケアーが出来るよう準備を整えました。

 お産で入院したときの孫のケアーを一番心配していた娘も、そして私も最善の道が整えられると信じていました。入院中の主人が点滴を勝手に抜いたり、無断外出して迷子になったりして、病院から付き添って欲しいと言われ、退院まで病院に寝泊りしていた時でさえ・・・。

 助産院探しは娘達夫婦がNZから帰国して最初に取り組んだことでした。以前に水中出産した助産院は、今住んでいるところから1時間30分くらいかかるので、もう少し近いところにないものかとネットで調べていたヒデさんが「ここはどう?」といってみせてくれたのがまんまる助産院だったそうです。そして連絡をとり、お話を聞きに行った所、なんと孫が通っている小学校へ、その助産師さんのお子さん3人も通っていることが分かり、不思議なご縁に驚いたそうです。


 娘からの電話を受けた私は、主人に今日は帰れないかも知れないと話し、孫を学校へ迎えに行き、助産院に駆けつけました。しかしまだまだ陣痛が弱く、「夕食をとりがてら散歩でもなさってください」との助産師さんのお言葉に従って娘、ヒデさん、孫、私の4人は商店街をぶらぶら歩きました。そしてベトナム料理屋さんを見つけました。娘が大好きで、独身時代の娘とよく一緒に行ったものでした。

 4人でゆったりと楽しみながら夕食をとりました。しかし助産院にもどってもまだ陣痛は強くなりません。「一度自宅へ帰って、お風呂へ入り、少しでも寝て体力をつけませんか?」との助言に従い、いったん自宅へ戻りました。その日はサッカーのワールドカップの日本の初戦の日でした。前半は1点リードしていましたので、このいい気分のまま寝ようということで眠りに入りました。

 明けて13日の午前3時ごろ、陣痛が強くなり、5分間隔になったと娘に起こされました。まだ眠りこけている孫をヒデさんが抱いて車に乗せ、産院へ駆けつけました。どんどんお産は進み、いよいよ水中へ入りました。あんなにきつかった陣痛がお湯に入るとフーッと楽になるのだそうです。

 孫もすっかり目がさめてママを見つめています。しかし、いよいよの時には恐くなってにげてしまいました。後で助産師さんに聞いた話ですが、ママの出産に立ち会うほとんどのお子さんが、自分が生れてきた時の産道を抜ける苦しさを思い出し、辛くなるのだそうです。それに加えて、孫は他の子が泣いたり、叱られているのを見るのがとても辛い性格なので、ママが苦しんでいると思い、恐くなってしまったのでしょう。

 「するり」と水中に生まれ出た子は、すぐに母親に抱かれ、おっぱいを吸いました。ようこそこの地球へ! どくどくと動いていた臍の緒が動かなくなるのを待って、ヒデさんの手で切れ放されました。ママも坊やもとても穏やかな顔をしています。

 2006年6月13日午前5時、無事男子誕生の瞬間に立ち会うことが出来ました。宇宙に感謝です。この子の魂は娘夫婦のところへ自分から名乗り出て、肉体をまとい、体験旅行へやってきました。

 ママと坊やがお部屋に戻って一緒のお布団に入ったころ、隠れていた孫を連れに行きました。恐る恐るニューベイビーを見た孫はそおっと触れてみます。自分の指を握らせ、「ギュッと握ったよ」と少し嬉しそうです。


 その日から娘が退院するまでの間、夕方娘宅へ行って孫のお世話をして一緒に眠り、朝学校へ送りがてら自宅へ帰り、数時間主人と過ごし、また夕方戻るという生活を続けました。ちなみに往復にかかる時間は5時間です。でも、日に日に変化する赤ちゃんに会うと疲れも吹っ飛んでしまいます。

 孫が生れて2日目、主人から祝いに行くと電話がありました。「その体では無理だからお気持ちだけを伝えます。」という私の言葉をものともせず、主人は1人で助産院へやってきました。道中、色々な人に手助けしていただいたようです。若い女性の方が席を譲って下さったり、エスカレーターに乗れず立ちすくんでいるところを若いカップルに両手を持って乗せていただいたりと・・・。あのプライドの高い主人がそんな体験のプログラムを描いてきていたなんて。本当に体験の素晴らしさを感じずにはいられません。人間っていいな・・・。疲れ果てて到着しましたが、孫を抱き、一安心したようです。帰りは私が送って行きました。

 娘は無事予定通りに退院し、今はニューベイビーと一緒に静かなそして忙しい毎日を送っているようです。4人家族の新生活のスタートです。一日一日を大切に、感覚をフルオープンして感じ尽くすことを祈っています。ニューベイビーは新米パパにもいっぱい気付きを与えてくれているようです。ヒデさんのブログに気付きが綴られています。

 生命の誕生を目の当たりにすると、本当に何が大切なことであるかがよく分かります。ただただその存在そのものが素晴らしい。魂が無限世界から有限世界を体験するために、この世へ肉体を借りてやってきた。親でさえ、その子を自分の思いどうりになんて創れるものではない。その子はその子のやりたいことがあって来ているのだから・・・。

 でも実際に育てていくうちにどんどん愛情は増し、自分のモノのように錯覚しがちです。愛情を注いだ分、可愛さでお返ししてくれているのです。それでプラス+マイナス=ゼロ。

 この世の体験を共にする、ソウルメイトです。ソウルグループと言ってもいいと思います。
 これから、皆でいっぱい体験しようね。私にも色々教えてね。よろしく!! 私の孫になってくれてありがとう。