嫉妬心


 私たちが覚醒するまでに乗り越えなければならないひとつの壁があります。それが嫉妬という感情です。「うらやましい」という最も軽い嫉妬から、人の成功をうらやむ「ねたみ」、そして男女間の「やきもち」という最も強力な嫉妬もあります。この嫉妬心は、人の命さえ奪い取る力を持っています。

 今世、私の学びはこの強烈な嫉妬心の克服から始まりました。完全に嫉妬の心から解放されるまでに、私は7回の失恋を体験させられました。大きな心の傷と引きかえに、私は嫉妬という感情の発生メカニズムを理解することができました。

 陰の状態にあるとき、ねたみの感情は執拗に上がってきます。払っても払っても振りほどけるものではありません。マイナスの世界に入り込んでいるときに思考を使うと、そのマイナスの宇宙は拡大の方向へ流れていくという自然の摂理をまず知って下さい。

 そんな時には、外側(他人や環境)に向かっていた自分の意識を、英断を持って切りかえ、自分の内側深く入っていく必要があります。「この憂鬱な状態は、いったい私のどんな考え方によって創り出してしまったのだろう」という問いかけを持って・・・。

 どんな感情であれ、あなたはあなたの内側のモノサシ(価値観)を使い、判断を下した結果として感情が起きます。感情というものはあなたの無意識の領域において下された、判断に基づいて引っ張り込んだエネルギーなのです。感情はあなたの本質ではありません。あなたという魂が、記憶した情報を使いジャッジした結果、感情が発生してくるだけです。ですから情報を書きかえてしまえば、あなたに起きる感情の質も変わってしまいます。

 起きてくる出来事に、良い出来事と、悪い出来事があるわけではありません。私たちが「悪いと判断する」出来事が起きただけです。例えば75歳の人が死んだとしましょう。ある人は、「どうして私を置いて先に死んでしまったの」と怒るかもしれません。ある人は、「このあいだの約束を果たしてくれなくては困るじゃないか」と、困惑するかもしれません。もう逢えなくなったことを嘆く人もいるでしょう。はたまた大往生であったと祝杯をあげる人もいることでしょう。人々の感情と出来事は全くリンクしていないのだということをしっかり意識して下さい。

 ですから私たちは起きてくる感情によって、どんな判断基準を持っているのか、出来事によって知らされているのだともいえるわけです。すなわち感情によって、あなたがずっと昔にしまい込んだ、見ることの出来ない想念(モノサシ)を見せられているのだ、と考えればいいでしょう。嫉妬の感情がもう欲しくないのであれば、自分が信じ込んでしまって、無意識下に沈めてしまった「思いこみ」を手放すことによって解決が図られます。

 では「嫉み」の感情とはどんな思い込みからやってくるのでしょう。「嫉み」の感情はまずあなたの興味のないものには発生しないということに気付いて下さい。「うらやましい」という思いは「自分にはない」という思いの裏返しです。創造主であるあなたが、うらやましい、うらやましい、という思いを出すたびに、自分にはない、自分にはない、という想念を宇宙に発信し続けているということに気付いて下さい。こうしてあなたは相変わらず自分の欲するものが手に入らないという現実をまねき続けます。

 我々はこれまで一貫して「そのままではいけない」と教えられ続けました。「そのままではいけない」という妄想を信じ込んでしまった人たちは、何かしなければなりません。これが全ての根本です。

 「何かしないといけない」と信じている自我は、「何をしようか」と考えます。何をすべきかを決めるとき、人は当然まだ手に入れてないものを手に入れようとするでしょう。ですから自我は、常に足りているものではなく、自分に足りないものを探しています。あなたの自我はいつも自分にはないものを見つけだそうと働きます。このままではいけないと信じているからです。自分のいたらなさを、自分が持っていないものを、自分には出来ないことを、自分の駄目なところを、自分の醜さを、いつもいつもあなたが眠っているときでさえあなたの無意識の世界で欠点探しは続けられています。

 ですからあなたには突然ある思いがやってきます。「あれが欲しい」「これがやってみたい」「あそこへ行ってみたい」「あんな風になりたい」と。あなたに足りないものを満たそうとして次々に欲求が起きます。そして貪欲なのが自我であると、人々は純粋に信じ込んでしまいます。あなたは元々「無」であり、欲深き存在ではありませんでした。あなたの内深くから上がってくる欲望は、単にあなたが「このままではいけない」という考え方を受け入れたからに他なりません。

 あなたの中で「このままではいけない」という考え方が「このままで良いのだ」という考え方に100%入れ替わった時、あなたは自分の欲がぴたりと止まっていることに気付きます。「それでは無気力になってしまう」と感じる人もいるかもしれません。「このままではいけない」という、あなたが長い間育て上げた想念時空間があなたに働きかけてくるからです。しかし実際はそうなりません。あなたは自分が大自然の中に溶け込んだ、気力溢れる創造主であることを発見するでしょう。何かをやらなければいけない人から、創造するものへと変わります。

 あなたは生き生きと輝いている人を見て、「私もあんな風になりたい」と思うかもしれません。そしてその瞬間のあなたがどんなに輝いているのか、そのことに気付いていますか。本当はあなたはその瞬間、その人ではなく、自分の内にある輝きを発見しているにすぎないのです。しかし多くの人はそのことには気づけません。あなたの目は確かに外にあるその人に向いているからです。あなたの目はその人が素晴らしいのだと誤解します。

 そんなとき、あなたは外ではなく、内側で確かに感じている自分、素晴らしいものを素晴らしいと認識しているその主体に意識をフォーカスし続けていると、自然にいつの間にか「自分はこのままで良いのだ」という感覚が、自我の壁をやぶってあなたの表面意識へと浮上を始めることでしょう。

 しかしこれまで通り、あなたがあなたの目にごまかされ、外にいる生き生きと輝いている人に意識をフォーカスさせ続けていると、あなたの内なるエネルギーがどんどんその人に流れ出していき、あなたとその人のエネルギー量がバランスを失っていきます。素晴らしい人だと気付いた瞬間は等しかったエネルギー量が、あなたがその人に意識を向け続けることによってあなたのエネルギーは枯れ、その人のエネルギーばかりが増え続けます。

  そうなれば、あなたはあの人は素晴らしいがそれに引きかえ自分は駄目であるという実感を得る事になってきます。それはあなたが使ったエネルギー操作によるものだとは露ほども知らずに・・・。枯れてきたエネルギーによって、あなたはいつの間にかあの人が「うらやましい」と思える程にみすぼらしくなってしまうのです。

 嫉妬心は、あなたの「自分は不完全である」という思い込みによって起きてきます。自分は駄目かもしれない、自分には魅力が足りない、自分には力がない、こんな思い込みがある限り「ねたみ」の思いが消えることはありません。あなたは初めから完全であり、本当は今この瞬間も完璧です。「思い込み」さえ取り払ってしまえばそれだけで元の完全に戻ります。

 あなたが駄目なのは、単にあなたが「自分は駄目だ」という思いを持っているからにすぎません。創造主であるあなたが「自分は駄目だ」という思いを出せば、宇宙はその通り、あなたの思う通りの現実を提供してくれるというわけです。「いやいや私は初めから駄目だった」と言い張る人もいることでしょう。でも赤ん坊は自分のことを駄目だなどとは思っていません。

 母親は親愛の情を込めて、無垢な赤ん坊にこう言います。「いい子になるのよ」と。素直な子供は全幅の信頼を置いている母親のこの言葉をまともに受け取ります。「よし絶対にいい子になってみせる」と、希望に胸を膨らませながら。そして無意識のうちに「いい子になるにはどうすればいいのだろう」と考えが動き始めます。何をしたらいい子なのか、今のままではいけないということなのかもしれないと、母親の顔色をうかがい始めます。子供には価値観がないからです。そして母親の顔色によって、いつの間にか母親の価値観が刷り込まれてしまいます。

 そしてお父さんがやってきて「人様に誉められるような立派な人間にならなきゃいかんぞ」と言います。こうしてあなたは「そうか誉められなきゃだめなのか、存在しているだけでは駄目なのか、まだ誉められてないからやっぱり自分はこのままではいけないんだ」と受け取ります。

 あなたのライバルが成功した時、妬んでしまうのは「自分はあるがままで完全だ」という信念がないからです。「このままではいけない」と信じているからです。妬みの感情はあなたの覚醒度のとてもいいバロメーターです。「自分はこのままで完全なのだ」という思いが完全に腑に落ちたとき、あなたはライバルの成功に対して純粋な祝福の思いだけがわいてくる事でしょう。いいえ、あなたには成功という言葉の意味が消えている事に気付くでしょう。

 本当は大金持ちでいる事と、無一文でいる事に違いはありません。万能でいる事と、無能でいる事に全く違いはないのです。それが「あるがままで完全である」ということなのです。今のあなたの、あるがままでは困るところはどこでしょうか。妬みは、そのことをあなたに教えてくれる神様からの贈り物なのです。