望む現実の創造


 あなたはどうありたいのでしょうか? あなたは何を感じていたいのでしょうか? どんな自分でいたいのでしょうか? 本当は自分は何が欲しいのだろう。自分の心から望む状態とはどんな状態なのでしょう。幸せな状態とはどんな状態なのでしょうか?

 どんな人も「あなたは輝きたいのではないですか? いきいきと自分の生を輝かせたいのではありませんか? 輝き続けていたいのではありませんか?」と問うと例外なくそうだと答えます。

 ありたい自分でいればいいのに、なかなか人はありたい自分でい続けようと思考を働かせないようです。「思いは実現します」と言うと、そんなことは知っていると言います。ではありたい自分の状態を思い続ければいいのに、なかなかありたい自分でいることに時間を惜しみなく割き続けている人はいないし、その事に意識を向け続けている人もいないようです。

 人から非難されたら、どうしたら非難されずに済むだろうかと考え、「非難されないようにすること」に大切な時間と労力を注ぎ込んでいるようです。非難されなくなったら輝けると思うからでしょう。それは人から非難されて輝けなくなってしまったという経験があるからです。非難された時しぼんでしまったから、そのしぼんだ原因を取り除こうとするわけです。

 こうして人はいつもいつも人生の大切な時間を、苦しみの原因退治に費やしてしまい、喜びを産み出すことには時間を割きません。本当に自分のしたいことは輝いていることであるはずなのに。非難されないために大半の時間とエネルギーを浪費し続けます。どうか、どの瞬間も、どんな瞬間も、ただただありたい自分でい続けることに意識を向けて下さい。

 好きなことをしなさいというと、車が欲しいからお金を貯めるといいます。ではあなたは今お金を貯めたいのですかと問うと、そうです目的があるから今は我慢してお金を貯めますといいます。では今は我慢したいのですかというと、いえ我慢したいわけではありませんが仕方がないと答えます。

 「仕方がない」、ここにあなたの固定観念が隠れています。あなたのジレンマです。究極の目的を遂げるためには今は我慢しなければならないとする固定的観念です。我々の集合意識がこれまでそう思っていたから、そんな現実世界が今現れているわけです。

 あなたが目的を遂げるのに何かを我慢しなければ達成できないとする固定観念はそろそろ手放してもいい時期に来ているのではないでしょうか。「今は我慢しないと」とするあなたの思いが、今は楽しめないという現実を産み出しているのですから・・・。

 我慢して我慢して我慢して、ついにやり遂げて達成感を味わう。それもなかなか捨てがたいゲームであることは認めます。でもこれからは、今を楽しむゲームに変えてみることもできるのです。

 これが出来ないのは、今楽しんでばかりいたら、必ず後で泣きを見るという価値観があるためでしょう。あなたがそう信じているのですから、そう信じているあなたは必ずそんな体験をすることになります。

 この世には恐い出来事が、災いのように降りかかってくることがあるのだと信じている人には、そんな体験が待ちかまえているということです。「でも実際にこれまで多くの苦い体験をした、だからそれは事実だ」と主張し、その現実をより強固にしているわけです。あなた方がこれまで環境から被害を受けるという体験をいやというほど積み重ねてきたことは重々承知しています。

 でもそれは過去の記憶です。創造主であるあなたは過去からの影響を受けることもできますが、影響を受けないようにすることももちろん可能です。どうすれば過去からの影響を受けずに済むようになるかというと、あなたが「もう過去からの影響は受ける必要がない」ことをはっきりと意図し、そう決めることによってそうなります。

 「将来のいつかのために今は我慢しなければ」という従来の固定的思考パターンを少し疑ってみましょう。あなたのこの観念は一体どこからやって来たのでしょう。「もっと勉強しないと立派な人になれませんよ」と親から、そして先生から教わり、現に社会がそうなっています。先人からそれを教わり、そして環境がそれを証明しているからです。

 外部(他人)から伝えられた言葉を検証し、事実ならそれを受け入れるというあなたの行動パターンがそこに発見されます。あなたのまわりにいる人もみんなそうしているからです。「みんながやっているのだから正しい」と無意識に思考しています。そのことを疑ったことさえありません。それほど強くそのことを信じているわけです。

 「あなたが信じることによってその現実は起きています」と言っても、「いや、事実は事実だ。そう思っているからそうなっているわけではなく、そうなっているからそう信じているのだ」と主張したくなるでしょう。これはどちらが先だったのでしょう? 現実がそうだから信じたのか、信じたから現実が起きたのか、一体どちらが先なのでしょうか?

 これまで人はまず社会というものがあって、その後に自分が生まれ出た、という観点から世界を捉えていました。その観点から見ると、「そうなっているから信じたのだ」と思うでしょう。そこで新しい観点の導入をしてみましょう。視点を変えてみるということです。この世は幻影であり、自分がいて、自分の内側が投影されて外部に映し出されているという観点です。そうすると「もっと勉強しないと立派な人になれません」と言った親はあなたの内側にいます。先生も、社会環境も、あなたの中にあるわけです。ということは、「もっと勉強しないと立派な人になれません」と言っているのは自分以外にはいないということです。とすると、「信じたから現実が起きたのだ」という結論が導かれます。

 自分がそう思っているからそうなるわけです。だったら事は簡単です。自分の思いを変えればいいだけですから。そこにはもうジレンマはありません。仕方なくやる必要はなくなります。自分のジレンマに気づいて下さい、そこに答えが埋まっています。仕方なくやっていることを探して下さい。その根元にあなたの気づくべき固定観念が眠っています。

 自分の思う事が現実として現れてくるのだ。自分は体験したい事を体験できるのだと100%確実に知っている人はいったいどんな思考をすると思いますか? 自分の思いに100%責任を持っている人のことです。

 でもそうは言ってもまず先立つ物がいるし・・・、「今のこの世ではお金がないと生きていけないじゃないか」という考えが心の奥から浮き上がってきて、新たな価値観を瞬間で一掃してしまう人達がたくさんいます。でもそれは「社会の中に後から自分が放り込まれた(外界に他人がいる)」という観点から体験した時の、過去の記憶でしかありません。実際はあなたの今ここでの思いが現実を創ります。

 今、あなたはあなたに与えられた大半の時間を、より快適な生活環境を生み出すために必要だと思っているお金を生み出すことに費やしています。お金とは、その先にある目的のための手段でしかありません。手段に大半の時間を割くのではなく、目的を生み出すことにあなたの意志の力を使いませんか? そうすればあなたの望む現実が確実にやってきます。

 どうぞ自分の思いがいつもどこを向いているかチェックしてみて下さい。一日、起きている時間が16時間あるとして、あなたは自分の望む現実を生み出すためにどのくらいの時間、思いの力を使っているでしょう。人に良く思われようと考えている時間はどうですか? 人に迷惑だけはかけないようにと、どれだけ多くの時間を使っていることでしょう。人の機嫌をとるために時間を使うのを止めてみてはいかがでしょうか。

  あなたは創造者です。自分の生み出したいものに100%意識を向けて下さい。時間を使って下さい。そうしたらあなたの望む現実がやってきます。

  ではどうしてこんな簡単なことがなかなか出来ないのでしょう。現在「人に迷惑を掛けるようなことだけはしてはいけない」という道徳的価値観が最も支持されていると思いますが、この「人に迷惑を掛けてはいけない」という価値観から、わがままはいけないという考えが導かれています。現代人を最も束縛し不自由にしている共通の考え方です。したいことをしてはいけないというジレンマがこの価値観から起きていることに気付いて下さい。

 あなたは加害者になりたくないと思っています。自分が被害を被ったときの体験があるからです。でも「人が人に被害を与えることは不可能」であると伝えられました。