「蛍の光」


 華々しい開通式や出発式とは逆に、さよならイベントは実に物悲しい

 たいていは鉄道路線そのものの廃止、新幹線の開業に伴う在来線特急の廃止、新型車両の導入に伴う旧型車両の引退などによるものである。

 特に、路線の廃止によるさよならイベントは寂しさがつのる。今まで利用した事が無い路線でも、まるで自分の地元の路線が無くなってしまうような気持ちになる。なにしろ、今日まで地元をゴトゴト走り続けた生活路線が、明日からはその鼓動を止めてしまうのだ。こういう時は、普段鉄道に見向きもしない人が、ぎこちない手つきで駅や列車にカメラを向ける。

 拙者自身は、こういうさよならイベントに参加するのは好きではない。自分が普段利用している路線や車両の時ならまだしも、アカの他人の通夜の席にズカズカ入っていくようで気が引ける。こういうイベントの主役は、長年その路線を利用してきた地元の人であって、「鉄」はあくまで脇役なのだと思う。

 普段は1両ぽっちの車両がガラガラの状態で走る過疎ローカル線でも、廃線の日が近づくにつれて乗りおさめをしようとする地元の人や、カメラを手にした「鉄」の姿が目立つようになってくる。最終日に至っては、地元の有志が作成した「さようなら○○線」のヘッドマークをつけ、何輛もの車両をつなげた長いさよなら列車が超満員の状態で運転される。「いつもこうなら廃線にならないで済んだのに・・・・」と思って寂しくなる。

 この時にも駅のホームでブラスバンドの演奏があるが、演奏される曲はたいてい「蛍の光」である。乗務員の花束贈呈もあるが、渡す方・受ける方にも笑顔は無い。

 やがて最終列車が出る時刻になると、さよならイベントは最高潮に達する。何しろ本当に「最後の最期」なのだ。船の出航の時のように、長編成の列車の窓から何本もの紙テープが伸び、列車に乗っていく人・ホームで見送る人それぞれが万感の思いを巡らせながら手を振り合う。

 このようなさよならイベントの模様も、TVニュースで時々報道される。以前某ニュース番組で、北海道の国鉄富内線の最終日の様子を報道していた。この時も、長い編成の特別列車「とみうち号」が、「蛍の光」の演奏に送られていった。そして最終列車が日高町駅を出ていった後、ガックリと肩を落とした駅長がハンカチで目頭をぬぐっていたシーンは今も印象に残っていて、誇り高き国鉄マンの哀愁を感じた。

 鉄道を巡る情勢は依然として厳しい。特に最近は鉄道路線の廃止手続が簡素化され、鉄道事業からの撤退が容易になった。今後も日本のどこかで「蛍の光」の演奏に送られる路線が出てくることであろう。もしその時は、遠く離れたところから静かに見送ってあげよう。

2000.8.5