このごろ思うこと パート12
☆自分に力をとりもどそう (2005年1月)
2005年が始まりました。皆様いかがお過ごしでしょうか? 年の初めに今年はどんな年にしようかと考える習慣の方もいらっしゃると思います。私からの提案ですが、今年は自分自身に力を取り戻す年にしませんか?
私達は、肉体としての自分や日々の慌ただしい暮らしこそが現実である、という幻にすっかり心を奪われています。そして自分の意思とは関係なく押し寄せる(としか思えない)荒波に巻き込まれ、すっかりコントロールを失った小船のように、無力感や恐れで立ちすくみ、苦しんでいる方が大勢います。「自分には何の力もない」と確信するとき、私達は本来持っている自らのパワーを他者に明け渡しているのです。恐れている相手、羨んでいる相手、被害者意識を持っている相手、依存している相手へ・・・。その相手は人かもしれないし、物や現象かもしれません。
でも私達は元々神でした。その唯一であり完全である神が、神のままでは実感することのないあらゆる自分の面を経験するために魂を分かち、この窮屈な肉体をまとい、今ここにいるのです。神から分離してきている事を忘れ、今色々な感情を体験中であると仮定してみると、一番ぴったりするのではないでしょうか?
「自分の力ではどうすることもできない」と思うと、本当につらいですよね。神からどんどん遠くなる体験をするために、今までは「努力精進して成果を上げる」ことがよき事として集合意識の中心に座っていました。ですから、成功者の伝記を読んだり、スポーツをみると勝ったほうに賞賛の言葉をかけたくなるようになっています。それでは負けた人、努力しても選手にさえなれなかった人は価値がないということになり、その人の苦しみは救いようがありません。他と比較し自分を劣っていると感じたときの無力感、又は自分には能力があるのに、ちっとも認めてもらえないときの悔しさ、空しさ、絶望感。私達は様々な理由で傷つき、自信を失い、本来の自分の力を見失っています。
そんな経験はもう充分してきましたよね? 神のままでは味わえない無力感や欠乏感は、おなかいっぱい堪能しました。そろそろ次のステージへ進む時です。私達の集合意識も変わりつつあります。そして多くの人々が「神から分離し、人間ゲームを始めた事」をどんどん思い出し始めているのです。
色々な体験をするために人間をやっているのなら、他人と比較しても何のメリットもありませんね。それぞれ自分がまだしていない体験を今世しているだけですから。もし他人より劣っているという体験をしようと決めてきたのなら、充分にその体験をし尽くしてください。自分には耐えられそうもない事は決めて来ないようです。その体験が終われば次に決めてきたプログラムが始まります。少しづつゆっくりやってもいいし、一気に浄化して体験を凝縮するのもいいし、自分に一番合ったスピードでやっていって下さい。もちろん今回は苦悩するだけで来世で悟ることも全く問題ありません。
さあ準備の出来た皆様、他に明け渡していたパワーを自分に取り戻しましょう。創造主としての力を! 真の自信を。私達は流される小船ではありません。自分自身を乗りこなし、思いを生き、何かを生み出し、何かを変えていく力があるのです。もし困難な問題や状況に直面しても「これは自分が体験したくてプログラムしてきたのだ」と受け入れられれば、自分はこのままで何の問題もないと知ることとなり、自分を責めたり、他人を責めたりしなくなり、他人と比較することもなくなるでしょう。そのとき、元々自分は神であった事を前提に生き始め、他人に与えていた力を自分自身に取り戻す事が出来るのです。
下記の文章を参考にしてください。
津留晃一の新人類への覚醒進化プログラム「他人」より抜粋
『他人はいない』とは、現実と思っているもの全ては、あなたの内側を反映した立体鏡にすぎないという事です。そこで頭は考え始めます。「でも間違いなく現実はあるのだからこの現実の中のどこかに私を映しだす鏡の部分があるのだろう。その部分を探してみよう」と。でもこれは表面意識の考える思考の流れです。エゴは常にそう考えるのです。
そこであなたのエゴはこの現実の中から鏡の部分を探し始めます。きっとあると信じて探し始めた人は、自分のまわりから、ある鏡の部分を発見し始めるようになります。「あっ、そうかこの葛藤は私のこの考えから起こっていたのだ。よし、もうこんな考え方は手放そう」と。「あいつが悪い、あいつが悪いと思っていたが、俺を苦しめていたのは『裏切りはよくない』と思っていた俺の心じゃないか」と人を責めなくなり、許せるようになったあなたは「そうかこれが幻という事か、自分の心が自分を責めていたとわかっただけでこんなに楽になるなんて」と喜びます。
もう一度言います。幻とは、全てが幻という事です。現実はありません。錯覚です。「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」と決めてください。そうすればあなたの現実は本当に変わり始めます。あなたが信じていた現実は、ガラガラと音をたてて崩れ始めることでしょう。今がその時です。あなたが変わることによって地球は変わり始めます。輝く地球へと変わり始めます。あなたの地球にはあなた一人しか存在しないのですから・・・。
「言っている事はよく分かる。でもここはまだ三次元だから・・・。自分がその心境まで行ったらそうするのだが」こんないつものエゴのつぶやきに勇気を持って命令してください。「黙れ」と威厳を持って命令してください。今、決心してください。そうすればそうなります。自分が変わったら受け入れるのではなくて、受け入れたら変わるのです。逆はあり得ないのです。あなたが主人公なのですから。あなたが創造主なのですから。「その心境まで行ったら受け入れるのだが」という『たら』という条件をはずして下さい。それは起こりません。永久に。もう一度言います。逆はないのです。あなたが決めた時そうなるのです。今、決めてください。決めて損をする事は何一つないのです。
『他人はいないのです』この真実を受け入れてください。あなたが全てです。あなただけが真実である事を受け入れてください。あなたがあなたの宇宙の総責任者です。他人と思えるものはあなたの被造物です。他人のことはあなたが決めてください。その人がどんな人であるか、あなたが決めてください。今まで通り、ひどい人と決める事もあなたの自由です。その人はあなたが決めた通りに振るまい続ける事でしょう。
『あっ、時間がない。3時の約束に遅れてしまう』人に迷惑をかけたくないあなたはこんな時、あせってしまいます。待たされる事が嫌いなあなたはこんな時、人を待たせる事を恐れます。「運転手さん、何とかならないかしら」と状況をコントロールし始めます。遅れないようにと最善をつくします。これまではそんなやり方がベストでした。他にやり方があるなんて考えつかなかったからです。『運転手さんも、待たされそうになっている人も幻です。他人は存在しません』という言葉を思い出したとしても『現にこのままいけば遅刻してしまうという現実が有るではないか』と主張したくなる気持ちもよくわかります。それが現実だと思っているからです。
でもちょっと待ってください。まだ遅刻したわけではありません。約束の3時にはまだなっていません。今あせっている心はまだ起きてもいない非現実の空想を恐れています。『遅れたらどうしよう』と混乱する心は、未実現の幻の中で喘いでいるわけです。
人の恐れは起きてもいない空想の中にだけ実在できます。しかし恐れはあなたをふりまわします。『車を止めて早く連絡した方がいいのではないだろうか、それとも近道はなかったか、イヤそっちの方が混んでいるかもしれない』と、心は忙しく走りまわります。あなたは『時間がない』と思った瞬間から、意識の照準を遅刻した時にピタリと当て、その事にフォーカスし続けてしまいます。あなたは遅刻に意識を凝集して、その現実を創造し始めている事には気がつきません。『困った、大切な約束だ。どうしよう』と焦るほどあなたはよりいっそう遅刻を現実のものとして引き寄せ続けます。
時間は無限にあります。あなたは時間を創造する力さえ、今この瞬間に持っています。ただ使ってこなかっただけです。いいえそれは違います。あなたはこれまでもずっとこの力を使い続けてきました。『時間がない、遅刻する』と心配して現に何度も何度も時間を縮め続けてきました。もう『時間がない』という想念の力で時間を縮めてしまう愚かな行為は止めましょう。
どたばたする心を静め、『時間は無限にある。遅刻の心配は遅刻したその時にすることにしよう』と安らいでいてください。本当に『あれ、とても間に合わないと思ったのに間に合ってしまった。これは驚いた』といった感動を、安らいでいる人は体験することを保証します。
「でも主人はいるとあなたは言います」。現にいると。それでも私は言います。主人がいるというあなたの考え方がそこにあるだけであると・・・。あなたの考え方は、あなただけが変えられます。もしこれまで彼がいることによって苦しみがあったのであれば、ちょっとの間。彼はいないという考え方を受け入れてみてはいかがでしょう。考えることではありません。単に受け入れてみるのです。彼はいないと決めてしまえばいいのです。
『彼はいない』と決めたあなたの世界で、今、心にストレスがあるとすればそれはもはやあなた以外に原因はなくなります。そうです。少しの間だけ、全てのストレスの原因を自分一人に起因させてみるのです。自分が宇宙全ての根本原因であると仮定してしまうのです。こうなれば後は楽です。もうあなたは誰にも責任をかぶせることが出来なくなりますから、肝が据わります。彼に意識が向かわなくなります。こうして彼の実在が稀薄になり始めます。彼に意識の焦点が合わなくなってきて、彼から混乱させられていた現実が遠ざかり始めます。
あなたの外側に彼がいたらそうはいきません。彼を何とかしなければなりません。彼を懲らしめるための策略を練らなければなりません。彼から逃げ出すための準備が必要となるかもしれません。いずれにしても彼の事で頭が一杯です。意識の焦点が主人に釘付けです。こうしてご主人はあなたの中で、ますます肥大化してゆく事になるわけです。あなたの意識を向けたものが、あなたの世界に現実化されるからです。
現実だと思っている全てが、あなたの被造物です。宇宙の全ての責任をとることを決意したあなたは既に宇宙の創造主です。あなたの思考により、あなたのまわりの全てが産み出されていることに気づけるようになってくるでしょう。あなたしか存在しない世界です。そんな世界に恐れがあるはずもありません。そんな自由な世界は単にあなたが決める事によって生まれます。新しい地球は、そんな自立したあなた方の再誕を待ち焦がれているようです。
☆マイペースで行きましょう! (2005年2月)
浄化に励んでいらっしゃる読者の方々から、時折「なかなか上手く行かず、どうすればいいかわからない。」とご相談をいただきます。最近あったご相談で、基本的だけど重要なメッセージを含む事例がありました。皆様の参考になると思いますので、どうぞご覧下さい。
お便り
こんばんは。早速本とテープをお送りくださりありがとうございました。すごく嬉しくて、その日から浄化をしています。そして、上手くいっているような気がします。
一つ教えていただきたいのですが、呼吸に意識を合わせるということがよく解りません。私はすごく物事を突き詰めて考える方で、年明け頃からそれがすごくうるさいと感じ、もうどうしていいかわからなくて、泣いてしまうくらいです。
先日もそんな事がありました。浄化をやってみるのですが、次から次へと思考が出てきて、何を浄化していったらいいのかわからなくなり、疲れて、でも頭は働きっぱなしで、うるさくて頭がおかしくなりそうでした。
浄化で「うるさい!」とやってみても次から次へと思考が出てきます。こういう場合、どうしたらいいのですか? お忙しいと思いますが、教えていただけたらありがたいです。お願いします。
返事
今まで常に思考を忙しく働かせ、自分が傷つかないよう守ってきたのです。心配や不安、自信の無さ・・・。いわゆる恐れが、そうさせているのですね。それは、長年の癖ですから、すぐには変えられないかもしれません。
でも、ご自分でその状態に気づいていらっしゃるのですから、大丈夫ですよ。
思考が渦巻いているとき、エネルギーは頭の辺りにもやもやと集まり、頭に血が上っているような状態になります。また思考は、過去や未来あちこちに飛び、落ち着いて「今ここ」を感じることを妨げます。
浄化していくときには、考える事ではなく感じる事が重要です。感じるスペースをつくりだすため、センタリングとグラウンディングをしてみて下さい。
センタリングとは分散してしまったエネルギーを、自分の中心にもどすことです。グラウンディングはエネルギーがふわふわ漂わないよう、大地としっかりつながることです。どちらとも、今ここにいて、ありのままの自分を感じるために大切です。
一人になれる場所でゆったりと座り、目をとじてゆっくり呼吸します。呼吸に意識をあわせるとは、まさに今ここに集中すること。「吸ってー、吐いてー」と心の中で唱えてもいいでしょう。息をゆったりと吸い込んでいる私、息を吐きながら体や頭の緊張・疲れを手放して、次第にリラックスしていく私。さぁ、体の感覚に注意を向けて、感じて下さい。
どんな反応がおきても大丈夫、OKです。心をやわらかくしてイメージ(映像)をふくらませてください。無邪気な子供にもどったように、義務ではなく「遊びごころ」でトライしてみてください。
センタリングをしてみましょう。次々に湧いてくるウルサイ思考を一まとめにつかまえて、頭の中の四角い箱にいれてしまいます。その箱の中で、思考は単なるエネルギーに戻ります。その箱はエレベーターになっています。エレベーターを「チーン」とおへその下(丹田)まで降ろしてしまいます。そこはあなたの中心であり、パワーの源となる大事なチャクラです。そこでエネルギーは再びあなたと一つになり、自分の中心に力を取り戻します。
グラウンディングをしてみましょう。丹田のあたり(お腹の中)にエネルギーの渦(光の玉)をイメージします。それは、今のあなたのエネルギーの状態を表しています。どんな色や輝きをしているでしょう? 必要を感じたら、好きなように色を変えてみてください。その玉から太いコードが伸びていきます。力強く渦巻きながら地球の中心へと、しなやかに速やかに・・・。そして地球の中心をとらえ、しっかりとつながりアースします。
いずれもエネルギーワークですから、イメージすることに慣れてしまえば大丈夫です。グラウンディングは毎日続けると、どんどん効果が出てきますよ。センタリングは自分が中心からぶれていると感じた時にしてみてくださいね。
「浄化やエネルギーワークが上手く行かない!」と煮詰まったときには、ちょっと放っておきましょう。自然の中を散歩したり、自分の好きなことに時間を使って、心地よくリラックスしましょう。今まで頑張ってきた自分に、ごほうびです。「もう頑張らなくてもいいんだよ」って。
さぁ「〜ねばならない。」をはずして、ワクワクでいきましょう!
再度のお便り
先日は、グランディング・センタリングの事について教えていただきありがとうございます。
「遊びごころ」という言葉に気づきをいただきました。あれからしばらく浄化を行うことが楽しめるようになるまで離れることにして、気持ちが一旦落ち着いてきています。
「悟りたい」そればっかり強くあり、自分でもわかっているのに、抜けきれなくて度壷にはまってしまったようでした。これからは、「子供のころ」に気をとめながら、日々すごして生きたいとおもいます。急がなくてもいいということを心に留めたいと思います。この度は、本当に助けていただきありがとうございました。
浄化に励んでいて、「自分はもうだいじょうぶ」と思い始めた頃に何か事が起こされて、そのとき瞬間出てくる感情があまりにもネガティブで「どうなってしまったんだろう? 今まで順調に進んでいると思っていたのに、これでは逆戻りだ!」と愕然とするときがあります。
私もつい最近、主人と何気なく話をしているとき、もう亡くなっている姑の話題になった瞬間、怒りの感情があふれてきて、「そもそも仲の良かった私達夫婦の関係がおかしくなったのは義母が原因じゃない。そしてそんな時、あなたは一度たりとも私の見方になってくれた事はなかったじゃない。」等、次から次へと義母への思いの丈が口からあふれ出ました。自分で愕然としながらも言葉が出てきます。
その原因はすぐにわかりました。義母と同居するようになってから衝突が絶えず、悩んで主人に相談しても、決まって主人は義母の見方をし、不機嫌になるだけでした。夫婦関係まで気まずくなるので、それ以後義母との軋轢による心の痛みを、私はずっと心の底に沈めてしまったのです。
そして別居している間に、津留の元で精神世界を知り、全ての人がただただ自分のストーリーを生きるためにデザインしてきた性質で存在し、自分を表現しているだけだと解りました。
別居中、義母は癌と向き合うこととなり、私も週に2回くらい看病に行っていました。「お義母さん帰りますね。また来ます。」といった時、「どうして帰るの、ここはあなたの家じゃない。」と言ったり、また別の日「ありがとうね。」と言って私の手を握ったりしました。それで私の義母に対する恨みは完全に消えたと信じていました。
だからこそ、そこの部分の癒しを忘れてしまっていたのです。いくら理屈で解っても心が傷ついた時のエネルギーはしっかり残っていたということです。その後少しずつ、その部分の癒しをしています。
娘にその出来事を話すと、「おばあちゃんとの関係性が一番のネックだったじゃない。その部分の癒しを、今まで全然していなかったの?」とあきれられました。私は主人との関係性ばかりに目を向けていたというわけです。
自分の中にあれほどの怒り、恨みのエネルギーがが残っていたなんて! 「感情を出すのはいけない事だ」(特に醜いと言われてきた感情ならなおさら)と思い何十年も生きてきたのですから、相当浄化作業を続けないと、クリアーになりそうもありませんが、のんびり、マイペースでやっていこうと思っているこのごろです。
☆せっかく人間として肉体をもったのだから (2005年3月)
2月20日にインターコンチネンタルホテルで舞踏晩餐会がありました。私の通っているダンス教室の25周年記念ということで、急遽デモストレーションで踊ることになったのですが、練習期間が2ヶ月もありませんでしたし、途中で振り付けが急に変わったりしたので、娘が帰ってきている時にビデオをとってもらうことにしました。
一緒についてきていた孫が「もっと楽しそうに踊って」と書いた紙を、踊っている私に向かって懸命に読んでもらおうと提示し続けていました。やっと気づいた私はおかしくて笑ってしまいました。
当日、ダンスに限っては今まで緊張したことのない私が、リハーサルの時から緊張で手に汗をかき、心臓はドキドキでした。本番の前、どうしてそんなに緊張しているのか自分に尋ねました。今まではダンス初心者なので、自分の出来る範囲でやればいいという思いがあったので、平気だったのですが、もう中級者なのだからそこそこの踊りをしなくてはみっともない、恥をかきたくないという思いがあることに気づきました。それで「素敵なお姫様のようなドレスを着て優雅におどりたい!」というダンスを始めた時の気持ちを思い出し、孫の「楽しそうに踊って!」という言葉だけを胸にステージに登場しました。「思いっきり大きく踊りなさい」と声をかけて下さった先生にリードされ楽しく踊る事ができました。今回は真っ白なきらきら光るドレスをきてワルツを踊りましたが、終わった後、持てる力を全て出し切った喜びが溢れました。
見に来てくださった友人に「楽しそうにのびのび踊っていて、今までで一番よかったよ」と言ってもらえました。
せっかく肉体を持ったのだから、何歳になっても自分が楽しいと思える事に挑戦してみるのもいいものですよ。頭ばかり使わないで体も使ってあげましょう。そしてあがるという事は気が上に行ってしまっている状態なので、気を下げることに意識を向けてください。カーッとなっている頭のエネルギーを丹田の下まで下ろしてください。うまくイメージできない人は「しこを踏むのが」手っ取り早いですよ。人に見られないようにやって下さいね。周りに人がいたら、ぴよんぴよんというよりどんどんという感じで飛び跳ねて下さい。すると気が下がってきます。
昔発行していた、「創生会レポート」を読み返していたら、以前私が書いたセドナ旅行の事をご一緒した友人が4回連続で書いており、なかなか面白かったので、今回から4回連続で公開いたします。
セドナ旅行記@ Y・Y (創生会レポート 1996年11月号より)
今年の3月、津留晃一さんが第1回目のセドナ旅行から帰国された翌日に行われた名古屋でのセミナーに参加した事が、私がセドナへ行くきっかけになったと思います。そのセミナーで、津留さんがセドナの意識体イクヤムという存在のエネルギーを呼び、地球の中心と宇宙の中心をつなぐ誘導瞑想をされました。
私自身、それまでにも色々な瞑想法を試みていましたが、その時ほどすごいものを体感した事はありませんでした。『セドナって何だろう?』セドナについてはインディアンの聖地であり、アメリカにあるパワースポットだという事しか知りませんでした。津留さんによると、この地球上で唯一宇宙のニュートラル波動が残されている場所という事です。しかしその時は「へーそうなんだ」位で、自分がセドナに行くとは思ってもみませんでした。
そのセミナーから数ヶ月たった頃、私は前以上に自分の中の本音の部分、フッと思った事を優先して行こうと思い始めていました。そんなある日、何だかわからないけれどフッと思ったのです「セドナへ行こう!」と。
創生会の企画で第2回セドナツアーが行われるのは前から知っていて、気にはなっていたのですが、本当に突然体の奥からフッとわいてきた思いでした。しかし、その途端当たり前のように自分の内の他の部分からあわてて声がしました。『お金がかかるよ』『仕事休めないぞ』『家族にどう説明する?』これらの声を静めました。『でも行きたい!』 決心してから先ず妻に相談したら以外に二つ返事でOK、仕事先の代表者の方に話してもOKが取れました。決心した瞬間よりセドナからのエネルギーが流れ始めたように思います。
後日セドナツアーの第1日目に、津留さんのパートナーに聞かされましたが、彼女のガイドのフウセツさんによると、セドナツアーに参加する人は皆それぞれ、体調をくずしたり、ケガをしたり、奥にある感情を出されたり、様々な形で浄化、エネルギー調整が、参加を決めた頃より始まっているそうです。
私は、体調こそくずしませんでしたが、何かイライラしたり、イヤだなーと思う事を見せられたり、仕事も結果的にはツアー出発1日前に辞めることになりました。別にトラブルが起こったわけではなく、帰国後に辞める方向に話をもっていくつもりだったのが、自分のなかで決まっていた心が早く外に現れ、セドナに行く前に白紙にさせられました。
また、セドナへ行く前は何だか分からないけれど、よく神社へ行きました。伊勢に行った時は、大雨洪水注意警報が出ていましたが、内宮、外宮へ参拝した時だけピタッと雨が止み、買い物にでも行こうと思った途端もの凄い雨が又降り出したりと不思議なことがよくありました。
9月に熱田神宮での津留さんのセミナーを企画した際、日本の中間にある熱田神宮の石をセドナに持っていこうとフッと思いました。そして熱田神宮でのセミナーを現代流の儀式にしようと、古代から伝えられた『アワの歌』を参加者全員で歌い、その真ん中に石を置き、光を集め、誘導瞑想で地球へ光を送り、最後は音楽でにぎやかにやりました。こんな企画を自分で思いついてやっているとは思えませんでしたし、何で石を持っていくのか等、本当に津留さんが普段おっしゃるように、頭で考えても分からないけれど何かこうしたい、ただそれだけでした。
ツアー参加者の何人かの方と話したところ、やはり出発前から、それぞれ不思議な事、大変な事等、体験したようです。セドナへ行くと決心したら、丁度参加費用と同額のお金が手元にあったという方もいらっしゃいました。セドナってどういうところだろう? よくわからないまま二つの石を持って空港へ向かいました。
ツアーは東京出発チームと大阪出発チームの二つに別れ、フェニックス空港で合流する事になっていました。総勢21名、大阪出発は8名で、私はその代表者として皆のエアーチィケットも預かり、出発前には津留さんに「Yさん、責任を持って皆を連れてきてくださいよ」と言われました。そしてその言葉をしっかり握って最初のレッスンが始まりました。
ロスで国内線に乗り継ぐ事になっていましたが、エアーチィケットの航空会社名とフライトナンバーが見あたらないのです。エアーの変更があったようで、空港内のスタッフに聞いてみると、隣のターミナルに行くように言われ、行ってみると先程のビルだと言われ、大きな荷物を持ってあちこち行かされました。内側からは津留さんの「責任を持って」という言葉が聞こえてきます。出発前に聞いた旅行会社の人からの「行けばすぐにわかりますよ」の声を思い出し、責めている自分、ロスの空港スタッフの無愛想な態度に腹を立てている自分等を見せられました。
自分一人ならこんな時『どうにかなる』とすぐに開き直れるのですが、今回は人を連れている責任というものをしっかり握ってしまっていました。自分の内と対話しながら観察してみると、空港スタッフなんだから教えてくれて当たり前という価値観、ロスは治安が悪いという情報を握ってしまっていた事、困ったら他人(外)に聞けばいいと外に頼っていた事、無愛想なアメリカ人も自分なんだと言う事等気づきがいっぱいありました。
本当にあちらこちらと行かされて、やっと国内線のチェックインができました。そしてついにフェニックスに到着しました。巨体のブルースが現れ、30分前に到着していた津留さんたち東京組とも対面できホッとしたところで、今度はいくら待っても荷物が出てきません。1時間すぎた頃、「他の場所に持って行かれたんじゃないの?」「Yさんちゃんと荷物預けましたよね?」又、不安を見せられました。荷物はちゃんと預けたから大丈夫、何も問題なし、荷物くらい何とでもなると思った途端、私の荷物だけ出てきました。それから次々と皆の分も出てきました。
やっとバンに乗り込み、フェニックス空港を出発してセドナへ向かいました。せっかくセドナまで来たのだから居眠りしないで景色を見ながら行こうと思って間もなく、眠りに入ってしまいました。目を覚ましたら、丁度セドナの町に入った所でした。ベルロックをはじめとするセドナ特有の赤い岩山の数々が夕日に染まってとても綺麗でした。体がふわふわする様な波動を感じました。
セドナに近いオーククリークキャニオンにある、ジュニパインリゾートというロッジ風のホテルに到着しました。まるで別荘のような落ち着いたたたずまいでした。7時にレストランに集合し、夕食をとりながら一人ずつ自己紹介をしました。食後各自のロッジに戻るとき、空を見上げると、夜空の星があまりに多すぎて、こんなにも沢山の星々があるのかと驚き、美しさにしばし呆然としてしまいました。
眠る前、内側に問いかけました。「セドナで何をすればいい?」『したい事をしなさい。居るだけで良い』そんな答えを得てから眠りに入りました。 つづく
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