りょりょの闘病記4

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りょりょはとても元気でした。誰が見ても病気には見えません。わたしには突きつけられた理不尽な現実を、なかなか受け入れることができませんでした。夢であってほしいと何度願ったことでしょう。しかし、決して夢ではありません。この先、どうなってしまうのか、とても想像などできませんでした。

冷静になって思えば、原因を探ったところで現実を変えることなどできないのに、いったい何が原因なのか、と考える日々が続きました。今まだこの病気の原因は分っていません。横紋筋肉腫に関しては遺伝性があるとは言われていないそうです。では、何故…。

私は、結婚前に化学会社の研究所に勤めていました。そこでの研究で、六価クロムや有機溶剤など発がん性がある薬品を毎日のように扱っていました。そうしたことが、こんな結果になってしまったのではないかと、何度も自分を責めました。高校時代、化学の先生が女性が化学の道に進むなら、子どもを産んでからの方がいいわよ、と話されていたことをふと思い出しました。先生の真意は今では分りませんが、こうしたことを意味していたのではないかとその時感じたのでした。

夫も同様に苦しんでいたのでしょう。子どもが病気になり苦しいのは、母も父も同じです。そう思うと、夫に弱音を吐くことができませんでした。そうした、気を張った毎日のストレスを癒すのに、同じ病棟のお母様がたとの会話はとてもためになりました。

ほぼ同じ時期に入院しりょりょと同じ年で、病名は違うものの治療スケジュールがほとんどりょりょと同じ子がいました。お母様はまだ若いのですが、とってもしっかりした方で年上のわたしもずいぶん勇気を与えられました。

当時、北海道から神奈川に引っ越してきたばかりで、近くに親しい友人はいませんでしたし、知り合ったばかりの人に、なかなか相談もできません。やはり今、幸せに暮らしている人に娘の病気のことを相談するのも気が引けました。そんな中で、同じ境遇にある人との会話は、なによりのストレス解消となります。治療を経験されている方から今後のアドバイスをもらったり、同じ治療をしている時に、励ましあったり。まさに、戦友です。

6A病棟で治療をされた患児のお母様方で組織した母の会(6A会)と言うものがあり(今はコスモス会)、定期的に食堂で話し合いの会が開かれました。いろいろな情報の提供や、困っていることへのアドバイスなど。また、先生に依頼して、小児がんについての座談会なども企画していただきました。

先が見えない不安で押しつぶされそうな時、治療を経験した人のお話は、とても説得力がありました。ちょっとした症状の変化でもびくびくしていましたが、多くの人が経験したことであるとわかると、すこし安心をしたのでした。

この会の発起人の方々は、とてもしっかりした方で、その方々のお子さんが入院されていた時にはまだ院内学級が無く、長期入院中も勉強がしっかりできる環境ではありませんでした。がんといっても、決して勉強ができない状態とは限りません。ほとんどのお子さんは、1ヶ月単位で行われる治療のうち薬の影響で隔離されているのは、1週間程度です。それ以外のときは、普通の生活ができます。その間は、面会時間に親が勉強を見てやるしかないのです。退院後学校に戻っても、とてもついて行けなくなってしまいます。

そうした中、お母様方が働きかけて、養護学校の分校としてがんセンター内に院内学級が設けられました。

入院当時りょりょは1歳でしたので院内学級にはもちろん入っていませんでしたが、院内学級の経緯を聞いたときは、ほんとうに頭のさがる思いでした。

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注)この内容は9年前の記憶によるもので、細かい内容の記憶違い等があるかもしれません。

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