鉄道が「陸上交通の王者」と言われた頃、トラック輸送は今ほど盛んでなく、もちろん宅配便などというものも無かったので、物流の中心はもちろん鉄道であった。幹線はもちろんローカル線にも貨物列車が走り回り、貨車の入れ換え作業のために駅で長時間停車したこともあったようだ。
かつて貨物輸送は鉄道頼みの時代であったから、ローカル線の小さな駅にも貨車の引き込み線(貨物側線)が設けられていた。
たいていは、本線から分岐した短い線路がホームの脇に回り込み、2軸貨車1〜
2両分くらいの屋根がついた貨物ホームがあった。農産物の出荷が多い地域では、貨物ホームに隣接して大きな農業倉庫が併設されていることが多かった。林業中心のところでは材木を積み込むためのクレーンがあったり、石炭や砕石がメインのところではホッパーやベルトコンベヤーが設置されていたりすることもあった。鉄道線路にバラストはつきものだから、大きな川の下流にある河原近くの駅からは、採取したバラストを運ぶための長い側線も伸びていた。
貨物側線では、貨車に荷物を積み込んだり荷下ろししたりする人が何人か働いていて、駅に荷物を届けたり、逆に駅に届いた荷物を送り先に届けるためのオート三輪トラックが出入りしていた。貨物ホームには、どこからか送られてきたミカンやリンゴの箱が積み重なっていたり、米俵や大きな麻袋が出荷を待っていたりした。
しかし、トラックの性能があがったり道路網が整備されてくると、小回りが効かない鉄道貨物は次第に衰退していくようになる。宅配便の登場も、それに追い打ちをかけた。合理化のために貨物の取扱駅が減ったり、貨物扱いそのものを止めてしまった路線も出た。
こうなると貨物側線は無用の長物となり、貨物側線のレールは分岐するポイントもろとも取り払われる。もっとも、貨物側線のレールや分岐ポイントはそのまま残されて、保線用車両や廃車の留置線と化しているケースもあるが・・・。
レールが剥がされた貨物側線の跡にはペンペン草が繁り、その間から見え隠れする貨物ホームの側壁や車止めに、往時の栄華が偲ばれる。貨物側線のレールは無くなっても、農産物が主体のところでは農業倉庫がそのまま残っているところが多い。おそらくは大半がもう使われていないのであろうが、これも貨物列車全盛の頃を偲ばせてくれる。
もしあなたがどこかのローカル線の小駅で途中下車して時間を持て余したら、貨物側線の跡があるか探してみるといいだろう。ペンペン草の中に見える錆びたレールや車止めが、往時の栄華を物語ってくれるかもしれない。
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