このごろ思うこと パート20
☆所有とは (2006年11月)
主人が亡くなってから、一ヶ月以上がたちました。広い家で私が必要としているものはほんの一握りのものです。
書画、骨董、古い写真、本、洋服、着物・・・、なんと多くのものに囲まれて生活しているのでしょう。
主人は結構名のある藩の武家の末裔で、しかも一人息子、幼少のころから両親に自分の立場を聞かされ続け、先祖から伝わる物や墓を守って行くのが、自分の使命だと固く信じていました。ですから何一つ捨てることが出来ず、家は物であふれかえっています。
それに引き換え、私は身一つで家出して、5年ほど暮らした経験があります。多少の収入を得られる仕事があれば、それだけで幸せでした。物への執着が全くないのです。
広い家に一人きりで生活するのはさみしいものです。それで住み替えを考えています。それには物を処分しなければ動きがとれません。本当に必要な物を残してあとの物をどのように捨てていくか、それが今の課題です。
義父、義母、主人が大切にしていた物を本当に処分出来るのか? 息子や娘に「特別にいい物を一つずつでもいいからもらって」と頼みましたが、いりませんと即座に断られてしまいました。旧人類と新人類の間に立って、私が古い柵を壊すしかないと決心しました。
その物たちは、義父、義母、主人の元へ来て彼らを楽しませ、その死と共にお役目を終わったのだと思えるようになってきました。古い物には、様々なエネルギーが入っているので、捨てるには、それ以上のエネルギーが必要です。
私自身の物でも、もういらなくなった物がたくさんあります。和服、宝石です。古いアルバムも数枚を残して処分するつもりです。デジカメを買ってからは、プリントアウトせず、CDアルバムにして残しています。
裸で生まれて、裸で帰っていくのです。シンプルに生きて行きたいと思っています。私は葬式もお墓もいりません。散骨する準備をするつもりです。その人のことを思えば、いつでもどこでも繋がることができるから・・・。
今年の始めごろの新月の日に、願い事を紙に書いておこうと思いたち、一度だけ書いたことがあります。すっかり忘れていましたが、数日前に机の引き出しを整理していたら出てきました。
「娘たち一家と田舎で楽しく、豊かにくらす」 ○○年○○月○○日
と書いてありました。
第3の人生の青写真を今、創造しているところですが、娘たち一家の夢と、私の夢がリンクしていて実現しそうです。
これから、一つ一つ実現に向けて進んで行くつもりです。
人が一人亡くなると、やらなければならない諸手続きが山のようにあります。そういう事務的なことが苦手な私は、今までいかに主人に守られていたのかを思い知らされました。
「今・ここ」が自分にとって一番いい場所なのだ、「今・ここ」を充分に体験し、その体験からくる感情をいっぱい感じつくそう。失敗という概念は全く必要ないのだ。
そう信じて一歩一歩、マイペースで歩いて行こうと思っているこのごろです。
☆シンプルに生きる (2006年12月)
もう12月になりました。あちこちでクリスマスイルミネーションを見ます。何となくウキウキ心楽しく感じます。
私にとって、様々なことのあった年でしたが、全て、する必要があった体験としてしっかりと受け止めています。今もいろいろと選択に迷う日々ですが、しっかりと自分の心の声に耳を傾け、ひとつひとつ、ゆっくりと選び取って行こうと思っています。
11月の中ごろ、娘たち一家と長野県の安曇野に2泊で体験旅行へ行ってきました。かねてより娘たちがこういう暮らしをしたいと思い描いていたような生活を既に始められている方々がいらして、それを体験できる宿を経営されています。
丁度紅葉が美しく、マクロビオティックのお食事もおいしく、楽しい2日間をすごすことができました。パーマカルチャーという循環型農法や循環型生活を実践し、そういう生活のやり方を指導している宿です。今、世界中のあちこちでパーマカルチャーの思想が広まりつつあり、そういう生活を営む人たちが増えているようです。
興味のある方は読んで見られたらいいと思います。シャロムヒュッテというのが、私たちが泊まった宿です。
これはあくまでも、私のこれからの生活の選択肢の一つであって、行って体験してみて、初めて本当の自分の欲していることに気づくこともあります。今は自分を見つめる時期だと分かりました。今はここに居て、今(一人暮らし)をしっかり体験しようと思っています。
久しぶりにQ&Aを掲載します。
Aさまからのお便り
山口潤子様 今晩は☆お世話になっております。Aと申します。
2月 、3月までは、楽しい毎日だったのですが、どんどんどんどん辛くなってきました。宇宙的に見れば、全ての現象はゼロであるというのは頭では解っていても、やっぱり辛いです。今までは、自分の中の見たくない部分を見ないで、毎日楽しくやっていたので、今、ようやく、自分の内側にあったものが、ブァーッと現実化されたのかなーと思います。
具体的に言うと、急に仕事が暇になり、その上すごい額の(私にとっては)支払いにも迫られていて、自分でも驚くほどピンチです。
あー、浄化のチャンスだなーとか、ここが変化のチャンスだと思いつつも、そして「どうせうまくいくよ」と何となく分かっていつつも、この現実を受け入れられなくてつらいです。正直、外側の現象に対して、何も手を出せずジタバタしています。やはり、自分が変わるチャンスと捉らえてよいのでしょうか?
いつも、変な質問ばかりで申し訳ありません。
Aさま、お便りありがとうございました。
今まで見ないように蓋をしていたブロックが吹き出てきたということは、今が浄化のチャンスだということです。あせらずに、自分のブロックと向き合ってください。
今、あなたが苦しいと思っている原因を細かく分析してみてください。そして、「○○が欲しい。」と思ったとしたら、「○○なんてなくてもいいじゃやない。」」と言ってください。そしてそのときに聞こえてくる自我ちゃんの言い訳にじっくり耳をかたむけ、それを認めてあげてください。じっとその自我を見続けていると、5分くらいでいなくなります。そのミニ自我を認めてあげると抜けていってしまうのです。
一つずつ、丹念にやってください。
山口潤子さま、今晩は。いつもお世話になっております、Aです。
何度もご質問してしまい、恐縮なのですが、一つ教えて頂きたいことがあります。私は、山口様からメールをいただいて以来、仕事以外の時間は浄化にあてています。質問は、浄化中についてなのですが、ついつい眠ってしまうのです。起きてみると、30分〜1時間経ってしまっています。
私が眠っている間も、私の潜在意識に何か変化が起きているのでしょうか? 若しくは、やはり、眠らないように努力した方がよいでしょうか?
また、最近、ハートも重いのですが、首から下の背骨に違和感を感じます。友人によると「背骨も邪気の入口だから」とのことですが、違和感にじっと意識を向けることで浄化になりますでしょうか?
どうぞよろしくお願い致します。
A さま、浄化中に眠ってしまうとのことですが、本当は始めてから終わりまでの心の変化を感じていて欲しいと思います。
始める前のキュート縮んでいたハートが、終わった後に緩んで、温かくなっているのが、本当に浄化された状態と言えます。
でも、眠くなったときはどうぞ寝てください。今のAさんに一番いいスピードで進んでいるのですから。
>また、最近、ハートも重いのですが、首から下の背骨に違和感を感じます。
>友人によると「背骨も邪気の入口だから」とのことですが、違和感にじっと意識を向ける
>ことで浄化になりますでしょうか?
意識は光ですから、意識を向けるとは、そこへ光を当て続けることになりますので浄化になります。
Jさまからのお便り
こんにちは。「幸せテクニック」を 早速お送りくださり、ありがとうございました。早速読ませて頂いております。
『パラドックス』という言葉が気になります。
欲しい物、欲しい現実は求めた時点で手に入らない?
でも、自分の考えたとおりの現実・・・? どうすればいいのかよく理解出来ずにいます。人生諦めろと言われている気分です。
きっと間違っているんだとどこかでわかっているんですが・・・どこが間違っているのか教えて頂けたらうれしいのですが。
Jさま、お便りありがとうございました。
津留は「欲しい物、欲しい現実は求めた時点で手に入らない」とは言っていません。「求めるものは与えられますが、だからといって幸せになるわけではありません。」と書いています。
また私たちは自分の意識の焦点がピタリとあったものを現実世界に引き寄せています。しかし、いつも出している自分の思いに気づかない私たちは、どうしてこんなことになってしまったのだろうと嘆くわけです。(今の現実を創ったのは自分の今まで出した思いの結果なのに・・・)
何か欲しい欲しいという思いが出たとき、その思いの元になる想念を探して下さい。どうして自分はそれが欲しいのだろう。「それがあれば幸せになれるのに」と思っているのだろう・・・と。今の自分を否定して、欠乏感、無価値感から何かを求めていると、自分には足りない、足りないという想いを宇宙に発し続けているわけですから、欲しいものよりも足りないという現実を引き寄せてしまいます。
今のご自分や環境を受け入れ、一度プラスでもマイナスでもない中道に心を持っていくことが大切です。今はここが一番良いのだ(魂の体験として)という心を創っていくことに意識を合わせてみて下さい。
その中道の場所から、望む現実をクリアーに描き、望み、その方法、時期は宇宙にお任せして下さい。あなたにとって一番いい時期にそれは実現するでしょう。
返信ありがとうございます。本を読んで何故かとても寂しい気持ちになって、本に書かれている事が自分に出来るのか不安になりました。
一部の人にしか出来ないのではないか? 自分だけは出来ないのではないか? 本に対して怒りに近い感情すら感じました。
ですが、昨日試しに(本当に信じてはいませんでした)本に書かかれていた通りに自分の不安や憎しみを自分の中から宇宙へ届けと思いながら試してみました。思い込みは思い込みで無くなるのでしょうか、不思議ですが・・・気持ちが少しまた少しと明るくなった(?)かもしれません。
まだまだ・・・完全に信用出来ない私がいますが。(ごめんなさい)今の自分は自分の理想の真逆に生きているそんな感覚で毎日送っています。周りの人がうらやましくてしかたない。○○したい、○○したい、でも自分には無い。だから・・・その通りになっているという事ですよね? 自分の中の不要な思い込みが外れたら・・・いったい自分はどんな事を思っているのでしょう? いつ信じられるかまだわかりませんが腑に落ちる瞬間を味わえたらうれしいです。またお便りします。
山口さま、こんにちわ。報告したいようなことが起きました。この連休・・・人生で最悪の3日間だったような、これからの人生にとって最高の3日間だったような事がありました。
ここ最近、津留さんの本を夢中で読み、そうなりたい、そうなりたいと一生懸命そうなろうとしていた私はまんまとパラドックスの渦に巻き込まれてしまいました。
自分の理想と真逆の世界です。「死にたい」「死んだほうがいい」「自殺を経験するための人生なんだ」「津留の嘘つき〜バカ〜」(ごめんなさい)こんな言葉で心の中は完全に支配されてしまったのです。
「怒り」「憎しみ」「悲しみ」「悔しい」・・・もうありとあらゆる人物(母や友人まで)が恨み、妬みの対象者です。さらに「これで完全」なんでしょ。だったらいいじゃん。どうせこれが本当の私です。この世の人皆が不幸になればいい! そして、どこかで冷めたもう一人の自分が
「こんなじゃ・・・良い人生なんて送れる訳ないな・・・やっぱり死んだ方がいい」この繰り返しでした。
自殺をする方法を、真剣に考えていたんです。もう終ったんだなぁ〜なんてシミジミしたりして。そして何度目かの発作(まさに発作のような感じでした)の時に部屋のあらゆる物を投げつけて出産のような感覚(経験していませんが、なんとなく)「ん〜〜(りきんでる感じ)」って泣きながら、何かを出そうとしているのか、産もうとしているのか・・・座り込んで一生懸命りきんでいたんです。(これもどこかで冷めた目で見ている私がいるんですけど)そして力んで、力んで頭がクラクラして・・・息が辛くなって、耳鳴りがして・・・それが、突然とても楽になって頭の中から「私を信じて」という声(心の声かな?)が聞こえたんです。自分(大我)からのメッセージだ・・・そう思いました。
今日電車の中で久しぶりに読んだ津留さんの本も新鮮な感覚で心に中に入っていきました。やっとやっと大きな壁を乗り越えた(ぶち破った)ような気がします。今日の私は「もしかして私幸せになれるかも」少しだけ来年が楽しみになりました。
津留さんに謝罪しなくては・・・ごめんなさい。そしてこれからもお願いします。
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