駅の栄枯盛衰(行き違い線) 


 鉄道が「陸上交通の王者」と言われたのは、遙か遠い昔のこと。マイカー・バス・航空機に圧され、旅客・貨物共に、輸送量に占める鉄道のシェアは下がってきた。今では、鉄道が華々しく活躍できているのは、都市部の通勤通学路線新幹線などの超高速鉄道だけだと言ってもいいかもしれない。

 日本各地を走るローカル線も、かつては多くの人や貨物を運んできた。今では考えられないほど長い編成の列車には多くの人が乗り、地方の特産品などを満載した何両もの黒い貨車編成が行き来していた。
 しかし、旅客はマイカーやバスに移り、貨物はトラックにとってかわられた。沿線人口そのものが減っている地域もあることだろう。今のローカル線の大半は、跡取りがいなくなって寂れた旧家のようになってしまった。

 そんなローカル線を旅すると、そんな栄華の跡を垣間見ることができる。ここでは単線区間での駅の行き違い線に注目してみる。

 かつてのローカル線は旅客・貨物ともに多かったから、当然列車本数も多かった。そのため、単線区間では列車の行き違いができる駅も多かった。しかし、運ぶべき人や貨物が減れば列車も当然減り、それに伴って列車交換可能駅も減る運命になる。短い路線だと、途中に列車交換可能駅が全く無くなってしまい、全線一閉塞になることもある。

 気まぐれで途中下車した駅に、そんなかつての栄華を物語るかのように、行き違い線の跡が残っていることがある。
 上下線毎にホームが分離している「対向式ホーム」の駅だと、片方のホームは現役で使用されているものの、もう片方は手入れされることもなく、ホームの上は草ボウボウで、ホーム側面や端は崩れて自然に還りかかっている。駅名標や沿線名所案内の「鳥居」や、木製のベンチなどが残っていることもあるが、こちらも手入れされることなく、ペンキは剥げかかり、ベンチの座面は朽ち落ち、鳥居に書かれている文字はかすれてしまって読みとることは大抵できない。

 線路の方はと言うと、レールが残っていることはマレだ。残っていても、もう列車が入ってくることはないからすっかり赤錆びて、ペンペン草の中に埋もれている。枕木も残っていればいい方で、たいていは枕木もろとも撤去されていることが多い。バラストはほとんどのところで残っているが、半ば土に還っている。枕木が敷かれていた頃の名残で、細長い凹みが等間隔で並んでいることもある。駅に並行した道路があるようなところでは、行き違い線の跡を切り崩して道路の拡幅用地に転用しているところもある。

 駅からちょっと離れてみると、かつてY字形のポイントがあった頃の名残なのか、駅に進入するあたりで緩いS字カーブがある。行き違い線のポイントは撤去しても、線形そのものまでは変えなかったらしい。

 行き違い線の撤去跡ひとつとってみても、かつての栄華を充分偲ぶことができる。使われなくなって崩れかけたホームを見ると、かつてそのホームに発着していた列車の姿がおぼろげながらに浮かんでくるようだ。

 2003.4.5