拙者は鉄道旅行が好きでこういうサイトを立ち上げているが、他にもプラモなどの模型や自作パソコンを手がけたりする、いわゆる「工作系」の趣味もある。
拙者がパソコンの自作をするようになった原点?を辿ってみると、遙か30年近く前の、昭和40年代後半に遡る。
当時小学生4年生くらいで、その頃から工作好きだった拙者は、図書館で『模型とラジオ』と『子供の科学』という雑誌を読み漁っていた。どちらも子供向けの工作記事を載せた一種の「バイブル」であった。もっとも、『模型とラジオ』誌は、残念ながら1985年頃に廃刊となってしまった。
その記事のひとつに「電子工作」があった。トランジスタやコンデンサ・抵抗器などを組み合わせて、ラジオやワイヤレスマイクが作れるというものであった。工作記事と言えば、マブチモーターやタミヤのギアボックスを使ったクルマの模型のようなモノしか知らなかった拙者にとっては、実に新鮮なものに見えた。
その電子工作記事をとにかくモノにしてみようと思い立ったのだが、肝心の電子部品はどこで売られているかわからない。小学生のアサハカさで、近所の電器屋やデパートの家電売場などをあたってみるが、当然そのような場所では扱っていない。部品が手に入らなければ何にもならない。拙者は途方に暮れてしまった。
ところが、秋葉原なるところにはその電子部品が豊富にあるという。誰に聞いたのか覚えていないが、とにかくそこへ行ってみることにした。当時住んでいた埼玉県大宮市(現・さいたま市)から秋葉原までは電車で片道30分ちょっとで、比較的近かった。思えば、初めて一人で電車に乗って出かけたのは、この時が初めてである。蛇足ながら、当時の東北本線には、上野と東北地方を結ぶ長距離の旧客鈍行が残っていたので、秋葉原への往復に何度か利用したことがある。
残念ながら初めて秋葉原に行った時のことは覚えていないのだが、国鉄総武線のガード下にある小さな店には、見たこともないような電子部品が所狭しと並んでいて、軽いカルチャーショックのようなものを感じたものである。電子工作記事に載っていた部品リストを片手に恐る恐る部品屋のオヤジさんに尋ねてみると、手慣れた感じで部品を用意してくれた。
初めて握るハンダゴテと格闘し、初めて作ったのは、確かトランジスタ1個を使ったラジオであった。肌色の「クリスタルイヤホン」なるものからラジオ放送が聞こえた時は感動したものである。それ以来、秋葉原へは何度も通うことになった。
・・・・あれから30年以上経ち、ハンダゴテで指先を焦がしていた小学生は、半分中年のオヤジと化した(爆)。一時期は毎週のように行っていた秋葉原だが、最近ではハンダゴテを握ることも、秋葉原をウロウロすることもすっかり減ってしまった。
少子化のせいなのか、はたまた子供の理科離れのせいなのか、部品リスト片手にガード下の店を歩いている小学生を見かけることは非常に少なくなった。馴染みの部品屋もパソコンショップに鞍替えしたところが多い。
思えば、秋葉原の街並みの感じも随分変わった。今では同人誌販売店やコスプレ喫茶・パソコンのジャンク屋などの新しいジャンルの店が増えて、かつての秋葉原を知る拙者は、ちょっと戸惑う。秋葉原駅と新宿を結ぶ都営バス路線は消え、駅南側には都営新宿線が通るようになり、かつて駅の東側にあった高架の貨物引き込み線と貨物扱い所は消え、2005年にはTX(つくばエクスプレス)と某大手家電量販店が進出してきた。さらに2006年には交通博物館が店じまいしてしまった。
昔から変わらないものといえば、万世橋交差点にある、元は警視庁万世橋警察署だった古い建物と、総武線ガード下の部品店であろうか。
|